76:不良令嬢、残虐鬼に甘えてみる
伯爵らの縄を解いたクレアたちは、捕縛した執事長を残して屋敷をあとにする。
事後処理くらいはクレオにもできるだろう。
予め手配していた宿の部屋の中、クレアはサイファスに抱き上げられている。
血まみれの服は着替え、風呂にも入った。
抗議するも残虐鬼は耳を貸さなかったので、仕方なく状況に甘んじている。
サイファスの腕に包まれたクレアは、小さく彼に話しかける。
「屋敷では情けないところを見せてしまったな、サイファス」
「ミハルトン伯爵を盾に取られたときのこと?」
あの瞬間、クレアは動けず、最善の選択を放棄してしまった。
過去の情に流されるなんて、愚かだと言わざるを得ない。
「俺は、あいつを見捨てられなかった。冷静に考えれば、あれほど伯爵に執着していた執事長が、彼を斬ることなどできないとわかっていたはずなのに。だからこそ、殺さず部屋で拘束していたのに」
あのときのクレアは、焦って思考を怠った。僅かでもミハルトン伯爵が傷つけられる可能性を恐れたのだ。
自分には見向きもしない、道具以外の利用価値を見いださない親なのに。
助かったあとでさえ、彼はクレオ以外に目を向けなかったのに。
「あんなにクレオの地位にこだわっていたのも、結局のところ父であるミハルトン伯爵に必要とされたかっただけ。子供じみた感情だ」
知れば知るほど、自分は執事長と同じだ。
方法が違うだけで、今でも父親を振り向かせたがっている。
「クレア、その……私じゃ駄目かな」
「へっ……?」
「私では君の家族として不十分?」
「サイファス?」
「君は私にとって、ただ一人の家族だ。誰よりも大切な……」
サイファスは寝台にそっとクレアを下ろす。
「ミハルトン伯爵の代わりにはなれない。けれど、私にとってクレアは、この世で一番の妻だ。君のためなら、なんだってしたい」
寝台の淵に座ったクレアは、隣に腰掛けるサイファスをじっと見つめる。
彼の目は真剣そのものだった。
だが、クレアにとって、理解できない部分がある。
「サイファス、お前はおかしい。出会って一年にも満たない俺を、『この世で一番』の相手として扱うのか?」
「こういうのは時間ではないよ。君を知るほどに愛おしいと思ってしまうんだ。何があっても、私の手で守りたいと」
「俺を守ったところで、お前に利益があるのか?」
「あるよ。でも、そんなのどうだっていい。私が君を守りたいから守るんだ、クレアを手放したくないから……」
余裕のないサイファスを前に、クレアは動揺し始めた。
またしても恥ずかしくてこそばゆいような、それでいて逃げ出したくなるような、おかしな感情にとらわれてしまったのだ。
顔が熱いし、動悸も激しくなっていく。
「クレア、どうか私の手を取って」
サイファスは動揺するクレアに追い打ちをかけた。
「これからは王都のミハルトン家ではなく、私と共にルナレイヴで生きて欲しい。ミハルトン伯爵ではなく、私を見て」
サイファスは場所のことを言っているのではない、クレアの気持ちの置き所について話している。
クレアは、そう理解した。
ミハルトン伯爵に顧みられず、静かに疼いていた傷。
自分は必要ないのだと突きつけられ、認めたくないがクレアは確かにショックを受けていた。
その傷が、サイファスの言葉によって徐々に薄れていく。
「こんなときに何をと思うかもしれない。でも、私はクレアが好きなんだ。何度でも君を愛していると言うよ。共に人生を歩みたい」
「サイファス……」
クレアは他人の感情の機微に聡くない。
けれど今は、彼が心の底から自分を望んでいるのがわかった。
ミハルトン伯爵を求めていたクレアのように、サイファスは自分を求めてくれている。
それにくらべて、クレアはどうだ。
伯爵が自分に対してそうだったように、サイファスをないがしろにしていなかったか。
全力で向き合ってくれる彼をいい奴だと思いながらも、クレアからは一歩も歩み寄れていない。
これでは、父と同じだ。
「すまない、サイファス。俺はお前に対して誠実じゃなかった」
「え? 誠実じゃない?」
不思議そうに首を傾げるサイファスだったが、やがてハッと何かに気付いたように顔を青くする。
「まさか、浮気していた!? 他に好きな人が!?」
明後日の方向に解釈するサイファス。
「どうしてそうなる? 誠実じゃないと言ったのは、サイファスの優しさをいいことに、俺が一方的に甘えていたという意味だ」
「よくわからないけど、クレアが甘えてくれるのは大歓迎だよ?」
サイファスが、どうぞというように両手を広げる。
「…………」
全く会話が成立していないが、実にサイファスらしい言葉と態度だ。
肩の力が抜けたクレアは小さく息を吐き、自分からぽすんと、隣に座った彼の胸に頭を預けた。




