1 生きる価値など
4話まで一気に更新しています。これは2話目です。
今回は頭の中を劇画調にしてお読みください。
シャルロタはユリマク帝国のコラジーク伯爵家の娘であった。コラジーク家は代々続く武家の名門で、シャルロタも父と兄に続き兵士として日々戦闘に明け暮れていた。
四方を他国に取り囲まれたユリマク帝国の国境付近は、小競り合いとはとても言えない程度の激しい戦争が常に行われていた。足りない兵士を補強するために、帝国には女性兵士も多数いた。シャルロタはその中の一人であった。
彼女の属するユリマク帝国兵団第五部隊は、国境沿いに位置する大きな湖の所有権をめぐり起きた戦闘に派兵されていた。一部が海とつながっていて、海産物豊かな湖は王族の好む高級な食材が採れる。何としてでも死守しなければならなかった。激戦地に送られることの多い第五部隊にとって、こんな戦など準備運動のようなものだった。さほど時間もかからずに快勝を収めることができた。
女性であろうとも男性と同じ特訓をこなさなければ、兵士としては認められない。この国の女性兵士は、男性兵士とさほど変わらない大きな筋肉と強靭な体を持っていた。
「今回の戦も皆無事で安堵した」
筋肉隆々の太い腕に傷薬代わりの油を塗りながら、シャルロタは言った。
その隣に座る同僚の女性兵士クヴェタは、丸太のような太ももから血のにじんだ包帯を剥がした。
「うむ、血はもう止まった。こんなもの、もういらぬ」
「たわけが。怪我を甘く見るな。せめてまともな薬の手に入る地帯へ到着するまでは巻いておけ」
「がはは、日和ったか、シャルロタ」
「兵士たるもの、一時たりとも気を抜くな」
湖で手足を洗って来たネラが、錆びたバケツに水を汲み二人の前に置いた。彼女はシャルロタやクヴェタに比べれば体が小さく女性らしさが残っていたが、それでも太ももの太さは貴族令嬢の腰回りくらいある。
「わしら第五部隊にかかれば、これくらいの戦、たわいもない。早く皇都に戻って祝杯をあげたいものだ」
ネラがバケツから手で水をすくい、口をゆすいだ。そして、べっ、と勢いよく足元に吐き出す。 シャルロタはバケツに手ぬぐいを浸し、泥のついた顔をがしがしと拭いた。残りの水をクヴェタに渡す。
「傷を洗え。今すぐにだ」
「お前の過保護は親父殿ゆずりだな」
「つべこべ言わずに手を動かせ」
「はい、はい」
クヴェタはバケツの水を少しずつ太ももの傷にかけた。やはり傷は深いようだ。口を歪めて歯を食いしばっている。
シャルロタが滾った体の熱を冷まそうと太い首に濡れた手ぬぐいを巻いた時、少し離れたテントからどよめきが起こった。
「なんだ」
「隊長のテントの辺りからだ」
「そういえば、先ほど皇都からの使者を乗せた馬が来ていた」
三人は顔を見合わせ、立ち上がった。
「来たか、三女傑」
揃って現れたシャルロタたちを見て、第五部隊長が静かに言った。発達した僧帽筋に埋まった首をひねり、こちらを向いた顔はめずらしく少しだけ青ざめているように見えた。
「何か起きたのですか、隊長」
シャルロタの低い声に、隊長は一度ゆっくりと瞬きをした後、頷いた。
周りを見れば、先ほどまで一緒に戦い敵を屠っていた仲間たちが、一様に顔色をなくしていた。地面に膝をつくものもいれば頭を抱え何かを叫んでいるものもいるが、ほとんどのものが呆然と立ちすくんでいた。
一体何が起きているのだ。
シャルロタは眉をひそめた。
「うむ。皇都からの使者が来ていたのは知っているな」
「ああ」
「あれは兵団長からの遣いであった。心して聞け。皇都でクーデターが起きた。宰相が反皇帝派と手を組み、ユリマク皇帝一家を捕らえた」
「何だと! 宰相が!?」
「どういうことだ! 我々がいない間に何が起きていたのだ!」
隊長に掴みかからんばかりのネラの肩を押さえたシャルロタは、口を開いたものの言葉が出て来ず、そのまま唇を噛んだ。
まっさきに武力を行使し、自分たちだけは優雅な暮らしを続けるユリマク皇帝を批判する声は多かった。確かにユリマク皇帝の政策には思うところはあったが、兵士であるシャルロタたちにできることは国の指示のままに戦地で勝利を収めるのみだった。
「皇帝に便乗して贅を尽くしていた宰相が、何をっ」
「……それで、国は、帝国はどうなったのですか」
憤るクヴェタを横目に、シャルロタは落ち着いた声でたずねた。しかし、その唇に血がにじんでいるのを見て、隊長は目を細めた。
「宰相は、前皇帝の弟であるプリージ辺境伯を新たに皇帝に据え、ユリマク帝国はプリージ帝国と名を変えた」
「プリージ卿が……」
貴族であるシャルロタは、数回ではあるがプリージ辺境伯と会ったことがある。冗談の好きな好々爺といった印象しかない。まさかあの人が国家転覆を狙っていたとは。
「我々は直ちに皇都へ戻るよう命が下された。どんなに急いでも一週間はかかる。すぐに準備にかかれ」
「は!」
条件反射で全員が返事したものの、皆の動きは悪い。のろのろと自分のテントに戻り、荷物をまとめる。そこかしこからうめき声や泣き声が聞こえる。
「ちくしょう! わしらはいったい何のためにっ」
せっかく洗った手で泥の地面を叩くネラを立ち上がらせていたシャルロタを、隊長が呼び止めた。
「シャルロタ、こちらへ来い」
肩を組んでお互いを支え合うようにしてよろよろと歩いて行くネラとクヴェタの背を見送り、シャルロタは隊長のテントへ走った。
「シャルロタ。お前にはつらい話だが、近衛隊は全滅したそうだ」
「…………そう、ですか」
「わしもまだ今後どうなるかは分からないので何とも言ってやることはできぬが……。わしの力の及ぶ限りはお前の身の振りは責任を持とう」
「ご配慮、痛み入る」
皇帝一家が捕らえられたと聞いた時から、そんな気はしていた。シャルロタの兄は皇族を守る近衛兵、父は皇帝の筆頭護衛であった。
父と兄が死んだ。母はとうの昔に病死した。シャルロタは一人残されてしまったのだ。
姿勢をくずすことなく踵を返したシャルロタは、ネラとクヴェタの待つテントへ走った。歯を食いしばり、目を見開いて走った。こうしていれば、いつか目が乾いて涙も枯れるだろう。
勝利を収めたはずの第五部隊の足取りは非常に重かった。比較的まともな精神状態のものは騎乗し、そうでないものは荷馬車に揺られていた。そこかしこで陰気なうめき声の上がる狭い馬車よりも、シャルロタは騎馬を選んだ。
一ミリでも筋肉が減る事を恐れトレーニングを欠かさなかった隊員たちも、さすがにこの一週間は大人しくしていた。当然、シャルロタもそうだった。ろくに食事をとった記憶もないが、倒れないところを見ると一応何かしらは口にしていたらしい。
雲ひとつない晴天の下、シャルロタは手綱を強く握った。
皇帝が斃されたという報せをシャルロタたちが受け取った後、すぐに皇帝一家は処刑されたそうだ。
「くっ……あの幼い、まだ十になったばかりのちい姫までも……」
帝国の為に戦っていたシャルロタはいつだって死ぬ覚悟はできていた。しかし、何も知らない子供であるちい姫は殺され、シャルロタは生きさらばえている。ちい姫にいったい何の罪があるというのだ。数え切れぬほどの敵を屠ってきたシャルロタの方がよっぽど重い罪を背負っているというのに。
こんな生き恥をさらすくらいならば。
シャルロタは馬の腹を強く蹴り、隊の先頭に躍り出た。
「待て! シャルロタ!」
隊長の声も遠くなった頃、シャルロタは大きく息を吸って叫んだ。
「くそったれ! シャルロタよ、お前に生きる価値などない!」
高い高い空の向こうへ、シャルロタの声は消えて行った。




