29 解決
「本当に……この兄弟は……」
そうつぶやきながら、鉄柵を踏まないように器用に庭に入って来たのはセストだった。
「王太子様!」
少女たちの中で王太子の顔を知っているのは、アマンダだけだった。叫んだアマンダの声に、少女たちが驚いた表情を見せた。あわてながらも、習ったばかりの礼をとる。
「いや、ここでは礼はいらない。許す」
軽く手を挙げて少女たちを立たせると、セストはジェミニアーノとレオポルドに視線を移した。
「ジェミニアーノ、立て。怯える少女たちをさらに戸惑わせてどうする。それからレオポルド。いい加減シャルロタ嬢から手を放せ。調子に乗るな」
「ちっ」
「レオ、おまえっ……、今、舌打ち……!」
「いえ、まさか。王太子様、ご足労おかけします」
わざとらしく恭しい様子で頭を下げるレオポルドを一睨みした後、セストは男たちが全員捕縛されているのを確かめた。
シャルロタが解放されると、少女たちがすぐに駆け寄った。
「シャルロタ様、ありがとうございました」
「とっても素敵でした!」
「かっこ良かったですわ!」
せっかくのドレスが土まみれになってしまっているのに、少女たちはシャルロタから離れようとしなかった。シャルロタは黙ったままホッと小さく息を吐く。
「うぬ? そういえば、なぜ王太子殿下までここに?」
そう言ってシャルロタが顔を上げると、セストと目が合った。
「子爵家はレオの元へ遣いを出したが、侯爵家は騎士団長のネレーオの元へ遣いを出した。が、ネレーオは今日は遠出をしていたものだから、遣いは代わりにジェミニアーノのところへ来たんだ」
首を傾げたままのシャルロタを見て、セストがニヤリと口の端を上げた。
「最近多発していた貴族の少女たちの誘拐事件は、俺が密かに探っていたんだ。近衛騎士を連れて王城を出て、途中で馬を駆けるレオと合流した。君の残した赤いリボンにレオが気付かなかったら、到着はもっと遅かっただろう。助かったよ」
「うむ。もったいないお言葉、かたじけない」
「おかげでクリオーネ男爵も捕らえることができたよ。現行犯だ。なかなか尻尾をださないから手こずっていたんだ」
シャルロタは捕縛され連れて行かれる男たちを睨んだ。少女の誘拐事件などというものが起きていたとは。アマンダが誘われなかったのは、高位貴族の子女だったからか。このような事件に自分の名前を使われていたとは、何たる不覚。
「これまでに誘拐された少女たちは、見つかるのか?」
「今頃男爵家に騎士団が踏み込んでいるところだ。どこに売ったのか証拠が残っていればいいがな」
セストはそう言うと、厳しい表情を見せた。
シャルロタの腕にしがみついていたアマンダが、セストの元へ走り寄った。
「殿下……ありがとうございました」
「アマンダ嬢、よく頑張ったな。それでこそ、騎士団長を輩出しているタッキーニ侯爵家の娘だ」
「殿下……そんなこと……」
「いや、立派であったぞ」
「違うんです、殿下。そんなことよりも、早く兄たちをどこかに連れて帰ってください。これ以上余計なことしゃべらせないで」
「あ……はい」
「ジェミ兄様は傍に置かずに、捕縛の方へ回すべきでしたわ。しゃべってる暇を与えないでください」
「アマンダ。おやおや、もしかしてこのお嬢さんたちがキューピットの矢に射貫かれ俺に恋をしてしまうのを心配しているのかな」
「殿下!」
「おい、帰るぞ。ジェミ。早く」
セストはこめかみを押さえながら、ジェミニアーノの腕を引っ張ってそそくさと帰って行った。
巷で起こっていた貴族令嬢の誘拐事件は、クリオーネ男爵が逮捕され解決の方向に向かっているらしい。他に関わっている貴族は見つからず、男爵一人の断罪となった。高位貴族や目立つ貴族の娘を狙わなければ騎士団は動くまい、と男爵は思ったらしいが、そんなはずもなく、しっかりと王太子が指揮を執って密かに捜査はすすめられていた。
少女たちに声をかけていた男爵の娘は平民あがりの後妻の連れ子で、貴族の世界のこともよくわからないまま、父親の言いなりになっていたそうだ。今は母子そろって修道院で保護されている。
そもそも、騎士団長が不在だったのは、誘拐した少女たちの引き渡し場所ではないかとみられる、男爵の別荘に行っていたからだった。そこはすでにもぬけの殻だった。
シャルロタは大きく息を吐いた。少女たちはできるだけ早く見つかってほしい。きっと他国へ売られてしまったのだろう。以前のシャルロタだったら、槍を背負って今すぐにでも乗り込んで行ってやるのに。
「あら、お姉様。大きなため息ね」
隣に座るアマンダがシャルロタの顔をのぞきこんだ。あの事件以来、ダンスレッスンに来る少女たちは、シャルロタを「お姉様」と呼ぶようになった。慕われているのは嬉しいが、どうにもくすぐったいから止めて欲しい。
「うぬっ、すまぬ。ちと考え事をしておった」
「あら、言葉がもとに戻ってるわよ。レッスン中は令嬢言葉でしゃべる約束でしょう」
「う、ぬぬ。今は、休憩中ゆえ」
アマンダにじろりと睨まれ、シャルロタが身を縮めた。お茶のお代わりを淹れたアニェーザが堪えきれずに吹き出す。今日は侯爵家でシャルロタの令嬢言葉レッスンの日だ。アニェーザは講師兼侍女として一緒にお邪魔している。
「まあまあ、アマンダ様。お嬢様はお屋敷にお帰りになった後も、私と練習してるんですよ。大目に見てあげてください」
「ふふっ。そうね。声の出し方も随分と自然になったもの。始めはどうなるかと思ったけど、さすがお姉様だわ」
「そうか! 上達しているか、それがしは!」
機嫌よくカップを持ち上げたシャルロタはカップに口を付けた。
「ほら! 言ってるそばから! 肘は張らないの! 脇を締めて」
「うぬう、不覚である」
アマンダは膝の上に置いた小説を取り、パラパラとめくった。印をつけたページで手を止めると、一度文字に視線を走らせ、口の端をきゅっと上げた。
「うん、やっぱりここのシーンが素敵だわ」
「ああ、私もそこのシーンが素直にわかりやすくていいと思いました」
「アニェーザもそう思った? じゃあ、このページを練習しましょう」
開いたままテーブルに置かれた小説に、シャルロタは身を寄せて目を通した。
「ぬ? これを言えと?」
「いいの、いいの。ただの小説のセリフだから。でも、きっとお兄様喜ぶわ」
「そうですよ、意味なんか考えずに、ただのセリフを朗読するだけです」
アマンダとアニェーザに言いくるめられている気しかしないが、今は先生である二人の教えに従うしかない。うぬぬ、とつぶやき、眉をしかめながら、その小説のヒロインのセリフを覚える。
「あっ、あと、もう一つ。お姉様に練習していただきたい言葉があるの。これは難しいから何度も練習しましょうね」
「ぬぬう、今でさえ難しいというのにか」
「お願い。私、お姉様をお義姉様って呼びたいの。皆と同じじゃ嫌なのよ」
「うぬ? もう呼んでいるではないか」
「いいの、こっちの話。この言葉を習得してもらえれば、お姉様がお義姉様になる日が近くなるのよ」
「意味がとんと分からぬが、アマンダ殿が言うのなら精進しようぞ!」
眉間のしわを深くして真剣に小説を読み込むシャルロタの影で、アマンダがニヤリと笑った。
「ふふ、お兄様。覚悟なさい」
王太子が不憫。
ただただ、不憫。




