6.腕輪と思惑
翌朝、春子は早い時間からお店の前を掃除していた。恐らく今日も薬屋は臨時休業になるだろうけど、しばらくお店を離れなくてはいけないと思うと、綺麗にしておきたくなってしまったのだ。
少し感傷的な気分になりながら、箒を動かしていると、朝から相変わらずキラキラした空気を纏ったファルディンがやって来た。
「ハルコ嬢、おはようございます。お早いですね」
「おはようござい。つい、なんか目が覚めちゃって」
小さく笑いながら、肩から流れて来た黒髪を払っていると、ファルディンが春子の腕を見て少し目を瞠っていた。
「おや、その腕輪は……?」
「あぁ、これですか? 昨日、ネジュさんがくれたんです。魔力制御に役立つって」
「魔力制御、ですか? 対の腕輪ではなく?」
「対の腕輪って、新婚さんが着けてるやつですよね。違いますよ! これ、ネジュさんの手作りらしいです」
「……腕輪を良く見せて頂いても良いですか?」
「いいですけど……?」
何やら真剣な表情のファルディンに首を傾げつつ、左腕から腕輪を外して渡す。そんなにネジュの手作りな腕輪が気になるものだろうか。
少し不安になって見守っていると、ファルディンは腕輪の内側も含めてじっくり見た後、水色の石や腕輪全体に軽く触れる。そして何やら納得した様子で腕輪を春子へ返却してくれる。
「ありがとうございました」
「……何か、ありました?」
「いえ、外観からは分かりませんでしたが、内側に魔術陣が刻まれているんですね。恐らく、外に放出する魔力量を抑える効果があると思いますよ」
「わ、そんなこと分かったんですか」
「ええ。専門ではないので詳細は分かりませんが、魔術陣の分類くらいは分かりますので」
謙虚に微笑むファルディンに、小さく拍手を送ってしまう。
神殿騎士は剣術と魔術の両方を扱える、所謂魔法騎士でないとなれないそうだ。とはいえ、普通の神殿騎士は多少の魔術を扱える程度で十分らしく、魔術陣の知識は必要とされない。
それなのに魔術陣を分類できる程度には知識を持っているファルディンは、かなりの勉強家なのだろう。
ファルディンの凄まじさの片鱗に慄きつつ、腕輪を着けなおす。
「ハルコ嬢、その腕輪はあまり人に見せない方が良いと思いますよ」
「どうしてですか?」
「その……。魔力制御の腕輪を着けていることが知られると、ハルコ嬢が危険人物だと思われかねませんので。ぱっと見は分からなくても、念のため、服の下に着けておいた方が良いかと」
「そ、そうですね! 袖で隠しておきます」
すごく言いにくそうに説明してくれたファルディンに、思い切り頷いて同意する。見知らぬ人に、魔力制御が必要な爆弾だと思われたくない。
いそいそと腕輪を隠すように袖を伸ばすと、ファルディンに見せつける。
「これで、大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫ですね。さてハルコ嬢、貴女には、こちらを差し上げますね」
そう言いながらファルディンが差し出したのは、丸っぽいシルエットが可愛らしい、キャメル色の革製ショルダーバッグだ。開口部は広めになっているが、大きさは結構小ぶりでちょっとしたお出かけに使うのに丁度よさそうだ。
「わ、可愛いバッグですね!」
「中は空間拡張されているので、入り口部分さえ通れば、衣装棚一つ分くらいの荷物は入りますよ」
「えっ! このバッグにそんなに入るんですか!?」
「ええ。旅をするにはこういったものがないと大変ですから。移動を強いる訳ですから、こちらで準備させて頂きました」
お高そうなバッグに慄いて返却しようとすると、にこやかに説明したファルディンが有無を言わせずにバッグを押し付けてくる。
「食料などはこちらで用意しますが、着替えや日用品といったものはその鞄に入れてください。洋服は基本的には動きやすいものが良いですが、途中いくつかの街に少し滞在する予定ですので、お気に入りの服なども持って行った方が良いかもしれません。ああ、重さはその鞄以上にはなりませんので、ご安心ください」
「うぅ、分かりました……」
重さも大幅に軽減され、必要以上のものを持ち運べると言うことならば、春子としても非常にありがたい。値段のことなどは考えないようにして、そっとショルダーバッグを受け取ることにする。
「そういえば、ネジュ殿はどちらに?」
「多分、お店のカウンター辺りに居ると思いますよ。ネジュさんの定位置です」
「そうですか。では、私もお店の方にお邪魔させて頂きましょう。ハルコ嬢、何か荷造りで困ったことがあれば、声を掛けてください」
「え、お茶入れますよ?」
「いえ、お気遣いなく。ネジュ殿と少し話したいこともあるので」
少々圧力を感じる笑顔を向けられ、春子は引き攣った顔で頷く。そしてお店の中にファルディンを案内すると、そそくさと荷造りをするために自室へと逃げたのだった。
§ § § § §
荷造りに向かった春子を見送ったファルディンは、カウンターの隅で暗い空気を発生させているネジュを見てため息を吐く。昨日もこんな様子のこの男を見たが、なかなか面倒だ。
コンコン、と強めにカウンターを叩いて注意を引く。
「ネジュ殿、荷造りしないのですか?」
「荷造り……? なんで?」
のろのろと顔を上げたネジュは、どんよりとした表情で首を傾げる。青白い顔色のせいで、まるで死体の様だ。
「何故って、貴方も一緒に王都へ来て頂きたいからですよ」
「なんで……? 異邦人登録なら、春子さんだけで十分のはずだよ。というか、あなたたちにとっては、僕は邪魔者だと思ってたけど?」
「はて、なんのことやら」
わざとらしく微笑んでみせれば、きつく睨み返される。昨日はおどおど、ふわふわした印象だったが、鋭い表情をしたネジュは、切れ長の瞳と相まってなかなか迫力がある。
とはいえファルディンも騎士だ。一切余裕を崩さず、自身のペースで話を進める。
「ハルコ嬢のためにも、ネジュ殿に一緒に来て頂きたいのです」
「うそだ」
「嘘ではありません。急に王都に行くなど、ハルコ嬢には不安ばかりでしょう。しかも長い旅路になります。若い女性には辛いことが多いでしょう。そこに、半年も一緒に生活していたネジュ殿が一緒に居てくれれば、どれ程心強いことでしょう」
「…………」
じっとりとした疑いの眼差しでファルディンを見据えるネジュに、小さくため息を吐く。正攻法では納得しなそうだ。
作戦を切り替えることにして、わざとらしく首を傾げる。そして少し挑発的に問い掛ける。
「対の腕輪を贈っておいて、そのまま引き下がると?」
「あれはっ! 魔力制御の腕輪で、対の腕輪じゃ……」
「確かに、腕輪には祝福は与えられていないようですが、あの石は祝福の結晶石でしょう?」
「っ……、なんで、神殿騎士のあなたがそんなこと」
祝福の結晶石は、一見普通の石だが、特殊な状況下でのみ生成される特別な石だ。その辺に落ちているものではないし、ただの魔力制御の腕輪に使うものじゃない。あの腕輪は、神官が祝福を付与すれば、立派な対の腕輪になる。
青灰色の瞳を見開くネジュに、ファルディンは小さく笑いを零した。そんなに、驚くことだろうか。
「私は神殿騎士ですが、神官位も持っていますので」
「エリート中のエリートじゃん……」
呻くように呟いたネジュは、ぺそりとカウンターに突っ伏す。そしてしばらく唸ると、カウンターから起き上がらないままファルディンを見上げる。
「やっぱり、僕を一緒に王都に連れて行く意味が分からない。わざわざこんなエリートを送って来るんだから、神殿は春子さんを囲い込む気でしょ?」
「さて、どうでしょう。しかし、このままハルコ嬢を見送るというのであれば、きっと彼女がここに戻ってくることはないでしょうね」
「やっぱり……。本当に良いの? 僕を連れて行って」
「ええ。私にも、私の都合がありますから」
にこやかにそう告げれば、ネジュは非常に嫌そうな表情でため息を吐いた。




