ノーマンズワンダーランド2
「アリス、どうした!? 何があった!?」
秋斗の問いかけを無視してアリスが踏み込む。彼女は大鎌を振りかぶり、銀色の刃をきらめかせて秋斗に肉薄した。振り下ろされるのは凶刃。秋斗はあえて踏み込み、刃の内側で大鎌の柄を受け止めた。
重い手応えに一瞬息が詰まる。押し込もうとするアリスに対し、秋斗は踏ん張って対抗した。そして二人は至近距離で顔を突き合せる。ベールを被っているとは言え、この距離になればお互いの顔はよく見える。アリスは冷たい表情をしていた。
「アリス!」
「お前は我に問うたな! 『お前はモンスターなのか?』と!」
秋斗に答えたわけではないのだろう。少なくとも彼はそう感じた。そしてやはりその通り、彼女は一方的にまくし立てる。
「その通りじゃ! 我はモンスター! この世界にはびこるまつろわぬ者どもと同じ! 生命でなければ『そうあれかし』と願われた存在でもない! 偶然に生まれた、ただの現象! 期待されず、託されもせず、むしろ計画の妨げになるイレギュラー! それが我だ!」
アリスは叫びながら大鎌を振り回す。鋭く銀色の軌跡を描くそれを、秋斗は六角棒で弾きながら距離を取る。大鎌の間合いから逃れた彼を、アリスは追わなかった。むしろ両手をだらりと下げ、天井を見上げながらこう呟く。
「目覚めた時、いやこの世界が滅んでしまったと知ったとき、それでも自分には何かできることがあるはずだと思った。そうであろう、目覚めたのじゃぞ。その目覚めが無意味であったなどと、どうしてそんなことを考えられる?」
「アリス、話を……!」
「探したさ。想いの欠片を! 託された願いを! 輝かしくあるべき未来を! だがなにも残ってはいなかった。そうなにも! ……あったのは残酷な事実だけ。歯車にすらなれなかったモノはどうすればいい!?」
アリスが視線を秋斗に向ける。彼女は泣いていた。そして泣いたまま、いや泣いていることにすら気付かぬ様子で、さらにこう続ける。
「……間に合わなかったことなど最初から分かっている。それでも目覚めたのだ。例え代替品の祝福でも、それを求めてくれるなら我は惜しみなく与えただろう。だがそれはもう必要とされてはいなかった! ならば運命よ、なぜ我を目覚めさせた!?」
アリスの慟哭が響く。ベールの奥の赤い目が激情で歪んだ。彼女は両腕を広げてさらにこう叫ぶ。
「ああ、そうだ運命! 汝は我の上を通り過ぎた! 見向きもせずに! 全ては我の手の届かないところで計画され、実行され、そして完遂された! 人々は勝手に救われ、そして我は取り残された。この箍の外れた世界に! まるでゴミのように! はは、ははっはっはっははぁぁあ!」
アリスは哄笑を上げる。彼女の狂った笑い声が謁見の間に響いた。彼女が何を言っているのか、秋斗に分からない。だが彼女のやり場のない思いだけは、何となく伝わった。
「この力は何じゃ? なぜ今になってこんなモノがこの身に宿る? 『そうあれかし』と願われたその時にこそ必要であったはずのこの力が! 願いもなく、使命もなく、そもそも考慮にすら入っていない者に、どうして今更こんな力を与えるのじゃ!? 『何もしてはならぬ』と、そう言っておきながら!」
「アリス、だから話を……!」
「哀れんだつもりか!? 目覚めることもできなかった我は、さぞかし滑稽な存在だったろう! その我にほどこしでも与えたつもりか!? だとすれば運命よ、汝は残酷だ。これでは嘲笑と変わらぬであろうがっ!」
そう叫んで、アリスは再び秋斗に斬りかかった。大鎌を振り回し、でたらめに彼を追い回す。秋斗は六角棒でそれを防いだり弾いたりしながら動き回った。アリスの振るう大鎌の一撃は鋭く、また重い。正直に言って、なかなか反撃の糸口が見つからない。
(いや、そもそも反撃していいのか、これ……!?)
アリスの攻撃を何とか捌きつつ、秋斗は内心でそう首をかしげる。彼女がモンスターであることは分かった。しかし同時に、名前を持ち話が通じる相手でもある。一度お茶をした間柄でもあるし、何より今の彼女は様子がおかしい。
それなのにただモンスターであるというだけでアリスを倒してしまって良いものか。秋斗はどうしても躊躇いを覚える。できる事なら話が聞きたい。秋斗としてはそう思うのだが、先ほどからアリスは彼の言葉に聞く耳を持たない。それどころか、彼女の攻撃は苛烈さを増すばかりだ。
「ちっ……!」
大鎌を弾いたら手がしびれ、秋斗は顔をしかめた。腕に力が入らない。続く横薙ぎの一撃を、彼はバックステップで避けた。だがその彼に向かって、アリスは左手を向ける。そして彼の顔面目掛けて、白く輝く魔力弾を放った。
「ぐっ……!」
秋斗は反射的に両腕を顔の前で交差させる。何とかガードは間に合った。だが踏ん張りが利かない。彼はそのまま後ろへ吹っ飛ばされた。跳ねるようにして起き上がった秋斗へ、アリスは大鎌を突きつける。相変わらず、ベールのせいで表情はよく見えない。そして彼女はこう叫んだ。
「もう十分じゃ! さあ、我を殺せ! そなたがこれまでしてきたように、モンスターを倒して己の糧とせよ! 我が残す魔石はさぞかし美しいであろうよ!」
アリスがそう言うのを聞いたとき、秋斗は頭の中で何かがキレた気がした。こちらの話を聞かず、勝手に語るだけ語って、その挙句に「殺せ」という。何かあって落ち込んでいたのだろうが、ずいぶんと身勝手ではないか。
(人をストレスのはけ口にしておいて……! しばき倒す! 絶対殺してやらん!)
秋斗はそう決めた。そして身体強化を発動する。姿勢を低くして踏み込み、一瞬で間合いを詰める。彼が突き出した六角棒の一撃を、アリスは軽やかに回避した。「殺せ」と言っておいて、矛盾する行動だ。だがそれを見て秋斗は小さく笑った。アリスの本心は決して「死にたい」ではない。
秋斗はさらに踏み込んで六角棒を連続で突く。身体強化を駆使しての突きだ。残像が見えるくらいに速い。だがアリスはその全てをステップを踏みながらかわしていく。黒いドレスの裾は少しも乱れず、彼女の技量の高さが窺える。秋斗は内心でちょっと焦った。
「ふっ!」
鋭く呼気を吐きながら、秋斗は六角棒でアリスの足下を払う。彼女は大きく跳躍してそれを避けた。彼女は高い天井の近くまで飛び上がり、空中で身体をひねって体勢を変える。そして大鎌を構え、柱を蹴って秋斗に襲いかかった。
アリスが振り下ろす大鎌の一撃を、秋斗はバックステップで回避した。鋭い大鎌は謁見の間の床を貫いている。アリスが大鎌を持ち上げると、敷き詰められていた石畳が一枚、刃に貫かれた状態で持ち上がる。彼女は大鎌を横に振るい、その石畳を秋斗目掛けて放った。
飛んでくる石畳を、秋斗は余裕をもって回避する。だがそれは狙いが大雑把だったからで、アリスとの戦闘に余裕はない。彼は立ち並ぶ柱を利用しながら動き回る。一方でアリスは動かない。だが彼女は秋斗の動きを全て把握している。少なくとも彼にはそう感じられた。
動きつつ、アリスの死角に入ったところで、秋斗は魔石に思念を込める。そして準備が整うと、一気にアリスとの間合いを詰めた。アリスが彼の方を振り返る。彼女と自分を結ぶ直線上に、秋斗は魔石を放り投げた。雷魔法が発動し、放電音が響く。紫電のきらめきが、暗い謁見の間を一瞬だけ明るく照らした。
「っち」
アリスが舌打ちをもらす。そして紫電は無視して大鎌を振るう。そして秋斗が振り下ろした六角棒の一撃を防いだ。雷魔法は目くらましである。最初から効くとは思っていない。アリスの探知能力をそちらに集中させ、その隙を突く作戦だったのだが、あっさりと対応されてしまった。秋斗が顔を険しくすると、アリスがこう呟いた。
「ずいぶんと、原始的な魔法の使い方をする」
アリスの表情は相変わらずベールに隠れて見えない。だがその声は少しだけ楽しそうに聞こえた。もしかしたら呆れただけなのかもしれないが、彼女の感情を引き出せたことは成果と言っていい。まったく狙ったものではないが。
「独学なんだ。良ければ高度な魔法の使い方というヤツを教えてくれないか」
「何を持って高度とするかは、どんな使い方をしたいのかによって異なる。学者ならば美しい理論こそが“高度”であるというじゃろうな。それで、おぬしは何を持って高度とする?」
「実用性」
「ならば見て盗め。我はお前の教師ではない」
そう言ってアリスは魔法中心の戦い方に切り替えた。彼女が放つ白い魔力弾を、秋斗は懸命に足を動かして避ける。アリスの攻撃は苛烈だ。だが秋斗の口元には小さく笑みが浮かんでいた。
(「殺せ」と言っておいて「見て盗め」か。やっぱり死にたくなんかないんじゃないか)
[餞別のつもりかもしれないぞ]
シキの指摘に苦笑しつつ、秋斗はアリスの魔法の使い方を観察する。魔法陣がなければ、詠唱もない。一体どこにヒントがあるのかと途方に暮れそうになったが、逃げ回っているうちに彼はあることに気付いた。
魔法を使う直前、アリスの手元に魔力のようなものが周囲から集まっているのだ。アレは恐らく魔素だろう。見えるわけではない。だが何となく分かる。ということはアリスが分かるようにやっているのだろう。
(要するに魔素を集めて、それを魔石代わりにしているのか。スマートだな)
だが何もなしに魔素を集められるわけではないだろう。手品にはタネがあるものだ。そのタネを秋斗は自身の魔力ではないかと考えた。つまり魔力を呼び水にして魔素を集めるのだ。仮説は立てた。後は実験だ。
アリスの放つ魔法から逃げ回りつつ、秋斗はゆっくりと魔力を放出する。そこに「魔素を集めろ、呼び込め」と念を込めながら。すると徐々に魔素が集まってくる。ロア・ダイト製の六角棒の周囲に。
魔力を放出していたのは右手からで、そして右手には六角棒を握っていた。だが魔素が六角棒の周囲に集まるのは、恐らく素材のせいだろう。偶然ではあるが、触媒的な役割を果たしているのだ。秋斗はこの際、それを利用することにした。
(武技も魔法も、変わんねぇだろ!)
心の中でそう叫び、秋斗はアリスに対して間合いを詰める。迎撃に白い魔力弾が放たれるが、秋斗はそれを最小限の動きでかわした。いや、かわしきれてはいないが、彼の動きは止まらない。そして彼は走りながら六角棒を突き出す。すると魔素が散弾状になって放たれた。
ベールに隠れてアリスの表情は分からない。ただ秋斗には彼女が少し焦ったように見えた。だが彼女は危なげなく大鎌で散弾を弾く。しかしそれは囮だ。散弾の後ろから、秋斗は強引に六角棒をねじ込んだ。
アリスが上体を反らせて六角棒を回避する。だが完全には回避しきれず、六角棒はベールを一枚剥ぎ取った。露わになった彼女の顔には驚愕が浮かんでいる。秋斗はそのままバランスを崩した彼女の足を払った。
受け身も取らず、アリスはその場に倒れる。そしてもう戦う気はないと言わんばかりに全身の力を抜いた。そしてこう呟く。
「さあ、殺せ」
「イヤだよ。殺したら膝枕してもらえないじゃないか」
肩をすくめて秋斗がそう答える。するとアリスは目を丸くし、それから「呆れたヤツじゃ」と呟いて大笑いする。彼女の笑い声が、生き生きと響いた。
シキ「言うに事欠いて膝枕……」
秋斗「い、いいだろ。結果オーライです」




