アッシュ2
秋斗は必死になってアッシュを駆けさせていた。いや、必死さではアッシュも負けてはいない。ともかく秋斗とアッシュは必死になって空を駆け、逃げ回っていた。何からか。アリスが放つ幾多もの白い閃光からである。
「ほれほれほれ、逃げ回っておるだけではバハムートに勝てんぞ!」
「ムリムリムリ! 死ぬって!?」
秋斗は泣き言混じりの悲鳴を上げつつも、全神経を集中して手綱を操りアリスが放つ白い閃光を避ける。彼は今まで手綱を握ったことはない。触れることさえ、今日が初めてだ。シキのアドバイスがあるとはいえ、そんな彼が曲がりなりにも手綱を操ってアッシュに指示を出せるようになっているのは、命がけの訓練の成果と言えるかも知れない。
もっとも、アッシュが合せてくれている部分は言うまでもなく大きい。今の秋斗がリアルワールドで馬の手綱を握っても、こんなにも思い通りに馬を走らせることはできないだろう。アリスの猛攻を前にして、秋斗とアッシュは知らず知らずのうちに人馬一体の境地へ近づいているのだ。それこそアリスの思惑通りに。
「っ!」
秋斗が手綱を引きながら身体を傾け、アッシュに軌道修正を促す。アッシュはすぐにそれに応じた。そのすぐ脇を白い閃光が撃ち抜く。そこに込められたエネルギー量たるや、ワイバーンであろうとも一撃で墜とせるに違いない。秋斗は何度目になるか分からない冷や汗をかきながら、アッシュに閃光の嵐の中を駆け進ませる。
(逃げ出したい……!)
現に逃げ回っている状況の中、秋斗は心の中で泣き言をもらす。彼の言う「逃げ」とはつまりダイブアウトのことだ。だが秋斗が自分だけ逃げたら、アッシュは彼のことを見限るだろう。もしかしたら、アリスも。それが分かっているから、この一歩間違えば即死するような訓練から逃げ出さないでいた。まあ実際には逃げ回っているのだが。
とはいえ逃げ回るにも限界がある。それは空間的な制限であったり、体力的な限界であったりする。今回の場合、最初に限界を迎えたのは秋斗の集中力だった。彼の集中力が途切れた、いや低下したその一瞬。アリスはそこを容赦なく突く。彼女の放った白い閃光が秋斗とアッシュを捉える。彼は回避不能を悟った。
「しまっ……!?」
「ヒィィィン!」
秋斗が顔を引きつらせるのと同時に、アッシュが甲高く嘶いた。そして次の瞬間、透明な障壁がアリスの閃光を防いだ。秋斗が何かしたわけではない。障壁を張ったのはアッシュだ。ワイバーン戦の時にも使っていたが、この透明な障壁による防御術が麒麟の、いやアッシュの能力であるらしい。
ただ相応の対価を要求する能力でもあるらしい。要するに強力な攻撃を防ぐためには多くの魔力を消耗するのだ。そしてそのコストを支払ったのは秋斗だった。馬具「人馬一体」の能力は「騎獣との間で魔力を融通しあうことができる」というもの。つまり「アッシュが馬具を通じて秋斗の魔力を使い、障壁を展開してアリスの攻撃を防いだ」のだ。
自分の魔力が引き出されたことに、秋斗はもちろん気付いていた。止めようと思えば止められそうだったが、秋斗はアッシュの邪魔をしなかった。背に乗っている間は一心同体にして運命共同体。その覚悟がなければ、馬具があっても背に乗ったりはしなかった。
「……っ!」
アッシュに防御手段があることを知ると、秋斗はすぐに手綱を引いて馬首を巡らせた。さらに右手をストレージに突っ込んで竜牙剣を引き抜く。彼はアッシュを駆けさせてアリスへ突撃した。
「ははは、良いぞ、来い!」
アリスが左手を振るって幾筋もの白い閃光を放つ。秋斗は手綱を操ってそれを避け、避けきれないモノはアッシュが障壁で防いだ。魔力がゴリゴリと減っていく。だがまだ大丈夫だ。秋斗は構わずにアッシュを疾駆させ、そしてすれ違いざまにアリスを斬りつけた。
「はあああああ!」
魔力を十分に喰わせた、本気の一撃である。だがその一撃はアリスが右手に持つ大鎌に容易く弾かれた。アリスが浮かべる笑みにはまだまだ余裕がある。それどころか彼女はさらに口角を上げた。
秋斗の一撃を境にして、訓練は接近戦へと移行した。アリスは秋斗以上に自由に空を飛びながら大鎌を振るって襲い来る。秋斗はそれを払いのけるのに必死だった。さらに馬上という不慣れな状況。右側からの攻撃は凌ぎやすいのだが、左側から攻撃されると彼の動きは途端に精彩を欠いた。
「天使に大鎌って、似合わないな!」
「我ほどの美女であれば、どんな得物を手にしても絵になるのじゃ。このようにな!」
アリスが飛翔刃を放つ。秋斗も飛翔刃を放ってそれを相殺した。だが余裕があるのはアリスの方。彼女はあっという間に間合いを詰め、アッシュにまたがる秋斗の周囲を旋回しながら大鎌を振るった。
「ほれ、どうしたどうした!」
「くぅ……!」
アリスがガンガンとアッシュの障壁を叩く。秋斗は何とか防ごうとしているのだが、まったく追いついていない。加速して離脱しようにも、アリスは余裕で付いてくる。そのうち秋斗とアッシュは地表へ誘導され、最後に強力な一撃を受けて地面の上を転がることになった。
「まあ、初めてならこんなモノじゃろう。弾幕の回避はなかなかじゃった」
アリスは楽しげな口調でそう言った。一方の秋斗は地面の上で大の字になって寝転がり、起き上がることもできない。胸の辺りが忙しく上下し、思い出したように汗が噴き出してくる。アッシュももう立っていられない様子で、木陰に力なく横たわっていた。
やがて呼吸が落ち着いてくると、秋斗は引きずるようにして身体を起こし、瓦礫を背もたれにして座り込んだ。ストレージからマイボトルを取り出して水を飲む。それでようやく人心地つけたような気がした。すると秋斗が落ち着くのを待っていたのだろう、シキがアリスにこう話しかけた。
[ところでアリス女史、一つ聞きたいのだが]
「ん、なんじゃ?」
[リヴァイアサンにしろバハムートにしろ、接敵するまでの移動手段はどうするのだ? まさか飛んでいくつもりか?]
「ふむ、まあそれでも良いがの」
「いや……、それ……、オレが、大丈夫じゃない……」
瓦礫に背中を預けたまま、アリスの方針に秋斗が異議申し立てをする。東京から太平洋のバハムートのところへ行くとなると、一体何時間飛べば良いのか分からない。さらにバハムートは常に移動しているのだ。それをちゃんと見つけることができるのか、秋斗はもちろんシキにも自信はなかった。
(それに……)
それに、東京から飛び立てばほぼ確実に捕捉されるだろう。そして遠からず秋斗の身元もバレるに違いない。もちろんリヴァイアサンやバハムートの討伐は、彼の身バレ回避よりも優先度が高い。だが身バレも回避できるならしたい。それが彼の本音だった。
「ふむ。ではこちらを経由するかの」
アリスはそう提案した。つまりアナザーワールドからダイブアウトする際に、バハムートのすぐ傍に転移するよう設定を調整するのだ。そしてバハムートが片付いたら、ダイブインしてその場から離脱するわけである。
なおダイブインする先はこのホームエリアになるよう、こちらも調整しておく。これなら何時間もバハムートを探し回る必要は無いし、日本の東京からやって来たことを捕捉される心配も無い。
「そんなことできるのか?」
「一時的に変更するだけなら難しくはない。まあ一度向こうの世界でバハムートを捕捉してマーキングしておく必要はあるがの。リヴァイアサンも同じじゃな」
アリスは事もなさげにそう答えた。ただそこで秋斗の頭にもう一つ疑問が浮かぶ。彼はこう尋ねた。
「その方法でオレがバハムートのほうに行くとして、アリスはどうやってリヴァイアサンのほうへ行くんだ? 一緒に向こうに行って、それから別行動か?」
「それなら心配ない。我はもう一人でも向こうへ行けるゆえな」
「え゛……!?」
秋斗は絶句して思わずアリスの顔をマジマジと見つめた。アリスがアナザーワールドとリアルワールドを自由に行き来できるというのは、なんだかとてもヤバい気がする。秋斗は危機感を覚えたが、しかしすぐに「今更か」と思い直した。彼女がリアルワールドを滅ぼすのに向こうで力を振るう必要など無い。秋斗一人殺して、あとは傍観していれば良いだけだ。そしてそのつもりがあるなら、もうやっているだろう。
[勝手にスイーツの食べ歩きを始めるかも知れんぞ]
「うむ、我が野望じゃからな!」
「ああもう、そのうち連れて行ってやるから、勝手に行くなよ!? だいたいお前、お金持ってないだろ。守護天使が食い逃げなんて、格好がつかないぞ」
「うむ。ではコースを考えておくのじゃぞ」
秋斗は「はいはい」と答えてそれを流した。なんだかとんでもない約束をさせられたような気もするが、それこそ今更だろう。
さて休憩が終わると、空中戦の訓練が再開された。ただし相手はアリスではない。アリスが生み出したモンスターだ。
見た目はドールのようだが、ドールよりも二回り以上大きい。背丈は2mを超えているように見えた。さらに背中には陶器のパーツを集めて作ったかのような、硬質な翼を持っている。顔面部分は仮面で、全体として不気味な雰囲気だ。
秋斗はこのモンスターを「堕天使ドール」と呼ぶことにした。両手に大剣を持ったこの堕天使ドールが二体。これが秋斗の次の訓練相手だった。
アリス「死線のギリギリを狙うのがコツじゃ!」




