Alice in Real World2
「ああ、本当に、ふふふ……」
家から飛び出していった秋斗を見送ると、アリスは小さくそう笑った。やや苦笑気味ながらも、万感の想いを滲ませて。
アリスは目をつぶって広域探査魔法を使用する。彼女はすぐにたくさんの人々の反応を捉えた。この世界には、この星にはまだたくさんの人たちがいるのだ。
人がいて、暮らしがあり、営みがある。その全てはアリスが守ることを願われ、しかし目覚めた時には失われていたモノである。さらに言うならば。その全てはアリスが奪っていたかもしれないモノである。
秋斗の世界、つまりリアルワールドにモンスターが出現するようになったという話を聞いたときから、ずっとイヤな予感はしていた。それはつまり、魔素の影響を受け始めたことを意味していたからだ。
そして彼がアナザーワールドとリアルワールドを行き来していることを加味すれば、魔素の出所についても想像がつく。魔素はアナザーワールドからリアルワールドへと流れているのだ。
この時点ですでに、アリスはこの魔素の流れが単なる自然現象ではないのだろうと予感していた。何しろ異世界人を呼び込んでいるのだ。どんな意図があるにせよ、少なくともきっかけは人為的なものに違いない。彼女はそう思っていた。
ただしこのとき彼女はまだ、アナザーワールドで進行する計画の主眼を取り違えていた。惑星を覆う封印、それが増大する魔素のために限界を迎えつつあることは容易く想像できた。ではわざわざ異世界人を呼び込んだのはその対策の為であると考えるのは筋が通っている。
(多数の異世界人を呼び込み、モンスターを狩らせることによって魔素を消費させる。それが目的だと思ったのじゃがなぁ……)
アリスは苦く嘆息した。なにしろゲーム的な「システム」まで用意したのだ。大がかりな仕掛けを用意したのだから、それが本命だと思うのは当然だろう。
(プレイヤーの数が少ないのは分かっていた)
だがテストもせずにいきなり本格的なスタートをきるのは常識的ではない。サービスには普通プレリリースがあるもので、プレイヤーの数が少ないのはそのためだろうと思っていたのだ。
(いずれ本格的に始まれば、プレイヤーの数は徐々に増えていく。最終的には魔素の流入量と消費量が釣り合うか、もしくは逆転して落ち着く。そう思っていたのじゃがな)
最終的なプレイヤーの総数が何人になるのか、それは分からない。だが惑星一つを舞台にするのだ、数億人に上ろうとも余裕はある。そしてその時、秋斗のように最初期から探索を行っていたプレイヤーは、後発のプレイヤーに先達としてあれこれとノウハウを教えることになるだろう。それこそが彼らの役割だと、アリスは考えていた。
(だからこそ……)
だからこそ、アリスはこれまで秋斗に協力してきたのだ。最初は惰性だったが、アナザーワールドの人々を救える可能性があると考えるようになってからは、より積極的に協力してきた。連絡手段を渡したのもその一環だ。
(アテが外れたのぅ……)
アリスがもう一度嘆息する。アナザーワールドで進行する計画の目的は、しかし彼女が推測したようなものではなかった。計画の主眼はより直接的な問題の解決におかれていた。魔素を別の世界へ逃がすことで惑星の封印を維持すること、それが計画の目的だったのである。
そのことを悟った時のアリスの気持ちを、どう表現したものだろうか。裏切られたようであり、また一方で情けなくもあり。怒りつつも失望し、また置いていかれてしまったような気分にもなった。
(だがそれでも。それでも、じゃ)
だがそれでも。アリスはこの世界とこの世界の人々を見限ることはできない。「救い給え」と願われたその想いは、モンスターとなってしまったからこそ、彼女を一層強く縛り付ける。それはもう怨念のようであり、呪いにも似ていた。
(もはや存在意義と一体化しておるわ)
存在意義。そう事はアリスの存在意義に関わるのだ。そこを否定したら、アリスはもうアリスではなくなってしまう。そして何か手を打たなければ確実に破滅が訪れるのが現実であり、彼女に対案はなかった。自らの存在意義を前提とすれば、この計画を咎めるだけの正当性を彼女は持たなかったのである。
しかしながらその一方で、アリスはこの計画がリアルワールドの人々にとって理不尽で不条理ではた迷惑なモノであることも分かっていた。いや、そんな言葉では言い尽くせないであろう程に、邪悪であると言って良い。リアルワールドが押しつけられるのは魔素でなく悪意なのだ。たとえアナザーワールドの人々にそのつもりがなかったとしても。
この計画を否定することはできない。だが何もせずにこの計画を肯定することもできなかった。それで彼女はちょうど行っていた次元結晶の研究を応用し、次元の坑を塞ぐための方法を作り上げた。計画へのカウンター、もしくはワクチンである。ただし使うつもりも、使わせるつもりないカウンターだった。
(自己満足よな)
なぜそんなモノを用意したのか、アリス自身にも筋の通った説明はできない。強いて言うのなら、心を納得させるためだった。対抗策はある。だがそれを用いないことを自分で選択する。それが彼女には必要なプロセスだったのだ。
だがそこまでしてもまだ、彼女は踏ん切りがついたわけではなかった。頭をよぎるのは秋斗のこと。モンスターと人間、そしてアナザーワールドに軸足を置く者とリアルワールドに軸足を置く者。共通点など皆無と言っていい。だがそれでも友人であると思っているし、仲間や同志と呼んでも差し支えのない間柄だろうと思っている。
アリスはアナザーワールドとそこに住む人々を切り捨てられない。そのために不利益を被るのはリアルワールドの人々であり、言ってみれば秋斗はその代表だった。まして彼は次元結晶を持ち込んだのだ。筋は通さなければならない。
アリスは秋斗に全てを話した。憶測になってしまった部分もあるが、それでも大筋は正鵠を射ているはずだ。そして予想通り、秋斗は反発した。顔を歪ませて苦悩する彼に、アリスは心の中で詫びた。
(ああ、そんな顔をさせたかったのではないのに……)
それは本心だ。しかし身勝手な本心だ。アリスはそれを自覚している。だから彼女は心を凍てつかせた。それは必要なことだから。言うなればこれは儀式。守護天使として振る舞うための、決別の儀式だ。そして彼女は選択を迫った。
『選択はいつも突然じゃ。しかし選ばねばならぬ。世界を救う鍵はそこにある。誰が立ち塞がるのかも知った。なぜ立ち塞がるのかも。我はもう選んだ。さあアキトよ、次はお主が選ばねばならぬ』
『理不尽だっ!』
秋斗はそう叫んだ。ああ、確かに理不尽だ。アリスは同意する。理解もするし納得もする。凍てつかせた心にも、その言葉は響いた。しかしそれでも、アリスの根っこは揺らがない。彼女はただ静かに秋斗の選択を待った。
道はぶつかるのだろう。アリスはそう思っていた。それは避けようのないことで、つまり仕方のないことのように思えた。その時には殺さねばならぬ。小さな火種であろうとも、将来に残すわけにはいかないのだ。
未来が決まっているのなら、さっさと行動に移るべき。彼女の合理的な部分がそう囁く。それは諦めにも似ていた。だからこそ彼女は待った。武器を持つこともせず、ただ待った。それが使命に反しない範囲での、せめてもの自由だった。
『……なんで、オレにこんな話をしたんだ?』
『全てを秘密にしておく。それを考えなかったわけではない。だがそれはお主に対して不誠実であろうと思った。お主は二つの世界に関わった。お主には選択する権利がある。それを侵すべきではないと思ったのじゃ』
そう答えつつも、アリスの胸の内には別の想いもあった。例え不誠実であろうとも、全てを秘密にしておけば彼に苦しい選択を強いることはなかっただろう。そして彼を殺すことも避けられたはずだ。その方が彼にとっては良かったのではないか。その想いは拭いきれない。
だがそれでも、アリスが選んだのは伝えることだった。伝えないまま、秘密にしたままこれまでと同じように彼と付き合うことはできない。それはきっと残酷なことだから。そんな友人を裏切るようなことはしたくなかった。そして彼は決断を下す。
『力を、貸せっ。魔素の迂回路を塞ぐことはしない。だから、リアルワールドがこの世界の二の舞にならないように、アリスの力を貸せっ!』
今にして思えば、それはまるで奇跡のような選択に思える。殺し合うのではなく手を取り合い、世界を一つ救うために協力するというのだから。滅び行くのをただ眺めて見送るだけだったはずの世界を、しかし救うことができるのだ。
秋斗は譲歩してくれた。譲歩して、歩み寄ってくれたのだ。アリスの譲れないモノを「それでいい」と言ってくれたのである。そして彼が歩み寄ってくれたおかげで、アリスにも歩み寄る余地が生まれた。ならここで前に進まないだなんて、友達甲斐がないではないか。
『それがお主の選択か。良かろう、そなたが立ち塞がらぬ限り、我はそなたに力を貸そう』
アリスは秋斗の手を取った。秋斗が言っていることは夢物語で、具体的な方策はまだ一つもない。世界を救うなんてぶち上げたはいいが、上手くいく保証はどこにもないのだ。それはアリスも分かっている。分かっているが、躊躇いはなかった。
アリスは守護天使だ。そうあれかしと願われた。その彼女がある世界の滅びを見過ごすことに、ドロリとしたヘドロのような諦念を覚えないはずがない。しかし今やそれは払われた。彼女は世界を、いや人々を救うことができるのだ。それこそ守護天使の本懐ではないか。
もちろんそれはリアルワールドの人々にとって最善の救われ方ではないのだろう。少なくともアリスはそう思う。しかしながらこうも思うのだ。「そんなこと、誰が決めたんだ」と。
(我の予想は外れた。それはもう清々しいほどに)
それなら今回の予想も外れるかも知れないではないか。もちろん二つの未来を同時に選ぶことはできない。比較してみることはできないのだ。だからアリスにできるのは最善を尽くすことだけ。「世界は案外、良い方向へ転がることがある」。それが分かっただけで、アリスもうずいぶん救われた気分なのだから。
ちなみに。秋斗が大急ぎで買ってきたタルトはフルーツたっぷりだったが、生クリームではなくカスタードクリームだった。でも美味しかったので妥協した。アリスは妥協も譲歩もできるのである。
~ 第七章 完 ~
アリス「タルトは三分の二を食べました」




