理由
「アリスか? すぐに来てくれ」
秋斗がそう頼むと、彼の怒りの気配を感じ取ったのか、アリスはすぐに駆けつけてくれた。そんな彼女にお茶も出さず、秋斗はバハムートとリヴァイアサンの事を話す。ノートパソコンに保存してきた記事なども見せながら一通りの説明をすると、アリスは一つ頷いてこう言った。
「なるほどの……。厄介なモンスターが現われたようじゃな」
「厄介なんてレベルじゃない。コイツらのせいで世界が滅びるかも知れないんだぞ」
秋斗はアリスを睨むようにしながら語気を強めてそう言った。アリスは肩をすくめると、苦笑しながら彼にこう尋ねる。
「それで、お主は何にそんなに怒っておるのじゃ?」
「怒ってなんか……」
「おるじゃろう。ま、我に八つ当たりしないだけの冷静さは残っておるようじゃがな。話してみよ。話すだけでも、少しは落ち着くものじゃ」
そう言ってアリスは秋斗へ優しげな視線を向ける。彼女の眼はやんちゃな弟を見るかのようだった。一方の秋斗はまだ険しい表情をしている。だがアリスがゆっくりと待つと、ややあってからこう話し始めた。
「自分が何にイラついてんのか、よく分かんないんだ。バハムートとリヴァイアサンにもイラつくし、何か自分にもイラつくし、こういう状況自体にも腹が立つし……」
そこまで言って、秋斗はまた黙った。アリスは頷きだけ返して、彼が続きを話すのを待つ。彼は自分の頭の中を整理するようにしながらまたこう話した。
「なんか、世界ってこんなに簡単に壊れそうになるんだ、と思って……」
自分で言ったその言葉が、ストンと腑に落ちるのを秋斗は感じた。たった二体のモンスターのせいで世界中の人々は右往左往し、これまでのアレコレがガラガラと崩れていく。その様子は彼にとって衝撃的だった。
「世界って、なんて言うのかな……、もっとこう変わりにくいって言うか、いや違うな……。こう、そう、懐が深いモンだと思ってたから……」
秋斗がそう感じていたのは、これまでリアルワールドが曲がりなりにもモンスターに対応できていたからだ。悪戦苦闘していたし、犠牲も出ていたが、それでも何とか対応してやって来た。それができる社会であり世界なのだと、彼はそう思っていたのだ。
だがバハムートとリヴァイアサンはあっさりとその人類の許容量とでも言うべきモノを超えてしまった。秋斗が思っていたよりも、ずっと簡単に。世界の器が小さすぎたのか、それとも二大モンスターが現われるのが早すぎたのか、それは分からない。ともかく彼にとってはそれが衝撃的だったのだ。
「ふむ。ではお主はふがいない世界にたいして怒っておったのかえ?」
「いや、そういうわけじゃ、ないと思う……、たぶん。いや、でもそうなのかな……? でもとにかくイライラしたんだ」
「ふぅむ……。そもそもお主はなぜ怒ったのじゃ? さっきの資料を見た限り、向こうの者たちは怒る気力もなく絶望しておるように思えたぞ」
「それは……、やっぱりその、アリスのことを知っているから……」
「つまり、いざとなれば我を頼れば良いというわけじゃな。じゃが、それなら怒る理由もないのではないかの?」
「いや、それは、だって……」
秋斗は少し言いにくそうにしながら言葉を探す。アリスはまたそれを待った。そして一分ほど経ったところで、秋斗は口を開いてこう言った。
「あの二体は、倒すしかない。倒さないと、本当に世界が滅びる。だけどアリスの手を借りて倒すとなると、もう今まで通りじゃなくなると思う」
「ふむ、身バレする、と?」
「最悪は。……身バレしなくても、色々感付かれるんじゃないと思う」
秋斗はやや憮然としながらそう答えた。アリスの手を借りてバハムートとリヴァイアサンを倒すということは、つまり現代兵器はまったく用いないということだ。特にバハムートの場合は衛星で常時監視されている。アナザーワールド方式で倒せば、そのことはあっという間に知られるだろう。そして調べられるに違いない。
リアルワールドの諜報機関というヤツが、一体どこまで真実に迫ってくるのか、それは秋斗にも予想が付かない。手も足も出ないないような気がする一方で、あっさりと秋斗やアリスにたどり着いてしまうような気もする。だがいずれにしても、一度やってしまったことは無かったことにはできないのだ。
「じゃが、やり方は色々あるのではないのかえ?」
「そりゃ色々はあるだろうけどさ。どんなやり方だとしてもやることに変わりはないんだ。なんて言うか……、覚悟がいる」
「覚悟、か」
アリスは小さく微笑むと、納得したように一つ頷いた。秋斗は二大モンスターを「倒すしかない」と言った。そしてそのためには「覚悟」がいる、と。要するに秋斗は、その「覚悟」を強要されたことに怒っていたのだろう。アリスはそんなふうに思った。
それを「軟弱」と誹る気に、アリスはなれない。覚悟というのは、自分のペースで決めるべきモノのはず。アリスはそう思っているし、彼女自身、秋斗に全てを話すことを決めたときにはそうした。
いや、もしかしたらこれは逆かも知れない。全てを話すことを誰に強制されるでもなく自分で決めたからこそ、覚悟というのはそういうモノであるべきだとアリスは思っているのだ。
(それでも……)
そしてそれでも、秋斗は逃げなかった。「イヤだ」と言って何もしない道は選ばなかった。いや、彼に何もしないという選択肢はなかったのだ。逆説的になるが、それはつまり彼がすでに覚悟を決めていたことの証拠ではないだろうか。もっとも秋斗にその自覚があったかは定かではない。
一方で彼自身もこうして「覚悟」という言葉を用いたことで、自分が何にイラついていたのかを理解することができた。アリスが考えたように、外から圧力をかけられたことへの怒りは確かにある。だがそれだけではない。
順を追って考えてみれば、「そもそもこの段階になるまで秋斗が何もしなかったことが原因」とも言えるのだ。覚悟を強要されたのは事実かも知れないが、そうなってしまった原因の一つは彼の優柔不断さであるとも言える。
そのことを自覚すると、秋斗はちょっとバツが悪かった。気恥ずかしさを覚えると同時に、怒りが萎んでいく。彼はそれを誤魔化そうとして口を開きこう言った。
「あ~、うん、話聞いてもらったらちょっと落ち着いた。ありがと」
「それは何よりじゃ。では落ち着いたところで茶でも出すが良いぞ」
アリスがニヤリと笑ってそう催促する。秋斗は小さく肩をすくめてから紅茶の用意を始めた。茶葉を蒸らしている間に茶菓子も用意する。ただ勢いだけでコチラへ来てしまったので、大したものは用意していない。少し前に勲からもらったクッキーなどの焼き菓子を大皿に並べて饗した。
「ふむ。紅茶を淹れるのも上達したではないか」
「そんだけ砂糖入れて、味なんて分かるのか?」
紅茶を一口飲んで頷くアリスに、秋斗は苦笑しながらそう返す。いつも通り、彼女のティーカップの中は「砂糖の紅茶浸し」状態になっている。飲むよりむしろ食べるレベルではないだろうか。
次からはいっそ、カップに砂糖を山盛りにして、そこへ紅茶を注いでやろうか。秋斗はそう思ったが、アリスはむしろ喜びそうな気がして、止めておくことにした。いずれにしても角砂糖の補給が急務である。ただこれまでのようにスーパーで角砂糖を買えるのか、今のリアルワールドの状況では分からないと言うしかない。
「角砂糖など、そう高いモノではあるまい」
「高いとか安いとか、そういう問題じゃないんだよ、もう。モノが入ってこないんだからさ」
秋斗は肩をすくめてそう答えた。物流が滞るということは、輸出入が停滞するということ。その影響は自給率の低い日本を直撃していた。「このままでは日本は一年以内に飢餓状態に陥る」。どこまで本当か分からないが、そんな話まで出ているほどだ。もやは角砂糖だとか、そんなレベルの話ではなくなってしまっている。
食料品の値上がりは留まるところを知らない。「休耕田を耕せ!」と政府が旗を振り、脱サラして地方へ戻り農業を始める者が増えているというが、食料自給率はそんなにすぐに上がるものではない。そもそも飼料や肥料も輸入に頼る部分が大きいし、トラクターなどを動かすには燃料がいる。農業でさえ、行き詰まっているのだ。
「このままじゃ角砂糖どころか、日本からスイーツがなくなるかもな」
「なんじゃと、いずれ東京でスイーツの食べ歩きをするのが我の野望なのじゃぞ!?」
「諦めてなかったのか……。っていうか、東京限定なのか……」
ささやかなのか、いやアリスの出自を考えれば壮大なのか。「おのれ二大モンスター許すまじ!」と気炎を上げるアリスに、秋斗は「なんだかなぁ」という顔をする。アリスがやる気を出してくれたのはありがたいが、その理由がスイーツのためというのは、どうにも釈然としない。
(「世界は救われた。守護天使が東京でスイーツの食べ歩きをしたかったからだ」)
どこの三流コメディーだ、と秋斗は自分のセリフに突っ込んだ。とはいえアリスのやる気は重要で、無いよりは有るほうが良いのは確かだ。それで秋斗は入れたかったツッコミをいろいろ呑み込んだ。そしてそんな彼にアリスはこう言う。
「さあアキトよ、本題に入ろうではないか!」
アリス「食い意地は世界を救うのじゃ!」
秋斗「自分で言うかね……」




