幕引き……
黒騎士は剣を振るう。その斬撃は一太刀で無数の残影を見せる。
ヤツハはそれらの全てを受け流し躱し切る。
袈裟斬り二段――黒騎士、左右同時の攻撃。
ヤツハ、影のみを切らして斬撃を返す。
黒騎士は剣をもって斬撃の軌道を変え、ヤツハの刃を封ずる。
二人は同時に後方へ下がり、間を取る。
黒騎士はゆっくりと剣を構え直す。
ヤツハもそれに応える。
彼女の頬を伝う汗に、血が混じる。
皮膚皮一枚躱し切れず、頬は薄く切れていた。
ヤツハは黒騎士を睨みつけ、心にて唱える。
(もっと、もっとだ。もっと集中しろ)
後ろに仲間がいる。守るべき仲間。
黒騎士は一歩踏み込み――兇刃振り下ろす!
ヤツハ、これを捌ききれず、腕に痺れを残す。
(くそっ、まだ、いけるっ。もっと、集中しろ!)
背には仲間の命がある。絶対に失ってはいけないもの……だけど、それはっ。
(だめだ、足りないっ。全ての意識を!!)
ここでヤツハは……黒騎士のみを瞳に宿す。
(すまん、みんな。この戦いの間、みんなのことを忘れる……)
全ての心を、黒騎士にのみ捧げる。
それを受けて、黒騎士は薄く笑う。
ヤツハは一途に黒騎士だけを見つめ続ける。
情熱に胸を焦がす、恋する乙女のように。
「黒騎士……っ」
先に動いたのヤツハ!
彼女は黒騎士の胸に抱かれんと飛び込む。
黒騎士はヤツハの慕情に剣を振るう。
剣を打ち合い生み出される音楽を演奏として、騎士と乙女は大地を舞い踊る。
響き渡る剣撃は火花と共に幾重にも重なり、一つ鳴り終える前に二つが重なり、二つが鳴り終える前に三つが重なる。
煌めく星のような火花は二人を彩り、さらに踊りは激しく豊かに広がっていく。
バーグの隣にいた部下は、二人の舞を見て、呟く。
「隊長。あの子、隊長よりも強いんじゃ?」
「ああ、俺以上だ。そして、まだ強くなってやがる!」
黒騎士が新たに剣を振るたびに速度と力は増す。ヤツハはそれに辛うじてついていく。
さらに増す。
しかし、ヤツハは懸命についていく。
剣の速度は音を超え、力は大気を押し潰す。
だがっ、ヤツハの剣は黒騎士の背後を追いかけるっ!
黒騎士の剣により身を刻まれながらも、ヤツハは諦めない。
剣から生み出される火花が、ヤツハの髪を焦がし皮膚を焦がし、それらは血と混じり、鼻を突く匂いが辺りに広がる。
しかし、その匂いに誰も顔を歪めたりはしない。
いや、それどころか……。
「……すごい」
誰かが、小さく言葉を漏らした。
この言葉……仲間であるフォレやアプフェル、パティ、アマンのものではない。
敵である兵士が呟いた言葉。
言葉は思い。思いは伝播する。
彼らは皆、拳を握り締め、体を巡る血潮を熱く煮え滾らせる。
名もなき少女が、絶望と死を体現せしり黒騎士相手に戦い抜いている!
村を襲っていたはずの兵士たちは、気づけばヤツハの戦いに魅入っていた。
それは兵士たちだけではない。
こそりと隠れていた村人もまた、家の窓から扉からと顔を覗かせ、ヤツハの戦いを瞳に焼きつける。
この場にいるもの全てが、ヤツハの、命の光を掴まんとする者への闘諍に魅了され、心を奪われている。
バーグは片手で顔を隠して、己の行為を恥じる。
「まったく、あんな少女が仲間のためにとんでもねぇ戦いを見せてるってのに、俺ときたらこんな糞みたいな任務を」
「隊長……」
「皆に伝えろ。絶対に村人にも村にも手を出すなって、これは厳命だ!」
「はい。ですが、それはもう……」
部下は周囲を見回す。
村を襲っていた兵士たちは皆、ヤツハと黒騎士の戦いに瞳を染めて、誰一人、愚かな行為を止めていた。
「あいつら……」
「隊長、どうします?」
「どうもこうもねぇ。俺らにできるのは、この戦いを見届けるだけ……たとえ」
(たとえそれが、悲しき結末であったとしてもな……)
皆の血は熱を帯び、心を沸騰させる。
その中で、急速に熱を冷ます者たちがいた。
それは、バーグと……フォレだ。
(ヤツハさんっ。そんな!)
ヤツハはよくやっている。
黒騎士の攻撃を時にいなし、時に受け止め、隙あらば斬撃を加える。
だが、そのたびに彼女の肉体は傷つき、雪のように白き肌は血に染まっていく。
対して、黒騎士の一撃はヤツハにとって、全て必殺の一撃。
一度でもまともに食らえば、綿毛よりも軽い少女の命は他愛もなく吹き飛ぶ。
そのような一撃を、ヤツハは何度も何度もくぐり抜けて、神経を極限まで擦り減らしながら、黒騎士へ牙を穿つ!
しかし……。
フォレとバーグは気づいてしまった。
(ヤツハさん。あなたの攻撃は幾度も黒騎士の鎧を刻んでいる。ですがっ)
(娘さんよ。お前さんの勇猛にして果敢な一撃は、黒騎士殿を何度も捉えていた。でもなっ)
――届いていない!――
ヤツハの牙は黒騎士の鎧に数え切れぬほどの歯を立てた。
しかし、鎧が放つ黒い粒子に阻まれ、全くと言うほど牙は通っていなかった……。
そしてそれはっ、戦っているヤツハ自身がよくわかっていた。
(くそ、くそ、くそ、くそくそくそっ、どうしてっ!?)
ヤツハは健気に剣を振るい、黒騎士を抱きしめようとする。
しかし、振れた手は湧き出る真っ黒な粒子に振り払われ、触ることすら叶わない。
一方、黒騎士の手はヤツハの肉体に薄く触れるだけで、皮を爆ぜさせ、血を煙らせる。
ヤツハの肉体に血が一筋流れるたびに、惹きつけられていた者たちの熱は醒めていく。
少女は奮闘している。
本当に、よく戦っている。
だが、どうしても黒騎士には届かない。
……あれ程までに猛っていた血潮はどこへ行ったのだろうか?
皆の血は蒼に染まる氷土のように凍てつき、寒さに心を震えさせる。
瞳に映るは死に立ち向かい、懸命に足掻く少女の姿。
しかし、皆の脳裏には、彼女の思いをいとも簡単に無へと還す、僅か二文字の言葉が浮かぶ。
それは――絶望。
ヤツハは黒騎士の一撃に吹き飛ばされて、後方へ大きく下がった。
彼女は剣をぶらりと下げて、天を仰ぐ。
そして……叫んだ……。
「くそっっったれぇぇぇぇ!! どうして、どうして、届かない! ちきしょうちきしょうちきしょうちきしょうぉぉぉぉ!!」
天へ向けて放った咆哮。それは、敗北の雄叫び。
ヤツハは両目に涙を浮かべて、黒騎士を見つめる。




