推しのくせに生意気な
溢れる歓声、痺れる熱視線。それは全部全部、僕の物……だったらよかったのに。
華やかなステージで視線も人気も独り占めしているのは、僕ではなく……大物パトロンがバックにいる、つまらない男だった。奴は実力でも、美貌でもなく。コネで主演男優に収まっている、ただの大根役者。それなのに……どうして、奴よりも遥かに美しく、実力もある僕が脇役に甘んじなければならないのだろう。
***
「ちくしょう……! 僕の方が実力はあるのに……!」
安いアパルトマンの一室で、酒瓶片手に怒りを振り撒くのは、舞台俳優を夢見る青年。名は……確か、アルジャンだったか。酔いどれの嘆きから察するに、どうやら今日も端役しかもらえなかった様子。鬱屈した毎日が続くアルジャンの人生は輝くどころか……日を追うごとに、床に転がる空き瓶の数だけが増えている。
「僕だって、僕だって……! パトロンがいれば、大スタアに上り詰められるのに……!」
どうせ、今夜も自分を慰めてくれるのは酒だけだ。そうして、アルジャンが自暴自棄になりながら、妄想と欲望とを垂れ流していると……。
「……推してほしい?」
「だっ、誰だッ⁉︎」
突如、鈴を転がすような女の声が、孤独な深夜に響く。部屋を見渡しても、それらしい影はないのに……すぐ近くで、確かに囁く甘い声。非現実的な声色に、一瞬で酔いが覚めたアルジャンは、キョロキョロと辺りを見渡す。
「……ふふ。ここよ、ここ。すぐ目の前にいるじゃない」
「⁉︎」
一体、いつの間に?
スプリングもくたびれたベッドの上に腰掛けているのは、妖艶な笑みを綻ばせる美女。歳は……20代後半といったところか。優雅に足を組み替える仕草はどこまでも上品でありながら、仄かに漂う花の香りの合間に怠惰な下劣も匂わせる。あまりに場違いで、非現実的でしかないのに……彼女の姿を見た瞬間。アルジャンは彼女の虜になり、彼女の存在を疑うことさえ忘れていた。
「あ、あなたは……?」
「名乗るほどの者ではないわ。でも……そうね。私、あなたの欲望に興味があるの。今の推しにも飽きちゃったし……あなた、代わりに丁度いいわ」
「推し……?」
「えぇ、推し。私は、原石を見つけ出して磨き上げるのが好きなの。要するに、パトロンになってあげると言っているのよ。どう? 私と契約を結ばない?」
「ほ、本当ですか!」
思いがけない女の言葉に、アルジャンは躊躇うことなく飛びつく。パトロンさえいれば、自分も大スタアになれる。パトロンさえいれば、自分も大金持ちになれる。欲望が赴くまま……アルジャンは女と契約書を交わしていた。
***
名乗りもしなかった女がアルジャンに提示した条件は3つ。
1つ目。週に1日は必ず会う時間を設け、女に状況を報告すること。
2つ目。恋人を作るのは構わないが、結婚はしないこと。
3つ目。夜は必ず、日が変わる前にアパルトマンに帰ってくること。
1つ目や2つ目は女の嫉妬心から出るものだろうと、アルジャンも納得していたが。3つ目の条件の真意が、今ひとつ分からない。だが……それでも、女は約束通りにアルジャンを磨きあげ、彼に資金と活躍の場を用意し、あっという間に大スタアへと押し上げた。
溢れる歓声、痺れる熱視線。それは全部全部、自分の物。誰よりも注目を浴びて、誰よりも輝いて。アルジャンは幸せの絶頂で人生を謳歌していた。もう、安酒を相手に愚痴をこぼす必要もない。もう、くたびれたベッドに嘆く必要もない。恋人も金も、思うがまま。約束さえ守れば、女がアルジャンに口うるさく付き纏うこともしない。
「……もうそろそろ、契約は継続しなくてもいいかな」
だが、しかし。アルジャンは絶頂だったはずの幸せにさえ、飽き始めていた。
第一、自分はきっかけさえあれば大スタアになれる逸材だったのだ。実力も、美貌も元から潤沢に持っている。こうして上り詰めてしまえば、怖いものなどない。
「そうだ。もう、僕には……彼女はいらない。いつまでも手に入らない相手に縋る必要なんて、ないじゃないか」
確かに、契約主は浮世離れした絶世の美女だったが。アルジャン自慢の美貌を持ってしても、彼に靡くこともなければ、アパルトマンに帰ることを条件にしているというのに……彼女がその場に現れることはなかった。思い切ってプロポーズもしてみたが、女は「私は推しを遠くから見ているのが、好きなの」と、微笑混じりながらもにべもない態度を貫く。結婚しない契約を強要する割には、つれない女にアルジャンは少し嫌気が差していた。
「……そうだ。僕が恋人の所から帰らなかったら、どうなるのだろう? もしかして、嫉妬でもしてくれるのだろうか?」
気まぐれの思いつきではあるが、女の微笑以外の表情が見たい好奇心と、契約主に対する反抗心とでアルジャンはとうとう……3つ目の条件であった、「夜は必ず、日が変わる前にアパルトマンに帰ってくること。」の約束を破った。
***
あくる日。アルジャンはもう何人目かも分からない恋人の家で目を覚まし、開放感に溢れた朝を迎えていた。大体、大スタアである自分がオンボロなアパルトマンに住んでいたら、恥ずかしすぎて恋人を呼ぶことさえできないじゃないか。恋人を作っていいと言っても、夜遊びもできやしない。
(ふん……別に何も起こらないじゃないか。やっぱり、あの条件は……僕を縛り付けたいためのものだったんだ)
約束を破っても何もなかった安心感も手伝って、アルジャンは女のわがままとしか思えない「契約」に鼻を鳴らす。今更、契約なんか守らなくても自分ならばやっていける。何せ、自分は実力も兼ね備えた大俳優なんだから。甲斐甲斐しく朝食を用意してもらえる厚遇に甘えながら、アルジャンは恋人の自宅から職場でもある劇場へと意気揚々と出かけていった。
***
「えっ? 支配人……今、なんて?」
「聞こえなかったのか? 今期の舞台は、主役を変える事にしたと言ったんだ。お前には、こっちの使用人役をやってもらう」
「何をバカなことを! 僕に……この大スタアに、脇役をやれだって⁉︎」
傲慢にも程がある、アルジャンの咆哮。だが、激昂するアルジャンに向けられる支配人の視線は、どこまでも冷ややかだ。どうも夢見がちなアルジャンに、冷たい現実を教えてあげましょうと……支配人は丸顔をわずかに歪めることもなく、「彼を切った理由」を粛々と述べる。
「……大スタア? 顔だけが取り柄の大根役者が、何を勘違いしているんだか……。しかも、唯一の取り柄も見劣りしてきたじゃないか。最近、稽古もサボっているようだし、セリフ合わせにも参加しないし。……他の団員からも、声が上がってるんだよ。お前とは一緒に演じたくないとな」
「なんだって……⁉︎」
まさか、そんなはずないじゃないか。冷や水を浴びせられるような指摘に、ようやくグルリと辺りを見渡せば。他の団員達が遠巻きにアルジャンを見つめながら、眉を顰めている。
「……分かったよ。出ていけばいいんだろ、出ていけば! 僕がいなくなって、後悔しても知らないからな!」
威勢のいい捨て台詞を吐いたところで、帰ってくるのは侮蔑の視線と陰口だけ。昨日まで自分中心だった、最高に居心地が良かったはずの劇場は……180度表情を変えて、アルジャンをすげなく放り出した。
***
自分なら、上手くできる。自分なら、すぐに主役に返り咲ける。
アルジャンは手当たり次第に他の劇場に押しかけ、オーディションを片っ端から受けたが、結果はいずれも不合格。こうなったら背に腹は変えられないと、劇場のグレードを落として再起をかけてみても、棒にも端にも引っかからない。今までの恋人達も、坂を転がるように落ちぶれていくアルジャンを支える気概などなく。今まで自分を持て囃していた全てが敵となり、アルジャンの矜持を傷つけ……無慈悲に幸せを奪っていた。
「……どうして……? どうして、僕が認められないんだ……?」
遠くからかつて自分の舞台だった劇場を見つめては、アルジャンは人知れず涙を溢す。自分を切り離した劇場が落ちぶれていたのなら、どれ程までに愉快だっただろう。だが……実際に落ちぶれたのはアルジャンのみで、新しい主役の舞台は連日大盛況だと、聞きたくもない噂が心なく流れてくる。
「あぁ、そうだ。……彼女にもう一度会って、謝ればいいのか……。勝手に約束を破って、悪かった……って」
そうして、もう一回契約をしてもらおう。
アルジャンは重い足を引きずって、安いアパルトマンの一室へ転がり込む。一時期は豪華になった家具も、落ちぶれていくたびに、手放していった。今のアルジャンに残っているのは、1週間後に退去を迫られているこのアパルトマンのみだ。
「……ふふ、後悔しているのね?」
「あぁ、後悔している。……とっても」
初めて出会った夜のように。女はマットレスさえなくなってしまった、ベッドの木枠に腰掛けている。あの時とちっとも変わらない、妖艶な笑みに優雅な仕草。だが……今宵の彼女はアルジャンに微笑みかけると見せかけて、瞳にありありと失望と軽蔑の色を忍ばせていた。
「もう一度……もう一度、チャンスをくれないか? 今度はちゃんと約束を……」
「もう結構よ。あなたにはとっくに飽きているし」
「そこをなんとか……!」
汚れ切った板間に頭を擦り付け、彼女の足元に膝を折るアルジャン。しかして、彼の頭上から降ってくる声は……どこまでも冷たく、彼を徹底的に拒絶するものだった。
「推しのくせに生意気な。私はね。自分だけの推しが欲しいの。自分だけのために、輝く人間が欲しいのよ。私を蔑ろにする推しなんか、この世から消えてしまえばいいの」
あなたが他の誰かのものになった時、私の情熱は冷めるのよ。
報告の機会を作ったのは、推しを独り占めする時間を用意するため。
恋人を作っていいだなんて条件を作ったのは、推しの忠誠を試すため。
アパルトマンに縛り付けたのは、私との出会いを思い出させるため。
それもこれも、自分だけの推しで居続けて欲しかったから。それを満たせない偶像は、もういらないわ。
「……あぁ、そうそう。契約違反のペナルティ、説明していなかったわね」
「ペナルティ……?」
「そうよ? 私の期待を裏切る推しには、ペナルティを用意してあったの。私が与えた幸せは全て返してもらうわ。私が与えたチャンスは全部潰してあげましょうね。そして……この先ずっと、あなたの幸せを奪い続けてあげる。どんどんどんどん、惨めにしてあげるわ」
それとも、惨めになり切る前にこの世界から消えてみる?
真っ赤な唇から落ちる乾いた言葉に、アルジャンは目を瞠る。しかし、彼が顔を上げた先にあったのは女の美しい姿ではなく。……ベッドの木枠を踏み台にせよと言わんばかりにぶら下がった、縄の輪っかだった。
あぁ、そうか。自分は勘違いしていたのか。自分を支え、自分を愛し、自分を認めてくれた彼女を裏切ることは、この世界から拒絶されることだったのか。華々しい舞台に立つには、才能や美貌だけではなく……チャンスも必要。そして、何より……自分を推して、自分を見つめてくれるファンの存在が必要不可欠。そう、彼女達の情熱を蔑ろにしてはいけなかった……。
***
「と、いう訳で。……前の推しは不慮の事故で亡くなってしまったの。だから、あなた……アルジャンの代わりに、私の推しにならない? 私ね、欲望に塗れた人間が好きよ? でも……もっと大好きなのは、私を裏切った相手が落ちぶれていく姿を見つめることなの。……ふふ。これこそ、最高のカタルシスだと思わない?」




