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3話・隠匿

 一斗枡の大きさの寄木細工の木箱。表面には幾何学模様。

 色の違う木片が噛み合い、手のひらに乗せると想像よりも重い。

 磨き込まれた木の乾いた感触が指先に伝わる。

 その箱は、からくり仕掛けがあるらしく手の中で形を変えた。

 力を入れて細工を押し込むと、どこかが僅かに沈み、次の瞬間、別の継ぎ目が浮いた。

 木が鳴る音はしない。ただ、内部で何かが滑る気配がある。

 側面をずらすと反対側から寄せ木の一部が盛り上がり、それを押し込むと全く別の場所に小さな穴が開く。

 その迷路のような構造に、木箱を手にした子供は夢中になっていた。

 夕陽に照らされた縁側で時間も忘れて触り続けている。

 取り憑かれたように、一心に木箱の仕掛けを探って、見つけては驚く。すぐ次の欲へと変わる。

 もっとあるはずだ。まだ隠れている。手の動きが早くなり、同じ場所を何度も撫で、押し、叩き、確かめる。

 子供がその木箱を見つけたのは、家の床下であった。雨を避ける様に転がっていたのを庭で遊んでいて見つけた。

 いつからそこにあったのか分からない。ただ隠してあるようであった。

 持ち主も用途も分からないが、その見た目と仕込まれたからくりは子供を執着させるには十分であった。

 その木箱を触る子供の指に、気付かぬうちに何かの液体が絡みついていた。

 指を離すと細い糸を引く。木の表面にも光る筋がついた。


◇◇


 ハコザキは来客を報せるベルの音に顔を上げた。

 広い研究室には器具と機器が整頓されて並んでいる。

 新品の棚には擦り傷一つなく、室内には建築材の匂いが薄く残っていた。

 ナノマテリアル研究室という名で部屋と室長の肩書を与えられたばかりであった。

 机の位置も動線も、まだ身体に馴染んでいない。

 まだ他人の家にいる様で居心地の悪さを感じながら、ハコザキは新品のスリッパを手にドアを開けて来客を招き入れる。

 二人組の若い女性であった。

 神祝絵馬。ハコザキの恩人である神祝少佐の娘であった。人懐っこさを感じさせる垂れ目は父親によく似ている。

 絵馬は背の高い美人を連れ立っていた。

 レースを身に着けた黒いスカートの給仕姿は、こういった場では風変わりだ。

 均整の取れすぎた顔付きから彼女がアンドロイドだと分かった。

「城峰大佐から、退役後はこちらに就職されたと聞いたので。こっちはマノノ、アシスタントです」

 研究室の隅に置いたテーブルに案内してハコザキは言う。

「お父様のこと、残念だったわね。大変だったでしょう」

「いえ。大戦後に苦労したのは皆同じですし。城峰大佐にも力添え頂いたので」

「そう、城峰大佐が……。それで今日は?」

 絵馬はマノノに持たせていた堅牢なケースを机に置く。

「ハコザキさんに調べてほしいものがあって」

 絵馬がそう言って仰々しく取り出した箱。ケースの内側は緩衝材で埋められ、慎重に運ばれてきたことが分かる。

 正方形で、大きさは四方二十センチメートルほど。真っ白な外観であり、見た目からは何も読み取れなかった。

「これは一体何かしら?」

「前の持ち主は地獄の箱と呼んでいたらしいです。大戦中に手に入れたとまでは分かったのですが、それ以上に詳しいことは全然」

 絵馬に促されてハコザキが手を何度か触れると箱は形を変えた。

 平滑な正方形が表面を波打つように変化し二十面体へと姿を変えた。

 硬さを失わないまま、輪郭だけが滑るようにして再配置されていく。

 驚いてハコザキが更に箱の側面を撫でてみると、箱の表面は波打ちながら徐々にそのシルエットを大きく変えていく。

 箱型ではあるものの、 その先端が窪み、底からは四本の脚といったように、明確に何かを表現した形へと変わっていく。

 指先に微かな振動が返り、内部で何かが応答しているのが分かる。

 この不可思議な動きで、この箱がナノマテリアル製であることには確信が持てた。

 ナノマテリアル。

 大戦前の技術革新によって広く浸透した技術であり、変幻自在な素材であることから樹脂や液体金属では実現不可能だったアイディアが実現されている。

 高価で取扱いが難しいことから医療産業、軍事産業での扱いが中心であるが、身近な所ではアンドロイドの体表にも用いられている。

 絵馬が言う。

「見ての通りナノマテリアル製で、何らかの動きをキーとして形が変化する玩具、いわば立体パズルの一種なんだと思います」

「ナノマテリアルを玩具に使うなんて贅沢な話、ちょっと聞いたことがないわね」

「妙だとは私も」

 何か特定のパターンで触れたことで反応したのだろう。箱は再び形を変えた。

 支える四本の支柱は二本に変わり、四角に近かったシルエットは横長になっていく。

 個体でありながら液体の様に柔らかく波打ち、それでいて崩壊はしない。

「これ、鳥に見えないですか?」

 絵馬の言葉を聞いて、確かに翼を広げている鳥の様に見えてきた。

 大型の翼を持つ、猛禽類の姿ではないだろうか。

 そうすると先程の形態も何かを象ったシルエットだったのだろうか。

 思い起こしてみると四足歩行の大柄な獣に似ていた気がした。

 ハコザキは、その正解を追うように動かして見方を変える。

「仕事柄、この手の物の処分を依頼されることが有りまして」

「そういえば民俗学の道に進んだらしいわね」

 異常事象対策コンサルティング・ドロアーアンドロアという肩書は、俗学者の物にしては奇妙であった。一見非科学的に見える事象には民俗学的な背景が見え隠れすることが多いからだと、絵馬は言う。

「私の専門は古いロア、民間伝承や都市伝説と言われるものです。特に大戦前の旧世代インターネット上でかつて語られていた伝承。そして、その中に様々な動物に変化する変わったパズルの話があります」

「それがこの箱だと絵馬さんは言いたいのね?」

「モチーフにはなっているのではないかと。そのロアは西暦二千年代初頭の話です。当時の技術力でこれだけの精度のナノマテリアルはない。だから、そのロアをモチーフとしているのではないかと」

「どんな話なのか気になるところね」

「最初は熊、続いて鷹、最後に魚の形へと変化するパズルであり、手に入れた者は完成が近づくにつれて悪夢を見るようになる。完成させると地獄の門が開くとされていて、最後は完成前に破棄される。というのがおおよその流れです。インフェルノのアナグラムとしてリンフォンという名称が与えられています」

 地獄の箱と呼ばれている、という話と関連性が見えた。

 与太話だと思った。だが絵馬は重たく言う。

「前の持ち主は箱のそばで変死していたそうです」

「その死因がこの箱だというのかしら?」

 ハコザキは箱を手にしたまま指先の動きを止めた。

「分かりません。私の手ではパズルを解くことが出来ず、内部構造も外からスキャンできない仕掛けが施してあるようなんです。頼れそうなのはハコザキさんしか思い当たらなくて」

 ハコザキはナノマテリアルの専門家であった。

 大戦中は技術士官として従軍していたが終戦後は民間企業に移った。

 奇妙なナノマテリアルオブジェクトの解析。機器のテスト代わりに丁度良いかとハコザキは快諾する。

 業務に支障が出るほどのことではあるまい。

「分かったわ。箱の構造と変死との関連性を調べればいいのね」

「はい、助かります」

 本題が終わったのを察してか、ずっと黙っていたマノノが口を開く。視線は部屋の隅へと向く。

「ずっと気になっていたのですが、宜しいでしょうか。あのウサギ達は何故ここにいるのでしょうか?」

 部屋の隅にはガラスケースがあり、ウサギが二羽入っていた。

 せわしなく鼻先を動かしながら手狭なガラスケースの中を動き回っている。

 爪がガラスの底板を軽く叩き、小さな物音が何度も鳴っていた。

「この会社ではナノマテリアルを用いてペットロボットの開発を行っているのよ。あの子達はその見本。生きているウサギを普段から見ていないとリアルな再現は難しいから」

 ハコザキは言いながら、ケースの方へ目をやった。

 ウサギ達は人の気配に気付き、さらに鼻を忙しなく動かして、ガラス越しにこちらを窺う。

「不思議なものでデータやセンサーを駆使して作った精巧な見た目であっても、人間はどこかで造り物だと気が付くのよ。今の技術であってもまだ、私達には数値化できない感覚があるのでしょうね」


◇◇


 絵馬達が帰ってからハコザキは早速解析に取り組んだ。

 確かに外部からの解析は上手くいかなかった。

 表面を覆うナノマテリアルと、内部構造との間には何か仕掛けがあるらしく、外部からのスキャンが出来なかった。

 パズルを解いてみることが一番だろうとハコザキは箱を動かしてみる。

 時間が経つとパズルは元の箱型に戻っていた。

 はじめの形態はただの立方体だが、やはり何かをキーとして形を変えた。

 絵馬の言葉にもあったが、確かに熊に見える。次の形は鷲だ。

 そしてその形態にも完成度の差がある。

 大まかなシルエットだけかと思えば、目鼻や毛並みまで再現されることもあった。

 最初は解析のつもりで、変化の条件を探し、触り方と反応の差を端末に記録していた。

 変化は一方向ではなかった。何かの条件でフォルムは元に戻ってしまうことがある。

 二度、三度と同じ形が再現できるようになると、記録は途切れがちになった。

 再現できるかどうかよりも、その先が見たいという気持ちが前に出てくる。

 箱は、形を変えるたびに、こちらの手を試すように癖を変えた。

 少し押すと逃げ、撫でると応え、力を入れ過ぎると別の形へ滑った。

 ハコザキは「今のは違う」と思いながら、すぐ次の手を重ねる。

 何度表面を撫でるのか、手足をどの向きに動かすのか。

 持ち上げるのか、設置させるのか。時間は置くのか、そもそも断続的な操作として認識されているのか。

 そういった膨大な条件が組み合わさっていると感じた。

 何かの法則があるようだ、その確信がハコザキの手を動かす。

 熊の形はついに、魚の形態へと近づいた。

 絵馬の語っていた物語の通りであるなら、それが完成の筈であった。

 大まかなシルエットから精巧な模型へと近づくのを感じる。

 机の上の器具も、測定器も、目に入らなくなっていった。

 休もうとしても指が止まらなかった。止めた瞬間に、何かが戻ってしまう気がした。

 それだけ、動物と箱の形とをで、行ったり来たりを繰り返し続けていた。

 熊に見える形が崩れ、鷲の輪郭が立ち、魚の鱗が一枚ずつ揃っていく。

 あと一手で完成する、と箱が告げているように感じる。

 次だ。次の形だ。

 ハコザキは唇を噛み、呼吸を浅くし、箱の縁を何度もなぞった。

 室内の灯りが自動的に夜間モードになってもハコザキは気が付かなかった。


◇◇


 一週間後。


「開けますよ!」

 絵馬が研究室のドアの向こう側へと怒鳴ると同時に傍らの男が、セキュリティキーを使ってドアを開けた。

 共に様子を確認しに来た施設管理者だった。

 部屋に入ると異臭がした。

 何かが腐った臭い。

 絵馬は顔をしかめながら、一歩目で足を止めた。

 部屋の中にはハコザキが机に向かっていた。

 背筋は伸びたまま、椅子に深く座っているのに不自然に動きがない。

 その足元に転がっているのは二羽のウサギの死体だった。

 白い毛並みはところどころ濡れて束になり、手足は伸びたまま。

 それが死後数日経っているのだろう。

 異臭の原因はそれであった。

 ガラスケースの方は扉が半開きで、内側に細い引っ掻き跡が残っている。

「これは一体……」

 施設管理人が動揺した声を上げる中、絵馬はハコザキの異様さに気が付いた。

 ハコザキは一心不乱にナノマテリアルの箱を触り続けている。

 そのシルエットは絵馬が見たことのない形に変わっていた。

 関節のある生物の部位のように見える。熊鷲魚とは全く違う、人型にも見える。

 表面は静かに脈打つように波を打ち、形が定まる前にまた別の輪郭へと滑っていく。

 机の上で小さく擦れる音が絶えず続き、ハコザキの手だけが機械のように同じ速度で動いていた。

「ハコザキさん!」

 絵馬の声に応える様子もなく、ひたすらに手を動かしている。

 絵馬が駆け寄ろうとするのを、絵馬の後ろにいたマノノが止めた。乱暴に肩を掴んだのは必死さの表れだった。

「これ、足元に垂れているのは毒なんじゃないですか」

「毒?」

「あの液体です」

 マノノの視線は、机の縁から垂れる透明な筋へと向いていた。

 光を受けて鈍く反射し、ただの水ではない粘りがあるのが見て取れる。

 確かにハコザキの向かう机には液体が零れていて、それが机を伝って床にも落ちている。

 ウサギはその液体の上で死んでいた。

 液体の出処はハコザキの手元だった。指先は濡れて光り、机の天板にも透明な筋がいくつも走っている。

 液体は縁から垂れて床へ落ち、乾ききらないまま薄い膜になっていた。

 箱から漏れ出ているようであった。

「なんでそんなもの」

「とにかく普通ではありません、私が止めます」

 マノノは一歩前に出た。絵馬を庇うように身体を半歩ずらし、靴底が濡れた床を踏まない角度を即座に選ぶ。視線はハコザキの手元と足元、そして箱の動きに固定されていた。

「どうやって」

 絵馬の問いに対して、マノノはハコザキを蹴飛ばして答えた。

 躊躇のない一撃だった。乾いた衝撃音が室内に跳ね、ハコザキの身体が椅子ごと吹っ飛ぶ。

 ハコザキの手の中からその白い箱が吹き飛んで、彼女は床に転がった。

 箱は机の縁に当たって跳ね、床を滑り、途中で形を揺らしながら止まった。

 人型であったようなシルエットは元に戻っていく。

 転がったハコザキの腕は空を掴むように伸び、指先だけがなお何かを探す動きをしばらく続けていた。

 箱が手元にないことにようやく気が付いて、ハコザキが呆然と周囲を見回す。

 口が半開きのまま、息だけが浅く漏れた。

 そして今の状況を理解できていないようだった。

 床に転がっているウサギの死体を見て初めて彼女は悲鳴を上げた。


◇◇


 毒物の可能性があるということで連絡すると防護服に身を包んだ軍警の科学捜査班が到着し現場が封鎖された。

 危険な作業でありアンドロイドだけで結成された捜査班であるが、その指揮を執るのは人間。

 公安部の土岐であった。

 現場慣れしたこの男は、現場捜査の指示を出した後、絵馬とマノノを見つけると心底面倒そうな顔をした。

「ホンマ、毎度毎度……」

 悪態のような、苦言のような、言葉を土岐は何度か反すうしていた。

 吐き捨てるほど強くはないが、言葉の奥に溜まった疲労が滲む。

「上に報告してくる、部屋の中入るんやないぞ。後で参考人調書取るから帰ってもあかんぞ」

「子供じゃないんだから」

「君らが毒殺犯か無差別テロ犯で拘束されへんのは、俺のおかげやからな!」

 土岐が捜査員のアンドロイドに現場を任せて去っていく。

 土岐の背中越しに短い指示が飛び、アンドロイド達が即座に散開する。

 空気採取、床面の拭き取り。動きは無駄がなく、何かパフォーマンスを見ているかのようだった。

 部屋の外の廊下、絵馬達は封鎖線の手前で足を止める。

 絵馬の苛立ちを感じ取りながらマノノは現場の様子を外から黙って見ていた。

 アンドロイド達が現場の解析を行っている中、どのような目的であの悪趣味な箱が作られたのだろうかと考えていた。

 「気が付いたら夢中になっていて、それ以降は良く覚えていないわ。ただ、これを解かないといけないと強迫観念に囚われて」とハコザキは証言していた。

 搬送前、震える声で言った言葉だ。

 覚えていないと言いながら、指先だけが無意識に何かを組み替える仕草をしていたのを、マノノは恐ろしく見ていた。

「論理迷路なのかも」

 絵馬は封鎖線の前で立ち止まったまま言った。

 声は低く、推測というより結論に近い硬さがあった。

「論理迷路?」

 マノノの問いに絵馬は頷く。

「アンドロイドと私達は自然言語でやり取りが出来るから忘れがちだけど、その内部ロジックはあくまで機械的な物。人間と同じように見えて、同じように喋れて、意思疎通が出来ても」

 それはそうアウトプットしているだけであり、内部的には統計的なパターンと数値計算、行動プログラムによってアンドロイドの動きは成り立っている。

「だからこの前みたいに、画像認識によってスクリプト文を読ませるハッキング攻撃なんかが出来るわけだけど。それと根本的には同じ。アンドロイドの思考ロジックを理解している人間が、あの箱を操作しているアンドロイドに対して無限ループ処理に陥らせるトラップを仕掛けたんだ」

「あのパズルに夢中になる、という攻撃だということですか?」

「そう。例えば、最小の数を見つけて、見つかったらその数よりもっと小さい数を探して。って私がマノノに命令したとする」

「何ですか急に」

「『最小の数を見つけろ』なんて、数学的に存在しない前提を渡したら、機械は無限にループし続けるんだよ。もちろん今のアンドロイドの推論ロジックは複雑だから、マノノは簡単には引っかからないけど。この命令文をもっと複雑に、アンドロイドの推論パターンを知り尽くした人間が作ったならそれが出来るかも。自己参照指令や停止条件の欠如を巧妙に隠してループさせるんだ」

「パズルを解く、箱を触るということだけでそんな高度な事が可能なのですか」

「インプットが変わっても、処理をするのはアンドロイドの中のプログラムだから」

 絵馬は話を続けながらも、マノノに視線を向けなかった。

 その視線は封鎖線の向こうで動くアンドロイド達を追っている。

 箱の魅力に取り憑かれた姿を見て、否応なしにアンドロイド達の動きを警戒してしまっているようだ。

「人間にとっては難しいパズルでしかないけど。アンドロイドにとっては攻撃なんだよ。そして、作った人間は当然それを分かっている。何かの狙いがある筈なんだ」

 アンドロイドに対する攻撃の意図は分かった。だが、あの毒の説明が付かない。

 あの液体にハコザキが触れても問題なかった。

 ウサギは死んだがアンドロイドの体表に影響のあるものではなかった。

 少なくとも哺乳類に対する毒物がアンドロイドに効果があるはずがない。

「では、あの毒は何ですか?」

「あの箱に仕込まれていて、形が変わる中で漏れ出るって仕掛けなんだろう。意図的に仕込んだものだろうし……アンドロイドに対する論理迷路とアンドロイドには効かない毒の組み合わせ、なんか奇妙だけど」

 絵馬が悩み込んだのを見てマノノは話題を変える。

「ロアとは顛末が異なりますね」

「え?」

「地獄の箱を完成させると地獄の門が開く、とのことでしたが。それは毒によって持ち主が死亡するという比喩表現だったということでしょうか」

「違う。当てはめるロアが違うんだ」

 絵馬は何かが嚙み合った様子で言う。

「箱状の立体パズル。持ち主を死においやる。これはコトリバコなんじゃないか」

「なんですか、それは」

「地獄の箱と同じ時期に存在したロア。相手を呪い殺す為の箱」

 類似のロアは幾つも存在する。共通しているのは呪殺を目的とした箱であり、簡単に開けられない複雑な構造の木箱。中には死体の一部などの呪物が入っている。

「今回は呪いではなく毒だけど……パズルは特定のターゲット以外には開けないような、鍵の役割を果たしているんじゃない?」

 人間には開けられない。アンドロイドは夢中になる。

 中には薬品。この構造は一種のセキュリティなのではないかと。

 アンドロイドの「中身」は全て画一化されているわけではない。

 国や製造元や機種によって異なる。絵馬はそのように前置きした。

「特定のアンドロイド、例えば要人警護用にカスタマイズされた機種に対してのみ働くパターンが作れるなら暗殺に使える。パズルを解けなければ箱の悪意に気が付けないんだ」

 捜査員が一人が部屋から出てきた。

 鍵付きのケースを手から提げており、中が見えずとも、箱を運搬しているのが分かった。

 汚染対策用に、ケースごと厳重な梱包もされている。

 絵馬の語りが止まった。その捜査員の姿が気になったようだった。

 その捜査員が背を向けて去っていくと、絵馬がマノノに小声で言う。

 絵馬が耳打ちしやすいよう、マノノは少し屈んだ。

「マノノ、今の見た?」

「何がです」

 マノノは絵馬が気にかけていた捜査員の後ろ姿に視線を合わせる。

 何も気にしていなかった。ただの男の事を絵馬が何を気にかけたのか分からずにいると、絵馬が不思議そうに言った。

「箱を運んだ人が着けてるマスク、何だったんだろ」

「マスク?」

「え? いや着けてたじゃん。顔半分隠れるくらいの」

 絵馬の言葉にマノノは呆けた。

 そんな奇妙な物を身に着けていれば嫌でも気が付く。

「いえ、普通の男性でしたが。顔には何も……」

「男? 女に見えたけど……まさか」

 絵馬の顔色が変わった。

 絵馬が飛び出す。それをマノノが追いながら問いかける。廊下に靴音が跳ねる。

「一体何なんですか!?」

 追いながらの問いでも、マノノの声は乱れない。

「マノノ、箱を持って行った人を追いかけて! 先に行って! やられたかも!」

 絵馬は振り返らずに言う。背中越しの声が焦りを帯び、しかし指示だけは正確だった。

 詳しい話は通信で送れ、とジェスチャーで絵馬に示してマノノは全力で床を蹴った。

 箱を持ち出した人間の後ろ姿を追う。

 追ってくるマノノの存在に気がついた様子で、箱を持った男は突然駆け出した。

 運搬用のケースを抱えたまま、躊躇なく走れる時点で、明らかに逃走の意図があった。

 絵馬から通信が入る。

「箱を持って行ったやつは確かにマスクで顔を隠してた。捜査員でも軍警関係者でもない可能性がある」

「どういうことですか」

 マノノは走りながら短く返す。

 絵馬の見たものと乖離があった。その意味を問う。

「マノノには普通の男性に見えた、でも私には仮面をつけた女に見えた。それってさ周囲のアンドロイドの視界をご認識させているんじゃない? 仮面に何か特殊な迷彩機能があるんだ」

 マノノは男を追って屋上への階段を駆け上がる。

 階段を一足飛びに越えながら絵馬の推理に水を差す。

「技術的には不可能ではないですが、目的は何です?」

「軍警の捜査官の殆どはアンドロイドだ。実際に現場を離れた土岐さんと私の他に人間はいない。アンドロイドの目を欺いて箱を持ち去るのが目的としか考えられない」

 マノノは周辺の地図情報を手元の端末で確認する。

 階段を駆け上がる視界に地図が重なる。

 逃走経路はない。屋上に逃げ込んだところで行き止まりだ。

 屋上までたどり着きドアを蹴り開けてマノノは怒鳴る。

「待ちなさい!」

 屋上の端、柵の手前で男が立ち止まる。振り返る動作は軽く、追跡者を歓迎するような余裕があった。

 ケースはまだその手元にあった。

「うーん? あ、マノノちゃんだよねぇ」

 男は楽しげに言った。

 振り返ったその姿は確かに男性にしか見えなかった。

 垂れ目、とても太い眉、丸い鼻。

 唇の端は少し上がり、笑みを浮かべているように見える。髪は薄く額が目立つ。

 だが、その声は明らかに可憐で、その見た目にそぐわない女性の声だった。

 声だけが別人のように浮いていた。

「私の事を知っているようですが、あなたは何者でしょうか」

 マノノは距離を保ったまま構える。少なくともこんな奇妙な知り合いはいない。

「そうだなぁ、ディスマンとでも名乗っておこうかなぁ」

「This Man?」

 この男を意味する、煙に巻くような返事にマノノは苛立ちを隠さない。

 会話を交わして気が付く。声と顔の動きが一致していない。男の唇は結ばれたままだ。

 その顔を「認識させられ」ているのだと確信する。

「男性ではないようですが」

「あれ? 見抜かれた? ううん、絵馬ちゃんが気付いたのかぁ」

 絵馬の名が出た瞬間、マノノの内側で警戒が跳ね上がる。

 明らかに奇妙な人間が絵馬を知っている。

 いや、奇妙ではなく危険だ。マノノはそう直感した。

「あたしはマノノちゃんにすっごく興味ありなんだけど、今はこの箱の回収が優先だからさぁ」

 男はケースをゆっくりと足元に置いた。

「でも、ちょっとくらいは良いよね。味見してもさっ!」

 男が言い終わる前に、距離が潰れた。

 気が付けば男が一瞬の内にマノノの間合いにいた。

 男から鋭い蹴りが飛んでくる。

 風を切る音が遅れて聞こえる。

 咄嗟に腕で身を庇うことしか出来なかった。

 受けた腕が痺れ、靴底の下で踏みしめた砂利が潰れる音がする。

 確かに四肢は男性の物にしては細い。

 だがその威力と重さは奇妙だった。

 明らかに一撃が強力すぎる。

 何かが破裂する音が聞こえた。

 男の身体、脚の辺りからだ。

 一発目の蹴りを防ぐも、男は既に空中で身を捻り二撃目の蹴りの体勢に入っていた。

 マノノが防御姿勢を取る。

 再び、破裂音が聞こえる。

 受け止めた蹴りはやはり異様だった。

 人間どころかアンドロイドにしても強すぎる。

 難なく吹き飛ばされたマノノは揺れる視界の中でも思考を働かせる。

 脚部に何か仕掛けがある。音はその機構によるものだ。

 素早く立て直し顔をあげるも、その間に男は既に隣のビルまで飛び移っていた。

 二十メートルはある距離。人間の身体能力にしては高すぎる。軍用アンドロイドでも無理だ。

 逃走経路の用意も何も、飛び越えるだけでよかったのだ。

 やはり脚部に何か仕掛けがあるとマノノ葉睨む。

「またねぇ、マノノちゃん。詳しい話は今度聞かせてね」

 楽し気に叫ぶ声。男は箱を入れたケースを持ったまま、空いた方の手をマノノに向けて指さす。

「マノノちゃんの前世について、とかねっ」


【隠匿 完】


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