次元迷宮No.12752その3
新年になり、全国共通テストも終わると、秋斗ら大学四年生は卒業論文の提出期日がいよいよ近づいてくる。これまでの実験でデータは揃っているし、論文のための実験も行った。それなのにギリギリのタイミングで追加の実験が必要になったりして、秋斗は結構忙しい。研究室にいる時間も延びた。いよいよ追い込みと言った感じである。
ただその一方で、彼は大学院への進学をすでに決めている。来年以降も同じ研究室に残るわけで、今やっている「卒業論文」も本当の意味での「卒業」のためというよりは、区切りの一つと考えたほうがしっくりくる。だからどうも「集大成」という感じにはならない、というのが正直なところだった。
そしてそんなある日のこと。秋斗が学食で友人の三原誠二と昼食を食べていると、おもむろに彼がこんなことを話し始めた。
「アキ、この前話したあのパキスタン人の事だけどさ」
「ああ、あの、魔法使いになった?」
「そうそう。で、その魔法使いなんだけど、自己破産したんだって」
「はあ!?」
秋斗は思わず本気で困惑の声を上げた。件の魔法使いは魔法でがっぽりと稼いでいるのではなかったのか。そう聞いたのがほんの二ヶ月前だ。この短い間に一体何があったというのか。
「この人って、白紙の魔道書に魔法をコピーして、その手数料で儲けたわけだろ? だけど魔法を書き込んだ魔道書からでも、未使用の魔道書に魔法を書き込めることが分かっちまったんだ」
「なるほど、それでか……」
「そ。要するに、わざわざ本人に頼まなくてもいい、って話になっちまったんだ」
「いや、でも、権利関係とか、いろいろあるんじゃ無いのか?」
「そりゃ、企業で使うとか、公的なところで使うとかだったらアレだろうけどさ、個人が使う分で簡単にコピーできるなら、そりゃやるだろ」
つまり海賊版が出回るようになってしまった、ということである。そして海賊版からさらにコピー品が作られているのが現状。まるでカラシニコフだ。オリジナルの権利が侵害され、海賊版がのさばる状況は、どこかで見たような問題そのものである。
「それで自己破産か。かわいそうに」
「ま、本人もずいぶん金遣いが荒かったらしいけどな。クラブで女の子侍らせて乱痴気騒ぎとかしてたみたいだし。『また一から出直します』って言って、迷宮の攻略に戻ってったそうだ」
「いい話、なのか、それ? でもまあ、魔法まで消えたわけじゃないだろうし、再出発にはちょうどいい、のか?」
そう言って、秋斗は箸を咥えたまま首をかしげた。それにしても魔法使いが自己破産とは。ファンタジーもなかなか世知辛い。
「ってことはさ、白紙の魔道書の買い取り価格ってどうなったんだ?」
「下がったな。つっても、これは魔法使いが自己破産する前からの話だけど。察するに需要が一息ついたんだろ」
誠二の予想に秋斗も頷く。火炎魔法であれば、銃器によって代替は可能だろう。となれば大金を払ってまで実用目的で求める人は少ないはず。ロマンを追う一部の人たちの欲求がある程度満たされたことで、買い取り価格も下がったのだろう。
これもまた件のパキスタン人が自己破産した原因かもしれない。高い手数料を払うなら、そのお金で銃器を買いそろえた方が良い、と言うわけだ。何にしても、リアルワールドでは魔法はまだロマンの範疇を出るものではないらしい。
(それはそうと……)
そろそろ良いかもしれない。秋斗は心の中でそう考えた。二ヶ月以上前から続けている「アリバイ作り」にも関係したことだ。そして彼は次の週末の土曜日、朝早くから近所の次元迷宮に向かった。
受付をすませ、秋斗は次元迷宮No.12752に入る。そして足早に第一階層と第二階層を抜け、第三階層へ向かった。第三階層のマッピングはすでに終えている。彼は一度鉄パイプの握りを確かめてから、小走りになって目的地へ急いだ。
彼の目的地は第三階層の端っこ。第三階層は第二階層と同じく、そそり立つ岩壁がエリアの縁になっている。その岩壁のある地点、上部に立ちこめる霧との境目に、うっすらと平らになっている場所が見える。縁に沿ってマッピングをしている時にシキが見つけたのだが、そこが彼の目的地だった。
「よし、登るか」
そう呟いてから秋斗は身体に魔力を行き渡らせて身体強化をし、岩壁の凹凸に指をかけてロッククライミングを始めた。彼はクライミングに関しては素人だが、そこは身体能力に物言わせてあっという間に岩壁の途中の平らになった部分に到着した。
平らになった部分の広さはだいたい六畳ほど。濃い霧が立ちこめていて、いかにも何かありそうだが、実は何もない。最初にここを調べた時には、秋斗も肩をすくめてしまったものだ。ただ彼の目的としては、何もない方が都合がよい。
「さて、と」
そう呟き、秋斗はリュックサックに差し込んでおいた鉄パイプを手に持った。そして武器強化をし、平らになった部分を囲む岩壁を殴りつける。ついでに浸透打撃も放つと、岩壁には大きくヒビが入った。彼はさらに二度三度と岩壁を鉄パイプで叩き、そこにリュックサックが入りそうなくらいの大きさの窪みを作った。
放っておけば、この窪みはそのうち綺麗になくなる。次元迷宮はそういう仕様なのだ。秋斗もそれは知っている。それなのになぜこんな事をしたのか。その答えは彼の次の行動だった。
彼はストレージに手を突っ込み、次元結晶を取り出した。以前と同じく、アリスに頼んで術式を刻んで貰った次元結晶だ。ただし今回はゲートを開くためのものではない。彼はその次元結晶を窪みへ放った。
カツンと硬質な音を立てて、次元結晶が岩肌に触れる。次の瞬間、次元結晶はパッと弾けて眩い光の粒に変わった。その光の粒が全て消えてなくなると、何もなかったはずの窪みには、何と石版が一つ現れていた。
「よし」
秋斗はその石版に触れ、そして一つ頷いた。頼んでおいたとおり、クエストの石版である。納品クエストで、納めるべきアイテムは全て魔石。これも秋斗が頼んでおいた通りだ。ということは、報酬のアイテムも頼んでおいた通りになっているだろう。
彼はまず、魔石を十個納品した。報酬は赤ポーション一個。彼は一つ頷くと、駆け足で家に帰る。そして簡単に昼食を済ませると、今度は火バサミを引っ掴んで再び次元迷宮No.12752へ向かった。
正直に言って、ストレージに保管してある魔石を使えば、全ての項目を納品してしまうことは十分に可能だった。しかし表示されるリキャストタイムから、どれくらいの間隔で納品したのかは逆算できてしまう。この石版のことは報告するつもりなので、後で不審に思われそうなことは避けなければならない。シキと事前に話し合い、秋斗はそう決めていた。
そしてこの日二度目の入場。秋斗は一階層でひたすらスライムハントをし続けた。数時間かけて十分な数の魔石を集め、一階層で早めの夕食を食べる。魔石を全てリュックサックに詰め込み、それから彼は三階層の石版のところへ向かった。
火バサミは魔石と一緒にリュックサックに片付け、得物はナイフを装備している。武器としては少々頼りないが、積極的にハントをするつもりはないので、三階層くらいならこれで十分だ。
魔石で一杯になったリュックサックはずっしりと重い。だが秋斗はストレージを使わなかった。重いリュックサックを担ぎ、二階層の草原エリアを三階層へ向かう。荷物を背負って岩壁を登るのはキツかったが、それでも彼は登り切り、例の石版のところへ戻ってきた。
「さて、と」
そう呟いてから、秋斗はリュックサックから魔石を取り出して納品を行った。消化する項目は、納品するべき魔石が最も多い項目。その数、二五〇個。報酬として現れたのはモスグリーンのウェストポーチ。鑑定結果は次の通りだ。
名称:マジックポーチ
3㎥
秋斗は大きく頷くと、モスグリーンのマジックポーチをリュックサックにしまった。少し休んでから、彼は一階層に戻ってまたスライムハントを敢行する。石版には未消化の項目が残っていて、その分の魔石を集めるつもりなのだ。
そしてまた数時間かけて、彼は必要な数の魔石を集めた。ただリュックサックは軽い。魔石は全てマジックポーチに入れたからだ。それから彼はもう一回三階層へ向かう。彼の足取りは軽かった。
三度目の納品で彼は全ての項目をクリアした。報酬として手に入れたアイテムは赤ポーション一個、赤ポーション五個、白紙の魔道書、鑑定のモノクル、マジックポーチ。納品した魔石の総数は五〇〇個。秋斗は報酬のアイテムをマジックポーチに入れ、マジックポーチはリュックサックに片付ける。そして彼は何食わぬ顔で次元迷宮No.12752を出て家に帰った。
そして翌日曜日。彼はこの日も次元迷宮No.12752へ向かった。ただし中には入らず、近くに併設されている買取窓口へ向かった。ちなみにこの窓口は政府の委託を受けた業者が運営している、いわば公式の買取窓口である。
この窓口で買取りをしてもらうと、その二割が自動で国へ納税される仕組みになっている。年収からして払いすぎな場合は年末調整で還付されるが、納税額が過小でも不足分を納める必要はない。これが政府の言っていた優遇策だった。ただし民間の買取窓口を利用した場合には優遇はなく、普通の収入として確定申告することになる。また住民税や個人事業税は別に課税されることになる。
もちろん批判はある。稼げる人ほど優遇される仕組みだからだ。だが政府は「国防、安全保障に関わることで、スタンピードを起こさないためのいわば必要経費です」と説明。そしてさらにこう答弁を続けた。
「諸外国においても同程度の優遇政策はすでに行われています。この点で遅れをとれば、次元迷宮を攻略する上で有用な人材が海外へ流出するという事態になりかねません。そういう面からしましても、必要な施策であると考えています」
閑話休題。秋斗はいつもこの公式の窓口を利用している。もっとも税金の優遇が目的と言うより、ただ単に近くて便利だからだが。ともかくすでに何度も利用しているので、受付のお姉さんともすでに顔なじみだった。秋斗は小さく頭を下げてからカウンターでこう切り出した。
「買取りをお願いします」
「畏まりました。何を買取りいたしましょうか?」
「これをお願いします」
そう言って秋斗は赤ポーションを一つ、トレーに乗せた。それを見て受付お姉さんが「おっ」という顔をする。そしてこう言った。
「珍しいですね。宝箱でも出ましたか?」
「いえ、石版を見つけたんです」
秋斗がそう答えると、受付のお姉さんはハッキリと顔色を変えた。そんなお姉さんに、秋斗は声をひそめてさらにこう言った。
「そのことについて、情報提供をしたいと思っています」
窓口のお姉さん「あれ、わたしも迷宮に行った方が稼げるんじゃ……?」




