アッシュ1
「さあアキトよ、本題に入ろうではないか!」
スイーツが食べられなくなるかも知れないと聞いて俄然やる気(正しくは危機感?)を出したアリスは、大量の砂糖を入れた紅茶をグビッと飲み干してから身を乗り出してそう言った。
秋斗も真剣な顔をして頷く。彼女のやる気の出し方には言いたいことが一ダースほどもあるが、それはストレートティーと一緒に呑み込む。多少の渋味や苦さはむしろアクセントなのだと、彼は紅茶とコーヒーから学んだのだ。
「じゃあ作戦会議だな。……アリスは何かいい案ある?」
「なんじゃ、腹案も無しに我を呼び出したのか?」
「あ、いや、……申し訳ないです、はい」
「まあ頭に血が上っておったからの。しかしそうなると、そうじゃな、ふむ……」
恐縮している秋斗に苦笑を見せてから、アリスは端正な顎先に手を当てて考え込む。そして少ししてから顔を上げ、にっこりと笑いながらこう言った。
「では、リヴァイアサンは我が受け持とう。バハムートはお主がやれ」
「い!? いやいやいや、無理無理無理、無理だから!」
「為せばなる。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」
「どこで覚えたそんな名言!? いやだって核でもダメだったんだぞ、精神論でどうにかできるレベルじゃないって! それにほら、オレ飛べないし!」
そう言って秋斗は「不可能だ」と訴える。そんな彼に、しかしアリスは真剣な顔をしてこう言った。
「まず今のお主の力ならば、バハムートにダメージを与えることは可能じゃ。少なくとも浸透攻撃は通じる。……まあ、バハムートを実際に見たことはないので、確実なことは言えんがの!」
「おい!」
「そして空を飛ぶ手段じゃが」
秋斗の苦情をさらりと流してアリスは言葉を続ける。彼女は後ろを振り返りながらこう言った。
「こやつの力を借りれば良い」
そこにいたのは額から立派な角を生やした葦毛の馬、麒麟だった。アリスは立ち上がると麒麟に近づいてその首筋を撫でる。一方の秋斗は混乱していた。
そもそもこの葦毛の麒麟は一体何者なのか、実は秋斗もよく分かっていない。他のモンスターに襲われているところを二度助け、以来この麒麟は廃墟群エリアに住み着くようになった。
もともとこの世界には麒麟という聖獣がいたというが、この麒麟はそれを模したモンスターである。ただ他のモンスターとは異なり積極的に襲ってくるわけではないので、秋斗も放置し相互不干渉のような関係で現在に至っている。
(妙な縁があるというか、特異なモンスターなのは分かるけど……)
しかしモンスターはモンスターである。秋斗は葦毛の麒麟の力を借りようとは思わなかったし、それ以前に借りられるとも思っていなかった。だがアリスは「力を借りろ」という。しかしそんなことが可能なのか。
「……モンスターはテイムできないんじゃなかったか?」
「うむ。じゃが聖獣ならテイムしたという記録がある」
「そいつは聖獣じゃなくてモンスターだろ」
「聖獣を模したモンスターじゃな。つまり聖獣としての性質も有しておる。多少はな」
「多少かよ」
頼りないアリスの言葉に秋斗は顔をしかめた。それから彼は視線を少し動かして麒麟と視線を合わせた。葦毛の麒麟の双眸は今も赤い。つまりこの麒麟は聖獣ではなくモンスターである。
だがその一方で。秋斗はこのモンスターに襲われたことはない。それどころか背に乗って戦った事すらある。ワイバーンと戦ったあの時のことを思い返せば、「もしかしたら協力関係は成立するのではないか」とも思えてくる。
(どのみち……)
どのみち、他に空を飛ぶアテはないのだ。成功すれば儲けモノ。失敗しても、その時はバハムートのことはアリスに丸投げすれば良い。空を飛ぶ手段がないとなれば、彼女も無理強いはしないだろう。それにともかくやってみなければ彼女は納得しないだろう。
秋斗はゴクリと唾を飲み込んでから立ち上がった。そして緊張した面持ちで葦毛の麒麟の方へ近づいていく。手を伸ばせば届く距離で立ち止まる。一人と一体が見つめ合う。彼はもう一度唾を飲み込んでから手を伸ばし、しかし躊躇って中途半端な位置で手を止めた。その手に麒麟が自分の方から頭を寄せる。
「……っ」
秋斗は息を呑んだ。固まってしまった手にさらりとした鬣が触れる。彼は息を止めたまま、アリスがしていたように麒麟の首筋を撫でた。麒麟は「仕方ねぇな」みたいな顔をしているが、逃げては行かず撫でられるに任せている。そこでようやく、秋斗は大きく息を吐いた。
「お見合いみたいじゃの」
茶化すアリスに反論するのも億劫で、秋斗は曖昧に笑った。仮にお見合いだとして、人間相手でもこんなには緊張しないだろう。秋斗はぼんやりとそう思った。そんな彼にアリスはさらにこう言う。
「名前を付けてやるがよい」
「名前……」
アリスの言葉に秋斗はオウム返しに反応する。そして小さく眉間にシワを寄せた。こんな流れは全く考えていなかったので候補はなにもない。葦毛の麒麟の首筋を撫でながらしばらく考え、それから彼はポツリとこう呟いた。
「じゃあ……、アッシュ」
葦毛で灰色っぽいから灰。なんとも安直なネーミングだ。だが白猫に白と名付ける例は多い。何より短い時間とはいえ真剣に考えた名前だ。
「ブルゥゥゥ」
それが自分の名前だと分かるのか葦毛の麒麟、アッシュは小さくいなないて秋斗の胸にグリグリと頭を寄せた。最初は甘えているのかと思ったが、押しが強い。彼が倒されないように踏ん張ると、アッシュはプイッと離れて行った。それを見てアリスが小さく笑いを含みながらこう告げる。
「ふむ、まあこれで良いじゃろう。契約成立じゃな」
「これでって……。テイムってこんな感じなのか?」
「やり方は色々ある。じゃが上手くいったのであれば、お主達にはこれが合っていたのじゃろうよ」
アリスはしたり顔でそう言った。秋斗としては、なんだか上手く言いくるめられた気がしないでもない。そもそもテイム成功といっても、アッシュとの間に魔法的な繋がりが生まれた感じは全くしないのだ。本当にこれでいいのだろうかと秋斗は内心で首をかしげる。そんな彼にシキが告げた。
[リアルワールドの騎手と騎馬の間にも、魔法的な繋がりなど全くない。だが彼らの間には確かに絆がある。アキもそういうものを目指せばいい。まあそれがテイムと呼べるかはまた別だが]
(いや、うん、そうだな)
シキの言葉に秋斗は頷いた。それに大切なのは麒麟をテイムすることではない。飛行手段を手に入れることだ。それが叶うのなら、テイムできたのか否かは些末な問題だろう。ただし現状、目的が叶ったとはまだ言えないが。
「では次はいよいよ実際に飛んでみるわけじゃが……。ふむ、馬具がいるかの?」
裸馬状態のアッシュを見てアリスがそう呟く。この状態でも秋斗は実際に背に乗って戦った事がある。だがお世辞にも戦いやすかったとは言えない。踏ん張りがきかないのだ。秋斗も乗馬に関してはド素人だが、それでもテレビで見るような馬具があればもっと乗りやすいだろうことは想像に難くない。そして彼には馬具にアテがあった。
「馬具ならある」
そう言って秋斗はストレージから馬具「人馬一体」を取り出した。それを見てアリスが「ほう」と声を出す。マジックアイテムであることに気付いたらしい。
秋斗はシキにアドバイスをもらいながら、アッシュに人馬一体を装着した。アッシュはやや不本意そうな顔をしていたが、暴れることなく馬具を受け入れた。
まともに乗馬などしたことはないが、こうして馬具を付けてみると乗れそうな気がしてくるから不思議である。彼はいそいそとアッシュの背にまたがった。
「おお……」
秋斗は思わず感嘆の声をもらした。当たり前だが視点が高い。鐙のおかげで姿勢も安定している。彼はキョロキョロと周囲を見渡し、それからやや怪訝そうに小さく首をかしげた。
(これ、どうやって走らせればいいんだ……?)
[ムチでも入れれば良いのではないのか?]
シキがそう答えたのが分かったのか、アッシュは突然走り始めた。秋斗は思わず「うわっ」と声を上げて仰け反るが、気合いと腹筋の力で姿勢を保つ。そして彼がやや前傾姿勢になると、アッシュはふわりと宙を駆け上った。
「……!」
アッシュの脚が地面を離れる瞬間、秋斗は一瞬だけ宙に放り出されたような感覚を味わう。だがすぐに力強く宙を駆けるアッシュの拍動がそれを吹き飛ばした。
ワイバーンと戦った時とは違い、今は周囲に敵はいないし、秋斗の姿勢も安定している。バイクを走らせるのとはまた違った疾走感に、彼の口角は自然と上がった。そしてそのまま引きつることになる。
アッシュはグングンと加速した。もはや風圧が痛いレベルだ。縦横無尽に空を駆けるアッシュの背に、秋斗は振り落とされないように必死にしがみつく。しかしアッシュは気にしていないようで、むしろ見せつけるかのようにまるで曲芸飛行のような複雑な軌道で空を駆けた。
「バレルロォォォル!?」
秋斗は暴れ馬の背に乗ったまま全身をくまなくシェイクされ、そしてアッシュが地面に着地したところでまた振り落とされた。それを見てアリスは満足げに頷く。
「うむ。あれだけ飛べれば十分じゃろう」
「異議、アリ……」
秋斗はプルプルと震えながら反論したが、アリスは取り合わない。むしろ彼女はとびきりの笑顔でこうのたまった。
「さあ、次は空中での戦闘訓練じゃ」
その時の秋斗の顔を何と言うべきか。ついでにアッシュも「マジで!?」みたいな顔をしていた。
アッシュ「し、仕方なくなんだからねっ!」




