20 考えたこともない
「あーあ、がっかりよ。シャルロタさんが娘にならないことにも、レオの不甲斐なさにも」
昼食前のいつものお茶会。テラスの椅子に座ったトスカが音を立てて足をばたつかせた。フローリアはいつもと変わらない朗らかな笑顔で紅茶をすすっている。
「面目ない。して、レオポルド殿はどうされている」
「ショックを受けて魂が抜けきってたんだけど、今日は早朝から仕事だったから、尻を叩いて家から追い出したわ。硬い尻だったわ」
「やだあ、本当にお尻叩いたの?」
「叩いたわよ、いつまでもグズグズしててイラっとしたんだもの!」
結婚の件はレオポルドの勘違いだとレーモから説明された二人は、最初こそがっかりしていたが、すぐにいつも通りの騒々しさに戻った。
シャルロタは紅茶の温かい湯気に、ホッとしたように息を吐いた。
「でもねえ、シャルロタさん。レオ君はおススメよ」
フローリアが頬に手をあて、めずらしく真面目な表情をした。
「実は以前、レオ君を養子にもらおうっていう話があったのよ」
「うぬ? レオポルド殿を」
「そうなの。結局トスカがダメって言って、なくなってしまったんだけど」
ちらりと見れば、トスカは子供のように頬を膨らませてテーブルに両手で頬杖をついていた。
確かに三男とは言え、侯爵家の息子である。隣家の子爵家に養子に行くよりも、もっと良い縁談があるだろう。
シャルロタは静かに紅茶のカップを置いて目を伏せた。
「私も途中まで乗り気だったんだけどねー」
「別にいいのに」
「レオって、……バカなのよ」
眉間にしわを寄せ、そうつぶやいたトスカを、シャルロタはぽかんと見つめた。
「うぬ?」
「クローチェ子爵家は裕福でしょう。レオの代で破産させるわけにはいかないって思ったのよ」
トスカは冷めた紅茶をごくごく飲んで、話を続けた。
「跡取りとして厳しく育てたら長男は面白みのない堅物になっちゃったでしょう。反省して次男はたくさん褒めて育てたら、引くほどナルシストになっちゃったし。だからレオはきちんとした普通の優しい男の子に育てようと思ったの。そうしたら、優しいバカができあがったのよ。私って子育てに向いてないのかしら」
「そんなことないわよ。皆いい子じゃない」
「フローリア、あんた笑ってるじゃない」
優しいバカ、という母親ならでは暴言ではあるが、何やら聞き逃せないことを言っていなかったか? 引くほどナルシストとはどういうことだ?
戸惑うシャルロタに、フローリアが優しい笑顔を向ける。
「実のところ、シャルロタさんはどう思っているのかしら。レオ君、とっても良い子だと思うんだけど」
「それがしは……」
紅茶に伸ばしたかけて止めた手を、ぎゅっと握ってシャルロタはゆっくりと長いまつ毛を伏せた。
「それがしは、実のところよくわからぬ」
「わからない?」
「結婚、というものについて考えたことがないゆえ、この件については何をどう判断すべきかとんとわからぬのだ」
「あら、シャルロタさん。こんな人と結婚したいなー、とか、ウェディングドレスはこんなのがいいなー、とか想像したことないの?」
トスカがきょとんとして目をくるりと回した。シャルロタは大きく頷くと、言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。
「……家督は兄が継ぐ予定であった。兄がいつか結婚し、またその子が継いでゆく。それがしは兵士であったから、いつか戦地にて死ぬであろうと思っていた。前線に出て十年生き残っているものなど、ほとんどおらぬ。帝国兵は明日のことは考えても、来月のことまでは考えぬものだ」
「ほえー」
「あら、まあ」
「それがしは二十五才である。この国ではとうに行き遅れの年だと聞いた。そんな年増の元女兵士と結婚する輩などいるまい。ゆえに、おのれの結婚など考えたこともなかった」
一気にしゃべると、息を吐いたシャルロタはやっと紅茶に手を伸ばした。
トスカとフローリアは顔を見合わせた後、何も言えずに黙りこくってしまった。
いくぶん日差しの和らいだ夕方前の時間。シャルロタはじょうろ片手に花壇の前で跪いていた。
「うむ。貴殿は今日もつつがなく過ごすことができたであろうか。明日もより良き大輪の花を咲かせることを、それがしは願ってやまぬ。ささ、たんと水を飲め」
胸に手をあて大仰にじょうろの水を花にかけるシャルロタは、ふと視線を感じて顔を上げた。すると、侯爵家との境の生け垣から背伸びしてこちらを覗いている少女と目が合った。
「うぬ?」
「あなたがシャルロタ様?」
軽やかな可愛らしい声の主は、シャルロタを訝しむような素振りを見せた。シャルロタはすぐに立ち上がり、軽く礼をした。
「はばかりながら貴女はもしや、アマンダ嬢であろうか」
まだ幼さの残る頬をさっと紅く染め、少女は目を大きく見開いた。
「そ、そんな、子供の私に貴女だなんて、気を遣わなくてもいいのよ!」
「では、アマンダ殿とお呼びしても?」
「え、ええ。良くってよ」
とたんにモジモジしはじめたアマンダは、レオポルドと同じ青い目をしていた。顔つきは似ていないが、艶やかな黒髪はトスカのそれのように豊かに波打っている。
「昼前の茶会も覗いておられたな」
シャルロタがくすりと笑うと、アマンダはパッと明るい笑顔を見せた。
「やっぱり気付いていたのね! さっすが元兵士ね。かっこいいわ!」
「ははは。恐れ入る」
「ねえ、私もそちらへ行ってもいいかしら」
「無論」
シャルロタの返事を聞くやいなや、すぐに庭に駆け込んで来たアマンダはシャルロタよりもずっと背が低く、フリルの多いドレスを着ているせいかとても幼く見えた。確か十五才と聞いていたが。思わず頭を撫でてしまいそうになった手をシャルロタはあわてて下げた。
「お母様とお兄様から話を聞いていたけれど、シャルロタ様ってやっぱり変わった話し方をなさるのね。とっても面白いわ。もっとお話したいの。いいかしら」
「げに光栄である」
「うふふ。私も嬉しいわ。ねえ、シャルロタ様はレオ兄様と結婚しないの?」
いきなり直球の質問に、シャルロタが笑顔のまま、ぐう、と口ごもる。どうしたものか、と頭を悩ませていると、アマンダがさっさと話を続ける。
「昨日、お兄様がいきなり、結婚する! って言っていたと思ったら、今朝地獄に落ちたみたいな顔して仕事に行ったから。シャルロタ様ってどんな方なのかなって思って見に来たの」
「そうであったか」
「レオ兄様と結婚するのは嫌? それはやっぱり、お兄様がアホだから?」
レオポルド殿よ、貴殿の世の評価はどうなっているのだ。
「お兄様はアホだけど、それ以外はとっても良いと思うの。きちんと貴族の教育も受けているし、顔だけは良いし、騎士団員だし」
最後にもう一度「アホだけど」と付け加えて、アマンダは無垢な瞳を向けてくる。大好きな兄を取られたくない、と苦情を言いに来たのかと思ったが、どうも違うようだ。シャルロタは苦笑いしながら懸命に言葉を探した。
「ううむ、その、それがしはこの通り兵士あがりで貴族令嬢には程遠い。レオポルド殿の隣に並ぶには、とても恐れ多いのだ。もっとお似合いのご令嬢がいるだろう」
「やだ! そんなこと!」
アマンダは両手を口にあててケラケラと明るく笑う。こんな可愛らしい生き物がこの世にいようとは。シャルロタはその姿を目に焼き付けた。
「お兄様ってアホだってバレなければすごくモテるから、今までの彼女はみんな向こうから近付いてきた人ばかりで、結局優しいだけの人って言われて振られちゃってたの。でも、お兄様があんなにアホ丸出しで夢中になってるのは、シャルロタ様が初めてなのよ」
何だかいろいろ言われているが、シャルロタの頭にはどうにも「アホ」という言葉しか残っていない。彼女の言葉を借りるのならば、確かにレオポルドは当初からアホ全開ではあった。
「それに、私はシャルロタ様にお姉さまになっていただきたいわ」
「ずいぶんとそれがしのことを信用しておられる」
「ええ。だってお兄様があれだけご執心なんだもの。毎日窓からシャルロタ様を眺めてるのよ。絶対に素敵な方に決まっているわ」
「うぬ? その窓の件なのだが」
アマンダはシャルロタの話を聞かずに、くるりと振り返ると花壇の方へ走って行ってしまった。
「ねえ、シャルロタ様はさっきこのお花に話しかけていたの?」
アマンダはそう言って、花壇を指さした。並んで咲く花たちが揃って同じ方向に首を傾け風に揺れている。
「ああ。話しかけると成長を促すらしいのだ」
「ふふ、おっかしいのー」
笑いながら花をつついていたアマンダが、上目遣いにシャルロタに振り返る。
「私、久しぶりに家族以外の大人の人としゃべったわ。とっても楽しい。またお話してくれる?」
「ああ、いつでも」
「わあい。毎日毎日、淑女教育ばかりで嫌になっていたところなの。シャルロタ様が話し相手になってくださるのなら、勉強も頑張ろうかしら」
両手を挙げてバンザイをしたアマンダは、背筋を伸ばしてそのままくるりと回った。




