討伐の反響2
「アリスさんって、綺麗な方なんですね」
そう言う奏の口調と視線にはトゲがあった。リヴァイアサンの討伐動画が世間を熱狂させていた頃、秋斗は久しぶりに佐伯邸に顔を出したのだが、どうも奏は不機嫌な様子だ。だが秋斗の側に心当たりはない。それで「どうかした?」と尋ねたのだが、その返答がコレである。
「えっと、奏ちゃん?」
「アリスさんって、綺麗な方なんですねっ」
「……綺麗もなにも、あの動画じゃ顔は良く映ってなかったと思うけど」
[そもそもアリス女史は仮面を被っていたのだから、仮に顔が映っていたとして容姿の美醜を判別できるはずがないのだが]
シキのその言葉に、秋斗も内心で頷く。ちなみにその仮面が映っている動画もあって、ネット界隈では天使の正体に関する考察(憶測)が盛り上がっている。何にしても天使の美醜に関する確定情報は何もないはずなのだが、しかし奏はこう断言した。
「絶対に綺麗です。アレで綺麗じゃないとか、あり得ないです」
「その根拠は?」
「女の勘です!」
そう言い切った奏に秋斗は苦笑する。実際、アリスは容姿端麗で絶世の美女と言って良い。だから奏の「女の勘」は当たっている。侮れないな、と秋斗は思った。
「まあまあ、そこまでにしておきなさい、奏」
そう言って奏を宥めたのは、彼女の祖父である勲だった。彼女はまだ不満げな顔をしていたが、ひとまず舌鋒は収める。そんな孫の様子を見て小さく笑ってから、勲は秋斗の方へ向き直って彼にこう苦情を述べた。
「こんなに大がかりに動くなら、せめて事前に一言欲しかったな」
「すみません。なんか、いろいろ急に決まっちゃったもので……」
「それに、アリス嬢がコチラへ来られるというのも、驚いた」
「あ~、それはオレも驚きました。まあでも、アイツは大丈夫ですよ」
「そう願いたいね」
勲はそう言って肩をすくめた。彼の口調は軽かったが、しかし内心は複雑である。あの動画を見る限り、天使が超常的な力を持っていることは間違いない。その上、彼女はリアルワールドへ自由に行き来できるのだ。その力で一体何をするつもりなのか。秋斗は「大丈夫」と言ったが、勲は彼女のことをそこまで信じる事はできていない。
「できたらで良いんだが、今度アリス嬢を紹介してくれないか。会うのはコチラでもアチラでも、どちらでもいい」
「わたしも会いたいです!」
「分かりました、次にでも聞いてみます。場所はやっぱり向こうがいいですかね」
秋斗がそう言うと、勲が頷き奏はむくれる。そんな孫を適当に宥めてから、勲は話題を変えて秋斗にこう尋ねた。
「ところで、リヴァイアサンを倒したのはアリス嬢として、バハムートも彼女がやったのかな?」
「ああ、いえ。バハムートはオレが担当しました」
「……っ、……良く、倒せたね……?」
勲は絶句し、それから何とか言葉を絞り出した。そんな彼の様子を見て、秋斗はすぐに勲の勘違いに気付く。それで少し焦りながらこう説明を加えた。
「倒したわけじゃないですよ。言ってみれば封印? しただけで……」
そう言って秋斗はトリックのネタバレをした。それを聞いて勲は若干頬を引きつらせる。バハムートに関して言えば、その対応は応急処置もしくは問題の先送りのレベルでしかないことに気付いてしまったのだ。
「……その、緑箱というのは……」
「ありますよ、見ます? なんなら開封してみます?」
「絶対に止めてくれ」
勲は背中に冷や汗をかきながらそう言った。そして一つ深呼吸すると同時に解決策を思いつく。彼はそれを秋斗にこう提案した。
「向こうでアリス嬢に倒してもらうというのは、ダメなのかね?」
「あ~、ちょっと色々ありまして。現状維持と言うことになりました」
秋斗は言いにくそうに言葉を濁してそう答えた。実はバハムートを封印(収納)した後、そのことをアナザーワールドでアリスに報告したのだが、その際彼女は何を思ったのかいきなり宝箱(緑)を開封したのである。
アリスとしては、何が出てきても最終的には自分が何とかできるという自信があったのだろう。だが傍で見ていた秋斗としてはすごく心臓に悪い。さらに言えばこの開封は、二人にとって思ってもみない結果になった。
『えい』
『……っうわ、バッ……、止めろっ!?』
『ガァァァアアアアア!!』
宝箱(緑)が開封され、中からバハムートが出てくる。そしてバハムートは思いもよらない行動に出た。上空で一度羽ばたくと、逃げるでもなく攻撃するでもなく、なんと周囲の魔素を吸収しはじめたのである。
バハムートはまるで墨を塗りたくったかのような姿をしていて、さらに魔素を纏ってモヤッとしている。これはバハムートに限らず、リアルワールドで出現するモンスター全てに当てはまる特徴だ。
だがアナザーワールドで魔素を吸収し始めると、なんとバハムートの輪郭が徐々に鮮明になっていく。それだけではない。一組二枚だった翼が、二組四枚に増えた。その威容は竜王の名にふさわしい。放たれるプレッシャーも間違いなく強くなっていて、秋斗は震える右手をもう一方の手で押さえつけた。
『ガルゥゥゥァァァァアアア!!』
『おっと、こりゃイカン』
完全体(推定)となったバハムートが雄叫びを上げる中、アリスは場違いにも思える呑気な声でそう言った。とはいえ彼女の処置は早い。適切であったかは議論の余地があるが。彼女は素早く宝箱(緑)を投げつけ、バハムートを再びそこへ封印(収納)したのである。
バハムートが姿を消すと、渦巻いていた魔素も落ち着きを取り戻す。押しつぶされそうなプレッシャーも、綺麗さっぱり消えた。柔らかな日の光を浴びながら、秋斗は強張った顔で唾を飲み込む。そしてアリスの方を向いてこう叫んだ。
『どーすんだよっ、アレ! 絶対にパワーアップしてたぞ!?』
『いや~、スマン、スマン。つい出来心で、の』
わざとらしくテヘペロかましやがったアリスに、秋斗は頬の筋肉をヒクヒクとさせる。だがアリスに悪びれた様子はない。彼女は宝箱(緑)を拾い上げると、それをしげしげと眺めてから一つ頷く。そして宝箱(緑)を秋斗へ差し出してこう言った。
『ほれ、おぬしのモノじゃ。返しておこう』
『いやいやいやいやいや!?』
『箱のほうに問題はなさそうじゃし、大丈夫じゃろう。たぶん』
『たぶんってなんだよ!?』
秋斗は必死に受け取り拒否したが、最終的には押しつけられた。彼は爆弾を保管するような気持ちで宝箱(緑)をストレージにしまう。それから大きくため息を吐き、説明を求めてアリスに視線を向けた。
『……で、なんであんなことしたんだ?』
『ちょっとした確認じゃ。前に話したじゃろ、リアルワールドへ流れ込む魔素はエネルギー量が減衰しているのではないか、と』
アリスがそう言うと、秋斗も真剣な顔になる。彼が無言で続きを促すと、アリスはさらにこう語った。
『リヴァイアサンからは、どうもそんな気配がした。ただそれがリアルワールドで出現するモンスターの特性なのか、魔素のエネルギー量が減衰しているからなのか、判別が付かぬ。ゆえに向こうから連れてきたモンスターがこちらでどうなるのか、確かめて見たかったというわけじゃ』
『なるほど……』
秋斗は一応頷いた。そしてアリスが行った実験の結果は先ほど目にした通りである。魔素を吸収することで、バハムートはその存在を明確化させた。それはつまりリアルワールドでは完全な状態ではなかった、エネルギーが足りていなかったことを示唆している。
もちろん疑問はある。リアルワールドにもモンスター化していない魔素があったはずなのに、なぜそれを吸収しなかったのか、不自然に思える。ただそれはそれとして、いま重要なのは「リアルワールドに流れ込む魔素はどこかでエネルギーを減衰させている」という点だ。そしてそれがどこかと言えば、やはりアナザーワールドからリアルワールドへの迂回路以外にあり得ない。
『どうやら次元回廊は、やはり魔素を素通りさせるだけのトンネルではないようじゃな。そしてそれはモンスターにも影響を及ぼす、と』
アリスが思案しながらそう呟く。その言葉はとても示唆に富んでいるように秋斗には思えた。その後はただの雑談になってしまったのだが、ともかくそういう事があったのである。
ただこの宝箱(緑)開封事件について、秋斗は勲に何も話さなかった。それどころかアリスと契約を結んで以来、彼は勲に伝える情報をかなり絞っている。それが裏切りのようにも思えて少々心苦しくはあるのだが、全てを話す気にはとてもなれなかったのだ。
(アリスに紹介するときも、余計なことは言わないように口止めしておかなきゃだな)
開封事件のことを回想しつつ、秋斗はさらにそんなことを考える。もちろんそんなことは口には出さず、代わりに彼は肩をすくめてこう言った。
「……まあバハムートは、どうしても持て余すようになったら、アナザーワールドに放流します」
「無責任なようにも思えるが、まあ仕方がないか」
「ええ、仕方がないんです」
わざとらしく沈痛な顔を作って、秋斗はゆっくりと頷いた。実際には放流する前にアリスに泣きつく事になるのだろうが、そんな情けないことはわざわざ言わなかった。
秋斗「キャッチアンドリリース!」
シキ「持て余したともいう」




