次元迷宮内食料事情
秋斗が大学院を卒業してから三年が過ぎた。彼ももうアラサーである。そしてこの日、彼のスマホに意外な人物からメッセージが入った。差出人は早瀬紗希。高校の同級生で、彼が東京に進学してからは一度も顔を合せていない。日本に最初のゲートが現われたときに安否確認のメッセージを送ったが、メッセージのやり取りもそれ以来である。そんな彼女からのメッセージは短かった。
――――結婚した。
なるほど、もうそんな年齢か。秋斗はそんな浅い感慨を覚えながらメッセージを読んだ。彼の記憶に残る紗希の姿は高校生のままで、彼女がそれからどんな人生を歩んできたのか、彼はまったくしらない。そしてこれが最後のメッセージになるのだろうと思いながら、彼は彼女に返信を送った。
――――おめでとう。お幸せに。
― * ―
紗希からメッセージが届いたその日。秋斗は八王子市の自宅のすぐ近くにある次元迷宮へと向かった。この平屋はもともと佐伯勲の所有だったのだが、今は正式に秋斗の家になっている。買い取ったのだ。勲は譲渡すると言ってくれたのだが、秋斗はそれを断って土地と建物の代金を支払った。それが一つのけじめだと思ったのだ。
ゲートをくぐり次元回廊に入る秋斗はかなり身軽だった。腰にマジックポーチを付け、手には鉄パイプを持っているが、それ以外の荷物はない。今日の彼の目的地は4階層。日帰りで済ませるつもりでいるので、遠征のための装備は何も持ってこなかったのだ。
秋斗は大学にいた頃から次元迷宮に潜っていて、現在は50階層を中心に探索と攻略を行っている。ソロであることを考えれば「クレイジー」な所業だが、これでも彼にとっては抑え気味。そもそも彼にとってのメインはアナザーワールドなので、次元迷宮のほうに本腰を入れているわけではない。言っては悪いが片手間だった。
とはいえ分かりやすい収入源やもろもろの偽装のためにも、次元迷宮の探索と攻略は続ける必要がある。また分かりやすい成果を世に示すことも、目的の一つだ。目下の目標は三〇歳になるまでに次元迷宮でエリクサーを手に入れること。それによって次元迷宮の攻略熱をさらに燃え上がらせるのだ。
さて、ではそんな彼がなぜ今日はわざわざ4階層へ来たのか。一言で言えば食材の調達が目的だった。ここの次元迷宮の4階層には、多種多様な作物が一年中、それこそ季節感を無視して実っているのだ。ちなみにフルーツの類いは少なく、そちらが多く実っているのは12階層となっている。
本来、秋斗個人に限れば、わざわざ次元迷宮で食材調達をする必要はない。収納魔法があるからだ。食材はスーパーで買えば良い。だが一般の探索者たちはそうはいかない。収納アイテムとしてマジックポーチがあるが、そこに入るのは次元迷宮由来のモノだけ。それで食材の調達、というわけだ。次元迷宮産のトマトなら、マジックポーチに入るのである。
ただ食材だけ収納できても便利とは言い難い。調理した状態で持って行ければ便利なのだが、そのためには食材以外にも諸々必要だ。そしてその諸々は15階層で手に入る。料理を入れる容器、調味料、革の水袋などだ。特に水袋は人気だった。水はかさばるし、革袋なら空になれば折りたたんでしまえるからだ。なお水は次元迷宮内で汲める。
そういう、いわゆる遠征グッズを秋斗も持っている。半分はアリバイ用だが、もう半分は実用だ。次元迷宮内で遠征するならこれらのグッズは必須と言っていい。というより必須と思ったから手に入るようにしたのだ。彼なりのテコ入れ策と言っていい。
まあそんな裏話は良いとして。基本的にモンスターとの戦闘は避けて、秋斗は4階層を目指す。そして4階層に到着すると、5階層へ向かうメインルートからは外れて目的地、通称「畑」へ向かった。
一口に「畑」と言ってもなかなか広大である。秋斗の勝手な見積もりだが、400mトラックよりも広いのではないか。その広い畑に多種多様な作物が収穫できる状態で実っているのである。
「相変わらず見事なモンだよなぁ」
[しかもリポップまでの時間も短い。こういう、迷宮内作物を流通させられたら、日本の食料自給率は一気に100%を超えるのではないか?]
「だからしないんだろ。農家が全滅するから」
秋斗はそう言って肩をすくめた。現在においても日本では、いや世界の主要な国々で、迷宮内で手に入れた食材を流通ルートに乗せることは禁止されている。ただし自分で手に入れたモノを自分や家族で食べる分には自己責任なので、主に探索者の間ではもう普通に受け入れられていた。
さて、と呟くと秋斗はマジックポーチから大きな布製の袋を取り出した。収穫した作物を入れるための袋で、布も糸も次元迷宮由来である。ちなみに(シキの)お手製。似たようなアイテムでゴブリンの道具袋というのがドロップするのだが、なんだかばっちい気がしてそっちは使いたくないのだ。
次に彼が取り出したのは鋏。この鋏は15階層のクエストで手に入れたのだが、他と比べてなぜか要求水準が高い。報酬として鋏が出てきたときは秋斗も少し、いやかなりガッカリしてしまった。だが今になってみればこうして便利に使っているわけで、ここへ来る度にアリスにしてやられた感を味わっている。
準備が整うと、秋斗は収穫を始めた。きゅうり、ナス、ピーマン、カボチャ、ゴーヤ、ズッキーニ、パプリカ、オクラ、トマト、しそ、バジル、トウモロコシ、ウド、こしあぶらなどなど。一枚目の袋がいっぱいになると、彼はそれを片付けて二枚目の袋を取り出した。
こちらに入れるのは土が付いてしまうモノ。大根、ニンジン、セロリ、ほうれん草、キャベツ、白菜、ニンニク、ジャガイモ、里芋、さつまいも、しょうが、長ネギ、玉ネギ、ブロッコリー、カリフラワー。ほかにもまだたくさんあるのだが、袋に入りきらないのでここまでだ。
三枚目の袋にはレモンやかぼす、ゆずなどの柑橘類、そしてキノコ類を入れる。椎茸やマッシュルームはたくさんあるのに松茸はごく少量だ。アリスの陰謀だと思われる。フランスの次元迷宮では黒と白のトリュフが採れると言うが、ここではまだ見たことがない。
四枚目の袋は小さめで、秋斗はそれを枝豆でいっぱいにした。小豆やエンドウ豆、熟した大豆には目もくれない。一時期、枝豆を採りまくってひたすらビールのおつまみにしていたのは良い思い出である。
[よく痛風にならなかったな]
「なったら、緑ポーションで治す」
シキが呆れた気配を醸し出したところで、秋斗は五枚目の布袋を取り出した。そして鋏を片付けて鎌を出す。次に彼が向かった場所では、稲が黄金色の穂を垂れている。そう、ここではお米まで収穫できてしまうのだ。
ただお米は収穫してもすぐに食べられるわけではない。乾燥させて脱穀する必要がある。だが少量とは言えそれを個人で、しかも毎回やるのは非常に面倒くさい。だが心配ご無用。この4階層には石版があって、そこに穂の付いた稲を置くと脱穀してくれるのだ。通称「脱穀の石版」だ。
ただし脱穀の石版は、精米はしてくれない。つまり出てくるのは玄米。玄米は玄米で食べられるが、やはり白米にした方が美味しいので、秋斗はそのために家庭用の精米機を購入している。米ぬかが出るのでぬか床まで作ってしまった。
玄米をマジックポーチに入れて片付けると、秋斗は次にすぐ近くの水場へ向かった。綺麗な水が湧き出ている場所で、そこから細い小川が流れている。この水は飲むことができ、彼はそれを革製の水袋に汲んだ。
それから土のついた野菜を出して小川の水で洗う。この時、少し下流に移動するのがマナーだ。そうすれば別の探索者が水を汲みに来ても邪魔にならないし、また綺麗な水を汲むことができる。
まず洗うのは大根。小川の水で泥を落とすと、白くてみずみずしいボディが現われる。秋斗は一つ頷くと、次の野菜に取りかかった。そうやって野菜を洗いながら彼が考えるのは、この次元迷宮で調達できる別の食材のこと。
前述した通り、この次元迷宮の12階層には沢山のフルーツがなっている。ちなみに秋斗のお気に入りはシャインマスカット。8階層にはドロップ肉をベーコンやウィンナーにしてくれる通称「加工肉の石版」があり、彼もたびたびお世話になっている。
さらに14階層にはウシ型のモンスターが数種類出現するのだが、これを倒すと角などのドロップアイテムが手に入る。もちろんドロップ肉も手に入るが、14階層にはこの角などを納品することでバターなどが手に入る通称「乳製品の石版」があるのだ。
また9階層の一角は広大な麦畑(小麦、大麦、ライ麦など)になっており、この階層にも脱穀の石版がある。ただしやってくれるのは脱穀までで、粉にするのは自分でしなければならない。加えてパンだのケーキだのは自分で作らねばならず、それが面倒だと言うことで麦類はあまり人気がなかった。ちなみに秋斗はやった。製粉はシキに丸投げだが。
ただ、秋斗もまだ魚介類はこの次元迷宮で見たことがない。とはいえ北海道のある次元迷宮では魚介類が豊富だというから、次元迷宮ごとに差があるのだろう。ちなみに件の次元迷宮では加工肉の石版がない代わりに、魚介類を乾物にしてくれる通称「乾物の石版」があるという。
「いつか行ってみたいよなぁ。カニもエビも食い放題って話だし」
[普通に買った方がはやいのではないか?]
シキのド正論に秋斗は肩をすくめる。ちなみに海苔はここでも手に入るが、ネットで調べて見た限りでは納品アイテムのレートが高い。やはり北海道まで仕入れにいくべきかとも思うのだが、交通費と手間を考えると面倒になってくるのも事実だった。
野菜の泥を落とし終えると、秋斗はそれらをマジックポーチに片付ける。用は済んだし帰ろうかと思っていると、彼の耳がかすかな悲鳴を捉える。その瞬間、秋斗は鉄パイプを掴んで走り出した。
(シキ!)
[このまま真っ直ぐ!]
シキのナビに従って秋斗は全力で駆ける。するとすぐに数匹のジャイアントラットに襲われている男性の姿が見えた。彼は両手で頭を庇い、つまりまったく反撃できていない。次元迷宮内のモンスターは基本的に相手が死ぬまで攻撃を止めないので、ソロの場合、防御に徹するのは実は悪手だ。走って逃げる方がマシなのだが、男性はソレももうできない様子。秋斗は叫んでこう言った。
「伏せろ!」
秋斗に気付いた男性が、一瞬躊躇ったあと言われたとおり地面に伏せる。秋斗はその頭上を鉄パイプでなぎ払い、ジャイアントラットを叩きのめした。さすがに一撃で全部仕留めることはできなかったが、この程度のモンスターは秋斗にとって脅威でもなんでもない。一分もかからず、手早く片付けた。そして伏せたままの男性にこう声をかける。
「もういいですよ。大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます。助かりました」
そう言って男性が立ち上がる。彼の顔の擦り傷はモンスターによるものか、それとも勢いよく伏せた時のものか。気の弱そうな人だな、と秋斗は思った。
秋斗「いきなりアラサーにされてしまった」




