ニューノーマル1
七月に入った。世界は相変わらずダークネス・カーテンの脅威に怯えている。ただその一方で人々は日常を維持しようともしていた。その一環なのかは分からないが、秋斗の大学はほぼ平常通りに講義を行っている。
「ま、学生の方は平常通りとは言い難いけど」
構内を行き来する学生たちの様子を眺めながら、秋斗はやや皮肉げにそう呟いた。彼らのうち、半分以上の者が「武装」している。武器といっても金属バットだったり金属パイプだったりと、秋斗から見れば微笑ましいレベル。だが中にはベルトにナイフをさしている者もいるし、鞄の中に何かをしまっている者もいるだろう。
そして何より、それが普通になっていることこそが異常である。秋斗が高校生だった頃は考えられない光景だ。どこの世紀末学園かと思うだろう。モンスターが頻繁に現われるようになって武装する学生は増えたが、それでもこんなに多くはなかった。ダークネス・カーテンが社会に、いや世界に与えた影響はそれだけ大きいと言うことだ。
同質の変化は、例えば大学の購買にも現われている。書籍や食品、文房具に混じって対モンスター用品も売られるようになったのだ。さすがに武器のほうはあまり多くないが、防具のほうは充実している。膝当てや肘当ては当然として、脛当てや籠手、胸当てなんかも売っている。デザインがスポーティーなのはリアルワールド仕様だろうか。他にも多数のグッズがあり、売れ行きはなかなからしい。
「学割が利くけど、そんなに安いモノじゃないのにな」
秋斗は苦笑気味にそう呟いた。彼自身はそうでもないとはいえ、周囲の友人達を見ていると基本的に金欠の貧乏学生が多い。特に親元を離れて東京へ来ている学生はその傾向が顕著だ。もしかしたら防具を買うための「一時金」が支給されているのかもしれない。ただそれにしてもお高目の価格帯だ。
[安い防具というのも、信用ならんだろう]
(ま、それもそうか)
シキの言葉に内心で頷きながら、秋斗は次の講義が行われる教室へ入った。適当な席に座ると、三原誠二が顔を見せる。彼は秋斗を見つけると、軽く手を上げてその隣に座った。彼の荷物を見て、秋斗はふと首をかしげてこう尋ねた。
「ミッチー、バットは持ってきてないのか?」
「あ~、アレ結構かさばってさ。リュックサックにナイフ入ってるから、取りあえずそれで良いかなって。アキこそどうなん?」
「持っているぞ、ほれ」
そう言って秋斗は梱包用のベルトを取り出して誠二に見せた。彼は「やっぱりソレか」という顔をして、「今更だけどそれで倒せるのか?」と尋ねる。秋斗は「家には鉄パイプを用意してあるから」と答えて誤魔化した。
「アキがそれでいいなら良いけどさ。それより魔石の研究でさ、結構面白いことになってるみたいだぞ」
「へえ、どうなった?」
「魔石を使った発電、いよいよ実証実験に入るらしい」
「早いな」
秋斗は率直にそう思った。いくら「魔石は燃える」ということが分かっていたとしても、いきなりそこから発電には繋がらない。そこにいたるまでには様々な研究を積み重ねる必要がある。だが魔石の研究が本格的に始まってからまだ一年も経っていないのだ。「早い」という感想は、現場にいる人間ほど強いのではないのだろうか。
「ダークネス・カーテンで政府も尻に火がついたみたいだぞ」
「んん?」
「つまりだ、日本って燃料のほとんどは輸入に頼ってるだろ? 利権を確保しているとか、備蓄しているって言うけど、それだって海外だ。つまり物流、特に海運が寸断されたら、日本はあっという間に干上がるってワケ」
よく分かっていないふうな秋斗に、誠二がそう説明を行う。それを聞いて秋斗は「ああ、なるほど」と納得した表情を浮かべた。
例えばタンカーの上空に突然ダークネス・カーテンが現われたら、タンカーは無事では済まないだろう。またダークネス・カーテンを避けられたとしても、モンスターは襲ってくるかも知れない。そもそもタンカーが無事だとしても、予定通りに荷物を運べるかは別問題だ。
「つまり最悪を想定しているのか。少しでも国産エネルギーの率を上げたい、と」
「らしいな。それにほら、魔石って燃やしても二酸化炭素が出ないって話だろ? それで環境対策の方からも予算を引っ張ってきて、急ピッチでやってるって話」
誠二の話を聞いて、秋斗は「へえ」とやや気のない返事をした。面白そうだとは思うが、さすがに二年生の秋斗に出番はない。せいぜい「続報があったら教えてくれ」と頼むくらいだ。
ちなみに「魔石を燃やしても二酸化炭素が出ない」という現象は、確認されるとちょっとした騒ぎになった。簡単に説明すると、なぜそうなるのか分からなかったからだ。さらに言えば魔石そのものについても、その正体はいまだ不明なまま。要するに正体不明の物質を使って発電の実証実験をやろうとしているのだ。
もっとも正体が不明であっても性質は調べれば分かる。そして性質が分かればそれを利用することは可能だ。実際そうやって人類は光や電気を利用している。ただ今後魔石の正体が判明することはあるのだろうか。秋斗は「難しいだろうなぁ」と思った。何しろ相手はファンタジーの権化。科学が通用しなくても彼は驚かない。
「……ところで実証実験のことだけど。まさか魔石だけで発電するのか?」
「まさか。そもそもそんなに量がないだろ。石炭メインで、そこに混ぜるって話だ。5%から始めて、めざせ30%オーバーってところらしいぞ」
「なるほどね」
夢のある話だな、と秋斗は思った。可能か不可能かという話なら、多分できるんじゃないだろうかと秋斗は思っている。だが実際に石炭の30%強を魔石に置き換えて商用発電というのは難しいだろう。
それに秋斗としてはこの実証実験、実はモンスター対策という側面もあるんじゃないかと感じている。どういうことかというと、まず前提として現在魔石にそれなりの価値があるのは、端的に言ってAMBを調達するためである。だが日本は国内でAMBを生産しているわけではない。
それなのに海運が麻痺したらどうか。国内では魔石がだぶつくことになる。価値は急落するだろう。だがそれではモンスター・ハンターたちの士気が下がる。彼らがモンスターを退治しなくなると被害が増えるだろう。そこで魔石の価値を維持するために新たな需要を作り出すべく、発電の実証実験が行われると言うわけだ。
もっとも実際に海運が麻痺したらそんな呑気なことは言っていられないだろう。政府だって空路でもなんでも使ってAMBを調達するはずだ。それに現在の魔石の買い取り価格で発電なんてしたらコストがエラいことになる。少なくとも現状では実証実験がせいぜいだろう。
(だけど発電にも使えるという事実は、結構インパクトがデカい)
炉だって既存のモノが使えるかも知れないのだ。市場は反応を見せるのではないだろうか。経済は期待感で動くところがある。それで魔石の買い取り価格が上がれば、モンスター・ハンターたちの士気も上がるだろう。だからモンスター対策、というわけだ。
加えて、エネルギー資源調達の現場では、日本は足下を見られることが多いという。その分野の資源をほとんど産出しないからだ。だが実証実験がうまくいけば、日本は魔石というエネルギー資源を手に入れることになる。
それがエネルギー資源調達コストの低下に繋がり、発電コストの低下に繋がり、電気代の低下に繋がれば、最終的には政権支持率の上昇に繋がる。そんなふうに考えている人間がいるのではないか、というのはさすがにうがち過ぎか。だが何にしても「色んな思惑が絡んでいるんだろうなぁ」と秋斗は思った。
「……それにしても、ミッチーはどこでこんな話を仕入れてくるんだ?」
「先輩とか、いろいろ。ってか、アキもサークル入るなりしてもっと横の繋がりを作れよ」
耳の痛い指摘に、秋斗は苦笑しながら肩をすくめた。ただ誠二の方もそんなに口うるさく言うつもりはなかったようで、彼はスマホを取り出して話題を変えてこう言った。
「それよりさ、またスゲー動画見つけたぞ」
そう言って誠二は大手動画投稿サイトを開き、秋斗にある動画を再生して見せる。どうやらアメリカの動画らしい。内容としてはモンスターの討伐動画だが、そのモンスターはなかなかの巨体だった。
周囲のオブジェクトと比較してみるに、身長はおそらく3mオーバー。広い肩幅と分厚い胸板を誇る、二足歩行のモンスターだ。背中には鋭いトゲが生えていて、どことなくゴーレム的なシルエットに思えた。
動画の中でまずモンスターと戦っていたのは警察官たちだった。アメリカらしく街中でも遠慮なく発砲している。だがその攻撃は一切効いていない。AMBを使っているはずなのに、だ。やがて警察官らは蹴散らされ、警察車両も踏み潰され、投げ飛ばされ、周囲は大混乱に陥った。
そこに突如として現われたのは一人の白人男性。金髪は短く刈り込まれ、ガタイのいい身体はまるでアメフト選手のよう。彼はなんと素手でモンスターに戦いを挑んだ。彼は振り回されるモンスターの両腕を巧みに避けつつ懐へ潜り込む。そしてモンスターの腹へ強烈なパンチを叩き込んだ。
その一撃で、なんとモンスターの身体が浮いた。僅かだが、3mオーバーと思われるモンスターの巨躯が浮いたのだ。モンスターがよろけて後ずさる。男はその好機を逃さず、モンスターへ激しいラッシュを叩き込んだ。
『ォォォォォォオオオオオ!!』
雄叫びを上げながら、両腕がかすむほどの速さで、彼は連続パンチを叩き込む。そして彼はそのままモンスターを圧倒して見せたのだった。
動画は周囲の人たちが歓声を上げるところで終わった。確かに「スゲー動画」だった。秋斗も「スゲー」と思う。動画のタイトルが「SUPERMAN」になっているのも納得だ。ただそれ以上に、彼はこの動画を見て引っ掛かるモノがあった。
フェイクだ編集だ、というつもりはない。しかしこの男の戦闘能力はちょっと高すぎる気がする。秋斗だってあのモンスターと戦うなら、何か武器が欲しいところだ。それを素手で圧倒してしまった。
(まさか、同類……?)
そんな予感が頭をよぎる。とはいえそれを証明する手段はない。秋斗はちょっとモヤモヤしたが、教授が来て講義を始めたので、頭を切り替えてそちらに集中することにした。
誠二「キャンパスライフを楽しめよ、アキ。何のために大学に来たんだ?」




