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2話・黒羊

 月の見えない暗い山中。

 スコープが周囲を走査し、自動補正で着色された視界は、ほとんど昼間と変わらない明るさだ。大戦後の混乱期に流出した軍用モデルを、自ら修理して使い続けている。性能は今も申し分ない。

 男には、その程度の修理は造作もないほどの技術があった。その腕を頼りに今は別の野心を追っている。でなければ人目を避けて、こんな人気のない山中へ、わざわざ夜に入るはずがない。

 風に木々の枝が揺れるたび、男はわずかに肩を緊張させた。過剰なほどの警戒心から何度も足を止めては、暗い斜面をぐるりと見渡した。

 森の斜面に朽ちかけた看板があった。

 今の時代はもう見かけることもない、ただ板と棒をロープで固定しただけの簡易な物。反射材も電飾もない、現代技術の欠片もない、ただの「木の板」だ。風が強まるたび、釘の緩んだ部分が音を立てて悲鳴のようにいななく。男の世代には既に馴染みのない、古い生活の痕跡だった。

 ペンキで殴り書きしたような文字は掠れて消えかけており、看板としての役割をほぼ果たしていない。そもそも、この周囲に看板を必要とするような人の居住地は存在しない。

 暗視スコープの輪郭越しに見える山の斜面は、ただの鬱蒼とした森に過ぎないはずだった。

 だが、その看板の存在がこの山の景色を奇妙な物へと変える。

 くちかけた板と掠れた文字。

 スコープ越しに辛うじて「巨頭」という文字が見えた。

 

◇◇


 イベントホールには式典用の軍服に身を包んだ男達が詰めていた。磨かれた床に軍靴の音が反響し低い囁き声が空間を満たす。彼らの視線の先、ステージの中央では一体のアンドロイドが動いている。

 市民生活の中で日頃見かける人間そっくりの姿とは違い、顔をバイザーで隠し肌はグレーの色彩で統一されている。照明に照らされた外装は鈍い光を返し、煌びやかなステージに反して質素であった。

 ステージ上でライフルを構え、素早く床を転がり、防御姿勢や射撃姿勢を取ってみせる。その動きは無駄がなく、あくまで「兵器」として最適化された所作に終始していた。

 関節部の機械的な補強や体表にアタッチメントの接続部を隠そうとしないなど、人に似せて作られた市民権を持つアンドロイドとは大きく異なった様相であった。

 軍用と呼ばれる軍事作戦用のアンドロイドの新型機のプロモーションのイベントであった。

 普段、人権と感情機構を持つ人間そっくりのアンドロイドとしか会うことは無いが、そういった「無駄な」機能を排した実用的な軍用アンドロイドが、軍では今も多く採用されている。

 元を辿れば大戦で多くの軍用アンドロイドが戦場に投入されたことによって起きた技術革新が、今日の民間アンドロイド技術を支えている。

 会場周辺でも警備に徹する軍用の姿を多く見た。

 招待されて参加した絵馬は着慣れないスーツに居心地を悪そうにしながら、隣のマノノに耳打ちしようとする。シックな黒のドレス姿に身を包んだマノノは絵馬に合わせて屈むわけにもいかず、首だけを傾けた。

「新型機の最大の特徴は、下半身の交換による全路対応機能だってさ。何でも一機に集約させすぎなんじゃない」

「大戦も終わって軍縮の流れもありますし、保有機体数を減らしたいんでしょう」

 二人の会話に合わせるように、舞台裏からもう一体のアンドロイドが姿を現す。

 上半身こそ既に立っている機体と何も変わらないが、その下半身はまるで昆虫かのように、脚が六本生えていた。関節は蜘蛛のように低く構えられ、わずかな重心移動で全身を滑るように動く。

 照明が角度を変え、その六本の脚が金属光沢を帯びてきらりと光る。堂々と晒される異形のシルエットに会場の空気がわずかにざわめいた。

 機械のパーツそのものの脚部は、そのアンドロイドが軍用兵器でしかないことを示している。人に見せるための顔も、一緒に暮らすための仕草も用意されていない。

「移動終了。目的地到達。待機状態移行」

 人間とは思えない乾いた無機質な声が響く。口を動かすこともなくスピーカーを用いて周囲に響かせただけだ。わざわざ表情や発声の機能を持たせている市民としてのアンドロイドとは大きく異なる。

 性能についての説明映像が流れ出したのを見て絵馬が呟く。

「人間っぽいものを異形化することに、どうも嫌悪感があるよ。軍用機を人に近づける必要があるのかな」


 スクリーンには山岳地帯や市街地など、様々な地形を全路対応型の機体が駆け回る映像が映し出されている。。崖沿いの細い道を多脚で這うように進む様子、瓦礫に埋もれた市街地で機敏に方向転換する様子。拍手と感嘆の声が混じる中、絵馬は冷ややかな反応を隠さなかった。

 プロモーションが終わり会場内の人が流れ出す中、絵馬が人混みで遭難しないよう彼女の手をマノノが握った。

 慣れないフォーマルな場から抜け出そうとするも小柄な絵馬は人波に呑まれそうになっている。マノノの手は、その流れから彼女を引き留めた。

「子供だと思ってない?」

 不服そうに言う絵馬にマノノは涼しい顔で返す。

「ただのエスコートですよ」

 絵馬は降参といった態度でマノノの引く手に行く先を委ねた。

 絵馬の姿を見つけて声をかけてくる人物がいた。ひげを蓄えた白髪のオールバッグ。恰幅の良い巨体と長身。彫りの深い窪んだ眼孔からは鋭い目つきが覗く。

 周囲の人間が自然と道を空けるような存在感のある男だった。

 儀礼用の軍服は、肩から首元にかけて金糸の飾緒が目立っている。肩章と胸元の勲章メダルが地位の高さを示す。前時代的なアンティーク趣味にも見えなくないが、ある種の国力のゆとりでもあった。軍隊の中で、こうした儀礼がまだ重んじられていることの表れでもある。

「絵馬さん」

 低くよく通る声が彼女の名を呼ぶ。

城峰しろみね大佐、お久しぶりです」

 絵馬は姿勢を正し、自然と声を丁寧なものに変える。

 城峰大佐の付き人の若い男が、場違いな絵馬の姿に怪訝な表情をすると城峰は言う。

神祝かんほき少佐のご息女だよ」

 名前が出た瞬間、空気に微かな緊張が走る。亡き父と関係の深かった城峰大佐に神祝絵馬は、握手を差し出した。

「招待頂きありがとうございます」

「今回の新型機には、神祝少佐の研究技術も取り入れられている。是非その想いを感じて欲しくてね。優秀な君であれば父君と同じ道を志すと思っていたのだが」

 城峰の言葉は冗談めいているようでいて、その瞳には本心からの期待と惜しさが混ざっていた。

 絵馬は肩をすくめる。多くを語る気はなかった。

「別の研究の方が楽しくなってしまったもので……」

「私の方はいつでも人手不足だ。技術士官に興味があればいつでも連絡をくれたまえ」

 社交辞令ではない真剣な声だった。そこまで自分に価値があるとは到底思えないが、と絵馬は思った。生前の父とは関係が深かった、よほど親身に心配してくれているのだろうと納得することにする。

「民俗学の研究の道に進んだと聞いたがね。そういえば、興味を引きそうな話があったな」

 そこで城峰は声を落とす。その話を聞いた絵馬の目が、光を帯びた。


◇◇


 城峰からの情報は確かに絵馬の興味を引いた。

 東北地方の山間部、地図にない村があると言う。

 自治体ですら把握していなかった生活圏が、このご時世にあったというのだ。衛星とドローンによる網羅的な監視が当たり前の時代に、その網の目をすり抜けている。

 先の大戦の際、本土決戦の主な主戦場になったのは東北地方日本海側だった。

 日本海側の制海権を失った日本は軍用アンドロイドを用いたゲリラ的な迎撃戦を展開。その際に確認されたとのだという。

 しかし大戦の混乱期、また軍用アンドロイドからの偵察情報のみであり、詳細は不明。記録映像も一部損傷しており、テキストに起こされた報告書だけが辛うじて残っている。

 記録は断片的で、当時の作戦ログの中でも「誤報」の疑いが強いものとして扱われている。

 大戦後も自治体が調査を行ったが、それらしき拠点は発見できず、この話は立ち消えた。予算と人員を割く優先度は、ほかにいくらでもあった。

「誤情報だったと結論付けられたようだけど」

「でも気になったんですね」

 マノノの声には、絵馬の性格をよく分かっているが故の諦めにも似たニュアンスが含まれていた。

 概要を口頭で聞くだけなら、ありがちな怪談の前振りに過ぎない。だが語ったのは現役軍人であり大佐でもある城峰だった。にわかに絵馬の興味を引いた。

 絵馬とマノノはバイクを降りた。オフロード仕様の車体だが、獣道しか見当たらない未整備の山を往くのは無理だという判断だ。タイヤにはまだ湿った泥がこびりついており、ここまでの道がいかに荒れていたかを物語っている。

 エンジンを切ると、辺りは一気に静寂に包まれる。遠くで鳥が一声鳴いたきりだった。人の作った音がない世界の静けさは、普段都会の喧騒に慣れていると奇妙に感じる。

 手付かずの山はブナの木が無秩序に生え、暑い日差しを覆い隠していた。

 トレッキング用の装備に身を包み二人は山へと踏み入った。

 土の柔らかい感触と、時折足元で砕ける枯れ枝の音。湿った土の匂いと、遠くから聞こえてきた沢の水音。

 最近、こんな仕事ばかりだなとマノノは思った。

「偵察機は人間の生活圏を発見したと報告してる。その際に村名を示すと見られる看板も発見していて、辛うじて読めた文字が巨大の巨に頭という二文字だった」

 絵馬は息を切らしながらも言葉を続ける。

「それに何の意味があるんです?」

 登山用の重たい荷物、それも絵馬の分も含めた二人分を難なく背負いながら先を歩くマノノは問い返す。

 その口調は淡々としているが、山道の状況や周囲の環境を常に冷静に観察している視線があった。足の置き場を確認し、崩れやすい地形を避け、何度も後ろを振り返って絵馬の位置を確かめている。

「喪われたロアに似たような話があったんだ。山中、奇妙な看板を発見する。それには今回と同じ文字が書かれていて、その先へと進むと廃村があった。そして、怪異と遭遇するんだ」

「どんなです?」

「頭が奇妙に大きい人間」

「何の捻りもないですね」

 マノノが呆れた声を出す。

「同様のロアは幾つも確認されている。共通しているのは頭部の異様な形状ってこと。正体は色々考察されてるけど、真相ははっきりしないね」

「大概がそういう物じゃないんですか、ロアって。それで今回のもそれだと? そもそも誤情報だったのでは?」

「偶然の一致で片付けるには、変な文字の組み合わせじゃない?」

 絵馬はそう言いながら手元の情報端末が表示する周辺データに目を凝らした。

 この地域は何故か電波障害が起きる。

 偵察機からの情報がいまいち確度に欠けるのはそれが原因だ。画面の通信状態を示すアイコンが不安定に点滅し、そのたびに絵馬は眉をひそめる。

 最新の衛星ネットワークですら、この山奥では心許ない。だからこそ、誤報が紛れ込む余地があったのだ。

 やがて、木々の隙間から見慣れない影が覗いた。

 人影。

 いや、確かに人型であった。

 衣服はない。

 故にその表面の形状と光沢から軍用のアンドロイドだと分かった。

 頭部が異様に発達している。通常の人型フレームとはシルエットが違い、頭部だけが膨らんだようなアンバランスさがあった。

 人間の頭蓋より一回りも二回りも大きく、後頭部に球状のユニットを無理やり載せたようなシルエットだ。

 前面は顔の代わりに多層の装甲板で覆われ、その上に各波長用のレンズが縦横に埋め込まれている。光学、赤外線、電磁センサーがその下に隠されている筈だ。側頭部から後頭部にかけては冷却フィンとケーブル束が露出しており、人型ではあるものの軍用機らしく性能が優先された外見をしている。

「大戦中に採用されていた頭部センサー強化型だ。戦後に回収されなかった野良機体かも」

 絵馬は声を落とす。緊張感があった。軍の管轄を離れた野良機体、警戒をするに越したことは無い。どのような行動をするか読めないのだ。

 二人は暫く息を潜めて観察していたが、何の反応もなかった。

 近づいて調べてみる。

 稼働していない。撃破された後、廃棄されたのだろう。

 表面には弾痕があった。その特徴的な頭部からは焼け焦げた基盤が覗く。

 大戦の爪痕でもあった。

「ロアの正体はこれだったということですか?」

 マノノは拍子抜けした様子を隠さず問う。ちょっとしたハイキングで今日は終わりだろうか、と期待もしていた。

「でもそれじゃあ、看板や生活圏があったという報告と辻褄が合わないというか、筋が通らない」

 絵馬は額の汗を拭い、周囲を見渡す。

 そこでマノノは指差す。

 確かに朽ちかけた看板があった。

 この時代には珍しい木製の看板。

 簡素な作りであったのが分かる。

 文字はかすれて読みにくい。絵馬は興味と期待を隠せない様子で看板まで走り寄っていく。

「まさか、本当に」

 看板には確かに「巨頭」という文字が読めた。

 雨風に晒され朽ち果てそうになっているその看板は、何の役割も果たしていないように思えた。意味を伝える相手などいるのだろうかと。

「まぁ行くしかないよね」


◇◇


 進んだ先、既に月夜だけの山道を行く。絵馬が仕入れてきた軍用の携帯灯が頼もしい。強烈な白い光が足元の飛び出した木の根や石を照らす。

 二人は互いの位置を絶えず確かめながら進んだ。

 絵馬の好奇心と不穏な物への焦りが夜の山とはいえ二人の足を止めなかった。引き返すという選択肢は絵馬にはなく、何かあれば自分が何とかするほかあるまいとマノノは覚悟をしていた。

 何度休憩を挟んでも絵馬の息は上がったままであった。口数も減っている。

 何かの獣の鳴き声と草の揺れる音が混じる足音だけが続く中、不意に絵馬が声を漏らす。

「あれだ」

 絵馬が向けた携帯灯の明かりの輪の向こうに、黒い影が連なっていた。

 確かに村があった。

 廃村と呼んで差し支えない、壊れた家屋が並ぶ。十軒に満たない小さな村。

 一部の家屋の屋根は抜け、窓ガラスは割れ、長らく人の手が入っていないことを示している。

 現代の家屋の意匠とは大きく異なる。数十年前、下手すれば百年ほど前だろうか。

 確かに地図データには、この周辺に村はない。過去の履歴もなかった。

 それでも、ここにはかつて火が灯り、暮らしがあったことを物語る生活の残骸が散らばっていた。

「村が本当にあったんだ」

 好奇心抑えきれずといった様子で絵馬が一歩踏み出そうとしたのを、マノノが無言で手で制した。

 マノノの指先には、かすかな緊張が込められている。

 二人は気が付けば、先ほどのセンサー強化型と同じ機種のアンドロイド達に囲まれていた。マノノの指先には、かすかな緊張が込められている。

 何れも外装に汚れや損傷がある。

 大戦中に放棄された野良機体なのだろう。

 いや、と絵馬は気が付く。応急措置的に補強された跡がある。外装や破損したケーブルが直されている。

 誰かがここで、最低限動く程度には手を入れ続けてきたのだ。

 ただ無言で取り囲まれる状況に、絵馬とマノノは気圧された。

「おいおい、何だよ。人間が何でこんなとこにいるんだよ」

 その声と共に現れた男はアンドロイドではなく人間だった。短髪で作業着に身を包んだ三十代半ばの男。

 肩口の汚れや油染みを見て、放棄された野良機体が改修しているのが、この男だと絵馬は直感的に気が付いた。

「ここで何をしてるの? 放棄された軍用アンドロイドを集めてるってこと? 下手な嘘は良いよ、軍人じゃないのは分かる」

 絵馬は相手の雰囲気から軍の人間ではないと直感していた。少なくとも軍が放棄された野良機体を回収しているわけでは無さそうだ。

「あー、まぁビジネスだ」

「ビジネス?」

 絵馬が眉をひそめる。

「廃棄された軍用アンドロイドを回収して国外に売るんだよ」

 男は悪びれた様子もなく言い放つ。その口ぶりは、自分の行為を半ば誇っているようでもあった。

「言うまでもないけど法律違反なのは分かってるよね」

 絵馬の声は冷たくなる。理屈以前の嫌悪が、その一言に滲んでいた。

「じゃなきゃこんな薄気味悪い村を拠点にするかよ。せっかく良い隠れ家だと思ったのによ。まさかあいつらの仇討ちだとか言うんじゃねぇよな。あんたらは人間に見えるからな」

「は? どういう意味?」

 絵馬の胸中に、嫌な想像が一瞬で広がる。確かめずにいられなかった。

「まさか人がいたの?」

「あぁ、変な頭をした奴らが何人かな。全部殺したけどよ」

「何を言って……」

 躊躇いも罪の意識も見えない口ぶりだった。

「近親相姦の慣れの果てか知らねぇけどよ、人間かも怪しい、言葉も殆ど通じねぇんだぜ」

 絵馬の空気が変わったのを感じ取ったのか男は慌てて言う。

 先ほどまで薄笑いを浮かべていた顔に、警戒と焦りが混じる。

「待てよ、俺は治安に貢献したんだよ。今の社会はアンドロイドのおかげで成り立っている。逆に言うなら人間に拘る必要もねぇんだ。今の社会共同体に参加してないような人間、今からこの社会に馴染めるとも思えない奴らを大切にする理由があるのか? あんな奴らが今更この社会に復帰できるわけがねぇ」

 この男と問答をするつもりは無かった。話して諦める手合いでないと分かっただけで十分だと絵馬は判断する。

「逮捕権は私達にはないから、通報させてもらう。武器輸出法違反と殺人だ」

 絵馬は感情を押し殺し、事務的に告げると男は周囲のアンドロイドに対して指示を出すように手を挙げた。

「分かりあえなくて残念だ」

 男が手で指示を出すと軍用アンドロイドが向かってくる。

 その動きは明確な殺意を宿していた。

「排除行動開始」

 それらを絵馬が片っ端から目で追って叫ぶ。

「銃火器の装備はない! マノノ!」

 絵馬は背負っていた護身用の刀を手で握って振り下ろす。そしてその鞘を握って柄をマノノへと向けた。その柄を握らせる。絵馬が鞘を掴んだまま、マノノは刀を引き抜いた。マノノが飛び込み迷いなく刀を振るう。

 闇の中で、刀身だけが一瞬光を帯びて軌跡を描く。寄ってくるアンドロイド達を容易く、容赦なく撫で斬りにしていく。切断された部品が土の上に転がる。

 それを見た男は小屋から飛び出した。足元も見ずに闇へ飛び込む姿は、もはや冷静さを欠いていた。

 逃げ出す姿を見て絵馬は咄嗟にそれを追う。その後ろ姿に向けて絵馬は手元の携帯灯を照らす。

 焦りの見える背中を追っている途中、男は突然姿勢を崩して倒れ込んだ。短い悲鳴。その姿を照らすと、その足元にあったのは罠だった。「とらばさみ」と思わしき罠。地面に仕掛けた板を踏むと、金属製の刃のついたハサミが足を捕縛する機構だった。

 知識としては理解していても、その古くさい罠の実物を絵馬は初めて見た。

 罠に足を取られた男は苦悶の表情を浮かべている。

「いってぇ……」

「獣対策か? 今時こんな物を使うかな……」

 とにかく男の逃走は防いだ。絵馬は手元の端末に話しかけマノノを呼び出す。

「マノノ、そっちはどう?」

「片付きました、直ぐに向かいます」

 軍用アンドロイドを何体も相手取った直後とは思えない、簡潔な返事だった。声の調子からは、まだ余力さえ感じられる。

 罠は足首に食い込み血が滲んでいる。周囲を照らしてみると村との境界に同様の罠が幾つもあった。

 男が罠にかかった姿を見たせいか、絵馬にはその罠が人間用なのではないかという疑念が湧いた。

 駆けつけたマノノは罠を力付くで外す。金属製のバネが難なくひしゃげた。逃げる気力もなくした男を難なく担ぎ上げた。

 一先ず廃屋の中に男を放り込む。

 マノノが廃屋の中の柱にロープで男を縛り付けると、口では暫く騒いでいたが途中で大人しくなった。痛みと疲労、それに逃走の機会を失ったことへの諦めが重なっていた。

 絵馬は周囲を確認してくると言って外へ出ていく。

 薄暗い廃屋の中には、土の匂いが漂っている。床板はところどころ抜けかけており、歩くたびにきしんだ。

 男は縛られながら言う。

「お前、ただのアンドロイドじゃないな。軍用機複数体を相手取って瞬殺なんて有り得ねぇ」

「こちらは武装していましたし、軍用機とはいえ放棄された機体、万全の状態ではないでしょう」

 マノノは表情を変えずに淡々と答える。

「そんなんで説明が付くレベルじゃねぇだろ。何者だ、軍警の公安部か? それとも軍人なのか?」

「ただのコンサルティング会社の社員ですよ」

 男は鼻で笑う。

「民間のアンドロイドがそんな高機能な訳あるかよ。分かったぜ、偉そうに語っておいてお前の主人も軍用機を盗んでるじゃねぇか」

「違いますよ。あの子はそういうのじゃない。救ってくれただけ」

 マノノの声には、主の過去に触れさせまいとするような、微かな棘が混じった。

 絵馬が顔を出した。

「やっぱり人がいた痕跡があるね。真新しい血痕も見つけた。撤収しよう、ここから先は軍警に引き継ぐべきだ」

 廃屋の柱に縛られた男は最後に吐き捨てるように言う。

「お前らだってどこかで思っているはずだ。平和で優秀で順応な市民ばかりの方がいいと、俺はその手伝いをしてやっただけだ。国民のレベルを一定に保つためにはどこかで間引きが必要だろ」

「なら、その規範からあなたも逸脱してるんじゃない?」


◇◇


 数日後。

 あの廃村での一件で、絵馬はまだ全身が筋肉痛であった。

 軍警の公安部に所属する土岐ときからの呼び出しを受けて絵馬とマノノは取調室にいた。部屋には何の装飾もなく、隠す素振りもない複数の監視カメラが目立っていた。金属の机と椅子の冷たさ、それに居心地の悪さを感じていると、土岐が姿を現す。

 細身のコートに身を包んだ若い男。深いそり込みを入れた長髪。絵馬とは顔見知りであった。公務の場でも、どこか軽薄さと鋭さを同時にまとった男だ。

「なんで毎度厄介ごとを持ち込むんや、君らは」

 土岐は椅子に腰掛けるなり、呆れ半分のため息を吐く。

「警察に協力的な模範的市民のつもりなんだけど」

 絵馬は不服そうに言葉を返した。

「不正輸出されようとしていた野良軍用機相手に大立ち回りをして、犯人の男はふんじばって帰ってきた。って話に間違いはないんやな?」

 土岐の言葉が始まると、取調室での様子を記録しているとの通達が壁に表示される。

「勿論」

 絵馬は自分たちの行動を改めて言語化され、少しだけバツの悪そうな顔をする。模範的一般市民にしては少々大立ち回りしすぎているのは間違いない。

「その男、うちの職員が発見した時には殺されとった」

「え?」

 マノノが言う。

「私達ではありません」

 マノノの声は静かだが、その眼差しは真っ直ぐ土岐を見据えていた。

「君らを疑ってるわけやない。ただ、何かを見なかったのかって話や」

「何か?」

 絵馬は身を乗り出す。

「その男は何者かに食い殺されていたんや。捜査の結果、歯形は人間の歯並びやったし、唾液の解析も出来たから熊なんかとは違う。正真正銘人間の仕業や」

「食い殺したって……」

 絵馬はあの廃村の静けさを思い出す。確かな生活の痕跡、それにはそぐわない古臭い生活様式。男の言っていた異形の住民。村の側にあった、まるで人間を捕らえる為であるかのような罠。

「ただな」

 土岐は検査データが表示された電子ペーパーを二人の手元に滑らせた。

 そこに表示されている内容を覗き込むために、絵馬とマノノは頭を突き合わせる。

「口が大きすぎるんや。歯の大きさや口の大きさから計算してみると、顔の大きさが倍以上ないと辻褄が合わんらしい」

 印字された数値と復元された骨格予想が、淡々と「常識外れ」を示している。そこに描かれた頭部の比率は、人間と呼ぶにはあまりに歪だった。

 山中で見た朽ちた看板の文字を絵馬は思い出す。

「男が殺した住民の遺体は?」

「それも発見できてへん。血痕や毛髪は見つかっとるけど遺体そのものは、何者かが持ち去った可能性が高いんや。なぁ。あの村には、何がおったんや?」

 確かにあの村には、男の言うように異形の住民がいたのだろう。そして、彼らを殺害したのも事実なのだろう。

 だが、男があの村の全ての住民を把握し殺害したという確証はない。

 およそ人が住んでいるとは思えなかったが、家屋は十軒ほどあった。男が殺したのは数人だと言っていた。

 あの後、山を降りた後。

 住民が戻ってきたのではないのか。

 今も尚、あの山の中には何かが住んでいるのではないか。

 絵馬は、ただの憶測でしかないそれを、どう言葉にすべきか分からなかった。


【黒羊 完】


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