24 そんなものはいらぬ
聞いていた通り、トビアーシュは非常に体の大きな男だった。赤茶色の髪を無造作に後ろに流し、ギラギラとした鋭い三白眼は射貫くようにレオポルドを見下ろしていた。しかし、レオポルドを侮ったような態度ではなく、むしろ、突然他国の騎士団長直々に呼び出されたことに不思議そうにしていた。
シャルロタの名前を出すと、すぐに事情を察してくれた。帰国までに時間を取ってくれることを約束すると、トビアーシュは丁寧に礼をして去って行った。できれば何かしらの瑕疵を理由にシャルロタから引き離したいところだったが、トビアーシュは非の打ち所がない紳士であった。
数日後、大きな噴水のある広場近くの片隅に大柄の男女三人が立っていた。日向ぼっこをする人もいれば、日陰のベンチで読書する人もいる。
「トビアーシュさん、待たせてすみません」
青々とした葉の茂るパーゴラの下で、トビアーシュは背筋を伸ばしてひとり座っていた。レオポルドの声にすぐに立ち上がると、少しだけ眉を上げた。
「いや、かまいません。私が早く来すぎただけです。お綺麗なお嬢さんですね。レオポルド殿の奥方ですか?」
「え? シャルロタさんですよ」
「は?」
トビアーシュはポカンとして、壊れたねじ巻き人形のように首を動かし、シャルロタを上から下まで、そして下から上まで何度も見た。
「うぬは目をやられたのか。わしを見間違うとは」
「なっ、その声は確かにシャルロタ! お前っ、どうしたんだ! その姿!!」
そういうトビアーシュの視線はシャルロタの大きな胸を凝視していた。あわててレオポルドが二人の間に飛び込む。
「ちょっと、どこ見てるんですか!!」
「いや、すまない。シャルロタは本当は男なのではないかと何度も疑っていたのだが、……やはり女だったのだな……」
「うぬはさっきから何を言っておるのだ」
「それにしたって、変わりすぎだろう。クヴェタやネラだって少し痩せた程度で大きさはさほど変わっていないぞ。その姿であれば、皇帝の愛妾として国に残ることができたであろうに」
「ええっ、あ、愛妾!?」
レオポルドが顔を青くした。その様子を見たトビアーシュは意外そうに目を見開いた。
「はっ、たわけたことを。わしがプリージ卿の愛人だと? 片腹痛いわ」
「そんなことよりもお前、今や貴族令嬢だろう。その話し方はなんだ」
「うむ。話し方は目をつぶってくれ。令嬢の話し方はまだ勉強中なのだ」
「ずいぶんと遠回りしすぎじゃないか?」
「うぬこそ、そんな話し方であったか?」
「プリージ皇帝の方針でな、今までのような野蛮な話し方は禁止されたのだ。俺も言ってみれば、まだ勉強中だ」
付かず離れずの距離を保ちつつ、ちらちらと二人の様子を窺っているレオポルドに、トビアーシュは思わず吹き出してしまった。すねたように口を引き結んだレオポルドがトビアーシュを睨む。
「俺はここから離れないですからね! 二人きりにさせるわけにはいかないんですっ、俺の、個人的な事情でっ」
「いや、ふふ。いいんです、いてください。俺も他国の令嬢と二人きりになるわけにはいきませんから」
トビアーシュは手で口を押さえながら肩を揺らし、ちらりとシャルロタを見た。彼女は二人の会話を邪魔しないように首を傾げて黙って待っている。けして出しゃばらず、相手の話は遮らない。黒い瞳の強さは昔と同じままだ。ああ、シャルロタは何も変わってはいないのだな。
「さきほども話が出たが、ネラとクヴェタは変わらず元気だぞ。新天地で頑張っている」
「うむ。彼奴らからは手紙が届いた。わしも返事を書いたところだ。知っているか? 人間は三か月かかるのに手紙は一か月で届くのだ」
「当たり前だろう。相変わらずそんなことも知らんのだな」
「うぬも息災そうでなによりだ。奥方と娘はどうしている」
「妻も娘も元気だ。戦地に行くこともなくなったから、毎日家に帰って邪魔にされているよ」
トビアーシュはそう言って嬉しそうに笑った。家族のことを思い出したのか、厳つい眉もこれ以上なくらい下がっている。
「娘はいくつになった」
「十歳だ。新皇帝が平民も通える学校を作ってくれたんだ。まだ週に三日ばかりだが、楽しそうに通っているよ。今までの帝国の歴史を隠すことなくそのまま学んでいるから、侵略戦争に加担していた兵士の俺はめちゃくちゃ軽蔑されている」
さみしそうに肩を落としたトビアーシュは、それでもやっぱり嬉しそうだった。今までの帝国であれば、平民の子供は学校になど通えなかった。シャルロタは新しい帝国の未来はずいぶんと明るいな、と思ったと同時に、自分の知っている帝国はもうないのだ、と実感した。
「あの……」
シャルロタが少しだけ黙った間に、レオポルドがおそるおそる口を開いた。
「トビアーシュさんは、奥さんがいらっしゃるのですか?」
「ええ、妻と娘が一人。今回のこの仕事で半年家を空けますので、今ごろ羽を伸ばしていることでしょう」
トビアーシュはさみしそうに眉を下げて、はは、と笑った。レオポルドはショックを受けたように一瞬固まっていたが、すぐに気を取り直して姿勢を正した。
「家族のために一生懸命働いていたってこと、娘さんも大きくなればきっとわかってくれますよ」
レオポルドがそう言うと、トビアーシュは厳つい顔を優しく緩めた。ボールの跳ねる音が聞こえ、そちらを向けば、鳩に追われて泣いている幼い女の子がいた。ボールを拾った父親が、もう片方の手で女の子を抱き上げる。
「そう、ですね。ありがとう」
トビアーシュが目を細めた。
「兵士など明日の命も保証できぬのだ。早く帰れ。死んだ後に感謝されても何の意味もない」
「シャルロタさん!? 身もふたもない……。そうだ。確認したい事って、お友達のことですか?」
「うぬっ。失念しておったわ。おい、トビアーシュ」
偉そうに腕を組んで見上げてくるシャルロタに、トビアーシュは眉をひそめた。
「確認したいこと?」
「うむ。うぬの背に背負っているその槍……違う、小さい方だ。そう、そっちだ。わしの見たことのない槍であったから、気になってな」
「え、槍?」と口の中でつぶやいたレオポルドは、トビアーシュから小さめの細い槍を受け取るシャルロタをただ眺めていた。
「さすがシャルロタだ。これは大槍では戦いにくい場所でも、槍遣いが活躍できるようにと帝国が新開発した小型の槍だ」
「ぬぬぬっ! 軽い! しかも、この柔軟性。耐久性はどうなのだっ」
「もちろん、大槍と変わらぬ。この柔らかさが肝らしい」
「うぬう、おそるべし、新帝国。あっぱれである!」
俺はいったい何の心配をしていたんだ。頬を上気させて声を上げるシャルロタを見ながら、レオポルドは強張っていた体から力を抜いた。
二人は嬉々として新型の槍の話で盛り上がっている。そうか、シャルロタさんは帝国に帰りたいわけじゃないのか。
通りの向こうが騒がしくなったような気がして、レオポルドは木の影から身を乗り出した。
「あっ、あいつら! また……」
公園横の通りには人だかりができていて、その中心にはいつもの破落戸どもが取っ組み合いの喧嘩をしていた。
トビアーシュがシャルロタをかばおうと腕をあげようとしたら、すでにレオポルドがシャルロタの腕を引いて一歩後ろへ下がらせていた。
「すみません。頑張ってるんですけど、まだまだ治安が悪くて。ちょっと行ってきます! シャルロタさんは、ここから動かないで!」
レオポルドはそう言うと、柵を飛び越え道路へ飛び出していった。眉を上げて驚いている様子のトビアーシュに、シャルロタが軽く笑う。
やじ馬を手際よく整理し、レオポルドは破落戸どもに近付いて行く。殴り合っていた二人は、レオポルドの姿を見て一瞬ひるんだものの、それでもまだ手を止めなかった。女性の悲鳴が上がったと思ったら、破落戸の一人がとうとう懐からナイフを取り出していた。
思わず腰の剣に手を伸ばし道路へ飛び出そうとするトビアーシュを、シャルロタは手で制す。一瞬のうちにレオポルドが横蹴りを放ち、破落戸が吹き飛んだ。それを見た破落戸も、一気にシュン、と大人しくなった。わああ、と声がり、やじ馬たちから安堵のため息がもれた。
「……なるほど。この人込みで剣を抜くわけにもいかないのか」
感心したようにつぶやいたトビアーシュに、シャルロタが「うむ」と頷いた。
レオポルドは慣れた様子でやじ馬たちを散らし、立ち往生していた馬車を誘導している。二人はその様子をしばらく黙って見守っていた。
「そうだ、シャルロタ。またしばらく会えんだろうから、記念にこの槍をやろうか」
背負った新型の槍に再び手を伸ばしたトビアーシュに、シャルロタは一度目を見開いたものの、すぐに首を横に振った。
「いらぬ。この国には、わしがそんなもの持たずとも守ってくれる人がおるからな」
今度はトビアーシュが目を見開く。シャルロタは瞬きを惜しむかのように、まっすぐにレオポルドの姿を目で追っていた。その陰りの無い明るい表情に、トビアーシュは思わず笑ってしまったと同時に、胸のつかえが下りたような安堵感に満たされた。
「そうか。いらんか」
「うむ。かたじけない」
「いや……それはともかく、お前、早く言葉遣い直したほうがいいぞ」
「うむ。心得た」
シャルロタがそう言って顔を上げれば、服の乱れを直しながらレオポルドが笑顔でこちらへ向かって駆けて来ていた。
誤字報告いつもありがとうございます!
本当に・・・見直しているのに、どうして・・・!!




