7 謁見
「あら、これ素敵ですねえ」
そう言ったアニェーザの手には、華奢なつくりの髪留めが握られている。鏡台に置きっぱなしにしていたのを見つかってしまったのだ。
「昨日の夕方にレオポルド殿がいらして、頂戴つかまつった」
「あら、まあ、あらあら」
「ふむ。先日、それがしが庭の雑草をむしっている時に、髪が落ちてきて困じていたのを見たのであろう」
「それにしては随分高価なものですわよ、これ。というか、お嬢様。草むしりをなさったんですか?」
「うっ……いや、ちょっと気になったものでな……運動がてら、だ」
「日焼けするからおやめください、と言いましたでしょう」
「……面目ない……」
ぷりぷりと怒った後、アニェーザは宝石箱へ髪留めをしまった。いらない、と言っているのに、養父母はシャルロタに高価なアクセサリーを買い与える。いる、いらない、ではなく、ドレスに合わせてこういったものを着けるのが礼儀なのだそうだ。
ドレスショップのお針子たちが頑張ってくれたので、普段着用のドレスに続き、訪問用のドレスも出来上がって来た。
二人でドレスをクローゼットにしまっていると、ドアをノックする音が響いた。シャルロタが返事をすると、珍しくレーモがドアから顔をのぞかせた。
「ああ、予定通り届いたんだね。良かった、良かった」
「うむ。このような素晴らしいものを贈っていただき、まことにかたじけない。義父上の誠意に報いるよう、努力する所存である」
「いいんだよー。娘っていいね。華やかで、プレゼントの贈りがいがある。さっそくその努力の見せどころがやってきたんだけど、国王陛下に挨拶に行く日程が決まったよ」
「ぬぬっ、国王陛下との謁見とな!?」
「うん。ある程度の爵位の貴族は陛下に認めてもらって、初めて貴族と名乗れるんだよ。たいていは子供が生まれたら王城に見せに行って、陛下に抱っこしてもらうと健康に育つって言う験担ぎがあるんだ」
「ううむ、リミニ国王にそんな力があったとは。あっぱれである。それがしも抱いてもらったほうが良かろうか」
「うーん、違う意味に聞こえちゃうから、陛下の前では今の絶対言わないでね」
「うむ?」
シャルロタを鏡の前に立たせ、レーモとアニェーザが謁見時のドレスを選んだ。いつも通り首までしっかりと締まった露出の少ない、それでいて華やかなデザインのものにした。背が高くスタイルの良いシャルロタには良く似合うことだろう。
「そうだ。陛下に挨拶した後は、騎士団の練習を見学できるように騎士団長に話をつけてきたよ。シャルロタさんはそういうの見たいんじゃないかって思ってさ」
「うむむっ! そ、それは! 是非見たいぞ! いつも本当にかたじけない、義父上」
「いいんだよー」
義父上は騎士団長とも気軽に話のできる立場のお方であったか。裕福な家だとは思っていたが、やはりそういった人脈にも長けていたとは。腕を組み納得したように何度も頷くシャルロタに、アニェーザが言った。
「じゃあ、さっそく礼儀作法をおさらいしましょうか」
「うぬ?」
「帝国では皇帝陛下にお会いになったことは?」
「無論。騎士叙任式で陛下に謁見した。剣を肩にあてていただいたときの緊張と誇らしさは今でも忘れてはおらん」
「いやな予感がしますわ。一緒に練習しましょう」
「うむ、そのほうが良かろう。お頼み申し上げる」
子爵家の馬車は見た目も地味でさほど大きくはないのだが、中の座席は非常に座り心地が良く、こういうお金のかけ方は好感が持てる、とシャルロタは常々思っていた。馬車の心地よい揺れに、謁見の緊張もいくぶん和らいだ。そのせいで、家を出る前にアニェーザに口を酸っぱくして言われたこともすっかり頭から抜けてしまっていた。
王城に到着し、馬車の扉が開いた。レーモ、フローリアに続いて降りようとすると、王城の騎士がシャルロタの前にすっと手を伸ばした。
まだ降りていないのに気の早い男だな、と思いつつ、シャルロタはその手をがっちりと握り握手した。
「シャルロタ・クローチェである。よろしくお頼み申し上げる」
「!?」
騎士が目を見開き動揺している。シャルロタの言動にもはや驚きもしないレーモが優しく声をかけた。
「シャルロタ。騎士様は馬車を降りる君にお手を貸してくださったのだよ」
「ぬぬぅっ、それは失礼つかまつった」
シャルロタがパッと手を放すと、騎士は顔を真っ赤にしながら軽く頭を下げた。シャルロタはそれに一度頷くと、再度手を伸ばした。
「かたじけない。もう一度やり直してもらえぬだろうか」
「は、はいっ。もちろんです」
シャルロタは騎士の手を借りゆっくりと馬車を降りた。一時は緊張感が走った馬車溜まりであったが、悠然としたシャルロタの態度にその場にいた全員が見とれていた。
いつもは文官が足早に行き来している騒がしい廊下も、今日ばかりは違った意味でざわついていた。この辺りでは見慣れない亜麻色の髪を上品にまとめ上げ、若い令嬢にはない落ち着きと堂々とした風格でレーモの後ろを歩くシャルロタに、皆が目を奪われていた。すれ違いざまに目が合った文官は、シャルロタになぜかほほ笑んで大きく頷かれ、気付けばその場に膝をついて礼を返していた。
謁見の間に到着し、三人は事前に打ち合わせをする間を与えられることもなく、すぐに扉が開かれた。レーモ、フローリアの後についてシャルロタは入室した。玉座の前でレーモが片膝をつき、フローリアがスカートを持ち上げて跪いた。それに続いてフローリアの隣に大きく足を開いて片膝をついた。右の拳を握り、どんっと勢いよく左胸にあて姿勢を正す。
「あ」というフローリアの小さな声に、シャルロタは自分が間違えたことを悟った。そうだった。本来ならば、フローリアのように膝を揃えて跪くはずだった。
あんなにアニェーザと練習をしたというのに、面目ない。無念、げに無念である……。
難しい顔をしたシャルロタが無言ですっくと立ちあがると、玉座で目を点にしていた国王がびくりと肩を揺らし、身を起こした。壁際で控えている近衛騎士たちも固唾を飲んでその様子を見守っている。
「かたじけない。礼を失してしまった。それがしにもう一度やり直す機会を与えてはいただけまいか」
「えっ、あ、はい。うむ。許そう」
国王が椅子に深く腰掛け直しながら頷くと、シャルロタはペコリと頭を下げ、さっそうと踵を返した。大きな扉まで戻り、くるりと振り返ると、まるでダンスのターンのようにスカートが翻った。背筋を伸ばして堂々とフローリアの隣まで行くと、大仰な動作でスカートを払い、膝を揃えて床に跪いた。
「まあ、とっても良くできたわぁ」とフローリアが小さく拍手し、シャルロタが「うむ、練習の甲斐があったというものだ」と頷いた。微妙な笑顔で二人を見守っていたレーモが、コホン、と一つ咳ばらいをし、正面を向く。ポカンとしていた国王がそれに気付き、そっと姿勢を正した。
「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう、ご拝謁できましたこと身に余る光栄でございます。こたび、我が家に養子を迎えましたので、ご挨拶にはせ参じました」
恭しく礼をするレーモを一瞥し、国王はゆっくりとシャルロタに視線を移した。実際、先ほど驚いてがっつり見ていたのではあるが、形式として一応、今初めて気が付いたみたいな顔をした。
「うむ。話には聞いておったが、このような美しい娘が来るとは思うてはいなかった。そなたたち、おもてを上げよ。許す」
レーモ、フローリアと続き、シャルロタはゆっくりと顔を上げた。伏せていた長いまつ毛がそろそろと上がる様は薔薇のつぼみがほころぶかのようで、騎士たちがハッと息を呑む。周囲の視線が一気に集まる中、シャルロタの紅い唇が動いた。
「お初にお目にかかる! それがしはシャルロタと申す。縁あってクローチェ子爵家に養子として迎えていただくこととあいなった!」
「んっ? それがし、って言った? ……うん、うむ。シャルロタか。よ、良い名である。そなたの境遇は聞き及んでおる。ようこそ我が国へ。歓迎しよう」
「うむ。国王陛下に迎え入れていただけたこと、この上ない僥倖に存じる! 恥ずかしながらここまで生きながらえて参り申したこの身。これからは心優しき義父上、義母上のため、果てはこの国のために、たまゆらのこの命を賭する覚悟である!」
「えっ、ああ、ええと、うむ。苦しゅうない」
今日って叙勲式だっけ? それとも出陣式だったっけ? 普段は威厳のある国王も、可憐な令嬢から発せられる勇ましい言葉にすっかり気圧されていた。
「シャルロタさん、元気よく言えたわねえ。立派よ」
パチパチと手を叩いてシャルロタを褒めるフローリアを見て、国王は何だかもうどうでも良くなってきた。
「えーと、うむ。シャルロタとやら。将来は子爵家を支えられるよう、健康に気を付けて、日々努力を惜しまずに励むように」
「御意」
国王は深く礼をしたシャルロタの後頭部を見ながら、何か最後のとこ校長先生みたいになっちゃったな、とちょっとだけ照れた。
フローリアもたいがいです。




