護るための覚悟
これは演説を行うテラスに上がる直前の話。
演説用のドレス姿でスカートを引きずり会場に向かう途中、屋敷廊下でアプフェル、パティと出会う。
二人は演説前に仕事があるらしく、その現場に向かう最中だった。
アプフェルはライカンスロープ軍の元へ。
パティは書類整理。
二人は俺のドレス姿を見て含み笑いを見せる。
「うわ、すごい格好。うぷぷ、喋らなきゃお嬢様っぽいかも」
「くふふ、黙っていればどこかの令嬢にみえますわね」
「お前らなぁ~……」
じろりと睨みつけてやる。しかし、二人はニヤニヤ顔を崩さない。
文句の一つでもいい返してやりたいところだけど、演説への緊張でそんな気も起きない。
代わりにため息とともに肩を落とす。
普段とは違い、文句も返さず意気消沈している俺に、二人は首を少し斜めに傾けた。
「大丈夫? 急にゲーコンみたいな顔して、くふ」
「ふふっ、たしかにゲーコンにそっくりですわね」
二人は俺の顔を見ながら、またもや笑い声を産む。
今度こそ文句を返してやろうと思ったが、それ以上に謎の言葉ゲーコンが気になった。
「ゲーコンってなんだよ?」
「え、知らないの? リーベンの山に住んでる、冬が大好きなでっかいカエルの魔物」
「青い顔して、目がトロンとしているところがそっくりですわね」
「さっきからお前らなぁ……二人も演説台に立てよっ。なんで俺だけ!」
「ん~、私はおじいちゃんが演説台に立つ代わりに、軍のまとめ役を任されたから無理ね」
「わたくしはフィナンシェ家と袂を分かった身ですので、遠慮させて戴いておりますわ。あの場に立つ方がおかしいというもの」
「いいなぁ~」
俺は再びがっくりと肩を落とす。
その様子を見て、二人が声を掛けてくるが……それは演説とは別の心配事。
「本当に大丈夫? 演説もだけど、今回の作戦のことも」
「ええ、たったお一人でクラプフェン様に挑むのでしょう」
「仕方ないだろ。戦力配分的にそうするしかないんだから」
戦場に六龍の内、クラプフェン、ノアゼット、バスクの三龍が出てくる。
その三人に対抗できそうな戦力は、俺を含め五人。
俺、アプフェル、パティ、ケイン、セムラさん。
戦場で対峙するとなれば、こうぶつかることになる。
巨躯を持つノアゼットには、体躯に恵まれたケインとセムラさん。
バスクの魔導には同じく魔導をぶつけ、魔導を得意とするアプフェルとパティ。
そして、余った俺がクラプフェン……。
まず、バスクだが、彼の実力は六龍の中で最も下位に属するらしい。
つまり、アプフェルとパティでも勝ちを得ることが可能と見ている。
次にノアゼット。
彼女の実力は六龍中、第二位。
強敵……しかし、ケインやセムラさんの実力があれば、勝ちは得ないが戦闘を長引かせ、うまく行けば引き分けぐらいには持っていけるかもしれない。
そして、最後に俺VSクラプフェン。
俺はクラプフェン相手に、ひたすら防御に徹し、凌ぐ役目。
全体を大雑把な流れでいうと、俺とケインとセムラさんが時間稼ぎしている間に、アプフェルとパティがバスクを倒し合流するという作戦
もちろん、無謀極まりない作戦だけど、戦力が足らないのでどうしようもない。
他の実力者は軍の指揮に必要で割けないし……。
もっとも、勝利条件は六龍を破ることじゃない。
戦争に勝つこと。
つまりは、俺たちが三龍を足止めしている間に、ティラが軍として勝利を納めてくれればいい。
普通に考えれば、これもまた無謀。
だけど、ウードの予測が当たれば、勝利の目が見えてくる。
それでも、かなり厳しい綱渡りになるが……。
さて、この作戦には重大な穴がある。
それはクラプフェンを相手にする俺。
俺一人では、到底あらがえない。
下手すれば一瞬にして決着がついてしまうかも……。
それをアプフェルとパティが心配している。
さらには、俺の隣に立つ、鬱陶しい女も……。
彼女は演説を前にして緊張に震える俺とは真逆で、気怠そうな雰囲気を纏い、心の中で言葉を発する。
(はぁ……無謀よね~)
(大枠はお前のアイデアだろうが!)
(それは私に都合がいいからよ)
(クラプフェンと俺がぶつかり合うことがか?)
ウードはねちゃりとした厭らしい笑みを産む。
彼女はこの戦いで、俺が助けを求める状況を作ろうとしている。
つまりそれは、乗っ取りへの最後の一手……。
それについて気づいているが、彼女の策を勝る作戦を俺は思いつかない。
だから、仕方なく乗るしかない。
もちろん、ウードのレールに乗りっぱなしになるつもりないけど……。
俺はウードに尋ねる。
(一つ疑問なんだが、お前がこの身体を得た場合、クラプフェンに勝てるのか?)
(もちろん)
(その根拠は?)
(あなたも私も多くを経験し、成長している。それに付随して、一つの肉体に二つの意識がこうもはっきりと表れているのに、力は衰えているどころか増している。互いに足を引っ張り合っている状態でこれだけの力が生み出せるなら……一人に統括すればどうなるかしら?)
この質問に、俺は心を閉ざし、深く考える。
元々は二つの理由で俺は魔法を巧みに扱えなかった。
一つは精神と身体の不一致。
心は男であるのに、身体は女であるための問題。
もう一つはウードの存在。
一つの肉体に、魂が二つ宿っているための問題。
しかし、俺の心はヤツハを通して、体になじむ。
そこから訓練と経験を得て、成長した。
さらにはウードに歩み寄り、ヤツハの心を媒介として、ウードと心を繋ぐことで俺は以前とは比べ物にならない力を得た。
もし、俺がウードに呑み込まれたら、ウードはヤツハの心をも呑み込み、一人の存在となる。
精神と身体は完全に一致し、そして、肉体に宿る魂の勢力図はウードの魂に埋め尽くされる。
俺の魂は隅に追いやられ、何もできなくなってしまうだろう。
ヤツハの心はウードの一部となり、やがては消え去る……ウードは俺ほど甘くない。
俺はヤツハの心と共生している。
おそらく、ウードはそれを許さない。
己が唯一の己であるために……。
(そうなったらどうなる?)
現在、なんだかんだで俺は俺自身を保っている。
それだけ、俺の魂の勢力図が……魂の領地が存在するということだ。
だが、これからの戦いでその領地を明け渡したら……。
(ウードとヤツハの心を通じて繋がっている状態で、明らかに俺は強くなっている。だけど、おそらく今のウードはそれを越えている。そこから俺の領地がすべて奪われ、肉体と魂が一つとなり合致したら!)
心の鍵を開き、ウードに答えを返す。
(正直、想像もつかん。だけど、ここでお前がクラプフェンと俺をぶつけるということは、それだけの自信があるんだろうな)
ウードは口の両端を醜く捩じ上げ、応える
それは勝者の笑顔だった。
こんな醜い勝者の笑顔を、俺は見たことがない……。
だからこそ、薄汚い勝者の顔に泥を浴びせる。
(だけどな、ウード。クラプフェンを相手するまでなら、俺にも多少の策はある)
(へぇ~、それは?)
(それはな……)
(なに?)
(当日のお楽しみで、ほんじゃな)
(ちょっと、まち、)
意識をアプフェルたちに戻し、ウードの存在を無視することにした。
俺の策はクラプフェンの相手をするのがやっとで、先のことは考えていない。
俺はアプフェルとパティを瞳に宿す。
もう少しだけ一緒に居られる。
そのために頑張る。耐え抜く。ウードの存在から……。
そして、この戦争を乗り切れば、ウードに対抗する術を考える時間が生まれる。
問題はその術があるのかってところ。
(はぁ、先生に相談しようもなら、コトアが邪魔しそうだし……ま、いま考えてもわからないことを考えても仕方がない。それが俺、笠鷺燎。今までとちょっと違うのは、今ある目の前に全力を尽くすという意思を持ったことかな)
俺はアプフェルとパティに一言声を掛け、二本指を揃え前に飛ばして演説台へと向かう。
「ま、クラプフェン相手には一つ妙案があるから任せときなって。じゃな、アプフェル、パティ」
―――――
意識を過去から今へ戻し、現在の状況に恥ずかしさと情けなさを覚える。
(結構、格好つけて演説台に向かったくせに、俺はダメダメだな)
傍では子爵のお説教がまだ続いている。
俺はそのお説教から逃げるように、下を向いた。
(あっ、足の震えが止まってる)
あれ程まで緊張に震えていた足がピシャリと動きを止めている。
心もまた、これからを望む気迫に満ちている。
(廊下での会話を思い出して、クラプフェンとウードへの戦いの意識が高まったからかな? ふふ、そっか。物語の主人公たちは覚悟ができているから、堂々とできるんだ)
物語に出てくる、元は普通の少年少女だった主人公たち。
彼らが晴れの大舞台で堂々と演説を行えるのは、今まで築き上げてきたものを護るための覚悟があるからだ。
そして、それは俺も同じ……俺にも護りたいものがある。そのための覚悟がある。
(これは俺が築いてきた物語。そう、俺はこの物語の主人公なんだ。なら、それに見合うように格好つけなくっちゃな!)
俺は子爵へ振り向き、しっかりとした言葉を返す。
「ポヴィドル子爵。心配されるのは当然でしょうが、その時が来れば、私は真っ直ぐと前を見据えることができます」
この言葉を受けて、子爵は説教を止めた
その代わりに別の言葉をかけてくる。
それは俺にとって、意外過ぎる言葉
「ならば、良いでしょう……ヤツハさん、私の期待を裏切らないでくださいね」
「えっ!?」
「正直を申せば、私はあなたのような庶民がこの場に立つのは不相応だと思っています。ですがっ、あなたには確かな功績があり、この場にいる誰よりも多くの期待を背負っている人物なのです!」
「子爵?」
「証明して見なさい。家柄や血など関係なく、人は大きな可能性を持っていることを!」
この言葉には俺はもちろん、ティラやセムラさんや他のみんなも驚いた表情を見せている。
ポヴィドル子爵は貴族としての誇りを持っている。
この場に俺のような下賤な輩が交わるなど許せやしない。
だが同時に、もしかしたら彼は、俺に対して貴族にはない可能性を見出そうとしているのかもしれない。
「ポヴィドル子爵。私はみんなの期待に応えて見せます」
「ええ、そうあって下さい」
「そして、子爵の期待にも応えて見せますよ」
「……その様子では緊張は完全に解けたようですね」
彼は淡白な表情のまま、モノクルをくいっと上げて俺から離れていった。
ティラとセムラさんは、彼の背中を見つめながら言葉を掛け合う。
「ポヴィドルは貴族として、様々な葛藤があるのであろうな」
「でしょうな。貴族とは苦難訪れるとき、率先して民の前に立たなければならない。その民に役目を奪われては、立つ瀬がない」
「王族たる私は更なる大きな義務と責務を持つ。そうだというのに、ヤツハはもちろん、多くの民に苦難を強いている。私は万世まで届く愚かな王だったと名を残すのであろうな」
「それは違いますぞ、ブラン様」
「なに?」
「民衆はヤツハだけではなく、ブラン様にも同じく、いえ、それ以上の大きな期待と希望を抱いている。だからこそ、ここに集ったのです」
「そうか、そうであったな」
「道を作りましょう。新たな道を。その道が皆の心を惹きつける道ならば、皆は共に歩む。そこに強いるなどという言葉はありません」
「セムラよ、諫言感謝する。もちろん、子爵にもな」
ティラは、堂々と民衆の前に立つポヴィドル子爵へ目を向ける。
「さぁ、行こうではないか。新たな道を皆に示すために!」




