次元回廊迷宮化計画2
三月の末。もうすぐ新学期が始まる。四月からは秋斗も大学の三年生だ。数ヶ月前に二十歳になったのだが、未だにビールの美味しさはよくわからない。缶チューハイを飲むことが多かった。
とはいえ真っ昼間から酔っ払うわけにもいかない。それでというわけでもないが、彼はラーメンを食べに来ていた。差し向かいに座っているのは霧島百合子。時間を合せたのはいつものブツを渡すためで、それはもう済んでいる。秋斗は一緒に注文した餃子をほおばりながら、なんとなしに百合子にこう尋ねた。
「ユリって、次四年だっけ? 進路とか考えてるの?」
「院に行くわ。本当は海外に行きたかったんだけど、このご時世だとね」
そう言って百合子はレンゲを持ちながら肩をすくめた。家族からは「飛行機が落ちたらどうするんだ」と海外行きを反対されたという。二大モンスターは姿を消したが、ダークネス・カーテンは常態化して久しい。彼女の家族の懸念は当然と言える。実際、ビジネスも含めて海外渡航する人の数はD.Cが現れる以前と比べて激減している。
「進路というなら、それこそ秋斗はどうなのよ? 三年ならそろそろ就活を始める時期じゃないの?」
「ウチは理系だから、まずは単位をしっかり取れって言われてる。留年すると退職金に響くぞ、だってさ」
ある教授に言われた話を思い出して、秋斗はそう話した。もっともその話は終身雇用が前提になっている。モンスターが現れる前から雇用は不安定化していると言われていたし、モンスターが現れてからはその傾向に拍車がかかっている。仮に秋斗が就職したとして、一つの職場で定年まで勤め上げられるかは未知数だ。
「でもそっかぁ、オレもそろそろ考えないとかぁ。いやまあ院かなぁ」
「ずいぶん雑に決めたわね。一応聞いておくけど、なんで?」
「社会自体が今は不安定すぎだろ。これから潰れる会社もいっぱい出てくるだろうし、なんなら新しいビジネスも生まれるかも知れない。そういうのを見極める時間が欲しい」
それっぽい理由を秋斗は説明した。実際のところは違う。彼は今、「次元回廊迷宮化計画」を推し進めようとしている。今の彼にとって重要なのはそちら。就活や仕事のために時間がなくなるのは避けたかった。
もっとも計画が動き始めたあかつきには、世界は再び大きな変化を経験することになるだろう。その影響は当然ながら仕事や職種にも及ぶ。だから「見極める時間が欲しい」というのはあながちウソではない。
「ふ~ん?」
秋斗の話を聞いて、百合子は半眼になった。ねめつけてくる彼女になんだか見透かされたような気がして、秋斗は思わず視線を逸らす。それを見て百合子はため息を吐きながらこう言った。
「やっぱり何かする気なのね」
「……なんで、そう思う?」
「その反応でポーカーフェイスは百年早いわよ。それに、ちょっと前まで悩んでいる感じだったのに、今はそれがないから」
「よく見てるなぁ」
「音楽はコミュニケーションよ? それにわたし、眼は良いの」
そう言って百合子は少し得意げに笑った。そしてラーメンのスープを一口啜ってからさらにこう続ける。
「何をするつもりなのかは知らないし聞かないけど、まあ、悔いのないようにね」
「……人に迷惑をかけないように、みたいなことは言わないのか?」
「人間なんてね、息をするだけで誰かに迷惑をかけているものよ。迷惑をかけないようになんて遠慮してたら、何もできないわ」
「結構過激なことを言うんだな」
「結局は覚悟の問題なのよ。わたしはそう思ってる。覚悟を決めたときの自分の前に立って恥ずかしくないかどうか、それが基準じゃないかしら」
「なるほどね」
肯定も否定もせず、秋斗はただそう答えた。そしてふと考える。自分にそんな覚悟を決めた瞬間があっただろうか、と。
(あったとすれば……)
あったとすれば、それはアリスと契約を結んだあの時だろう。秋斗にとってあれは本当に、人生が変わるくらいの決断だった。そして次元回廊迷宮化計画はその延長線上にある。
(あの時の覚悟に恥じないように、か……)
結構みっともなかったけどな、と秋斗は肩をすくめるのだった。
- * -
「次元回廊迷宮化計画、か……。よく考えたものだ」
ルーシー、いやアリスとのやり取りを整理しながら、シドリムは若干呆れたような口調でそう呟いた。自分たちにはなかった発想だが、あまりにもゲーム的過ぎないだろうかと思う。発案者はまだ十代という話だし、これが世代間の発想の格差だろうか。シドリムがそんなことを考えていると、ゼファーが笑いながらこう言った。
「あのシステムを開発した我々がそれを言うのかい? むしろプレイヤーの彼はそっちを参考にしたんじゃないのかな」
「なるほど、そうかもしれないな。だがあえて言わせて貰うが、私はあのシステムの設計には関わっていない」
「それは自分がおじさんだと白状しているようなものだよ、シドリム」
ゼファーにそう言われ、シドリムは「むっ」と眉間にシワを寄せた。それを見てゼファーはまた笑う。そんな友人に、シドリムはため息を吐きながらこう話す。
「それにしても、これは今更の話だが、システムだけで事が済めばこんなことにはならなかったのだがな」
「プランA、だね。プレイヤーによる魔素消費計画。最低でも40億、できることなら65億人以上が日常的にダイブインしないと有意な消費量にはならない。そういう報告だった」
「その数のせいで評議会の腰が引けた。バルフェット議員は『それでもやるべきだ』と主張されたそうだが……」
「結局はプランBへ移行されてしまった」
ゼファーはそう沈痛に呟いた。それから首を振り、彼はあえて楽しげな口調でこう言った。
「……でもまあ、わたしもこの計画はよく考えたものだと思うよ。要するに次元回廊をダム化しようというのだから」
ゼファーの言葉にシドリムも頷く。発案者は迷宮化という言葉を使っていたが、二人はむしろダム化と表現した方が本質に近いのではないかと思っている。次元回廊内で魔素をせき止めて、人の手でコントロールする。これが、二人が思う計画の本質だ。
もちろん完全にはせき止められないし、せき止めたままにして置かれるのも困る。そこでマンパワーを投入し、モンスターを倒すことで魔素を処理させる。これまで対症療法的にしか対応できなかったモンスターを、能動的に倒すことができるようになるのだ。向こう側にとってその意味は大きいのではないだろうか。
そしてこの計画にはこちら側にとってもメリットがある。向こう側からの逆侵攻の阻止だ。第二次次元抗掘削計画が将来に禍根を残すモノであることは、計画に携わった者全てが認識を同じくしている。だが次元回廊迷宮化計画が成功すれば、確かに向こう側からの逆侵攻はしにくくなる。これは大きなメリットだ。
「懸念があるとすれば手を出しすぎることで、黒幕の存在に勘付かれてしまうこと、か」
「まあね。我々がプレイヤーをこちら側へ招いたのと似ている。迷宮内の攻略を進めれば、遅かれ早かれ、そこが何かしらの意図に基づいていることに気付くだろうね」
「そしてその時、我々の側から世論操作することはできない。ネガティブな方向へ認識が偏ることは覚悟しなければならないだろう」
「黒幕がいることに気付いても、それが異世界の組織だと断定するまでには、いくつかハードルがあると思うけど……」
険しい顔をするシドリムにゼファーは苦笑を返す。そして彼は友人に率直にこう尋ねた。
「シドリムは、アリスに協力する事に反対かい?」
「……いや、そうは言わない。次元結晶、アレには興味がある」
シドリムは研究者の顔でそう言った。次元結晶とはアリスとやり取りをするなかで出てきた、未知の物質のことである。いや「物質」であるかも今の時点では疑わしい。それくらい未知のモノだ。アリスは自分が行った実験の結果も教えてくれたのだが、シドリムはその内容に強く興味を引かれていた。
シドリムが思うに、彼らの社会はこれからゆっくりと活力を失って衰退していくだろう。いや衰退はすでに始まっていると言うべきか。社会は停滞し、倦怠感が滲んでいる。それが諦めへと変わるのは、そう遠い未来ではないだろう。いずれにしても先細りだ。それを巻き返すためには、大きなインパクトが必要なのだ。
「次元結晶の性質を使えば、魔素を完全に遮断できるかもしれない」
もしそれが可能なら、母なる星へ帰還する道が開かれるかも知れないのだ。この世界の人々にとっては福音といえるだろう。もちろん今はまだ可能性の段階だが、だからこそその可能性を失うわけには行かないし、むしろ育んで行かなければならない。シドリムはそう考えていた。
「だけどそれが計画とどう関係するんだい?」
「実証実験としては最適だろう。それに迷宮は実験場としても使える」
シドリムがそう答えると、ゼファーは肩をすくめて苦笑した。シドリムの語る言葉はドライだが、ゼファーは友人がただ合理性だけを重んじる人間でないことを知っている。彼が本当にドライな人間なら、ゼファーに付き合ってこんなことはしていないだろう。それでゼファーは彼にこう言った。
「君は面倒な人間だね」
「ふん……。そういうお前はどうなんだ、ゼファー」
「わたしも懸念は理解しているつもりだ。だけどそれ以上に、これは良心の問題なんだと思う」
そう答えるゼファーの脳裏に浮かぶのは、バルフェットから聞いた彼の祖父の言葉。
『人も国も自分の事ばかり考えていた。だが世界というのはどうも、それで上手くいくようにはできていないらしい。だからこその今なのだ』
シドリムと同じくゼファーも、長い目で見たときに自分たちの社会には先がないと思っている。「人も国も自分の事ばかり考えていた」その行き着く先が、見えてしまったのだ。本当に「世界というのはどうも、それで上手くいくようにはできていないらしい」。
だからこそ彼は、この一件を良心の問題だと考えている。自分の事だけを考えて行き詰まった社会。そこに突破口を開くのは、利己ではなく利他の精神ではないだろうか。そう思えてならないのだ。
「バルフェット議員も言っていたが、本当にロマンチストだな、お前は」
「そうかな。そんなつもりはないんだけど」
「余計にタチが悪い。だが、そうだな……。利益を考えた行動は予想外の利益を生むことはない。予想外の利益は利益を度外視した行動からしか生まれない、というのはあるかもしれない」
「やっぱり、君はたいがい面倒な人間だよ」
そう言ってゼファーが笑うと、シドリムは「ふん」と鼻を鳴らして作業に戻った。それを見てゼファーも作業を再開する。研究者として、そして科学者として、ようやく胸を張って仕事ができるような気がした。
百合子「ポーカーはやったことないけど、多分わたし強いわよ?」




