8 聞いておらぬ
「久しぶりの登城だから、私たちは知り合いの大臣たちに挨拶に行ってくるよ。シャルロタさんは騎士団の見学に行っておいで」
レーモとフローリアはそう言って軽い足取りで去って行った。
背の高いシャルロタの横には、さらに大きな体格の男が立っていた。茶色の髪を後ろに流し、きりりと厳つい眉をした騎士団長だ。
「うむ。では、騎士団長殿。案内お頼み申し上げる」
「……。噂には聞いていたが、生で聞くと迫力がすごいな」
「話し方については、ただ今勉強中である。ご勘弁いただきたい」
「それも聞いている。俺に気を遣わなくていい。まあ、楽にしてくれ。見学塔はこちらだ」
「うむ。かたじけない」
シャルロタは隣を歩く騎士団長の姿をちらりと確認した。彼の黒い騎士服には装飾が多い。各所に立っている騎士と比べてもやたらと多い。
それは戦う時に邪魔ではないのか。その大きな勲章はいざという時にいちいち外すのか。そもそもその長いマントを着けたまま腰の剣を振り回すというのか。
「ふ。それだけこの国が平和だということか」
シャルロタは床に視線を落とし独り言ちた。国が変われば戦い方も変わる。国境の戦場だけではなく、国内でも日々戦争が起きていた帝国とは違うのだ。
「ここからならよく見える。好きなように見学してくれ」
「うむ、そのようだ。騎士団長殿、かたじけない」
見学塔の螺旋階段を上り、二階の一室に通された。鍛錬場に面した壁が一面窓になっていて、確かにここからなら全員の動きを見ることができる。
「一番手前にいるのが第一騎士団。その左側が第二。奥が第三だ」
第一、第二騎士団は練習用の剣を持って打ち合う練習をしている。その奥で第三騎士団は各々筋トレをしている。
遠目で見ても、全員細い。帝国の兵士たちはシャルロタも含め、皆ゴリラのようだった。いや、よう、ではない。全員ゴリラだった。
一方、リミニ王国の騎士たちは、確かに筋肉は付いているがスラリとしている。僧帽筋が発達しすぎて首のなくなったものなど一人もいない。二の腕が太すぎてまっすぐに下ろすことができずにペンギンのようになっているものだっていやしない。
そんな小さな体で敵を討つことができるのか。いや、しかし、国が変わればうんたらかんたら。
いつの間にか腰に手をあて仁王立ちして何やらブツブツとつぶやいているシャルロタに、騎士団長は笑みをこぼす。
「そんなに真剣に見てくれるとは光栄だ」
「あ、……ああ。帝国とは違う鍛錬方法が非常に興味深いのだ」
「君の素性を知っているのは国王陛下、書類を受理した大臣と文官、そして騎士団長である私と私の家族だけだ。他のものは、帝国から来た元伯爵令嬢、としか知らない。だから、私の前では特に気を遣う必要はないが、他のものの前では兵士だったことは言わない方がいい。その見た目で武に長けているなど、良からぬことに巻き込まれる可能性がある」
「ふむ、それは子爵家に迷惑がかかるな。ご忠告痛み入る」
シャルロタは騎士団長に大きく頷いた後、再び鍛錬場へ目を向けた。
第一、第二騎士団は今度は合同で集団での打ち合いの練習を始めている。その向こうでは第三騎士団はまだ筋トレを続けている。
お前たちはそれでいいのか、第三騎士団。体を鍛えるだけで国民を守ることができるのか。
シャルロタはハッとしたようにあごに手を添えた。
そういえば、レオポルドは第三騎士団所属だと言っていたな。もしかして、あの中にいるのだろうか。
第三騎士団一人一人の顔を見ようと目を細めたシャルロタに、騎士団長がぽつりと声をかけた。
「レーモ卿も夫人も、久しぶりにお会いした。お元気そうで何よりだ」
「ほう、義父上と義母上とそれほどまでもよしみがおありか」
「よしみ、って言うか、隣に住んでいるからな」
「うむ?」
首を傾げるシャルロタに、騎士団長も困ったように眉を寄せて首を傾げた。
「もしかして、聞いていないのか? 俺は子爵家の隣のタッキーニ侯爵家の長男、ネレーオだ」
「げに!?」
「それは、まじで!? って言ってんのかな……? 次男のジェミニアーノはさっき陛下の後ろに控えていたのだが……それも知らなかったか。ジェミは結婚して王城近くのアパートに暮らしているし、俺とレオポルドは騎士団の寮に部屋を持っている。なかなか家には帰らないから俺たちのことは知らないのも仕方がない」
「ぬ? レオポルド殿は毎日家に帰ってきているようだが。いつも生け垣から我が家をのぞいておるぞ」
「ほう……レオが……」
あごに手をあて、騎士団長がにやりと口の端を上げた。
「確かに三兄弟は騎士団に所属していると聞いたような気がいたす。むさくるしいという話と塀をぶち壊したという話の印象が強くて、すっかり忘れておったわ」
「そんなことを教えるのは母に違いない。……塀を壊した話の方こそ忘れてくれ。言っておくが、壊したのは弟たちだぞ。俺はその場にいただけだ」
「最初に手押し車にファウスト殿を乗せたのはネレーオ殿だと聞いておるが」
「そんな詳細に話したのか、あの母は……!」
今日は久しぶりに家に帰って母と話をしなければならん、と騎士団長がつぶやいた。
これだけ毎朝通っていれば、教会の神父ともすっかり顔見知りとなった。聖堂の天井画の解説を聞いていたら、いつもよりも少しだけ帰りが遅くなってしまった。義父上と義母上が朝食を待っていることだろう。シャルロタは足早に教会を出た。
「おはようございます! シャルロタさん」
そこには欠けた石造りの門に寄りかかるレオポルドが立っていた。今日も夜勤明けなのだろう。ふわふわの巻き毛が少しくったりとして、いつもより髪が伸びたように見えた。
「うむ。ご機嫌よう。貴殿は夜勤明けか。大儀であった」
「明け方に夫婦げんかの仲裁に入ったら、巻き添え食らって水かけられちゃいまして。この有様です」
「夫婦喧嘩の仲裁なんてこともいたすのか」
「街中を逃げる夫を奥さんが包丁振り回して追いかけてたのでね、さすがに。市民が巻き込まれたら一大事ですから」
「夫婦喧嘩とは家屋でいたすものだと思っておったが、もっと規模の大きなものが開催されることもあるのだな」
「いや、普通は家庭内で収めるものですけどね。おっ、俺はっ、将来っ、奥さんを怒らせるようなことは、けしてしません!」
「うむ。見上げた志、あっぱれである」
シャルロタはそうこたえると、きょろきょろと辺りを見回した。
「して、貴殿はこんなところで何をしているのだ」
「教会から出てくる噂の美女と一緒に帰りたいなって思いまして、待ってました」
頬をピンクに染めているレオポルドの言葉に、シャルロタは首を傾げ、教会を振り返った。
「残念ながら、その美女とやらはいないようだ。今まで教会にいたが、それがし以外の女子は見かけなかったぞ。この時間ではないのではなかろうか」
「あ、えっと、シャルロタさんと一緒に帰りたいってことです」
「ぬ? それがしでも良いのか? では、共に帰ろうぞ」
二人はすぐに歩き始めた。シャルロタはふと違和感を覚え、レオポルドを見た。足が長いわりには歩幅を小さくしてゆっくりと歩いている。のんびりとした性格なのであろうか、と思ったが、すぐにそれは自分の歩幅に合わせてくれているのだと気付いた。シャルロタは非常に申し訳なく感じ、歩幅を大きくした。
「そう言えば、騎士団の練習を見学に来てたって聞きました」
「うむ。実に興味深い経験であった」
「わー、言ってくれれば俺が案内したのにー!」
「貴殿の兄は騎士団長だったのだな」
レオポルドがきょとんと首を傾げた。
「言ってませんでしたっけ」
「存ぜぬ。言われてみれば似ている気はするな」
「そうかな。やだな」
「貴殿もあの時、鍛錬場におられたのか」
「いえ、俺は仕事中だったので」
「うむ。そうであったか」
改めて隣にいるレオポルドを上から下まで見て見れば、やはり帝国兵と比べて体が小さい。そんな腕ではシャルロタたちが好んで使っていた大剣や大鎌は持てないだろう。レオポルド殿はまだまだ若い。これから鍛錬を積んで鍛えてゆけば良い。
そんなことを考えていたので、「もしかして俺のこと探してくれてました?」というウキウキしたレオポルドの声はシャルロタには届かなかった。
「それにしても、シャルロタさんて敬虔な信徒なんですね。帝国でも毎日教会に通っていたんですか?」
ふ、と思わず声を漏らして笑ったシャルロタは地面に視線を落とし、瞬きを一つすると、レオポルドを見上げた。
「いや。そうではない」
シャルロタはレオポルドと目が合うと、わずかに口の端を上げ、自嘲気味に笑った。
「帝国では兵団で行われた儀式に参加したことがある程度で、心から神に祈ったことなどない。……ただ、この国へ参る道中、考えたのだ。それがしが殺した敵たちの家族はどうしているのだろうか、と」
レオポルドがぐっと息を呑む音がした。
「それがしは戦には勝ったが、国を失くした敗者だ。この手によって家族を失ったものたちは、周囲の歓喜の声の中、悲しみに暮れているのだろうか、と。……それがしは昔も今も神に祈ったことなどない。屠った敵の家族の為に、ただ祈っているのだ」
自分に言い聞かせるかのようなシャルロタの声に、レオポルドは何と返事をして良いものか頭をひねったが、かけるべき言葉が見つからなかった。
「ええと。あ、シャルロタさん。あそこのハムとチーズのサンドイッチ、うまいんですよ。食べませんか?」
「うむ。そうしたいところではあるが、義母上と義父上とこれから朝餉なのだ。またの機会としよう」
「そ、そうですよね~」
気まずそうに頬を指で掻いたレオポルドは、パッと顔を上げた。
「シャルロタさんは、立派だと思います。その、命は、勝ち負けで語れるようなものではないので。って、俺も騎士なんですけど」
眉を上げたシャルロタがきょとんとした後、目を細めて笑った。
「うむ。かたじけない。では、これからも礼拝は続けることとしよう」
「ええ。……また一緒に帰ってもいいですか」
「無論である」
「やった」
「そういえば貴殿はいつも道路側を歩いてくれているのだな」と言いかけたが、楽しそうに腕を振って歩くレオポルドの微笑ましさに、シャルロタは口を閉じた。
このストーリーで真面目なのはシャルロタだけです。




