26 誰でもいい、早く
「遅れて来るならそう言えばよいものを」
「突発的な仕事が入ったら来れないので、未確定だったんですよ。案の定ちっちゃい事件は起きたんですけど、同僚が代わってくれてギリギリ間に合いました」
「レオ、じゃあ、僕はこれで。アマンダちゃんは僕がきちんと送っていくよ」
「ああ、すまなかった。オットーネ」
シャルロタを男たちから遠ざけるように命じられていたオットーネは、そそくさとホールに消えて行った。その姿を見送ったレオポルドは、まじまじとシャルロタのドレス姿を眺めた。
「はああ、思った通り、いや! 想像以上に! きれいです! こんなに美しい人を初めて見ました」
「良いドレスをこしらえてもらったゆえ、少しは見れる姿となったであろうか」
「有象無象に見せるにはもったいないのですが……それを食べ終わったら、一曲踊りませんか?」
「うむ?」
シャルロタの手にある皿にはあと一口のキッシュが残っているだけだった。シャルロタが少しだけ首を傾げると、華奢なチェーンの下がるイヤリングがしゃらりと揺れた。その優美な音に、レオポルドがさっと胸を押さえる。
「残念だが、それがしは女性パートは練習しておらん」
「俺も全然練習していないし、夜会自体が久しぶりです。基本のステップだけで乗り切りましょう」
「何ゆえ、そうまでして踊りたいのだ」
「最初の牽制は大事なので!」
「牽制……?」
最後のキッシュを口に放り込むと、シャルロタはゆっくりと立ち上がった。そばにいた給仕に空いた皿を預け、伸ばされたレオポルドの手を取った。
「足を踏まぬ、とは言い難いが」
「運動神経だけはいいので、避けます!」
満面の笑みを見せるレオポルドに、シャルロタはもう何も言う気にはならなかった。年増の自分を人目に触れさせてアマンダを目立たせる作戦か。ならば協力を惜しまぬ。シャルロタは明後日の方向にやる気を見せた。
穏やかなワルツが始まり、二人はダンスの輪の一番端に加わった。ぐるりと見回せば、同じように端の方にアマンダがいた。相手は先ほどの男性のままだ。同じ相手と何度も踊るのはルール違反だが、よっぽど気が合うのだろう。二人はわき目もふらずに会話を楽しんでいる。
その微笑ましい光景に目を細めたシャルロタの表情に、思わず周りの人々は目を奪われた。
「シャルロタさん! そんな顔しちゃだめです。俺だけを見てて!」
「うぬっ、面目ない。つい気が緩んでしまった」
言われた通りに自分だけをじっと見上げるシャルロタの瞳に、レオポルドはまたも心臓が苦しくなった。背の高い二人が見つめ合いながら、言葉も交わさず寄り添って踊る姿に人々が見惚れた。
曲も中盤になった頃、レオポルドの瞳を見つめていたシャルロタが、ふいに視線をずらした。微かに眉を寄せ、きゅっと唇を引き結ぶ。
「シャルロタさん?」
その声に視線だけを上げたシャルロタは、困ったようにさらに眉を寄せる。伏せ気味の長いまつ毛に白い頬。溢れる色気にレオポルドは瞬きも惜しんでシャルロタに見入ってしまった。
「レオポルド殿……」
かすれた声でそうつぶやくと、シャルロタはゆっくりとレオポルドの胸にこつんと額を寄せた。
「シャ、シャルロタさんっ! そそそ、そんな、こんな人前で甘えてくるなんてっ。でも嬉しいですっ! すごく!! 俺もシャルロタさんのことっ」
「……く……」
「へ?」
「……うぐっ、吐く……食べ過ぎた……」
「ええっ! 大丈夫ですか!?」
レオポルドはすぐさまシャルロタを抱き上げると、疾風のごとく人込みをかいくぐり、会場を飛び出した。
「シャルロタさん、もう少し我慢してくださいっ」
「うぬぅぅぅ~~」
シャルロタの白かった頬はすでに青白くなっている。人気のない廊下をひた走り、近くにいたメイドに声をかけ、レオポルドは休憩室に飛びこんだ。
大きなソファに下ろされたシャルロタは、そのままパタリと倒れ、クッションに顔を埋めて動かなくなった。
「一回吐きますか? 楽になりますよ」
「い、嫌だ! 食べ物を、粗末に、しては、いかん……のだ……うぐぅっ」
「はわわ……じゃあ、楽な姿勢で休みましょう」
レオポルドは近くの椅子に腰を下ろし、ぐったりとして動かないシャルロタをちらりと見た。
憧れの休憩室を文字通り休憩のために使うことになるとは……。
はああ、と大きく息を吐く。王城の休憩室らしく、調度品は見るからに高価そうだし、何しろ壁紙から床までキラキラ輝いている。何で? 何か塗ってあるの? 毎日磨いたらこんな輝くの?
「レオポルド殿……」
きょろきょろと部屋を見回しているうちに、青白い顔のままのシャルロタと目が合った。
「面目ない……コルセットを緩めてはくれまいか……」
「あ、はい、わかりま……え!? コルセットを!?」
「うぐっ……」
「わわわわわっ、かしこまりましたっ。今すぐに!」
「これは医療行為、これは応急手当」とつぶやきながら、レオポルドはシャルロタの隣に腰掛け、彼女の背中のボタンに手をかけた。
プチ、プチ、とボタンを三つ外したところで、ドアの向こうで人の気配がした。ノックの後、返事も待たずにガチャリとドアが開く。
「レオ?」
「ああっ! お前! 何をしている!!」
「わああ! 誤解です!!」
レオポルドはあわてて両手を挙げた。開いたドアから、次兄のジェミニアーノが駆け込み、そのすぐ後ろから王太子セストが続いた。
「誤解です! シャルロタさんは具合が悪くって」
「レオポルド、貴様! 具合の悪い女性に無体を働くとは! ジェミニアーノ、捕らえろ!」
肩下までのサラッサラの黒髪をなびかせ、勝手に派手な刺繍を入れた近衛の制服を着たジェミニアーノがすばやくレオポルドを後ろ手に押さえつける。
「わーー! ジェミ兄、違うんだって!」
「犯罪者となり果てた弟に心を痛め、宝石のような涙を流している美しい俺の手で縄にかけられることを心の支えとして牢で反省するといい!!」
「涙なんか流してねーだろ! 聞けよ! ジェミ兄!」
床でドタバタと暴れている兄弟を華麗に避け、セストがシャルロタの肩に手をかける。
「ご令嬢、もう大丈夫だ」
「……誰でもいい、早くコルセットを緩めてくれ……」
「ん?」
もう限界寸前のシャルロタがそうつぶやくと、開いたままのドアからようやくメイドが顔をのぞかせた。
「お待たせしましたぁ。ご所望の胃薬お持ちしました……え!? 王太子殿下!?」
「何だ、本当に具合が悪かったのか」
胃薬を飲み、メイドにコルセットを緩めてもらい、ようやっと人心地のついたシャルロタは、ソファに腰掛け大きく息を吐いた。
隣にはレオポルド、向かいのソファには王太子とジェミニアーノが座ってこちらを向いている。
「うむ。お騒がせしたこと、深く遺憾に思っている。かたじけない」
「おお……父上から話は聞いていたが、目の当たりにすると迫力がすごいな」
「うぬ?」
王太子の父ということは、国王陛下のことだろうか。陛下が自分のことを? シャルロタが首を傾げると、ジェミニアーノが肩から落ちた髪を払いながらほほ笑んだ。
「ふ、高貴な王太子殿下よりも麗しい俺を見れば、そんな顔になるのも仕方がない。創造主が作りたもうこの世で唯一の美の化身、近衛のジェミニアーノだ。そこにいるレオの兄でもある。よろしく、シャルロタ嬢」
「……私がその見劣りする王太子セストだ。言っておくがこんなのはこいつだけで、うちの近衛はまともな奴ばかりだからな。腕が立つから傍に置いているだけで」
呆れ顔のレオポルドが頭を掻いて尋ねる。
「それで、殿下はなぜここに?」
「うむ。めずらしくレオが夜会に来たというから会いに行ったのに、女性を抱えて走り去って行ったものでな。追いかけた」
「地味な王太子殿下の影に隠れ、近衛の花である俺が目立たぬようここまで来るのは苦労したぞ、感謝しろ。レオ」
「もはや不敬すぎて罰する気にもならん」
「すみません、殿下。家族でも手に負えないんです」
三人の顔を交互に見ていたシャルロタは大きな目を瞬いた。
「貴殿らは……ずいぶんと近しいのだな。帝国では、王族と気軽に会話なんぞできんかったぞ」
「いや、本来はそうだぞ? この兄弟がおかしいだけだ。ただ、まあ、帝国ほど厳しくはない」
ちらりと壁の柱時計を見たセストが静かに立ち上がる。続けてジェミニアーノも立ち上がった。
「私はそろそろ戻らねばならん。シャルロタ嬢、落ち着いたら庭も見ていくといい。今宵のために庭師たちが気合を入れて手入れをしていたからな」
「うむ。かたじけない。あい承知いたした」
立ち上がったシャルロタが頷くと、セストは軽く手を上げて部屋を出て行った。その後ろをジェミニアーノが鼻歌を歌いながら出て行く。軽くステップも踏んでいた。
「貴殿の兄も、噂以上であったな」
「……できれば一生会わせたくなかったです」
棚ぼたエロ展開ならず、残念、レオぽん。




