対バハムート
「アキトよ、準備は良いか?」
アリスが秋斗にそう問い掛ける。彼女の視線の先には、強化服姿の秋斗が緊張した面持ちで佇んでいた。彼のすぐ傍には葦毛の麒麟、アッシュもいて、こちらもやや落ち着きがないように見える。それも仕方がないだろう。これからいよいよバハムートに挑もうと言うのだから。
二つ手に入れたマジックマスクのうちの片方をアリスに押しつけた後、秋斗は強引に話題を変えていた。シキにも言ったが、思いついたバハムート対策のアイディアについてである。それをアリスに話して、彼女の意見を聞きたいと思ったのだ。そして彼のアイディアを聞くと、アリスは少し考えこんでからこう答えた。
『……ふむ。できるのではないのか、たぶん』
『たぶんかぁ』
口調では嘆息しつつも、秋斗の表情は嬉しそうだった。「ムリ、不可能」と言われることも覚悟していたので、「できそう」という程度に可能性があるならむしろ上々である。彼は満足げに一つ頷いた。ただし予防線を張っておくことも忘れない。
『ダメだったら、アリスに丸投げするから。よろしく』
『奇策が通じなかったのならあとは正攻法じゃろう。何のために空中戦の訓練をしたと思っておる』
『いやいや、多少動けるようにはなったけどさ。バハムートに勝てるかは別問題だろ。ってか、アリスも分かってて言ってるだろ?』
ニヤニヤと笑いながら煽るアリスに、秋斗は苦笑しながらそう答えた。その後、彼は一度アリスを連れてリアルワールドへ戻った。そして彼の家でアリスが広域索敵を行う。それから十数秒後、半眼になって虚空を見つめていたアリスが小さくこう呟いた。
『見つけた……。大きな反応が二つ……。ふむ、なかなかの大物じゃの』
『……スゲぇ索敵範囲だな。片や太平洋、片やインド洋だぞ』
『なに。この世界はまだ空間が歪んだりはしておらんからな。素直なモノよ』
素直、という言葉のチョイスに秋斗は少しだけ違和感を覚えた。もちろんそれはアリスの感じ方であるから、他人がアレコレいうような事ではない。ただリアルワールドが「素直」なら、アナザーワールドは「ひねくれている」のだろうか。ふとそんな風に思ったのである。
(ま、あながち間違ってもないか……)
確かにアナザーワールドは「ひねくれている」と言える。モンスターが闊歩し、次元の壁が横断するような世界を「素直」とは言えまい。それと比べればリアルワールドは「素直」で、つまりそこまで酷い状況にはなっていない。少なくとも、今はまだ。
(本当に、どうするかなぁ……)
集中するアリスに視線を向けながら、秋斗は別のことを考えていた。バハムートとリヴァイアサンをどうかした後のことである。この二大モンスターの排除は、いわば対症療法に過ぎない。つまり根治にはほど遠い。
秋斗はその「根治」のための方策をずっと考えている。そして一応アイディアはあるのだ。だが果たしてそれは解決策と呼べるものなのか、彼は悩んでいる。しかしだからといって他のアイディアは出てこない。
(まずは……)
まずはバハムートだ。秋斗はそちらに集中することにした。例えその場しのぎの対症療法であっても、やらなければ人類はのたうち回り続けることになるのだ。まずはやるべき事に集中するべきだろう。
『よし。マーキングも完了じゃ。これでいつでも跳べるぞ』
アリスがそう言ったので、二人は一旦アナザーワールドへ引き返した。そして秋斗は食事をしてから仮眠を取る。コンディションを整えるためだ。
仮眠から目覚めると、彼は身体をほぐしてから強化服に着替えた。アッシュも傍に寄ってくる。彼はアッシュの首筋を撫ででからその背にまたがった。そしてマジックマスクを装着する。
「じゃあアリス、行ってくる。リヴァイアサンのほうは、頼んだ」
「うむ。任せておけ」
「バハムートのほうも、無理っぽそうだったら頼む」
「ちっとは気張らんかい。……まあ大丈夫じゃろう、たぶんな」
「たぶんかぁ。じゃ、頑張りますかね。……ダイブアウト!」
一度大きく深呼吸してから、秋斗はそのトリガーワードを唱える。次の瞬間、秋斗とアッシュは空中に放り出された。
「……っ!」
そして同時に感じる凄まじいプレッシャー。それはこれまで戦ってきたどのモンスターも比べものにならなかった。あまりにも気配が巨大過ぎて、秋斗はバハムートがどこにいるのか分からない。周囲の全てがバハムートの気配に押しつぶされているかのようだったのだ。
[下だ!]
シキが叫ぶ。同時に秋斗はアッシュを駆けさせて垂直に降下する。雲を突き抜けると視界が広がった。実のところ、バハムートまではかなり距離があったらしい。バハムートの姿はまだハッキリとは見えない。
だがアッシュを駆けさせるほどにプレッシャーが強くなる。秋斗は背中に冷や汗が流れるのを自覚した。幸いというか、ダークネス・カーテンは勢いが弱くなっていて、バハムートの姿は徐々にハッキリとしてきた。
竜、まさしく竜である。ただ他のリアルワールドのモンスターと同じく、全身が墨でべた塗りされたかのように起伏がなく、また全体的にモヤッとしている。そのせいか、まるでダークネス・カーテンと一体化しているようにも見えた。そしてモンスターに共通する赤い目。その赤い目が急接近してくる秋斗を捉える。そしてバハムートは咆吼を上げた。
「ガァォォォォォォオオオオオ!」
バハムートの咆吼は明らかに物理的な衝撃波を伴っていた。まともに喰らえば戦闘機であっても分解してしまうのではないだろうか。アッシュの守護障壁がビリビリと震えるのを感じながら秋斗はそう思った。
そしてバハムートの意識が向いたことでプレッシャーが密度を増す。赤い双眸が秋斗を睨み、彼は「グゥッ」と息を呑んだ。怖い。率直にそう思う。だが呑まれてはいけない。彼は腹から声を出して自分を鼓舞した。
「ォォォォオオオオオ!」
「ヒィィィン!」
そこへアッシュの嘶きが重なる。そしてアッシュはさらに加速した。同時に秋斗はストレージに右手を突っ込む。取り出したのは宝箱(緑)。ちなみに中身は空だ。収めていた宇宙船の残骸は、仮眠前にホームエリアからアッシュに乗って一時間ほどの場所に置いてきた。
この宝箱(緑)にバハムートを収納(封印)してしまえないか。それが秋斗の思いついたアイディアだった。その根拠となっているのは前述した宇宙船の残骸。これはサイズ的にはバハムートよりも大きかった。さらにより重要なこととして、そこにはモンスターもいた。つまり宝箱(緑)にはモンスターも入れてしまえるのだ。
バハムートはモンスターだ。超強力ではあるが、自然発生したモンスターであり、つまり普通のモンスターの延長線上にいることは変わりない。アリスのような特異なモンスターではないのだ。そうであるならいけるかもしれない。秋斗はそう思ったのである。
ただ、実行するのはやはりそう簡単ではない。勢いよく降下してくる秋斗とアッシュに多少なりとも脅威を感じたのか、バハムートははばたいて速度を上げた。そして複雑な軌道で飛んで秋斗らを翻弄する。その動きは巨体に似合わず俊敏だった。
「っち」
秋斗は小さく舌打ちした。このままほぼ垂直に降下してもバハムートにはやり過ごされてしまうだろう。秋斗は手綱を引いてアッシュの身体を起こし、今度は水平に駆けさせながらバハムートの後を追った。
しかしなんとバハムートの方が速い。追いかけているはずなのに、秋斗とアッシュは徐々に離されていく。「このまま逃げられるっ?」と秋斗は焦ったが、バハムートの方にそのつもりなどなかった。ある程度距離が開いたところでバハムートは宙返りして反転する。そして猪口才な追跡者に向かってブレスを放った。
「くっぅ!?」
黒紫色のドラゴンブレスを、秋斗は何とか回避する。しかしそのエネルギー量は凄まじく、余波を防ぐだけでも彼の魔力を使って守護障壁を強化することが必要だった。さらにバハムートは立て続けにブレスを放つ。
「……っ、アッシュ、任せる! 突っ込め!」
「ヒィィィン!」
秋斗の叫びにアッシュが答える。アッシュはそれまでよりもはるかに自由な軌道でブレスをかいくぐりバハムートへ近づいていく。秋斗は人馬一体を通じて惜しみなく魔力を供給し、アッシュの機動力を支えた。
「ぐぅ……!」
ブレスの余波、高速で縦横無尽な機動によるG、何よりバハムートのプレッシャー。何重もの力が秋斗にのし掛かる。それに耐えながら、彼はアッシュの動きに合せて重心を移動させてその動きをサポートする。お荷物になるだけなんて真っ平だった。
突如、アッシュが急上昇する。通り過ぎた後を数発のブレスが貫いた。急上昇の次は急降下。その落差に内臓をシェイクされながらも、秋斗は両足でしっかりとアッシュの身体を挟んで宝箱(緑)をグリッと捻った。
バハムートは確かに巨大だ。しかし今のアッシュは超高速。交錯は一瞬だ。秋斗は最大限に集中してタイミングを計る。そして宝箱(緑)を投げつけた。捻ってズレた緑色のルービックキューブのような箱がバハムートの身体にカツンッと触れる。そこからは本当に信じられないような光景だった。
「ガァァアアア!?」
宝箱(緑)が展開される。そしてバハムートを捕らえ、閉じ込め、梱包していくのだ。バハムートは困惑の声を上げて抵抗するが無意味だった。やった側である秋斗が理不尽さを感じるほど圧倒的である。だがもちろん不満が有るわけでは無い。むしろ感情を爆発させて喝采を上げた。
「タァァァリホゥゥゥゥウウウ!」
意味不明な叫び声を上げながら、秋斗はバハムートを閉じ込めた宝箱(緑)を回収する。そしてアナザーワールドへ帰還した。
ちなみに。バハムートが消失する様子は監視衛星によってバッチリ撮られていたが、さすがに音声までは無理で、彼の意味不明な叫びは世の中に知られずに済んだ。
バハムートさん「そんなのってあり!?」




