23 レオポルド
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レオポルド・タッキーニは侯爵家の三男で、父親が騎士団長であった宿命か、物心ついた時には庭で剣の鍛錬をさせられる毎日であった。同じく一緒に鍛錬していた兄たちは、騎士学校を卒業し当然そのまま騎士団に所属した。
騎士学校を卒業する十六の歳の頃、家にはあまり帰らない父に呼び出された。
「お前は第何騎士団に入りたいのだ」
そう問われ、ああ、やっぱり俺は騎士団に入ることは決定なんだ、と思った。
裕福な侯爵家に生まれ、鍛錬は厳しかったけれど、それ以外はわりと甘やかされて暮らしてきた。その豊かさを享受する代わりに、貴族は自分の将来を自由に選ぶことはできない。そう習ってはいたが、それほどピンと来てはいなかった。
それでもやはり、あまりの選択肢の無さに一応がっかりした。
しかし、父が怖い顔をしてこちらをじっと見ている。褒められるよりも怒られる回数の方が多いレオポルドは自然と身がすくんでいった。
何か、こたえなきゃ。
「ええと」
「お前の腕なら、どこへ行っても重宝されるだろう。ゆくゆくは近衛も目指せるはずだ」
俺が選んでもいいんだろうか。
騎士団以外の道は選べないけれど、その先を選べるのならば。
ぼんやりと思い浮かべていたことを、言ってみようか。
ちらりと上目遣いで父を見てみたが、怖い顔のままだった。さっきより眉間のしわが深くなった気がする。早く言わなきゃ。
「えっと、第三、騎士団、が、いいです」
「第三?」
父が大きく眉を上げた。怒鳴られなかったことに、少しだけほっとする。
「第三は王都の警らが主な仕事だぞ。毎日、柄の悪い破落戸どもの相手をせにゃならん。できるのか」
「あの、えっと、強い敵を倒してる父上や兄貴たちをすごいと思うけど、やっぱり俺は毎日きちんと家に帰りたい。遠征や出張のない第三騎士団がいい」
レオポルドの話を聞き、とたんにムスッとした表情になった父は、すぐにペンを取り執務に戻った。
「わかった」
いいの? 反対しないの? 騎士団長の息子なのに、花形の近衛を目指さなくていいの?
「お前は相変わらずバカだな」
父は手元の書類に目を通しながら、ふふ、とかすかに笑った。
騎士学校を卒業すると、第三騎士団の所属となった。ある意味、親のコネで入ったようなものだが、ほとんどのものが第一、第二騎士団を目指すので、特に問題にはされなかった。
鍛錬もあるし、たまに王城の警備の任務もまわってくるため、王城内の騎士団の寮に部屋を与えられた。父や兄たちはもっといい部屋を持っているらしい。
「第三だって夜勤はあるし、別に毎日家に帰れるわけじゃないだろ。来年、うちの第一に呼んでやろうか」
街を警ら中にばったり会った第一騎士団長の長兄が声をかけてきた。レオポルドはすぐに首を横に振った。
「俺は第三がいいんだ」
全く、バカなやつだな。せっかくのチャンスを。長兄はそう言って帰って行った。
俺は、第三騎士団がいいんだ。
ずっと、ずっと、第三騎士団がいいって思ってた。
街を練り歩いて困っている人に話しかけて、人手の足りない商店の手伝いをして。貧民街育ちの奴らは学がないからろくな仕事につけなくて破落戸になっただけで、心底悪い奴はいない。
確かに国や王族を守る近衛や第一、第二騎士団はかっこいいし給料もいい。でも、それじゃあ身近な人は守れない。
「第三騎士団なら、目の前で道路に飛び出す子供を守ることができる」
寮のベッドに横になり、そうつぶやいてみれば、言葉はすとんと腹に落ちる。
でも、これはけして誰にも言わない。人の口に乗れば、いつかきっとレーモとフローリアの元にも届いてしまうだろう。二人が自分を見る度に、息子の事故を思い出すだなんて、絶対に嫌だ。
ファウストは楽しい記憶の中でだけ生きていけばいい。
フローリアがそう言っていた。レオポルドもそう思う。大切な人を守れるのなら、バカのままでいい。
学生時代に付き合っていた平民の彼女は、騎士団長の息子だからゆくゆくは近衛になると思ったのに、と言って去って行った。その後も近付いて来る女の子は何人かいたが、可愛いとは思っていたけど、特に好きでもなかった。
そのうち親が選んだ相手と結婚するのだろう、と思っていたら二十二才になっていた。
「クローチェ子爵家が養子を取るらしい」
寮の部屋に初めて長兄がやって来た。ちなみに次兄は、みすぼらしい部屋に入ると高貴な俺が汚れてしまう、と言っていたのでけしてやって来ることはないだろう。
「ユリマク帝国の元女兵士らしいぞ」
「元、女?」
「元兵士の、女だ」
長兄ネレーオが呆れ顔を見せる。
日々戦地で激戦を繰り返しているという帝国には、女兵士も少なからずいると聞いたことがある。兵士たちは筋肉も発達していて体が大きく、女兵士も男に負けない体格をしているそうだ。
「なんで、帝国から?」
「政変でプリージ帝国に変っただろ。居場所のなくなった女兵士って話を聞いて、あの夫婦が同情したようだ」
どうにもあのほんわか夫婦らしい話だな。レオポルドは自分で淹れた紅茶のまずさに顔をしかめながら思った。
「それでだ。お前、クローチェ子爵家にしばらく偵察に行け。ガタイの良い帝国兵を放っておくのはもったいないだろ。使えそうなら、騎士団にひっぱってこい」
「うちの騎士団には女はいないでしょ! そもそも、兵士と騎士は違う」
いつも厳つい表情をくずすことのないネレーオであったが、紅茶のまずさに思わずしかめた顔はレオポルドによく似ていた。
「俺の第一騎士団で預かる。第一騎士団長の俺が良いって言うんだから、良いんだよ。その女兵士は貴族で騎士の称号も持っていたそうだ」
「持っていた?」
「国を出るにあたって返上したそうだ」
レオポルドは袋のまま出した茶菓子をボリボリ食べながら、首を傾げた。確かに帝国から認められた騎士の称号なんて、国を出れば何の意味もない。でも、わざわざ返上の手続きを取ってくるということは、そいつはもう戦う気はないんじゃないか?
そう言ったところで、このお堅い兄は聞かないだろう。
うん。適当に一言二言しゃべって、騎士団入る? って聞いてみよう。で、断られたら、それで終わり。本人がそう言っているって言えば、兄だってしつこくしないはずだ。
兄から言われた通り、レオポルドは隣家に養子がやってくるという日は実家に戻った。口が達者になり生意気になった妹に、常に妙なテンションの母。寮に入り浸ってあまり家には近寄らないようになっていたが、久しぶりに帰った家のご飯は美味しかった。
シャルロタ・コラジーク。二十五才。年上かあ。苦手だなあ。
自室の窓から見下ろせば、ちょうど子爵家の邸宅を見ることができる。真新しいカーテンがかけられた、あの部屋がきっとシャルロタとやらの部屋だろう。
子爵家の玄関の方が騒がしくなった。
しばらくすると、アニェーザがレースのカーテンを開けた。ここからは部屋の中がよく見える。一応カーテンに身を隠しながら隣家の窓に注視した。
「は!?」
レオポルドはそう叫ぶと、食い入るように窓に張り付いた。
アニェーザが少し場所を移動し、そこにゆっくりと人影があらわれる。この国ではほとんど見たことのない女性用のパンツスーツ。手足が長く長身の彼女によく似合っていた。慣れない手つきでゆっくりと窓を開けると、彼女の髪が風になびき、美しい顔が陽光にさらされた。
上から見られているだなんて全く気付く様子の無い彼女は、緑の多い庭の風景に満足したのか、微かに口の端を上げた。
レオポルドはその笑顔にすっかり虜になった。
元兵士だなんてとても思えない。可憐な美少女だった。
王城へ行き、兄にはそう報告した。レオポルドはこれから朝までの夜勤である。どんなに疲れても、今日からは寮ではなく家に帰ろう。もともと少ない荷物をまとめ、寮を出た。
夜勤明け、帰宅途中にばったりシャルロタを見つけた。教会の前に立っている彼女は、姿勢がよくやはりとても美しい。パンツスーツも良かったが、ドレス姿も似合っている。しばらくその姿を眺めていたが、なかなかそこから動こうとしない様子に首を傾げた。もしかして、何か困ってる?
「むむっ、もしや貴殿は、この街の衛兵であろうか」
はりきって声をかけたら、予想外の落ち着いた声に古めかしい言葉。戸惑いつつも話をすすめたが、やはり言葉遣いがおかしい。おかしいが、近くで見る亜麻色の髪も黒い瞳もとんでもなく可愛い。そのギャップに胸がきゅうっと締め付けられて苦しい。やばい、心臓がどうにかなっちゃいそう。
次の日からは、窓からシャルロタの様子を窺い、庭へ出る様子があればその後を追った。
領地に呼ばれた時は運命だと確信した。突然泣いた時はびっくりしたけど、泣いてる顔も可愛いってちょっと思ってた。二人で過ごした数日でずいぶん仲良くなれたと自負している。始めは大人しい猛獣のような雰囲気をまとっていた彼女も、今では無鉄砲で無邪気な子猫にさえ思える。そり遊びした時の笑顔は最高だったから誰にも見せたくない。
気が逸りすぎてプロポーズされたと勘違いしちゃったのはまずかったけど、落ち込んでいるうちに妹が彼女とすっかり仲良くなっていて、思いがけずうまい具合に外堀が埋まっていたのはラッキーだった。
レオポルドは、本当に毎日窓からシャルロタの姿を眺め、シャルロタのことを想っていた。だからこそ、帝国の使者が来るって聞いてから彼女がそわそわしているのには誰よりも先に気付いていた。
やっぱり故郷は懐かしいよなあ。なんたって三か月かかる距離だもんな。そうそう帰れないし。新婚旅行は帝国への里帰りなんてどうかな。
子爵家のテラスでシャルロタとお茶を飲んでいたレオポルドは、のん気にそんなことを考えていた。
この後、天国から地獄に落とされることも知らずに。
「貴殿、どうした。ぼんやりとして」
シャルロタが眉間にしわを寄せ、レオポルドの顔を覗き込む。無垢な黒い瞳はレオポルドを心配している。
「そうだ。レオポルド殿、ちょっと手を出してくれ」
シャルロタに言われるがままに手を出すと、ぎゅうっと思い切り握られた。嬉しいけど痛い。痛いけど嬉しい。
「……貴殿の手は……こんなに大きかったか……?」
小声でそうつぶやいたシャルロタの頬が少しだけ赤くなった気がした。え、もしかして、俺のこと意識してくれてる? 今頃だけど。
ぽやぽやととろけそうな笑顔を見せていたレオポルドに、シャルロタは「そういえば」と切り出した。
「貴殿、帝国の護衛兵士と会うことはできぬであろうか」
「へっ? 帝国の兵士に? まあ、俺じゃ無理ですけど、兄に頼めば」
「そうか。トビアーシュという兵士がいるのだが、ひと際体の大きな男だからすぐに分かると思う。彼奴にどうにか会いたいのだ」
「あの、そのトビアーシュさんとはどういったご関係で……」
「うむ。彼奴はそれがしの所属していた帝国兵団第五部隊の副隊長であった。……ちと見かけたものでな。どうしても確認したいことがある。どうにか会えぬものか。ひらにお願い申し上げる」
シャルロタは机に額が付かんばかりに頭を下げた。
え、その副隊長とは、どんな関係?
レオポルドはそれ以上はこわくて聞けなかった。ちょっと見かけて、どう思ったの? やっぱり帝国で兵士やってる方がいい、って思った? シャルロタさん、帝国に帰りたいの?
レオポルドは急に目の前が真っ暗になり、体が重たくなった。眉を下げてこちらを見ているシャルロタの真剣な表情と、疑問と嫉妬と迷いがごちゃまぜになって、頭の中をぐるぐると巡っている。
それでもやっぱり、シャルロタの願いは叶えてやりたい。
次の日、レオポルドはとぼとぼと王城へ赴き、騎士団長である兄の部屋を訪れた。
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