渇望する空間魔法
――エクレル邸・地下練習場
エクレル先生が見守る中、俺は木刀を握り締めてフォレと対峙していた。
木刀を両手にしっかりと握り、フォレに打ち掛かる。
フォレはそれを片手で握った木刀で受け流しかと思うと、手を返し、逆に打ち据えてきた。
俺は剣を横に寝かせてフォレの強烈な一撃を受け止める。
その際、少しでも衝撃が逃げていくように、木刀が合わさる瞬間、僅かに後ろに引き、力の逃げ道を作った。
衝撃が緩んだところで木刀を斜めに傾けて、フォレの木刀を受け流す。
フォレは後ろに下がり、木刀を腰に収めた。
「お見事です」
「ぜぇぜぇ、どういたしまして。フォレさん、めっちゃ余裕ですね。お、俺、全然強くなった気がしない、はぁはぁ」
「いえいえ、確実に腕は上がってますよ。今ならピクル程度なら問題なく相手できるでしょう」
「はぁはぁ、そうはとても思えない。てゆーか、お前強すぎだろ。追いつける気がしない」
「ははは、私の方が剣歴が長いですからね。そう簡単に追いつかれてしまっては、立つ瀬がありませんよ。しかし、ヤツハさんは変わった戦い方をしますね」
「へ、そう?」
「力を受け流すことは私や他の剣士の方々も行いますが、ヤツハさんは力を完全にゼロにしようとする節があります。このような戦い方は初めて経験します」
「そう、なの?」
「武術の訓練の時も相手の力を利用しようとしたり、体重差を生かした体裁きを行っています。まるで、力や体格で劣る者が勝る者を相手に戦う武術のようで、不思議です」
「ふ~ん、不思議と言われてもなぁ」
頭をポリポリと掻きながら、指摘されたことを誤魔化す。
誤魔化すということは、心当たりがあるからだ。
たぶん、体育の授業の格技(武道)の時間で習った柔道を体が覚えていたからだと思う。
ほとんどが受け身のとり方の授業だったけど、それでも投げ技や掛け技の練習は行っている。
そこにお地蔵様の贈り物である身体機能の向上が合わさり、手習い程度の護身術が戦う上での有用な武器へと変化した。
まさか、体育の授業が戦いの役に立つとは……世の中、何が役立つかわからないね。
ただ、記憶のない少女に何故そんなことができるのか、という点では、奇妙に思われる原因となっている。
案の定、フォレは訝し気な視線を俺に向けている。
でも、以前ほどの厳しい視線じゃない。
彼からこのような視線を受けるたびに思うことがある。
フォレはとても良い奴で素直な奴なんだけど、何故か疑い深い。
何か、過去にあったのだろうか?
気がつくと、フォレの視線にエクレル先生の視線も混じっていた。
だけど、彼女の視線は疑いというよりも、少し悲し気なもの。
「先生、どうかした?」
「いえ、フォレちゃんの言うとおり、私が教えたわけでもないの魔法においても力を完璧なまでに制御しようとする節があるわね。制御のセンスは良いのだけど、精神がそれに追いついていないのがもったいなくて」
魔法については柔道の経験とは関係ないが、先生の指摘通り、力を完璧な制御化に置きたいと考えている。
俺は精神と体の不一致のため、魔力の制御が甘い。
だから、そこを重点的に練習しているつもりだ。
たとえば、先生との練習を通して魔力の流れを感じ取り、緩和・相殺を試みてみたり、自分の部屋でろうそくを何本も並べて同時につけてみたりと。
しかし、操作に微妙なブレがあり、なかなかうまくできていないのが現状。
「あの、先生。先生から見て、やっぱり俺の魔法は精神と体の一致がうまくっていないの?」
「ええ、残念なことに。記憶を失っているからでしょうけど……それでいても、一流と呼べるくらいの制御力はあるわよ。だからこそ、もったいないのだけど……」
先生は小さなため息をつく。
それを聞いたフォレは疑いの視線を緩めて、代わりに同情の念を瞳に浮かべる。
幸いと言っていいのか微妙だけど、魔法における精神と体の不一致が記憶喪失の裏付けとなってしまっている。
フォレも記憶喪失という点には、すでに何ら疑いを持っていない。
しかし、記憶がない割には、妙なことを知っている俺を奇妙に見ている。
改めて、記憶喪失設定を盛ってしまったことを後悔する。
だが同時に、この設定がないと自分のことを説明しづらいというジレンマもある。
正直にこことは別の世界から来ましたというべきか……だけど、話したらどうなるかわからないから、結局話せない。
エクレル先生は腕を組んで眉を顰めている。
一体、何を思っているのだろうか?
「どうしたの、先生。そんな難しい顔して?」
「いえ、そろそろヤツハちゃんに空間魔法の初歩を教えようかと思ってたんだけど、やめておいた方がいいかなと思って」
「ええ~! なんでっ? それ、楽しみにしてたのに!」
「まぁ、そうなの?」
「うん! だって、空間魔法の花形。転送魔法を会得すれば、配達の仕事が楽になるもんっ」
「うう~ん、空間魔法の最高峰を楽したいがために会得したいなんて。使い方としては正解だけど、何と言えばいいのかしら……」
先生は顰めた眉に手を置いて首を振っている。
呆れているところ悪いけど、教えてくれない理由を聞かないと納得できないっ。
だって、空間魔法は俺にとって、いずれ必要になるものだから……。
「先生、どうして教えてくれないの? 不真面目だから!?」
「ヤツハちゃんは一見不真面目そうだけど、私たちから学ぶことにおいては真摯なのはよくわかっている。でも、そこじゃないの。今のままでは、あなたの身に危険が及ぶからよ」
「危険?」
「精神と体の不一致。空間魔法はとても制御しにくい魔法。制御力が一流ではだめなの。超一流でないと。もし、今のヤツハちゃんに空間魔法を教えれば、自身の身を危険に晒すことになるかも」
「かも? かもってことは、大丈夫かもしれないってことだよね。だったら!」
俺は先生の目をまっすぐと見つめて意思を叩きつける。
危険があるにして、一度も教えられず諦めるなんて、嫌だっ!
先生は一度目を閉じて俺の視線を遮り、何度か熟考する素振りを見せて、目を開いた。
「いいでしょう。初歩中の初歩を教えます。しかし、危険と感じたらすぐに止めますからね」
「もちろんです」
「じゃあ、フォレちゃん。後ろに下がってもらえる。暴走した場合、危険だから」
「大丈夫なんですか、先生?」
フォレは俺を心配そうに見ている。
彼は自分の身よりも、俺の身を案じてくれているみたいだ。
先生はそんな彼の心配を取り除こうと柔らかな笑みを浮かべる。
「フフ、フォレちゃん……私を誰だと思ってるの。私は国立学士館魔導学において、歴代最強と謳われた第381期首席エクレル=スキーヴァーよ。二十歳の頃には、かの最強種のドラゴンだって、単身で撃退したことあるんだから。だからヤツハちゃんのことは安心してなさいっ」
「……ふふ、そうでしたね」
先生の自信たっぷりな言葉に、フォレは小さな微笑み見せて答えた。
彼の姿を見て、先生は目元を少し緩めるが、すぐに力を入れ直して、俺の方を振りむく。
そして、そばまで近づいてきて、初めて魔法を使った時と同じように後ろに回り肩を掴む。
だけど、以前のように肩を揉むような行為はしない。
手に籠る熱と力から、先生がどこまでも本気であることが伝わってくる。
「ヤツハちゃん、私が全力でサポートするから安心してね」
「はい」
「それでは、魔力を同調して、空間魔法の入り口を開けます。さぁ、私の力を感じて。今のあなたなら、最初の頃とは違い、はっきりと私の力を感じることができるはずよ」
先生の魔力が肩に集まる。
とても清らかな流れでありながらも、宿る力は猛り狂っている。
俺は流れを受け入れ、肩から全身へと先生の力を通していく。
「そう、流れには逆らわない。力を怖がらずに、焦らずゆっくりと。では、あなたの魔力を空間魔法へ還元していきます。右手の手のひらを表に向けて、そこに透明な立方体をイメージして」
言われたとおりに手のひらを表に向ける。
すでに手のひらには力が充足しており、周囲の空気が励起状態であるかのように震えている。
先生が耳そばで、入口への案内を唱える。
「心は水面に。映る永遠の世界。触れるは扉。隔絶しせり境界の結わいと成りて、ここに新たな道を開かん」
先生の魔力と俺の魔力が溶け合い、不可思議な力が心から腕を通して、右手に集まっていく。
力が……右手から離れ……手のひらの上に、透明な立方体を…………っ!?
――バシュンッ!
形を成そうとした立方体は、いきなり閃光を放って弾け飛んだ。
空間魔法の宿っていた右手は、一見、なにも変化はない。
しかし、手には骨や皮膚、神経を切り刻む痛みが走る。
僅かに空気に触れるだけでも、痛みが天を突き、叫び声が喉奥から飛び出す。
「うぎゃぁあぁぁぁ! ぐぐぐああぁぁぁ! て、手がぁぁ。くああぁぁぁ!」
「ヤツハさん!」
「待ちなさい!!」
すぐさまフォレが駆け寄ろうするが、先生が語気強く制止する。
彼女は急いで俺の前に回り、痛みに塗れる右手を包んで、柔らかな白い魔法の光を見せた。
「途中で魔力の流れが乱れてしまったのね。いま、流れを元に戻してあげるから。そうしたら、痛みがなくなるわ」
「うう、痛みが……あれ、変な感じ。魔力というか血液の流れが正常に戻るような」
「魔力は血に沿っているからそう感じるのよ。いい、これから言うことをしっかり覚えていて」
「はい」
「空間魔法の行使により、魔力の流れによる痛みが生じた場合、決して回復魔法で痛みを和らげようとしないで。乱れた流れに新たな流れをぶつけたら、その部位が消し飛ぶから」
「は、はい、わかりました」
ごくりと唾を飲み込みつつ、返事をする。
先生が声を荒げてフォレを止めたのはそのためだった。
もし、彼が回復魔法を行使していたらと思うと、冷や汗が止まらない。
同じように、フォレも回復の魔力を宿した自身の右手を見ながら、青い顔を見せている。
先生は白い魔法の光を消して、少し後ろに下がった。
「しばらく痺れは残るけど、一晩経てば良くなるはずだから」
「そうですか……」
「魔力の乱れを戻す方法は、次の機会に教えるからね。それにしても、途中まではうまくいってた感じがしたんだけど」
「うん、右手に立方体が形成される瞬間までは、はっきりと手ごたえを感じてた。でも……」
「魔力のすべてを魔法へ変換するときに、精神と体のズレが生じたのね。だけど、初めてであそこまでできるなら、訓練次第で何とかなるかもしれない……でも、危険が伴う。どうする、ヤツハちゃん?」
「……やります。たぶん、俺に必要な魔法だから」
――空間の魔法
これは別世界へ渡るときに必要な魔法のはず。
いずれ、地球へ戻るという目標を抱いているのならば、決して避けられない道。
俺は瞬き一つせずに、先生を見つめる。
先生は静かに頷いた。その後ろではフォレが困ったような表情して立っている。
俺は目から力を抜き、表情柔らかくフォレを見つめた。
「心配してくれるんだ?」
「当然ですよ。どうして、あのような目に遭ったのに続けようと?」
「説明は難しいな。あえて言うなら、可能性を閉ざしたくない」
そう、戻れる可能性を秘めた魔法。
ならば、ぎりぎりまで諦められるはずがない。
フォレは俺のまっすぐな視線を受けて、しかめていた顔を緩めた。
「……わかります、その気持ち。私も可能性を信じて努力し続けて、今ここに立っているのですから。でも、自分のことは棚に上げても言います。あなたにあまり無茶をしてほしくない」
「ん、どうして?」
「それは、それは……友達……いえ、それ以上の……この気持ちは……なんでしょうね?」
「おい、お前の気持ちだろ。なんで、わかんないんだよ?」
フォレは首を左右に何度も捻って、ようやく答えを口にした。
「おそらく、親友……大切な友達に怪我をしてほしくないからです」
「親友か……ふふ、ありがとう。でも、俺はそんな無茶をしないぞ。自分が一番大事だから」
「ヤツハさんは口ではそう言いますが、傍から見ると危なっかしい人なんですよ」
「うっせいよ。とにかく、俺だってこんな痛いこと二度とごめんだ。ま、怪我しないように気をつけるさ」
「ふふ、そうしてください」
俺とフォレは互いに顔を向けながら、微笑み合う。
一方、先生はというと、何故か俺たちを見ながら、ニマニマとした奇妙な笑顔を見せていた。




