夢の国からの帰還
「んんんっ! それはそうと、お主には今回の褒美を与えねばならぬの」
秋斗のファーストキスを奪ったあと、アリスは強引に話題を変えてそう言った。秋斗もそっと顔を覆っていた両手をどける。多少ましになったとはいえ、秋斗もアリスも顔はまだ赤い。だが二人ともそこには触れなかった。
「……褒美?」
「うむ。ほれ、我、モンスターじゃし。モンスターらしいこともしておかねばな。……ほれ、受け取るが良い」
そう言ってアリスが空中で指をクルリと回すと、白い光の粒子が寄り集まり、そしてあのルービックキューブのような宝箱が生まれた。色はなんと銀色だ。差し出されたそれを、秋斗は少し戸惑ってから受け取った。
「……いいのか?」
「かまわん。……しかし残念じゃったの。我を討っておれば、銀ではなく金であったろうに」
「損して得とれ、ってヤツさ。いろいろと話を聞けたから、オレとしてはそれで十分だよ」
[キスもしてもらえたしな。ファーストで、しかもディープなやつ]
(だまらっしゃい)
「ほほう、そんなにキスが嬉しかったのかえ?」
(ほらぁ)
秋斗は内心で情けない声を上げた。シキは何も答えない。迂闊なことを言えば、またアリスに聞かれてしまう。シキは内緒話ができないので、黙るしかなかったのだ。
幸いというか、アリスはこの件を深く追求しなかった。もっとも全てを見透かしたようにニヤニヤと笑っていて、秋斗は非常に居心地が悪かったが。
「……さて、と。我はそろそろ行くとしよう。また会える日を楽しみにしているぞ。それと次はシロップが足りなくならぬようにな!」
最後にそう秋斗に言いつけて、アリスは背中に純白の翼を顕現させて飛び立った。彼女は勢いよく上昇し、すぐに城の尖塔よりも高い位置に到達する。そして二度三度と翼を羽ばたかせてから水平方向へ一気に加速する。彼女の姿はすぐに見えなくなった。その姿を見送ってから、シキが秋斗にこう尋ねる。
[……それで、アキはどうする?]
「今回はここまで。切り上げよ」
[いいのか? このエリアはまだほとんど探索していないぞ]
「なんか、もうお腹いっぱい、って感じだよ。それに、ここでやるべき事はやったと思うし」
[まあ、そうだな。アリス女史の協力を得られたことはどんなマジックアイテムにも勝る。アキは加護までもらったことだしな]
「シキはあれだな、次までに内緒話ができるようにしておかないと」
[プールしてあるリソースを使って良いのなら]
シキがしれっとそう答える。秋斗は「保留で」と答えた。いま内緒話ができるようになっても、それを確認できないからだ。そして肩をすくめながらダイブアウトを宣言する。次はシロップじゃなくて角砂糖にしようと思いながら。
「……ふう、なんだかまだ夢の国にいるみたいだな」
アナザーワールドから戻ってきて、秋斗は自分が泊まるホテルの一室を見渡し、そう呟いた。夢の国とがっちり業務提携しているホテルの一室は、まさに夢の国の延長と言っていい。ただアナザーワールドから戻ってきた後だと、少々くどいというか、やり過ぎているようにも感じる。まあ他のお客さんはこれくらいの方が嬉しいのだろう。
秋斗は小さく苦笑して、それからスーツケースを開けた。下着を取り出してシャワールームへ向かう。暖かいお湯を頭から浴び、汗と埃を落としてさっぱりしてから、彼はベッドに潜り込んだ。横になって目を閉じ、アリスの話をぼんやりと思い出す。そうしているうちに、彼はすぐに眠りに落ちた。
翌朝、秋斗はいつもとほぼ同じ時刻に目を覚ました。顔を洗い、テレビをつけてぼんやりとする。天気予報によれば「雲の多い一日になる」とのこと。非日常を詰め込んだようなホテルの一室で天気予報を見ている自分が、秋斗はなんだかおかしかった。
目を覚ましてから少しすると、お腹がすいてきたので秋斗は朝食へ向かった。夢の国と業務提携しているだけあって、ホテルの朝食はひと味もふた味も違う。秋斗はその雰囲気も楽しみながら舌鼓を打った。そんな彼にシキがこう話しかける。
[ところでアキ。アリス女史の話だが、勲氏にも伝えるのか?]
(う~ん、どうしよっか……)
コーンポタージュを飲みながら、秋斗は内心で首をひねる。そしてさらにこう言葉を続けた。
(確かにいろいろ情報量は多かったけどさ、結局肝心なこと、つまりなんでオレらがアナザーワールドへ呼ばれたのかって部分は、分からずじまいだろ?)
[まあ、確かにそうだったな]
(勲さんが知りたい事って言うとさ、やっぱり呼ばれた理由とか、今後こっちでモンスターが現われるのか現われないのかとか、そういう事だと思うんだよ)
[奏嬢はもう意識が戻っているからな。確かに勲氏としては、アナザーワールドの謎よりリアルワールドへの影響の方が気になるだろう]
(だろ? で、そんな勲さんにアリスの話を伝えても仕方がないと思うんだよ。聞けば色々と考える事はあるかも知れないけど、確認も検証もできないわけだし。まあ、ある意味では面白がってくれるかもしれないけど)
[ふむ。では聞きたいことが聞けるまでもう少し話さないでおく、ということか?]
(それで良いんじゃないかなぁ)
どこか自信なさげに、秋斗はそう答えた。正直に言えば、何が正解なのか、彼には分からない。そこには彼の人生背景などが関わってくる。要するに彼は信頼関係とか、そういうモノに戸惑っているのだ。
今回のケースで言えば、勲は当然、アリスの話に興味があるだろう。秋斗が話を切り出せば、強く関心を示したはずだ。その内容が自分の最大の関心事でなかったとしても、アナザーワールドに関する情報ならなんでも欲しい。彼の立場ならそう思って当然だし、秋斗がその立場だったとしてもそう思うだろう。だがどうやら秋斗はそこまで考えが及んでいないようだった。
まあ、それはそれとして。秋斗が朝食を食べていると、そこへ勲と奏も姿を現わした。そして三人揃って朝食を食べた。秋斗は一足先に食べ終わってしまったが、二人に付き合ってその場に残る。話をするのは主に奏で、彼女は朝から興奮した様子だった。
「ホテルのお部屋、凄いですよね! まだドリームランドにいるみたいでした!」
奏はそう言って、部屋の様子を収めた写真を見せてくれた。こちらもやり過ぎなくらいに夢の国仕様である。秋斗がそっと勲の方へ視線を向けると、彼はちょっと苦笑していた。孫娘がこれだけ喜んでいるのだから、彼に不満はないだろう。だがやはり彼の趣味からは大きく外れているようだった。
「昨日は動画サイトからテーマソングを探して流して見たんです。もう雰囲気がすっごく良くて、映画の中にいるみたいでした」
奏がうっとりしながらそう語る。秋斗は、動画サイトを開いている時点でいろいろ台無しでは無いだろうかと思ったが、それは口には出さない。なんにしても、天気予報で現実に引き戻された彼とは大違いである。
「秋斗さんのお部屋はどうでしたか?」
「コレよりかはおとなしめだったよ」
秋斗はそう答えたが、奏が「見たい」というので、朝食の後で彼の部屋へ行くことになった。その話が決まったところで秋斗は席を立つ。一足先に部屋へ戻って荷物を片付けておくためだ。ベッドメイクくらいしておかなければ、せっかくの夢の国仕様が台無しだろう。
秋斗が部屋に戻ってから二〇分ほどで奏と勲が訪ねてきた。中へ招き入れると、奏はさっそく目を輝かせながらあちこちへ視線を向ける。どうでもいいが、シングルルームに三人はいるとちょっと手狭だ。
「ああ、コッチも良いなぁ。ベッドが天蓋付きだったらなおさら……」
そんなことを呟きながら、奏はスマホで写真を撮っていく。ちなみに秋斗は内心で「天蓋付きのベッドは止めてくれ」と懇願していた。そして秋斗の部屋の見学を終えると、三人は次にホテルの中を見物して回る。奏は行く先々で写真を撮っていた。
「そろそろチェックアウトしないと」
勲がそう言ったところでホテルの見物は終わった。奏はまだまだ物足りない様子だったが、彼の言うことには素直に従う。三人はそれぞれ一度部屋に戻り、荷物を持ってロビーに集まった。
勲がチェックアウトの手続きをしている間、秋斗と奏はソファーに座って彼を待つ。急ぐ理由もないので、彼らは飲み物を注文した。ちなみに三人分。そして飲み物が運ばれてくると、やおら奏は秋斗へ頭を下げてこう言った。
「秋斗さん。今回はお付き合いいただき、本当にありがとうございました」
「いいよ。オレも楽しかったし。後で勲さんにもお礼を言わないと」
秋斗がそう答えると、奏は頭を上げてはにかんだ。秋斗は「これで乙女のプライドは回復できるかな」と思ったが、賢明にもそれは口に出さない。その代わりに注文したグレープジュースを一口啜った。
チェックアウトの手続きを終えた勲が合流し、注文した飲み物で一服してから、三人はホテルを後にする。そして車で佐伯邸へ向かった。途中、ファミレスで早めの昼食を食べ、家に帰ってきたのはお昼過ぎ。それから少し休んで、秋斗はバイクにまたがった。
「それじゃあ、ありがとうございました」
「うむ。大学は東京なのだろう? こっちに来たら、また遊びに来てくれ」
「秋斗さん、ありがとうございました。楽しかったです」
最後にそう言葉を交わして、秋斗はバイクを発進させた。自宅アパートに到着したのはその日の夕方で、秋斗は荷物の整理をしてから彼は夕食の支度に取りかかる。ただし手を抜いて、この日の夕食はおかゆにした。白いおかゆに塩昆布をのせただけの写真を紗希に送ったら、「手抜き過ぎ!」とプンスコしているスタンプが付いた。
昆布茶のきいたおかゆを食べながら、秋斗はぼんやりとテレビを見る。こうしていると帰ってきたという気がする。同時にドリームランドで遊んだことが、本当に夢だったようにも思えた。
だが次の瞬間、彼はまるで殴られたような衝撃を覚えた。きっかけはテレビで流れたニュースである。中国で正体不明の“動物”が人間を襲った、という。放送された監視カメラのものという映像はあまり鮮明ではなかったが、それでも真っ黒な“動物”の赤々とした目ははっきりと映っていた。
「シキ、これって……」
[うむ。モンスター、に見えるな]
秋斗は食い入る様にテレビを見つめる。映像自体はほんの一、二秒。真っ黒な“動物”が一人の男の後を追っていく。その後、追われていた男が登場し、「木の棒で殴ったら化け物は逃げた」と証言した。
スタジオではコメンテーターらが“動物”の正体についていろいろと話している。だがそのどれも正解とはほど遠い。当たり前だ。アレはモンスター。彼らはモンスターの存在を知らないのだから。魔石が出てないので確証はないが、ほぼ間違いないと秋斗は確信している。
「ついに地上波か……。やっぱり徐々に浸食されている感じだなぁ」
そう呟きながら、秋斗は勲にメッセージを送る。彼の口調に滲む危機感は薄い。だがここから、いやあるいはもっと前から、彼の言う“浸食”の影響は拡大していくことになる。この時の秋斗はそのことをまだ知るよしも無かった。
勲「天蓋付きベッド……。要検討だな」




