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14.ニルスの街

 夕方、当初の予定通り宿泊地であるニルスの街に到着した。

 ニルスの街は広大な湖の畔にある街だ。今の季節は周囲を囲む豊かな森も秋色に色付いており、湖の青と森の赤の対比がとても美しい。

 さらに街の建物は、全てが白壁と美しい青緑色の屋根になっている。建物の大きさや形は様々であるのだが、色合いが統一されているため、一つの芸術品のようにも見えてくる。

 ニルスの街は周囲の自然だけでなく、街の建物を含めた景勝地だった。


 しかし春子は、午後はフーディーに乗っての移動中も左腕の怪我を誤魔化し続けていたため、そんなニルスの街を堪能する余裕もなかった。

 一応普通に動かせるので骨には問題ないと思うのだが、多分腕は酷い痣が出来ているだろう。


 さっさと宿の部屋に下がった春子は、大きくため息を吐く。正直、左腕を見るのが怖い。

 どうしようかと迷っていると、コンコンと部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。


「春子さん、ちょっと良い?」

「ネジュさん? どうしたの?」


 部屋を訪れたのはネジュだった。部屋に迎え入れると、眉を下げた悲し気な様子でネジュは春子を見る。


「春子さん、腕見せて」

「え……?」

「左腕、怪我しているんでしょ?」

「あ~……、うん。ネジュさんも気付いてたんだ……」


 フーディーに同乗していたファルディンにも訝しがられたし、思ったよりも沢山の人に怪我をしたことがバレているかもしれない。

 ちょっと気まずいと思いつつ、春子はベッドに腰掛ける。そして、えいやっと左の袖をまくる。

 自分でも初めて見る左腕は、大きな赤黒い痣になっていた。


「うわぁ……」

「ちょっと触るよ」

「うん……」


 思ったよりもひどい痣に、自分でちょっと引いてしまう。しかしネジュは悲し気に眉を一層下げるだけで、そっと春子の左腕を取る。

 そして痣の周辺を触ったり、春子に症状を聞いて怪我の様子を診察する。


「多分、骨には問題ないと思う。でも、酷く腫れてるから冷やした方がいいかな」

「う~、よかったぁ……」

「ごめんね、僕の治癒魔法だと痣は治せなくて……」


 へにょりと眉を下げるネジュに、春子は慌てて首を振る。ネジュは、色々と気にしすぎなのだ。


「そんなこと気にしなくて大丈夫。それに、一人だと腕を見る勇気も出なくて、どうしようかと思ってたの。だから、ネジュさんが来てくれて助かったよ」

「そう……。でも春子さん、なんで神官さんに見せなかったの? 声掛けられてたよね。神官の魔法なら多分、治せるよ? 今から、行く?」


 ネジュはお手製の湿布薬などを用意しながら、春子に問う。その青灰色の瞳には、葛藤の色が見えた。

 薬では魔法のように直ぐに傷を治し、痛みを取ることは出来ない。だからこそ神官の治療を勧めたのだろうが、薬師としてのプライドも持っているネジュは悔しいのだろう。


 春子は首を横に振り、ネジュへ微笑む。


「ううん、ネジュさんの湿布で大丈夫。神官さんにはさ、戦った騎士さんたちを診て欲しかったし、今からわざわざ手間を掛けさせるのもね」

「でも、魔法の方が直ぐに治るよ? 湿布とかだと結局は自然治癒に任せることになるし、一週間以上かかるし……」

「良いの、良いの。人間、あんまり魔法に頼り切らない方が良いんでしょ? おばば様が言ってたよ」

「うん、まぁ、そうだけど……」


 もにゅもにゅと呟くネジュは、困った様でありながらも、なんだか嬉しそうだ。その様子に春子も笑みが零れた。


「さぁネジュさん、治療をお願いします!」

「う、うん」


 ずい、と左腕を差し出すとネジュは少し目を見開いたあと、嬉しそうに微笑んだ。目元が少し、赤くなっている。

 そしてネジュは丁寧に湿布薬を張り、包帯を巻いてくれた。


「はい、これで終わり。お風呂入ったあとも変えた方がいいから、後でもまた来るね」

「うん、ありがとう。あ、そうだネジュさん」

「なに?」


 無事治療も終わり、袖を戻してくれたネジュの手を取り、春子はその顔を見上げる。治療のために一緒にベッドに座っているため、いつもより近い位置にネジュの顔がある。

 その青灰色の瞳を春子はまっすぐ見つめる。


「ネジュさんが、無事でよかった。あんな戦いがあって、そんな場所にネジュさんが居たなんて、怖かった……」

「春子さん……」

「王都に行くのに、こんな危険があるなんて考えてもいなかったの。ネジュさんを、そんな危険がある旅に巻き込んで、ごめんなさい」


 ネジュが暮らしているあの街の周辺は平和で、魔獣が襲ってくることなど滅多にない。迎えに来たファルディンも、一人で大丈夫だと判断する程度なのだ。

 だから、あの街に居ればネジュが戦闘する必要もなかっただろう。


 魔狼との戦闘の前、憂鬱そうにしていたネジュの表情を思い出す。


「ネジュさん、戦うの嫌だったよね?」

「あ~、うん」


 歯切れ悪く頷いたネジュは、眉を下げて困った様に笑う。ちらり、と春子を伺い、頬を掻く。


「……でも、多分、春子さんが思っているのとは違うよ」

「え?」

「僕さ、三流魔術師だから。ファルディンとか他の人は皆、エリートの神殿騎士で、僕より魔法も使えるんだよ。だから、凄く落ち込むんだ。自分の身だけ守っとけって言われたのも凹んだし」


 そう言いながらネジュは昼間のことを思い出したのか、背を丸めて陰鬱いんうつな空気を放ち始める。部屋の空気が一気に暗くなった。

 もはや一種の魔法ではないかと思えるこの空気に、春子は苦笑する。

 それからネジュの背を摩り、宥めすかす作業に入る。一緒の家に暮らしていると良く発生する作業だが、なかなか大変なのだ。


 そうして部屋の空気が元に戻ったのはしばらく後のことだった。

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