31 婚約者?
バザー当日、シャルロタはいつもよりもさらに肌の露出のないドレスを着せられ、しっかりと手袋をはめられた。肌が出ているのは、もはや顔だけ。しかもつばの広いボンネットをかぶらされているので日焼け対策は万全である。
馬車から降りると、隣にアニェーザ、背後にはぴったりと護衛が張り付く。
「それがしは、ちい姫を守るために赴いたはずであったが……」
「ちい姫様は大丈夫ですよ。騎士団長様が護衛についてますからね」
シャルロタのつぶやきに、アニェーザが返事をする。
街の外れから貧民街へ続く道路には、屋台が軒を連ね、見るからに貴族といった人々がそれを眺めながら歩いている。呼び込みの元気のよい声、それに思わせぶりな態度を取る客。軽やかな笑い声がそこかしこから聞こえ、自然と足取りが弾んでしまう。
混雑の中から、わあっと声が上がる。
二つに分かれた人込みの間から、一人の男が飛び出してくる。そのすぐ後ろを第三騎士団の制服を着た騎士が追いかけてきた。すぐに捕まった男は、それでも逃げようとじたばたもがいていたが、騎士に軽く頭を小突かれ、苦笑いをしながら大人しく連行されて行った。この辺りでは見慣れた風景からか、人々に動揺は見られない。それでも貴族令嬢たちは護衛の後ろに隠れながら、興味津々にその後ろ姿を目で追っていた。
よく見れば第三騎士団が要所々々で警備をしていて、ああ、ここをちい姫の馬車が通るのか、とシャルロタは思った。
「お嬢様、どうぞ」
足元から声がして、見下ろすとそこにはボロボロの服を着た少年がずた袋を持って立っていた。袋の中は紙くずなどのゴミでいっぱいだった。
「うぬ?」
「シャルロタ様、失礼いたします」
護衛がアニェーザとシャルロタの手から紙ナプキンを取り上げる。先ほど屋台で買った揚げ芋を包んでいた紙だ。護衛はそれを少年の持つ袋に放り込むと、ポケットから出した小銭を手渡した。
「ご苦労。三人分だ」
「やった! ありがと!」
少年は嬉しそうに駆けてゆき、人込みに消えて行った。
確かに食べ終わった後のゴミはどうしたら良いものか、と思っていた。貧民街の子供がああして駄賃を稼いでいるのか。どうりでゴミ箱が設置されていないと思ったのだ。シャルロタはなるほど、と感心した。
「レオポルド様いませんねえ」
さっきからアニェーザがきょろきょろしていると思ったら、レオポルドを探していたらしい。
「まあ、こっちが見つけるよりもあっちが先に見つけて声をかけてくるでしょう」
アニェーザがあきらめて屋台の食べ物を物色し始めた。しかし、背の高いシャルロタからは、遠くにいるレオポルドの姿が見えている。
レオポルドはこちらに来たいようだが、数歩歩くごとに破落戸に声を掛けられ立ち止まり、歩き出せばまた違う破落戸に声をかけられて、なかなか進めないでいた。やっと解放されたと思ったら、今度は泣いている迷子を見つけてしまったようだ。名残惜しそうにこちらをちらりと見た後、子供を肩車した。
シャルロタがそっと手を挙げると、それに気付いたレオポルドも軽く右手を挙げた。そして、くるりと振り返って迷子の親を探しに人込みに消えて行った。
見えなくなった背中に目を細めていると、護衛と目が合った。彼にもレオポルドの姿は見えていたらしい。
「しからば、教会へ向かおうか……アニェーザ?」
いつの間に買ったのか、アニェーザが山盛りのから揚げを頬張っていた。ダイエット中とか言っていなかったか? と思ったが、シャルロタは苦笑いするだけに留めておいた。
「皆、第三騎士団には気安く話しかけるのだな」
ぽつりとこぼしたシャルロタの言葉に、護衛が頷く。
「第三はそういう感じですね。この辺りにいる小悪党どもと顔見知りになることで犯罪抑制になりますので」
「さもありなん」
「これからちい姫殿下の護衛で来る近衛なんかはかなり雰囲気が違いますよ」
確かに先日の誘拐騒動の時に見かけた騎士たちは、ジェミニアーノは別として、皆きりりと締まった顔つきをしていて近寄りがたい感じがした。いつも柔和な笑顔のレオポルドとは目に見えて違った。
敵と仲良く会話するなど、元兵士のシャルロタには想像もつかないことであったが、実際に目の当たりにしてみるとなかなか心の温かくなるものだな、と思った。
「時に……騎士である侯爵家の兄弟が王太子殿下と気安いのはわかるが、アマンダ殿までも顔見知りのようであったが、この国ではそういうものなのか?」
突然立ち止まったシャルロタに、唐揚げで頬を膨らませたアニェーザがキョトンとして振り返る。
「そりゃあまあ、ご結婚されたら親族となりますからねぇ。王太子殿下は以前は侯爵家によく遊びに来ていましたよ。三兄弟と年が近いから話が合うのではないでしょうか」
「結婚?」
「ええ、今はまだ婚約者ですけどね」
王太子殿下の婚約者……ということは、アマンダか?!
「あにはからんや!」
シャルロタは叫んだ。その婚約はまさか、まだアマンダ本人には知らせていないのか?もしかして成人したあかつきに知らせるつもりなのか。アマンダはダンスした青年とせっせと文通を始めてしまったぞ!
青年はどこぞの伯爵家の令息だといっていたが、相手が王太子では分が悪すぎる。
かといって、ただの隣家のシャルロタが口を出すような問題ではない。せめてアマンダが傷つかないように穏便に事が進むのを祈るだけだ。
「アニェーザ、明朝の礼拝は遅くなるぞ……」
少しだけ青ざめたシャルロタがそう言うと、アニェーザは不思議そうに首を傾げた。
教会は貧民街近くなだけあって、建物はぼろぼろだった。薄汚れた門を通り抜けると、所々レンガの崩れた建物には似合わない高級なドレスを着た貴族たちが、バザーの品に手を伸ばしている。
貴族が目をつけるものは、やはり貴族が出品したものばかりだ。シャルロタは孤児院の子供たちが出品しているブースへ向かった。
「あ、おかしな言葉のお姉さんだ」
炊き出しの時に出会ったのだろうか。シャルロタを指さした子供が叫んだ。護衛が思わず吹き出し、アニェーザに睨まれた。これは早急に令嬢言葉を習得する必要があるな。シャルロタは深くなった眉間のしわを揉んだ。
子供たちが売っているのは、端切れを縫い合わせたパッチワークの膝掛けだった。
戦場でくるまって寝ていた毛布は、ネラが破れた部分にあて布をして縫い合わせてくれたものを使っていた。この下手くそなパッチワークは、それを思い出させる。
「これを一つもらおう」
「ありがとう、お姉さん」
アニェーザが代金を支払い、膝掛けをバッグにしまう。
門のあたりが騒がしくなり、目の前の子供たちの表情が少し強ばった。続々と近衛騎士が連なって入ってきては、辺りを見回している。
ちい姫がいらしたのだ。
近衛騎士に並び、シャルロタも一緒に辺りを見回す。不審な人物はいない。教会の窓、木の影。危険物も見当たらない。
「ぬ? ああ、面目ない。つい長年のくせで」
腰を低くして周囲を確認するシャルロタに、騎士が訝しむ視線をよこす。
「……この人は気にしなくていい……」
落ち着いた低い声が聞こえ、顔を上げると騎士団長のネレーオがこちらに向かって歩いてきていた。
「シャルロタ殿。警備は我々がやるので、少し下がってくれ」
「ぬう……」
シャルロタが一歩後ろへ下がると、門からさらに大勢の騎士が入ってきた。周りの人々が跪き、頭を下げる。シャルロタもアニェーザにならってあわてて跪いた。
つばの広い帽子のシャルロタからは、騎士たちの靴先くらいしか見えなかった。
ちい姫……ちい姫……。騎士を従え、こうして民草の暮らしを直に検分なさるとは、幼いながらもなんと立派な姫君なのか。
シャルロタはさらに深く頭を垂れた。
「お嬢様、もういいですよ」
アニェーザの声に頭を上げると、大勢の騎士たちが教会に入っていくところだった。
「ちい姫は……」
「騎士団長に手を引かれて教会に入りましたよ。まずは神父様にご挨拶なさるのでしょう」
「それがしも中に入りたい」
「今は……難しいかと」
シャルロタの我がままに、苦笑いの護衛がこたえた。ぷう、と頬を膨らませたシャルロタを見て、子供たちがくすくすと笑う。
「お姉さん、教会の中に入りたいの?」
そっと近づいてきた少年が、シャルロタに小声で話しかけた。
「さよう」
「入りたいってことだね? こっちおいでよ。僕、知ってんだ。内緒の入り口」
「なんと!」
アニェーザは揚げたてのドーナツの試食に舌鼓を打っていて、その隣で護衛は荷物持ちをさせられている。二人からこっそり離れ、少年の伸ばす手を取った。
「ちい姫のお姿を一目見たいだけなのだ」
「いいよ、こっち来て」
小さな手に引っ張られながらしばらく走ると、低い柵に囲まれた庭に出た。よく見ると隅の方に兎が二羽身を寄せ、雑草を食んでいる。
「兎のしろちゃんとくろちゃんのお家を通って行けば、中に入れるよ」




