大学四年生2
五月になった。一般開放された次元迷宮の数は、六つ増えて現在は十八カ所になっている。さらにおよそ四〇カ所が準備中で、これらの一般開放がされると各都道府県に一つ以上、開放された次元迷宮があることになる。
しかしその一方で、新たなゲートの出現は現在も続いている。日本で確認されたゲートの数は、五月一日の時点で二〇七箇所。政府は今後もさらに次元迷宮の一般開放を進める予定で、これはいよいよ自衛隊などで攻略を担う人員が払底していることの裏返しだった。
まあそれはさておいて。五月のゴールデンウィーク初日、五月晴れのこの日、秋斗はバイクを走らせていた。向かうのは一般開放された十八カ所の一つ、東京都との県境近くにある神奈川県の次元迷宮No.3528だ。ちなみに友達の三原誠二も誘ったのだが、彼は「帰省する」とかで、秋斗は一人でそこへ向かっていた。
一般開放された次元迷宮の状況は、盛況と言って良い。連日、多くの人が集まっている。当然ながら多くの魔石が供給されており、現在では買い取り価格も下がりに下がり、一個あたり80円前後になっていた。初期の頃と比べればかなり下がったという印象で、はっきり言ってもう一攫千金が狙えるような金額ではない。
だが例えば一時間で二〇個の魔石を集めれば、時給は一六〇〇円だ。そして一階層に限れば一時間で二〇体のスライムを仕留めるのは容易で、体力的な問題はあれど安全面での問題はほぼない。賃金が上がらないと言われているこの日本において、普通にバイトするよりコスパが良いと考える者は多かった。
さらに言えば、一階層でもスライムを狩り続けていれば、そのうち転移石がドロップする。人が集まる次元迷宮ほど転移石の需要は大きい。事前に調べた限りでは、秋斗が向かう神奈川の次元迷宮だと、一階層の転移石は一個十五万円前後の値段が付いていた。月に二つも入手できれば、それだけでちょっとした企業の月給分だ。これもまた人を集める要因だった。
そんなわけで次元迷宮の一般開放はまずまずの出だしと言って良い。「順調な出だし」と言えないのは、色々と混乱が報じられているから。それでももうこの流れは変わらないだろう。秋斗としても一安心である。魔素の処理的な意味でも、就活的な意味でも。
さて次元迷宮No.3528であるが、休日にも関わらず朝から多くの人が集まっていた。秋斗は「ゴールデンウィークなら人が少ないだろう」と思っていたのだが、どうやら同じように考える者が多くいたらしい。駐車スペースも結構埋まっていたのだが、そこは小回りの利くバイク。何とかスペースを見つけて駐車した。
「よし、行くか」
秋斗は真剣な顔でそう呟いた。彼の右手には、自宅近くのホームセンターで買った火バサミが握られている。一階層のスライムを意識したリーサルウェポンだ。周りを見渡せば、同じように火バサミを持っている者が多い。中には別の得物を持っている者たちもいるが、彼らは一階層よりも下へ向かうつもりなのだろう。
(そういう区別がつくのもなかなか面白い……)
[ふむ。言ってみれば、火バサミは初心者用装備なわけだな]
(鉄パイプが上級者用ってわけじゃないと思うけどな。……いや、上級者用なのか?)
シキとそんな話をしながら、秋斗はゲートの方へ向かう。次元迷宮に入るには顔写真付きの身分証明書が必要、となっている。ゲートの前には係員がいて、秋斗はその人に運転免許証を見せて次元迷宮に入った。
次元迷宮の一階層は、まるで洞窟のような場所。これは全ての迷宮で共通だ。足場はそれほど悪くない。気温はやや肌寒いくらいで、湿度は少し高目に感じられた。光源はないはずなのに視界は確保されていて、この謎現象は世界中の科学者を悩ませて抜け毛の量を増やしているとかいないとか。科学者ではない秋斗は気にすることなく歩を進めた。
少し歩くとすぐに薄紅色の水饅頭が現れる。スライムだ。ただしブルブルと震えるだけでほぼ動かない。秋斗は無造作にスライムに近づくと、火バサミで魔石を抜き取る。火バサミを突き入れられても、魔石を掴まれても、スライムは無抵抗。そして魔石が体外へ出ると、スライムは黒い光の粒子になって消えた。
「ホントに弱いな……。いや、まあ、いいんだけど」
そう呟きながら、秋斗は回収した魔石を左手に持ったビニール袋に入れた。完全にゴミ拾いスタイルだが、今や一階層ではこれがスタンダードだ。実際、周囲には同じスタイルの方々が多数いる。
一階層はかなり広く、奥へ行けば行くほど人口密度は下がる。むしろ迷子の危険を心配するレベルだが、シキがナビをしてくれる秋斗には関係ない。彼はズンズンと奥へ進み、次々に魔石を回収した。
「しっかし多いな、スライム。倒しても倒しても減らない」
[獲物を探す手間が省けて良いではないか]
「なのに転移石は出ない。まあ、当然と言えば当然なんだけど」
[ドロップ率は0.05%だからな]
シキの言葉に秋斗は頷いた。そのドロップ率は秋斗が設定したものだが、自衛隊の統計でもだいたいそれくらいのドロップ率になっている。0.05%というとかなり低いように思えるが、例えば一〇〇人が二〇体ずつスライムを倒せば、転移石が一個ドロップすることになる。全体としてみればそこそこの数がドロップするわけで、そのおかげで転移石の価格が一個十五万円程度に抑えられていると言って良い。
ちなみに「十の倍数の階層では転移石のドロップ率が十倍になる」ように設定されており、この情報は石版によってすでに世界中に拡散されている。十階層に限れば統計的にもこの情報の正しさは確認されているが、二十階層以降はまだデータが足りていない。
さて、二枚目のビニール袋が魔石でいっぱいになったところで、秋斗は適当な石の上に腰を下ろした。そしてリュックサックからアルミホイルに包まれたおにぎりを三つ取り出す。昼食である。
弁当にしなかったのは、おにぎりなら食べてしまえばその分のスペースが空くから。いっぱいになった一枚目のビニール袋もリュックサックにしまってあって、つまり今回、秋斗は道具袋やストレージは使わないつもりだった。
別にバレるのを恐れたわけではない。バレずに使う自信はある。ただ、一度一般の人たちがどんな感じで攻略を行っているのか、自分で体験しておこうと思ったのだ。それでまず思ったのは、数が多くなってくると魔石は重い、ということだった。
「疲れるだろうなぁ、これ」
おにぎりを食べながら、苦笑気味にそう呟いた。肩にはずっしりと負荷がくる。足にも負荷はかかり、一歩一歩が重くなっているのをハッキリと感じる。ただ仕掛け人サイドとして何か修正を入れるつもりはなかった。
スライムハントを続けていれば経験値が貯まって体力も付く。それに出入り口は比較的近いのだ。一度外に出て預けるなり換金してくるなりしてもいい。そのあたりは各自で工夫して貰いたい、と秋斗は心の中で嘯いた。
さておにぎりを食べ終えると、秋斗は魔石でいっぱいになったビニール袋をリュックサックに入れた。これでリュックサックの中はほぼ魔石でいっぱいだ。そして三枚目のビニール袋をまた左手に持つ。立てかけておいた火バサミに右手を伸ばす前に、彼はポケットの中で幸運のペンデュラムを発動させた。
これは要するに、幸運のペンデュラムがドロップ率に与える影響の検証だ。一階層のスライムがドロップするのは魔石と転移石のみ。そして転移石のドロップ率は0.05%。これがどの程度上がるのか、試して見ようと思ったのだ。
結果として、一時間の間に秋斗は転移石を一つ手に入れた。倒したスライムの数から逆算すると、ドロップ率の上げ幅は二〇倍以上。本当はもう少し高いのかも知れないが、二つ目がドロップする前に一時間が経過してしまった。このあたりはさらなる検証が必要、かもしれない。
「まあまあ、かな」
そう呟いて、秋斗は次元迷宮No.3528を後にした。彼が迷宮に入っていたのはおよそ三時間半で、集めた魔石は二〇〇個に迫る。彼はそのうちの三分の二を歩いて十分ほどの場所にある買取業者に持ち込んで換金して貰った。
残りの三分の一は研究室の予算で買い取って貰ったのだが、転移石も含めた買い取り金額は合計で16万4680円。転移石の分を除いても1万5000円近い稼ぎになったわけで、秋斗もこの稼ぎにはちょっと驚いた。
「スゲー稼げるな。コレ、真面目にバイトするヤツいなくなるんじゃねぇの?」
[アキの場合は稼ぎやすい条件が揃っていたからな]
まず秋斗はソロだった。よってパーティーメンバーと獲物を分け合う必要が無い。さらに体力が十分にあるので、重い魔石を持ったまま歩き回っても疲れない。そして迷子になる心配がないので、ライバルの少ない場所で獲物を独占できる。
[一般人だと、やはり一日で二〇〇個前後が相場ではないか? 十分に慣れてくれば、もう少し増えるかも知れないが]
「なるほど。そんなモンか……」
シキの予想に秋斗も頷く。丸一日肉体労働をしたら、次の日はキツいかも知れない。それに次元迷宮の一般開放が進めば魔石の供給量は増えるわけで、そうなれば買い取り価格はさらに下がることが予想される。
ただ一日で二〇〇体のスライムを倒せれば、二〇日で四〇〇〇体の計算になり、転移石二つのドロップを期待できる。現在のレートなら月収30万以上になるわけで、結構な収入といえるだろう。
「ま、仕事として楽しいかは別問題だしな」
秋斗はそう言って肩をすくめた。実際にやってみた感想としては、一階層のスライムハントは難しくない代わりに単調な作業だということだ。少なくともやりがいはあまり感じない。「そういう仕事はイヤだ」という人は多分多いだろう。
とはいえ、ブラック企業などで罵倒されながら長時間労働をし、命と精神をすり減らしながら仕事をするよりは大分マシ、という考え方もできる。最終的に一つの次元迷宮につき、どれだけの人間が定期的に攻略を行うようになるのか、まだ予想は難しい。
「ま、なるようになるさ」
秋斗はそう呟いて肩をすくめるのだった。
一階層スライムさん「ボクはゴミじゃないぞ! プンプン!」(ブルブル




