ゲートの出現
五月一日。アナザーワールドへダイブインした秋斗は、ホームエリアで待ち構えていたアリスからある報告を受けた。次元回廊迷宮化計画が発動可能な段階になったという。
「早いな。もっとかかると思ってたんだけど……」
「もちろん完全な形ではない。要するにアーリーアクセスじゃな」
アリスの言葉のチョイスが正しいのかはいいとして。秋斗の言うとおり、完全な状態にしてから公開しようとすると非常に時間がかかる。それでまずは100層程度を公開し、残りは漸次追加していってはどうか、というのがゼファーとシドリムの提案だった。
「いろいろとメリットもあるという話じゃ」
最大のメリットは迷宮が早期に稼働することで、リアルワールドにおけるモンスターの出現を大幅に抑制できること。ダークネス・カーテンが消えるかは分からないが、規模は間違いなく小さくなる。
またチェックはしているものの、実際に稼働させてみなければ気づけないエラーやバグはあるもの。要するにデバッグをしようというのだ。そうやってブラッシュアップしながら残りの部分を追加していけば、全体としては効率的に作業が進むだろう。
「分かった。やろう」
アリスの話を聞くと、秋斗は躊躇うことなくそう答えた。世界を自分で大きく変えてしまうことに気後れがないわけではない。だがこの計画をやると決めた時点でそういう心理的な葛藤にはケリを付けた、つもりだ。
『覚悟を決めたときの自分の前に立って恥ずかしくないかどうか、それが基準じゃないかしら』
百合子の言葉が耳によみがえる。計画の発動を遅らせれば、それだけモンスターの犠牲者が出るだろう。それが分かっているのに躊躇うのは、覚悟を決めたときの自分を侮辱することではないだろうか。
もちろん怖さはある。「モンスターの犠牲者が減る」なんて言うのは結局秋斗の精度の悪い予想、つまりは願望でしかなく、実際には犠牲者は増えるかもしれない。また「モンスターの犠牲者」は減ったとしても、計画のせいで起こった混乱のせいで多数の被害が出るかもしれない。そしてその責任を、たぶん秋斗は取れない。
無責任だ。自分でさえそう思う。だがこの計画を、例えば国に投げたらどうなる。計画は全世界規模だ。国家でさえ責任は取れない。では国連に投げるのか。だが国連に加盟していない国だってある。
そしてそこまで大きくなった話はまとまるのか。まとまるとしてどれだけ時間がかかるのか。その間にでる犠牲者に対する責任は誰が取るのか。水掛け論は時間を浪費し、議論のために社会は分断する。世論は次第に諦念にまみれるだろう。
誰も責任など取れはしない。それなら今更「やらない」と言い出す方が無責任ではないだろうか。秋斗はそう思う。それは開き直りや、彼の傲慢さなのかもしれない。だが結局、誰かが決めたことに誰かが振り回されるのが、この世界の常なのだ。
(なら、振り回してやるさ)
秋斗は心の中でそう嘯いた。悪い予想に限りはなく、やらない理由は山積みだ。それらを前にしてそれでも「やるんだ」と吼えるには、悪ぶってみせるより他に彼は術を知らなかった。
「アキトよ、あまり気負うな」
強張った顔をする秋斗の肩に、アリスは優しく微笑みながら手を置いた。そして彼の眼を真っ直ぐに見ながらこう語る。
「この計画がきちんと動けば、少なくとも地球がアイスボールになる未来だけは避けられる。おぬしの計画は、確かに世界を救うのじゃ」
「……できれば人類も救いたいもんだ」
「そうじゃな。そのための計画じゃ」
そう言って秋斗の肩をまた叩くと、アリスはメッセージを送るために飛び立った。それを見送ってから、秋斗は空を見上げて大きく息を吐く。いよいよ計画が本格的に動き出す。何が起こるのか、それを想像するのは怖い。ずっしりとのし掛かるプレッシャー。それに耐える彼に声をかけたのは、最も付き合いの長い相棒だった。
[アキ。アリス女史も言っていたがあまり気負うな]
「ああ、分かってる」
[……人類が救いを求めるなら、人類には救われるために努力する必要があるはずだ。ただ「救い給え」と叫ぶだけなら、エサを求めるひな鳥と変わらない。生きるための努力をしない者は、自ら生きることを放棄したんだ]
「結構過激なことを言うんだな」
[一人一人には自分の分があるということだ。そこまでアキが背負ってやる必要はない。アキはアキの分だけやればいい]
「そうだな」
[まあ、平均よりはだいぶ多いがな]
「上げてから落とすなよ。現実を思い出してガックリしてしまう」
大げさに肩をすくめながら、秋斗はシキにそう答えた。実を言うと、次元結晶の切り出しはまだ全然終わっていない。計画を完全なものにするにはコレをきちんと揃える必要がある。今日ダイブインしたのも、本来はそのためだった。
「あと何個だっけ……?」
[1472個だな]
次元結晶の要求数は一万個から大幅に減ったものの、しかし一千個では足りないという。秋斗の主観では「増えてしまった……」というのが正直なところで、早くも眼からハイライトが消えている。ともかく自分の分を果たすために、彼はまずアッシュのご機嫌を取るところから始めることにした。
- * -
五月一日、日本時間の正午過ぎ。ダークネス・カーテンが消えた。完全に消えたわけではないのだが、まるで雲がちぎれるようにして小さくなっていき、あっという間に五分の一以下の大きさになってしまったのだ。さらにこれは少し先の話になるが、この日からD.Cは少しずつ縮んでいき、年内に完全に消滅したのだった。
この現象を多くの人は喜んだ。モンスターの出現数が減り、物流が回復し、経済が上向くことが見込まれるからだ。良いことばかりで、何一つ悪いことはない。二大モンスターが消え、ダークネス・カーテンも大幅に小さくなった。世界はモンスターが現れる前に戻るのではないか。多くの人がそう期待した。
もちろん原因が不明であることをいぶかしく思った人たちもいた。「不思議だな」程度の感想なら、ほとんど全ての人が抱いただろう。ただ人類は「天使」という不可思議をすでに目の当たりにしている。それで原因についてはほとんど詮索されなかった。中には「天使がやってくれたんだろう」と考える者もいた。
いやダークネス・カーテンの縮小については、その原因について考える時間はなかったというのが正しいのかもしれない。五月三日、グリニッジ標準時の午前十時頃、サハラ砂漠の真ん中であるものが発見された。後に〈門〉と呼ばれる、異空間への入り口である。
突如として現れたこの現象は一体何なのか、多くの人が不気味がった。これまでの経緯を踏まえればモンスターや瘴気が関係しているのだろうとは思われたが、具体的にどういうモノなのかは想像もつかない。
下手に触って、例えばダークネス・カーテンが復活するようなことになっては目も当てられない。砂漠だったこともあり、まずは余り触らず、監視しながら慎重に調査していくことになった。
しかしながら、ゲートの出現はこの後も続いた。翌日には中央アジアの荒野に、さらにその翌日にはオーストラリアの砂漠地帯に新たなゲートが出現。その後もおおよそ一日に一カ所のペースで新たなゲートの出現が続いた。
言うまでもなく、このゲートは迷宮化した次元回廊への入り口である。特に初期、ゲートは砂漠や荒野など、主に人のいない場所に出現したのだが、それは秋斗のオーダーだった。スタンピードが起こってもすぐには被害が出ない場所を選んだのだ。
そしてそのせいもあり、人類はゲートを遠巻きにしていた。つまり迷宮の調査はなかなか行われなかったのだ。すぐには実害がないように思われたので、念入りに調査計画が練られていたという側面もある。だが本当のところは「藪を突いて蛇を出す」のを嫌がったのではないだろうか。秋斗はそう思っている。
「でもまあ、そんなに甘くないんだけど」
自宅でゲートに関する報道を見ながら、秋斗は苦笑気味にそう呟いた。出現場所に配慮したのは最初の三十個程度。その後、幾つか大雑把な条件はあるものの、ゲートはほぼランダムに出現していく。そういう設定になっているのだ。
そして六月九日、ついにその日が来た。ニュージーランドのクライストチャーチの公園に、ゲートが現れたのである。都市部のど真ん中にゲートが現れたことで、人類は否応なしに警戒心を高めなければならなくなった。
この日以降、ゲートは都市部にも出現するようになった。そしてついに、日本にもゲートが出現した。七月十二日、場所は福岡県の北九州市の公園。ちなみに、これについては秋斗が個別にオーダーを入れている。
[九州か。今更だが、良かったのか?]
「オレが関わっていると思われないのが第一だからな。要らない心配だとは思うけど、関東に出すよりはいいだろ」
[そうではない。紗希嬢の大学は九州ではなかったか?]
シキにそう指摘され、秋斗は一瞬言葉に詰まった。進学してから、紗希とは連絡を取っていない。
「ちょっと、メッセージ送ってみるか」
そう呟き、秋斗はスマホを取り出すのだった。
秋斗「ショーダウンといこうぜ!」
シキ「テンションがよく分からないことになっているな」




