川向こう2
「うむ。これくらいがちょうど良いの」
「それは、良かった……」
ご機嫌にマグカップを傾けるアリスに、秋斗はややげんなりとした様子でそう答えた。彼女が飲んでいるのは紅茶。ただし二〇個以上の角砂糖が投入されており、もはや「紅茶浸しの砂糖」と言った方が良いシロモノになっているが。
というか、飲み物がこれだけ甘いとお菓子を食べてもその甘みを感じないのではないか。ブラックコーヒーを啜りながら、秋斗はふとそんなことを考える。だが彼のそんな懸念などどこ吹く風で、アリスは美味しそうにフロランタンを頬張っている。秋斗は急に馬鹿らしくなってそれ以上考えるのを止めた。そして代わりにこう尋ねる。
「……それで、調査のほうはどうなんだ?」
リアルワールドでモンスターが出現したが、モンスターは魔素がなければ現われない。魔素の出所がアナザーワールドなら、何かしらの痕跡があるはず。アリスはその痕跡について調べていたはずなのだが、しかし彼女はスッと視線を逸らした。そしてややバツが悪そうにこう答える。
「……進展は、ない。いや、まて、菓子を下げようとするでない」
秋斗がお菓子の盛り付けられた大皿を下げようとすると、アリスはその反対側を掴んで抵抗する。十数秒の攻防のすえ、先に折れたのは秋斗だった。大皿を大事そうに確保しつつ、アリスはやや言い訳がましくこう話す。
「別に、サボっておったわけではないぞ? ちゃんと世界中を飛び回って調査した。だが本当に何の痕跡も無かったのじゃ」
「……オレがウソをついていると、そう言いたいのか?」
「いや、そうは思わぬ。恐らくじゃが、向こうへ流出する魔素の量がまだ少ないのじゃろう。つまり次元坑から流入してくる魔素のほうが圧倒的に多くて、出ていく分の変化が分からん訳じゃ」
マドレーヌを食べながら、アリスは自分の推測をそう語った。彼女の言っていることは分からないではない。例えば雨漏りは、家の中からならはっきり分かるが、家の外からではどこが漏っているかはなかなか分からないモノだ。穴が空いていればはっきり分かるだろうが、その段階になってしまえばもう雨漏りでは済まないだろう。
(アリスを……)
アリスをリアルワールドへ連れて行ければ、あるいはもっと精度の高い調査ができるのかも知れない。秋斗はふとそう考えたが、すぐに内心で首を横に振る。その選択肢はあまりにもリスキーだ。
秋斗個人としては、アリスのことは信用している。今更、彼女の方から敵対的な関係になることはないだろう。だがその一方で彼女がモンスターである事実は変わらない。しかも極めて強力なモンスターだ。それをリアルワールドに連れ込んで良いものなのか、秋斗の中では躊躇いが大きい。
(ま、それにちゃんと調査できるかも分からないしな)
秋斗は心の中でそう呟いた。アリスは先ほど「世界中を飛び回って調査した」と言っていた。リアルワールドで同じ事をされたら大騒ぎになるだろう。
それに連れて行ったとして、彼女の活動の拠点となるのは秋斗のアパートだ。「金髪の外人と同棲している」なんていう噂は、あの田舎ではすぐに広まるだろう。彼は肩をすくめて「時期尚早」と結論した。
「……じゃあ、アリスはなにしに来たんだ?」
秋斗がそう尋ねたのも当然だろう。調査の進展の報告が用件でないなら、他の用事があってしかるべき。だがアリスは大げさに嘆いて見せてこう言った。
「おお、何という言い草じゃ。我はこんなにも身を粉にして働いておるというのに! お主には勤労に感謝しようという気はないのか?」
「つまり、茶と菓子をたかりに来た、と?」
「うむ。いい加減、成果がなくて飽きたのでな。小休止じゃ」
「……まあ、良いけどさ。太るぞ」
「ふふん、では太るまで貢ぐが良いぞ」
太らない自信があるのだろう。不敵に笑ってそう答え、アリスは二杯目の紅茶を用意し始めた。それを見ながら秋斗はふと「モンスターって太るのか?」と考える。そしてまたしても紅茶に大量の角砂糖を投入しているアリスへ、「太れ!」と念じておいた。
「……アリスが糖尿病になるのは自業自得だから良いとして、だ。幾つか聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「我は糖尿病になどならぬが、話は聞こう。それで、何を聞きたいのじゃ?」
秋斗はまず、リアルワールドにおいてモンスターによる被害が大きくなっていることを話した。そして今後さらにその被害が拡大するだろうという予測を話すと、アリスも頷いてそれを肯定する。その上で、彼はさらにこう話した。
「モンスターには、銃が効かないみたいなんだ。銃だけじゃなくて、弓とか、いわゆる射撃武器全般の効きが悪いみたいなんだけど、その理由って分かるか?」
「簡単じゃな。魔力が通っておらぬ。それが理由じゃ」
アリスは端的にそう答えた。ただ秋斗にとっては分かるようで分からない答えだ。彼がいまいち理解できていないのを見て取ると、アリスはさらにこう説明を重ねた。
「知っての通り、モンスターというのは本質的に魔素の塊じゃ。そしてそれ故に、力場とでも言うべきモノを身に纏っておる。僅かであっても魔力の通った攻撃であれば、その力場を突破できる。まあ、モンスター本体の防御力もあるから、ダメージが入るかは別問題じゃがな」
一方で魔力の通っていない攻撃だと、その力場を突破することが非常に困難になる。もちろん一定以上の衝撃を加えれば、その力場を破ることは可能だ。だがそれは、非常に割に合わない攻撃になってしまう。
「魔力自体は、全ての生命体が持っている。だがお主の世界には、もともと魔素は無かったと聞く。であれば、モンスターと対峙した者たちの魔力は最小値であったはず。直接手に持つなりすれば、僅かであってもそこへ魔力が通う。だが手から離れればすぐに霧散してしまう。それが、射撃武器が効かぬ理由じゃ」
「オレは弓でモンスターを倒しているぞ?」
「お主はすでにそれなりの魔力を持っておる。手から離れても、すぐに魔力が霧散してしまうと言うことはない」
アリスがそう説明すると、秋斗は「なるほど」と言って納得した。アリスは大皿の上の菓子に手を伸ばしつつ、さらにこう説明を加えた。
「ああ、それから、恐らくは魔素の濃度も関係しておるのじゃろうな。こちらは魔素の濃度が高い。だから込められた魔力がすぐに霧散することはない。だがお主の世界は魔素の濃度が低い。だからすぐに霧散してしまうのじゃろう」
「そっか……。じゃあその上で聞きたいんだけど、射撃武器でモンスターを倒すにはどうしたらいい?」
「一番堅実で確実なのはレベル上げじゃな。保有する魔力量が多くなれば、自然と射撃武器も効くようになる。お主のようにの。意図的に魔力を込めるという手もあるが、それをするためにもある程度の魔力はなければならぬからの」
それを聞いて秋斗は顔を険しくした。アリスが言っていることは正論だ。本来であればそういう手順を踏むべきなのだろう。だがそのためには、皮肉にもモンスターの数が足りない。十分な数のモンスターが出現すれば、被害と混乱は今の比ではないだろう。それでは意味がないのだ。それで彼はさらにこう尋ねた。
「もうちょっとこう、お手軽な方法ってない?」
「あるぞ。要するに魔力の有無が問題なのじゃ。なら武器それ自体が魔力を持っておれば良い。つまり魔力を付加するか、もともと魔力を持っている素材で武器を作るのじゃ」
まあこれは射撃武器に限らぬがな、とアリスは付け加えた。だが秋斗の表情は険しいままだ。魔力を付加すると言っても、それができる人材が向こうにはいない。秋斗や勲ならできるかもしれないが、二人が表に出るのはまだまずい。少なくとも秋斗はそう思っている。なら可能性があるのは素材だけ。彼はさらにこう尋ねた。
「魔力を持つ素材って、具体的には?」
「最も一般的なのはモンスターがドロップした素材じゃな。データベースによれば、モンスターの骨や牙を使って鏃を作っていたという。あとは、魔力をもつ金属を加工するという手もある。ミスリルなんかじゃな。ただまあ、正直この世界はこの有様だから、こちらで手に入れた素材さえ使えば、何を使ったとしても最低限の効果はあるのではないかの」
アリスはやや苦笑気味にそう話した。事実上「何でも良い」と言っているわけだが、それはアナザーワールドでの話。リアルワールドで手に入る素材でなければ、向こうでは意味がない。秋斗は何かないかと頭を捻る。思いついたのは一つだけだった。
「……魔石、って使えるかな?」
「魔石か。ふむ、使えないことはない。いや、効果だけを考えるなら、優秀な素材と言って良いな。割るなり削るなりして、鏃や穂先を作れば良かろう。ただ、ちともったいない気もするがの」
「もったいない、っていうのは?」
「使い方があまりにも原始的じゃ。魔石には用途がいろいろとあるからの」
「良いんだよ、原始的で。設備が必要なくて、人を選ばないってことだ」
秋斗は笑みを浮かべながらそう答えた。「特別な設備が必要なくて、人を選ばない」というのは、今のリアルワールドにとって大きなメリットだ。魔石さえあれば、その後は手札が一枚増えるのだから。そして魔石が有効であることが分かれば、また別のアイディアも出てくるだろう。
(まずは鏃だな)
秋斗は内心でそう呟く。弓はともかくクロスボウのような形なら、割と簡単に実戦投入できるはずだ。そして射撃武器がモンスターに対して有効になれば、現在の混乱も徐々に収まっていくだろう。秋斗は未来への希望を持つことができた。
(でもまあ、やっぱり最後は銃なんだろうけど)
魔石を弾頭に加工するのはやっぱり難しいのだろうか。そこはメーカーに頑張ってもらいたい。特に軍需産業みたいな業界は、ここで対応できなければその存在意義を失うと言っても過言ではあるまい。
だから頑張れ、と秋斗は無責任にエールを送った。
秋斗「太れ!」
アリス「聞こえておるぞ」




