ゴールデンウィーク一日目8
地下五階に足を踏み入れると、空気がまた一段とひんやりしたように秋斗は感じた。湿度が高いのだろうか、少し空気が重いようにも感じる。とはいえこれまでの階層と比べ、明らかに雰囲気が違うわけでもない。秋斗は右手に魔石を握り、警戒しつつも気負わずに地下五階の探索を始めた。
探索を始めてすぐに、秋斗はモンスターの集団と遭遇した。その姿を見て、またそこから漂うひどい臭いに、彼は顔を引きつらせる。そのモンスターの集団の中には、ゾンビよりもさらに腐敗の進んだモンスターが混じっていたのである。それを見たシキの声が、彼の頭の中でこう響く。
[ゾンビの上位種、だな。見た目も臭いも]
「ああ。グール、ってやつか……?」
秋斗は小声でそう呟く。口の中にまで臭いが入って来そうで、彼は慌てて口を閉じた。そして右手に握った魔石に思念を込めて聖属性攻撃魔法の準備をする。暗視の有効範囲が広がったおかげで、まだ距離は十分にある。彼は「こっち来んな」と言わんばかりに顔をしかめながら、モンスターの集団目掛けて魔石を投げた。
その魔石とすれ違うようにして、一体のモンスターがスゥッと秋斗に近づく。まるでオバケのような見た目のモンスターだ。そのモンスターの後ろで聖属性攻撃魔法が発動するが、そのモンスターは範囲外に出ていたらしく、白い炎に焼かれたりはしない。そのモンスターはそのまま秋斗に近づき、そして通り抜けた。
「えっ?」
秋斗は思わず声をもらした。オバケのようなモンスター(ゴーストとでも呼ぼうか)がぶつかりそうになった時、彼は咄嗟に盾を構えた。だがゴーストはそれをまったく意に介さず、そのまますり抜けてしまった。
秋斗は後ろを振り向いて、自分を通り抜けていったゴーストの姿を追う。何だかよく分からないが、ともかく動こうとしたその瞬間、彼はガクッと膝から崩れた。
「は?」
秋斗は間抜けな声を出した。何が起こったのか分からない。そして混乱している彼の目の前でゴーストが引き返して来る。彼はまた咄嗟に盾を構えたが、ゴーストはやはりそれをすり抜けていく。そしてその一拍後、彼は今度こそ崩れ落ちた。
[アキ!]
シキの焦ったような声を聞きながら、秋斗はようやく自分がどんな攻撃を受けたのかを理解した。身体に外傷はなく、痛みもない。だが強い虚脱感を感じる。要するに体力を奪われたのだ。
ゴーストがまたUターンして、三度目のアタックを仕掛けようとする。秋斗は咄嗟にストレージに手を突っ込み、聖水を取り出す。そして瓶の蓋を乱暴に開け、聖水をゴーストにふりかけた。
「ギョォォォォオオ!?」
聖水をまともに浴び、ゴーストは悲鳴を上げた。そして白い炎に包まれ、ほんの数秒で燃え尽きる。だが秋斗の危機はまだ去っていなかった。彼がゴーストに手間取っている間に、別のモンスターの一団がまた接近して来ていたのだ。
秋斗は苦々しげな顔をして、ストレージから三本目の聖水を取り出す。そしてそれを自分にふりかけた。すると今にも彼に触れようとしていたゴーストが、ピタリとその動きを止める。他のグールやスケルトンも、彼に近づくのを躊躇っている様子だ。その隙に、彼は聖属性攻撃魔法を発動させる。
「汚、物は……! 消毒だぁぁぁあああ!!」
秋斗は声を上げて、底力を振り絞る。放たれた聖属性攻撃魔法は、寄ってきたモンスターを一掃した。その瞬間、シキの声が彼の頭の中に響く。
[アキ、走れ!]
「……っ」
歯を食いしばり、重い身体をひきずるようにして、秋斗は走って来た道を引き返す。そして半ば四つん這いになりながら地下四階への階段を上る。こうして彼は文字通り這々の体になりながら地下五階より撤退したのだった。
地下四階へ戻ると、秋斗はブラックスケルトンと戦った大部屋で座り込んだ。正直、セーフティーエリアかどうかハッキリしない場所で腰を落ち着けたりはしたくない。だが本当に疲労感がひどくて、身体を休ませないと倒れてしまいそうだった。
「ああ、くそ……、きつい……」
大部屋の壁を背もたれにして、座り込んだ秋斗がそう呟く。外傷は一切ないのだが、今は立ち上がることすら億劫だった。彼はノロノロと手を動かしてストレージから水筒を取り出し、お茶を一口啜る。暖かいお茶を飲んで、彼はようやく人心地つけた気がした。
秋斗はさらにストレージからお菓子を出してそれを食べる。休憩のためというよりは純粋なエネルギー補給だ。多少なりとも体力が回復したのか、それとも身体に糖分が回り始めたのか、徐々に気力が湧いてくる。秋斗は「ふう」と息を吐いた。
[さて、厄介なモンスターだったな]
「ああ。強敵だった。というか、ああいう敵は全く想定してなかった」
落ち着いたところで、秋斗とシキはそう話し合う。彼らが念頭に置いているのは、言うまでもなくゴーストだ。
さっき戦ってみた感じからすると、ゴーストは触れることで体力を奪うタイプのモンスターのようだ。しかも盾や秋斗の身体をすり抜けていたことを考えると、物理的な防御や攻撃を一切無視すると見てほぼ間違いない。
ブラックスケルトンというゴリゴリのファイターの後で、あんな脳筋殺しのモンスターが出てくるなんて、予想外にも程がある。「このクエストを用意したヤツは性根がひん曲がっているに違いない」。秋斗はそう思った。
[それで、どうする?]
「一旦セーフティーエリアまで戻る」
秋斗は迷わずにそう答えた。ゴーストの対策を考えるにしても身体を休めるにしても、はっきりセーフティーエリアと分かっている場所でそうした方が良い。この大部屋だって、外からモンスターが入ってくることはないかもしれないが、いつブラックスケルトンが再出現するかと、実は彼も内心ビクビクしているのだ。
[了解した。すぐに動くのか? もう少し休んだ方が……]
「地下四階と地下三階突っ切るだけなら何とかなる。防御魔法頼むわ」
[……うむ]
やや納得しきれない様子だったが、シキは反対せずに防御魔法を秋斗にかけた。それを確認してから秋斗は「よっこいせ」と立ち上がる。幾分回復したとは言え、本調子にはまだ遠い。だがいつまでもこの大部屋にいたくはない。その気持ちの方が強かった。
それから秋斗は駆け足になって地下四階と地下三階を突っ切った。聖属性攻撃魔法でゾンビとスケルトンをなぎ払いながら、後ろを振り返らずに最短コースを進む。彼は三十分と少しで地下二階のセーフティーエリアに到着した。
セーフティーエリアに着くと、秋斗は一気に脱力した。クマの毛皮を座布団代わりにして座り、「あ~」と力なく声をもらす。色々と考えなければならないことがあるのだが、頭を働かせるのも億劫だった。
(とりあえず、腹が減ったな……)
そう思い、秋斗はストレージからタッパを取り出した。中に入っているのはジャムを塗った食パンで、彼はそれを黙々と食べた。腹が膨れると、今度は眠くなる。アナザーワールドで眠ってしまっていいのかとも思うが、ここはセーフティーエリアだ。彼は毛皮にくるまるようにして眠りに落ちた。
秋斗が目を覚ましたのはおよそ四時間後。起きてすぐ、彼は尿意を覚えた。とはいえトイレなどないし、セーフティーエリアの外に出て用を足すのも論外だ。仕方なく、彼はセーフティーエリアの隅っこで用を足した。
「さて、と。一回ダイブアウトしようと思うんだけど、どうだ?」
[異論はない]
部屋の一角から目を逸らしつつ、秋斗とシキはそう言葉を交わす。方針が固まると、秋斗は魔石のストックを確認してからセーフティーエリアを出た。今更ゾンビや武装もしていないスケルトンに手間取ることもなく、彼は三十分もかからずに地下墳墓の外へ出た。
ちなみに、ダイブアウトする前に【鑑定の石版】でブラックスケルトンの魔石を鑑定してみたのだが、結果は普通の魔石と変わらなかった。どうやら大きさだけの違いらしい。ちょっと残念に思いながらも、「まあそんなもんだよな」と納得して秋斗はダイブアウトした。
リアルワールドに戻ってくると、秋斗はまずシャワーを浴びた。浴室から出て髪の毛を拭きながら時計を確認すると、時刻はまだ三時前。ただ、またすぐにダイブインする気にはならなかった。まずはゴースト対策を考えなければ、先へは進めないからだ。
「さて、と」
ラフな格好に着替えると、秋斗はそのまま台所に立つ。そして食事の支度をしながらゴースト対策を考え始めた。ちなみに作るのは今日の夕食の分だけではない。この機会にたくさん作って作り置きしておくつもりだった。
「……でまあ、ゴースト対策なわけだけど。特性の整理かな」
[うむ。確認できたゴーストの攻撃手段は一つ。つまり体当たりだ。そしてゴーストに触れられてしまうと、体力をごっそりと奪われる。一方で物理的な攻撃や防御は、全てすり抜けてくると思った方が良いだろう。だが聖水や聖属性攻撃魔法は効いた]
シキの解説を聞きながら、秋斗は小さく頷く。そして適当な大きさに切ったカボチャを鍋に入れて煮付けにする。調味料は入れすぎに注意だ。あと、みりんは使えないのでみりん風調味料を使う。
[端的に言って、聖水がなければ死んでいてもおかしくなかった]
「初見殺しだよなぁ」
秋斗はそうぼやきながらもう一つのコンロでお湯を沸かし、それからジャガイモを洗い始めた。ただゴーストが初見殺しでも、彼はその初戦を死なずに乗り切った。聖属性攻撃魔法という有効な攻撃手段もある。ただそれがなければ探索が暗礁に乗り上げていたであろう程度には、厄介なモンスターであることは事実だ。
[で、どう戦う?]
「方向性としては二つ。触れられる前に倒してしまうか、触れられても大丈夫なように防御策を用意するか」
ジャガイモの皮をむきながら、秋斗はそう答える。ゴーストを完封してしまえるなら、それに越したことはないだろう。だがそれは綱渡りのような探索になる。それにゴーストを完封できてもグールやスケルトンの接近を許しては、それはそれで危険だ。
つまり実際の方針としては、「防御策を用意しつつ、なるべくゴーストを近づけない」という方向になる。さてどうしたもんかな、と秋斗は首をひねった。
シキ[さて、レシピの検索をせねば]




