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13.馬車の中

 ゴトゴトと揺れる馬車の中、春子は引き攣りそうになる顔の筋肉を振り絞り、顔面に笑みを貼り付けていた。


 今日の午前中に通る森は魔獣が多く生息しており、襲撃の可能性があるので春子も馬車に乗っていたのだ。ちなみにその森を抜けた先には砦があり、さらにその先、今夜宿泊予定の街は風光明媚な別荘地として有名な場所であるため、一気に安全になるらしい。

 だから半日足らず、森を抜ける間だけグディアム達と一緒の馬車に乗っているのだが、早くも心が折れそうだった。


「なるほど、ハルコ様は学生でおられたのですか。さぞかし優秀でいらっしゃったのでしょうねぇ」

「いえ、それほどでは……」

「そんな謙遜なさらずとも良いのです」

「あはははは……」


 向かいに座ったグディアムは笑みを浮かべながらも、春子を探るような目で見ている。今日はずっとこんな調子で、春子の”贈り物”や元の世界でのことを色々聞いてくるのだ。

 グディアムは春子の利用価値を探りたいのだろう。


 ”贈り物”や元の世界でのことはファルディンに話しているのだが、グディアムは全く知らない様子で聞いてくる。それは春子の口から説明させるためにやっているのか、あえてファルディンが何も報告していないのかは分からない。

 ただ、どちらにしてもあまり正直に説明はしない方が良い気がしたのだ。だからずっと曖昧に誤魔化すように話しているのだが、そろそろ疲れてきた。

 しかもグディアムも情報がなかなか得られないせいか、苛立ちが隠せなくなってきている。ちなみに一緒に馬車に乗っている女性神官達は、穏やかに笑うばかりで何を考えているかは分からない。


 このままずっと過ごすのは辛い。そう思ってどうしようかと考えた時だった。

 オォォン、という獣の遠吠えのようなものが聞こえてきた。


「なに……?」

「これは……」


 グディアムや女性神官達が厳しい表情になったのを見て、春子の不安が一気に募る。そろりと窓の外を伺うと、馬車に馬を寄せたファルディンが、御者をしている騎士と何かを話しているようだった。


 話が終わり、馬車から離れたファルディンは窓から覗く春子に気が付くと、にこりと爽やかな笑みを送ってくれた。

 しかしすぐに凛々しい表情に切り替わり、他の騎士へと指示を与え出す。その中には同じく馬に乗ったネジュも居り、彼は憂鬱そうな表情ながらも騎士同様与えられた指示に頷いていた。


 一層募る不安に、服の上からギュッとネジュから貰った左腕の腕輪を握り締める。何ができるわけではないが、そうしていると少し落ち着ける気がしたのだ。

 そんな時、コンコンと御者側の壁が叩かれ、前方についた小さな窓が開けられる。そして御者をしている青年騎士が顔を覗かせた。


「失礼致します」

「何だ?」

「どうやら魔狼の群れが近付いているようです。囲まれると厄介ですので、速度を上げて走り抜けます」

「それが良いだろうな。分かった、上手く切り抜けろ」

「承知しました。揺れが激しくなりますので、どこかに掴まっていください」


 それだけ告げると騎士は窓を閉め、すぐに馬車の速度が上がる。今までは多少揺れてはいても、座っているのでそんなに問題はなかった。

 しかしガタガタと大きな音を立てて揺れる今は、どこかに掴まっていないと全身を壁に打ち付けそうだ。

 慌てて座席横のひじ掛けに縋りつく。


 しばらくすると、ギャオギャオ鳴く声が近付き、騎士たちの掛け声や魔法が放たれる音、金属のぶつかる音などが聞こえて来る。

 今まで旅している間に、幾度か獣を追い払う場面はあった。しかし、こんな風に激しい戦闘になることはなかったのだ。

 音が聞こえて来るだけだが、こんなすぐそばで命のやり取りが行われている。

 そのことが、とても怖かった。


 ぎゅっと目をつぶり、早くこの時間が過ぎ去ればいい。そう願っていた。

 そんな時、ドゴッという音を立てて何かが春子とは反対側の壁にぶつかり、馬車が大きく揺れたのだった。


「きゃっ!」

「ひゃぁ……」

「っう……」


 女性神官たちの可愛らしい悲鳴の中、春子は小さく呻く。

 ひじ掛けにしがみついた変な体勢だったせいで、馬車の壁に体を強打したのだ。ガツンと打ち付けた頭と、ひじ掛けの角にゴリリと嫌な音を立てて当たった左腕が、とても痛い。


「っち、横からも出てきたのか……」


 意外と冷静に窓から外を伺うグディアムが、忌々しそうに呟く。

 どうやら後ろから一行を追いすがる魔狼以外に、横手の森から飛び出してきた魔狼が馬車に体当たりしたようだ。しかし幸いにその魔狼はすぐに騎士達に退治され、馬車への攻撃はその一回だけだった。

 しばらくすると馬車の速度も落ち着き、森を抜けた辺りで一回休憩となった。


「ハルコ様、お怪我の治療を致します」

「え、大丈夫ですよ?」

「しかし、額が腫れております。それに、どこか痛むのではありませんか? 動きがぎこちないです」


 馬車を降りてすぐ、女性神官の一人が春子に声を掛けてきた。どうも打ち付けた頭が腫れているようで、心配されてしまったようだ。しかも地味にじんじんと痛む左腕を庇って動いていたので、それにも気付かれたようだ。

 しかし、左腕にはネジュから貰った腕輪を着けている。あの腕輪は他の人に見せない方が良いと言われており、左腕を治療してもらうわけにはいかない。

 それに、今は春子よりもよっぽど大きな怪我をした騎士達が居るのだ。


 春子は神官に笑みを見せ、首を振る。


「私は大した怪我じゃないですから。騎士の皆さんを先に治療してください」

「しかし……」

「ちょっとたんこぶが出来ただけですから。それよりも、私たちを守ってくれた、騎士さんを治してください。お願いします」

「……分かりました」


 かなり渋々ではあったが、女性神官は騎士達の治療へと向かってくれた。それを見送った春子は、ふぅ、と息を吐く。

 春子は別に王族や貴族ではないのだ。大した怪我でもないのに、体を張って守ってくれた騎士達より優先される必要なんてない。

 そう思っているのだが、きっとグディアム達の考えは違うのだろう。


 考えの違いに辟易とする。そして左腕を不用意に動かし、ズキリと痛みが走った。

 そっと左腕を摩り、春子は涙目になる。


「いったぁ~……。骨、大丈夫かな……」


 そんな様子を、ネジュは遠目で心配そうに見ていたのだったが、春子が気付くことはなかった。

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