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マヨマヨ~迷々の旅人~  作者: 雪野湯
第二十一章 歩む先は深い霧に包まれる

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ウードの正体

 寒風に荒れる城壁の上に二人。

 俺とウード。

 冬の冷たさを超える凍てついた空気が俺たちを包む……と、言いたいが、しょうもないお遊びに空気は半笑いを見せている。



「ここまで来てまだやるかっ? 普通に答えろよ! 俺の問いには答えを催促する癖によ!」

「ここまで来てわからないあなたが悪いのよ。それにどうせなら、最後までクイズに付き合いなさい」

「勝手だなぁ、おまえはっ」

「フッ、安心しなさい。猿でもわかるヒントをあげるから」


 ウードは鼻で息を飛ばしつつ笑みを見せる。

 容姿は美しく、普段は人を魅了して止まない女だが、人を馬鹿にするときの態度は心底ムカつかせる。

 人の心を翻弄するのに、どこまでも長けた女。


 

 俺はぐっと怒りを腹に収め、ヒントを訪ねる。

「それじゃ、ウッキーな俺のためにヒントを寄越せよ」

「まぁ、可愛げのない猿ですこと」

「猿はもういいから、早く言えよ!」


「フフ、それじゃあ……笠鷺燎(かささぎりょう)は幼いころ歴史が好きだった」

「ん?」

「それを念頭に置き、次のヒントをよく考えなさい」



<私は『う』を知っている。そして……『か』を知っている>


 

「う、かを知っている……?」

 彼女が出したヒントは、『歴史』と『う』と『か』。


「歴史に……『う』と『か』。『う』はたしか、生き物だったよな…………あっ!?」

 俺は一瞬だけ頭を捻ったが、すぐにヒントの意味を知る!




「うとか。うとは……夏朝(かちょう)()のことか!」

 この答えにウードは醜美を併せ持つ、ねっとりとした笑顔を見せる。


 俺は目を閉じて、薄気味悪い笑みを消す。

 そして、知識が眠る箪笥が鎮座する、引き出しの世界に訪れた。


 暗闇が覆う、まるで無の空間のような場所で、俺は巨大な箪笥を見上げる。

 箪笥の最上階に、幼いころ数度読んだだけの知識が光っている。

 俺は透明な地面を蹴り上げて、ふわりと最上階にある引き出しに近づき、その中を覗き込んだ。



 

 夏朝(かちょう)――およそ紀元前二千年から紀元前千六百年ごろの中国に存在したという、伝説の王朝。

 四百七十一年間続いたと記録されている。

 (いん)に滅ぼされたとされているが、長い間、資料が乏しく存在の有無は不明だった。だが、近年では考古学資料の発掘により実在の可能性が高くなった。

 現代の中国史と考古学学界では、夏王朝は実在したものと見直されている。


 そして、()――彼はその夏朝の始祖。



 俺は瞳を開け、ウードを見据え、今までのヒントを思い出しながら彼女の正体に迫る。


「うとか。それは紀元前の存在。世界に知られている……これは歴史上の人物の意。そして、中国にまつわる歴史を最大のヒントに置くところから、お前の居た場所は中国」

「そう……続けて」



 ウードは淫猥な響きを声に乗せて、幼子をからかうような視線を見せる。

 それに対し、俺も負けじと声を飛ばす。 


「何が続けてだよ、気取りやがってっ。まぁ、続けるけど……自称美女であり、大罪を犯したとなると~……ぱっと思いついたのは、三人かな」

「三人ねぇ。だ~れ?」



「一人は()の最後の帝である(けつ)(きさき)末喜(ばっき)。彼女は降伏のしるしに桀に送られたとも、桀が要求したとも言われているが、ともかく絶世の美女だったらしい。桀は末喜に溺れ、彼女の言われるがまま、望みを叶えていく。例えば、池を酒に満たしたり、木々に肉を吊るしたり……俗に言う、酒池肉林というやつだな」


 ウードはピクリと眉を跳ねる。

 何か思い当たる節があるらしい。

 俺はその反応を無視して、話を進める。


「んで、あんまりにも乱れた行いをするので賢臣たちが諫めるが、桀は耳を貸さず、賢臣たちを殺してしまう。ま、そういった横暴が積もり重なって、腹を据えかねた(いん)湯王(とうおう)って人が挙兵し、()を滅ぼすわけだが……桀と末喜は落ち延びて生涯を終えている。しぶといね……」


 

 俺は一呼吸を挟み、次の候補を上げる。


「二人目は西施(せいし)。紀元前五世紀ごろの春秋時代の存在。古代中国の四大美女と称されるくらいの美女だった。彼女が川で足を出して洗濯する姿に魚が見とれて、泳ぐのを忘れてしまったという話もあるらしい。そこから『沈魚美人』なんて言葉も生まれた」



 ウードは口を捻じ曲げ、不満そうな顔を見せる。

 四大美女という響きが不満のようだ。

 俺は笑いを噴き出すのを堪えて、続きを歩む。



「もっとも、足の美しさを謳われたのは絵に描かれる際のもので、実際は足の太さが唯一の欠点だったとも言われている。本当のことは確認できないけどね」


 ウードは鼻で笑う。

 そのわかりやすい態度に笑いを超えて、俺は軽い息を洩らす。


「くふっ……西施は(えつ)の王である勾践(こうせん)が、()の王の夫差(ふさ)を陥れるために献上された。美女を使い、骨抜きにするという美人計ために。いわゆる、ハニートラップってやつだな。……その目論見は当たり、呉は弱体。越に滅ぼされる……中国って美人に弱いよなぁ」


 

 そう言葉に出すと、ウードはゆるりと声を落とす。

傾城傾国(チンチョンチングオ)。あなたが聞き慣れた言葉にするならば、英雄色を好むがわかりやすいかしら……それだけ、中国には英雄と称される存在が多いとも言えるわね」



「ふん、言うねぇ……で、その後の西施だけど、越王の妻にその美貌を恐れられ、越王が呉王の二の舞にならぬように殺される。それは凄惨で、生きたまま皮袋に入れられ長江に捨てられたとか」

「凄惨? その程度で?」



 ウードは薄ら笑いを浮かべる……ああ、笑うだろう。

 こいつがやってきたことは、凄惨という一言では片づけられない。

 気を取り直して、会話に意識を向ける。



「十分にひどい最期だと思うけどな。だって、この人は末喜(ばっき)とは違う。同じなのは絶世の美女であり、王に寵愛されたところだけ。彼女は(めい)を受けて、呉王を虜にした。その結末が死。たしかに国を亡ぼすという行為はある意味大罪かもしれない。でも、越王の(めい)となれば、西施には断れなかった」


 

 西施は貧しい薪売りの娘だったという。

 だが、美しい容姿が災いとなり、それが越王に認められ、呉王を虜にするように命じられる。

 そこに西施の心は介在しない。

 ようやくその任が終えたところで、彼女は殺される。

 


「そう、(ぜい)を尽くし堪能していた末喜(ばっき)とは違う。そして、三人目の女とも違う! この女は末喜以上に贅を堪能し……恐ろしい女だ」

「末喜は資料が少ないだけで、酷いことをしていたのかもよ」

「ああ、かもな。だけど、俺は知らない。俺が知っているのは三人目の女のひどさだけだ」


 

 俺は今までウードから受けたヒントを積み上げていく。


「紀元前の生まれ。歴史上の人物。絶世の美女。大罪。そして、世界に広く知られている……世界ってのは、少々風呂敷を広げすぎじゃ?」

「そう? あなたたち日本人のおかげで、あらゆるコンテンツを通じ、中国日本のみならず世界に広がってると思うけど?」


「漫画にアニメに小説か……ま、それなりにはな。で、だ……日本に訪れている。このヒントもまた、いやらしい」

「いやらしいとは、ひどい言い様」


「それはこっちのセリフだ。あの時お前は『私の本当の名前は世界に広く知られている。日本にも訪れている』と言った。つまり、訪れているのは本人じゃなくて、名前のこと。ちょっとずるいだろ?」


「だから、意地悪なヒントだって言ったでしょ?」

「言ったけどさ……でも、そのヒント、ある意味本当なんじゃないのか?」

「え?」

「お前は、天竺、中国、日本を渡り歩いているんじゃ?」


「あのね、それはお話。私は人。ただ、当時は神々との境界線が薄く、触れることができたけど」

「ん?」

「フフ、それはあとで話してあげる。それよりも、そろそろ答えて頂戴。私の名前を」


「そうだな。一応、末喜の可能性も潰しておこう。彼女の名はとても広く知られているとは言い難い。だから除外する。よって、三人目の女こそがお前の正体だ!」


 俺は大きく息を吸い、三人目に至る言葉の紐を結んでいく。



「その女も末喜(ばっき)のように酒池肉林を行った。酒に満たされた池に、木々に吊るされた肉。悦楽な旋律に満ちた林で、男女は裸で戯れ合う。これこそが酒池肉林の語源と言ってもいいだろう。彼女の(ぜい)は極み超え、宮中は天下の至宝に埋め尽くされていたという」

 

 ウードはその日々の情景を思い出したのか、粘ついた笑顔を見せる。


 醜い。本当に醜い笑顔。 

 そうだというのに、彼女の持つ気品と美しさが、(しゅう)を美へと昇華させる。

 かつての俺ならば、目を逸らした。

 だが、今はしっかりと醜き美を瞳に映し、惨憺(さんたん)たる言葉の道を歩む。



「彼女は命をも贅の極みの一つとして弄ぶ。不当な罪状で、人を毒蛇やサソリを入れた穴の中へ突き落す――刑の名は蟇盆 (たいぼん)! 銅の柱に油を塗り、薪を焚き、熱した柱を歩かせ、渡り切れば無罪などという戯言をほざく――刑の名は炮烙(ほうらく)!」


 口にするだけで反吐が出そうになる刑の数々。

 だけど、彼女の悪行はまだまだ続く。


「熱された柱には油が塗られ、渡り切れるはずもない。しかし、柱の下は火の海。人は必死に柱に抱き着くが、その柱もまた、肉を焼く。彼女とその伴侶は、熱に悲鳴を上げながらも柱に抱き着く者たち。火の海に落ちて炎に悶える者たちを見ながら笑い転げていたという」


 ウードの笑みが崩れ落ちる。

 そこには美も醜もなく、ただただおぞましい笑顔。

 俺は言葉に怒りを乗せる。



「賢臣が諫言(かんげん)すれば、処刑し、心臓を抉る。その者の肉を木々にぶら下げ、酒池肉林の一部にしたという、腐れ外道っ! その糞女の名はっ!!」


 人の姿をした化け物にっ、指を突き刺す!



「お前の名は妲己(だっき)! 暴君、(いん)紂王(ちゅうおう)愛妾(あいしょう)、妲己だ!」



 ウードは真の名をその身に突き刺され、おぞましい笑顔を消した。

 彼女は小さく息をつき、心を優しく包む微笑みを表して、名を明かす。



天王(てんおう)帝辛(ていしん)の寵愛を戴きし者。(わらわ)の名は妲己。そなたの魂と()いを繋ぐ者」




西施せいしについては別エンドがあります。

 西施を見出した范蠡はんれいという人と一緒に越から逃げ出して、幸せに暮らしたという話です。

 

 また、西施がどんな思いで美人計を行ったかわかりませんが、私は彼女のことを心も美しい方だと思い、王をたぶらかす行為に西施の心は介在しないと表現しました。



末喜ばっき妲己だっき。キャラ被りです。

 これは末喜が行ったことを妲己に重ねた。もしくは妲己が行ったことを末喜に重ねたと言われているせいです。

 桀王けつおうの所業といん紂王ちゅうおうの所業も同じような理由で被ってます。


 どちらかというと桀については資料が少なく、紂王の行いを流用して桀の大罪を表した可能性が大きいみたいです。

 末喜も資料が少なく、妲己が行っていたことをそのまま末喜の行いに当てはめたのかと。


 因みに、王が美女に傾倒し、英雄によって国が滅ぼされるのは中国史ではあるあるだそうです。

 日本だと印籠や桜吹雪を見せて一件落着という感じでしょうかね。あっちは歴史でこっちはドラマですけど。

 


帝辛ていしん=紂王のこと。

 


天王てんおう――神の呼称。例・毘沙門天王とか梵天王とか。

 紂王が自称していたようです。「私は神だ!」――かなり痛い人。世が世ならお笑い芸人です。

 

 もっとも、中国では普通に君主の称号としても使うみたいなので一概に痛いとは言えませんが、紂王は神のつもりで自称していた気がします。(私の勝手な思い込みですが)

 

 妲己からこの言葉が出るのは違和感があるような気もしますけど……字面と響きが格好いいので採用しました。

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