25 不覚!
レオポルドは去ってゆく帝国の使者たちの行列を見守っていた。飛びぬけて体の大きなトビアーシュは遠くからでもすぐに見つけることができる。
帰途につく直前、トビアーシュはシャルロタに会わせてくれた礼を言いにわざわざやって来た。シャルロタとの仲を疑っていたことを素直に詫びたレオポルドを、彼は涙を流して笑いながら許してくれた。家族の待つ家に早く帰りたいから出世はしたくない、という微妙な価値観で意気投合した二人は、最後に固い握手を交わした。
「シャルロタは兵士としての特訓を受けていた以外は、箱入り娘として育てられました。我々もそれを鑑みて接してきたので、あいつは相当鈍い。苦労すると思いますが、がんばってください」
十歳以上も年下のレオポルドに丁寧に礼をしながらトビアーシュは去って行った。
応援されたからには頑張るぞ、と思ったレオポルドの背後には、いつの間にか騎士団長であるネレーオが立っていた。
「お前、今度の王家主催の夜会には参加するのか?」
トビアーシュ並みに体の大きなネレーオを見上げたレオポルドは、逆光に目を細めながら首を横に振った。
「そうか。アマンダの初めての夜会だろう。俺はその日遠征だし、ジェミも王太子殿下の護衛なんだ」
「へえ。まあ、アマンダは先日の帝国の歓迎パーティで楽しんできたみたいだから、別に一人でも平気でしょ。エスコートしてくれる親戚だっているし」
「まあ、あいつのことはいいんだが……。付添人にシャルロタ嬢の名前があったぞ」
「えええっ!! どういうことー?!」
レオポルドはネレーオに飛びつくと、その肩をガクガクと揺すった。ネレーオが眉間のしわを深くしてレオポルドの頭をぐっと押さえる。
「詳しくは知らんが、アマンダが言い出したらしい。まあ、年齢的にも付き添いにはぴったりだが、シャルロタ嬢自身がこの国の夜会が初めてというのもな、と思ってな」
「そそそ、そんな、着飾ったシャルロタさんを人目に触れるところに一人で行かせるなんて……こんなことになるのなら、アマンダのエスコートを断るんじゃなかった……!」
「自業自得じゃないか」
「夜会とか面倒だから嫌だったんだよ。うわあああ、わざわざ夜勤代わって仕事入れたのに! はっ!! せめてドレスは俺がっ!」
「残念だが、ドレスは母さんとフローリアさんが張り切って選んでたぞ」
「空気読めよーー!! 母ーーー!!」
ドレスショップの店主がじきじきに届けに来たドレスはトスカとフローリアに非常に好評だった。付添人らしく目立たず、それでいて品のあるドレスは二十五才のシャルロタによく似合っていた。
着付けの手伝いとして領地からノエミが呼ばれていた。今夜のヘアアレンジはノエミの傑作だそうだ。
しかし、ただでさえ慣れないコルセットをきつめに締められたシャルロタはそれどころではない。何しろアニェーザとノエミ、二人がかりで締められたのだ。これで一晩過ごすなど、何の拷問なのだ。
「ぐっ……夜会には美食がたんまりあると言われたから承諾したというのに……謀られた! ぬかったぞ! ふ、不覚である……」
言葉とは裏腹にシャルロタは儚げにソファに倒れ込み、アニェーザに叱られた。そのままアニェーザの肩を借りて立ち上がると、よろよろとタッキーニ侯爵家へ向かった。
「シャルロタ様素敵!」
可愛らしく着飾ったアマンダが叫んだ。うっすらと化粧をほどこしたアマンダは初々しい若さが弾けんばかりで、その眩しさに思わずシャルロタとアニェーザは両手で目を覆った。アマンダのエスコート役である従兄のオットーネがソファから立ち上がって礼をしている。
「うむ。今夜はしかとアマンダ殿を守ることを約束する。必ずや敵を退けてみせようぞ」
馬車を見送りに出てきたトスカに向かって、シャルロタは握りこぶしを見せた。
「シャルロタさん、夜会にいるのは敵じゃなくて狼よ」
「なんと獣が出るとは! それはさらに気を引き締めねばならぬ」
アマンダの隣にシャルロタが座り、その向かいにオットーネが座った。同じようにコルセットを締めているはずのアマンダが平気そうな顔をしているので、シャルロタはなるべく浅い呼吸を繰り返して王城までの道のりを耐えた。
「レオ兄様がすごく悔しがってたわ。私のエスコートを面倒くさそうに断るからよ。ざまあみろだわ」
「アマンダちゃん、口が悪いよ」
オットーネが優しそうな笑顔を見せる。彼は伯爵家の長男で、アマンダと年が近いので子供の頃から仲が良いそうだ。しかし、シャルロタは今それどころではないのでただ頷くだけだ。
国王に謁見した以来の王城であったが、さすがにあの時とは雰囲気が違う。着飾った男女がそこかしこを闊歩し、楽し気な笑い声がこだまする。見目の良い衛兵が品の良い笑みを浮かべて客を誘導し、滞りなくホールが様々な色のドレスで埋まって行った。久しぶりに顔を合わせたもの同士が気の置けない会話を交わしていた。
腰にそっと手を添えると、少しだけ緊張した様子のアマンダはシャルロタを見上げてにっこりとほほ笑んだ。
会場の雰囲気を楽しんでいるうちに楽団の演奏が始まり、オットーネに手を引かれてアマンダがダンスの輪に加わった。シャルロタは付添人らしく隅の方でその様子を窺った。緊張気味ではあるが、いつもの練習通りに踊れている。少し失敗したところでご愛嬌、皆ほほえましく眺めている。
一曲終わって二人はシャルロタの元へ戻ってきたものの、アマンダはすぐに次のダンスに誘われる。相手は先ほどからシャルロタのそばで曲の終わりを待っていた年若い青年だ。アマンダの表情を見るに、彼がお目当ての伯爵家の子息なのだろう。
「この国はデビュー時に陛下に挨拶はないのだな」
「ええ。成人したら個別に城にやってきて挨拶しますので。夜会は出会いの場ですから、貴重な時間を大切にするように、とのことで」
「ふむ、合理的な国である。そうだ、オットーネ殿。貴殿もそれがしを気にせず楽しんできたらどうだ」
「え、いえ……。その、シャルロタ様から離れないように、と言われていまして」
「うぬ? それがしは一人でも大事無いぞ」
「いえ、そういうわけにはいきません! あっ、そうだ。食事! 食べましょうか。楽しみにされていたとか」
「うむ! いいのか?」
「行きましょう、行きましょう。僕ではもう周りの圧に耐えられませんから」
オットーネはシャルロタの背をぐいぐい押し、飲食スペースへ向かった。シャルロタをダンスに誘おうと隙を伺っていた男たちが残念そうに息を吐いた。
「シャルロタ様、どれをお召し上がりになりますか」
「うむ……全種類は無理そうであるゆえ、とりあえず帝国では見たことのないものを一口ずつ所望する」
「僕がとりますので、おっしゃってください」
「かたじけない」
食事を楽しむ人々が、シャルロタの口調にギョッとしたように思わず目を見開く。それでも場をわきまえているのか、不躾な視線を寄こすことはなかった。
オットーネが確保した席で食事を楽しんでいたシャルロタは、ホールの人込みをかき分けてこちらへ向かってくる人物の気配に気付いて顔を上げた。
「……オットーネ!」
姿が見えるよりも先に聞こえてきた声に、オットーネがほっとしたように手を上げて合図をする。
「シャルロタさん!」
「ん……、むぐっ!?」
もぐもぐと口を動かし続けていたシャルロタは、突然現れたレオポルドの姿に目を見開いた。
「はあ、よかった。間に合った……のか?」
「ああ。何とかシャルロタ様は守ったよ、レオ」
「すまない、オットーネ。シャルロタさん、俺、……うわあ、口いっぱいにほおばっちゃってリスみたい、か、可愛いっ……!」
両手で口を押さえて震えるレオポルドは、いつもの騎士服ではなく、夜会用の盛装だった。急いで着替えだけ済ませてきたのか、髪は乱れたままだった。オットーネが背伸びして甲斐甲斐しく、跳ねた髪を直している。
「ひれん、ほへりゃいほひっへひあはっらら」
「はあ、何とか当番代わってもらいました。シャルロタさん、まだ誰とも踊ってないですよね?」
「うにゅ? ふおおひぇひゃふ」
「大丈夫、待ちますから。一回飲み込みましょう」
レオポルドに背をさすられ、シャルロタは口いっぱいの食べ物をやっと飲み込んだ。
次回、満を持して次兄ジェミニアーノ登場!




