麒麟とワイバーン3
「行っちまったな」
草の上に胡座をかいて座り、空を駆けて去って行く麒麟の背を見送りながら、秋斗は苦笑の滲む声でそう呟いた。用が済んだ途端にこれである。とはいえちゃんと着地してから振り落とすあたり、ぞんざいなようで気をつかっているようにも思えた。
[行って欲しくなかったのか?]
「まさか。あれでも一応モンスターだぞ? 残ったら残ったで、どう対応したらいいのか分かんねぇよ」
[まあ、そうだな]
「だろ? 今更討伐ってのも何か違うし」
そう言いつつ、秋斗はストレージからお茶とお菓子を取り出した。座り込んでしまったついでに、ちょっと休憩である。お茶は緑茶で、お菓子は今度は羊羹だ。
[あの馬具、人馬一体だったか、アレが使えるのではないのか?]
「いや、アレって意思疎通の効果ないだろ。どうせまた振り落とされるって。そもそも付けさせてくれるかも分かんねぇし」
宝箱(銀)から手に入れた人馬一体はマジックアイテムの馬具で、その効果は「騎獣との間で魔力を融通しあうことができる」というもの。鑑定しても「意思の疎通ができる」とは書かれていなかった。そもそも自動装着の機能があるわけではない。付けているあいだ大人しくしてくれているとは思えず、やはりあの麒麟に人馬一体を使うのは無理があるように思えた。
[ふむ。まあ、そうか……]
「なに、シキさん的にはあの麒麟を使役できないかとか考えちゃってるわけ?」
[使役というほどではないが。だが実際、ああして背に乗って戦ったのだ。他のモンスターはともかく、あの麒麟なら状況次第では協力関係が成立する。さっきの戦いでそれが証明されたわけだ。なら馬具もあるのだし、その先を考えるのはおかしな事ではないだろう?]
「そう言われるとそうかも知れないけど……。でもまあ、ずいぶんと都合のいい話だと思うぞ」
[まあ、それは認める。それにもうどこかへ行ってしまったからな。相手がいなければどうにもならん]
「そりゃそうだ。でも二度あることは三度あるって言うし、もしかしたら三度目があるかもな」
[一度目はコボルト・リーダー率いる群れで、二度目は三体のワイバーンと空中戦。三度目はどうなるんだろうな。難易度的には今回以上になると思われるが]
「……そう言われると無い方がいい気がしてきた。それはそうと、ワイバーンの魔石とかドロップとかは回収したのか?」
[もちろんだ。そして驚け。ワイバーンの魔石は三つともボスクラスだったぞ]
「おお、それは凄い。でも納得といえば納得だな」
秋斗はそう答えた。ボスクラスの魔石とは、彼が勝手に定義している区分で、1kg以上の重さの魔石のことを指す。モンスターの強さとドロップする魔石の大きさ(重さ)は基本的に比例するので、「1kg以上の魔石を持つモンスターはボスと呼ぶに相応しい」と彼は経験則的に判断しているわけだ。そしてあの三体のワイバーンは、その経験則と矛盾しない強さを持っていたように思う。
「で、ドロップの方は?」
[鱗と牙と、あとは爪だな]
「肉は!?」
「肉はなしだ」
「なしかぁ。ワイバーンステーキ、食ってみたかったなぁ」
秋斗が大げさに悔しがる。そう言えば麒麟の馬刺しは美味いのだろうか。最近、マンモス肉の在庫が尽きたのだが。
[まあ肉はいいとして、だ。アキ、このドロップアイテム、どうする?]
「どうするって?」
[召喚用の魔法陣に使ってみるか、という話だ]
秋斗は納得の表情を浮かべ、それから腕を組んで悩んだ。今回戦った三体のワイバーンは全てボスクラスのモンスターだった。そのドロップアイテムを召喚用魔法陣に用いれば、ワイバーンを召喚できるだろう。それも恐らくはボスクラスの。
モンスター召喚用魔法陣の開発において秋斗が掲げた目標は、「ボスクラスのモンスターを呼び出すこと」だった。それによって1kg以上の大型の魔石を安定的に確保するためだ。ワイバーンのドロップを使えばそれが叶うのではないか、とシキは言っているのだ。だが秋斗は数秒考えてから首を横に振った。
「いや、止めとこ。ワイバーンはちょっと厄介すぎる」
今回の三体だって、秋斗が完全に自力で倒せたのは一体もいないのだ。流れの中でのこととはいえ、全てあの麒麟の介入があった。だが召喚用魔法陣で呼び出せば、その場合は言うまでもなく一人で倒さなければならない。
だいたい、ワイバーンが空へ上がってしまったら、秋斗の側からはほとんど打つ手がないのだ。つまり相性が悪い。魔法陣が完成すれば何度も戦うことになるのだから、もう少しやりやすい相手が良かった。
[そうか。まあ、無理にとは言わないが]
「ドロップはちょっと惜しい気がするけどな。でも、魔法陣は魔石収拾のためだし」
鱗にしろ牙にしろ爪にしろ、ワイバーンのドロップを手に入れたのはこれが初めてだ。そして次に手に入れるアテは、今のところない。だが魔法陣を使えば、少なくともアテはできる。それが惜しくないと言えばウソになる。だがシキはこう言った。
[いや、目的をハッキリとさせておくのは良いことだ。あれもこれもと手を伸ばして全て中途半端になっては、元も子もない]
「そうだな。じゃあ魔法陣には使わないことにして、ワイバーンのドロップはどう使う? やっぱりしばらくはストレージの肥やしか?」
[それでもいいが。だがそうだな、槍でも作るか? 騎乗した状態で浸透攻撃を行うなら、竜牙剣よりも長物のほうがいいだろう]
「あ~、確かにそれはそうかも。さっきの戦いもちょっとやりづらかったし。でもまあ、そもそも騎乗できるかがまず問題だけどな」
そう言って秋斗は苦笑した。繰り返しになるが、彼はあの麒麟にまた騎乗できるかについては懐疑的だ。ただできるなら騎乗してみたいとは思う。さっきは戦闘に必死だった。次の機会があるなら、もう少しゆっくり空を駆けてみたい。そう思いつつ、彼は休憩を切り上げて立ち上がった。そして周囲を見渡してこう呟いた。
「まったく見覚えがないな。シキ、やっぱり未踏エリアか?」
[うむ。初めての場所だな]
シキがそう言うのを聞いて、秋斗は一つ頷いた。どうやらワイバーンに振り回されている間に、そして空中戦を演じている間に、実験をしていた場所からはずいぶん遠くへ来てしまったらしい。もっともそれで困るわけではない。むしろ彼は前向きに捉えていた。
「せっかくだし、この辺の探索をしていこうぜ」
[ここまでの経路はマッピングしていたから、戻ろうと思えば戻れるし、ダイブアウトしてもまた来ようと思えば来られるぞ。まあ、地上がどんな様子なのかは分からないが]
「空を飛んでいたからな。じゃあ、まずはそのへんの確認をするか」
そう言って秋斗は歩き始めた。向かうのはスタート地点がある方向。まずはスタート地点からここへ来るまでのルートを確認するのだ。一度ルートを確立しておけば、次に来るときのハードルは下がるだろう。
「ちなみにスタート地点までの、推定所要時間は?」
[ざっくり見積もって二〇時間、いやもっとかかるかも知れん]
「結構遠くへ来たなぁ。やっぱり空を飛べるって言うのは速いな」
[まったくだ]
シキとそう言葉を交わし、秋斗は小さく頷いた。スカイウォーカーという、足場を作るマジックアイテムがあるので、ルートを開拓すること自体は可能なはずだ。ただあまり面倒なルートだと、距離のことも合せて足が遠のくことはあり得る。「さて、どうなるかな」と思いながら秋斗は歩を進めた。
結局、彼がスタート地点へ戻るまで、三〇時間ちょっとかかった。ただ見積もりより一〇時間もオーバーしたのは、道が険しかったからではなくて彼があちこち寄り道したからだ。ルートそれ自体は、数回スカイウォーカーを使う必要があったものの、行くのが億劫になるほど面倒という感じはしなかった。
「とはいえ成果と呼べるモノはなかったなぁ」
秋斗はそうぼやく。新たな石版やクエストは見つからなかったし、ボスクラスのモンスターを討伐できたわけでもない。マッピングエリアは広げられたが、成果というにはイマイチだ。ただしっかりと探索したわけでもないので、今後に期待している部分もある。さらに彼も思ってもみなかった「成果」が、後日明らかになった。
ソレに秋斗が気付いたのは、スタート地点に戻ってきてダイブアウトし、その次にダイブインした時のことである。彼が食べ尽くしてしまったフルーツを補充しようと廃墟群エリアを探索していると、廃墟の一つ、より正確に言うと日当たりの良い庭にソイツがいたのだ。
――――麒麟である。
「なんでアイツ、ここにいるんだ?」
[さあな]
秋斗が首をかしげていると、不意に麒麟と目が合う。彼らは数秒見つめ合ったが、麒麟のほうがフッと視線を逸らした。そして澄ました様子で木陰に入り、そこで横になって目を閉じる。麒麟はモンスターのはずなのだが、襲いかかってくる様子は少しもない。
「なんだかなぁ」
秋斗はぼやくようにそう呟いて頭をかいた。あの麒麟が完全に安全であるとは、彼も思っていない。だがこうして呑気な姿を見せられると、積極的に討伐しようという気にはならない。彼は「まあいっか」と呟いてその場を離れた。
こうしてこのときから、麒麟は廃墟群エリアに居座るようになったのだった。
麒麟さん「安全保障のために利用しているだけなんだからねっ!」




