57:現れたピンクの強敵(サイファス視点)
(クレアが、私を意識してくれている?)
その日、サイファスは落ち着かない気持ちでクレアと一夜を過ごした。
クレアは未だサイファスの告げた言葉の意味を理解できてはいないし、自分に無頓着だ。
それでも、サイファスを意識し始めるという、新たな感情を知り始め、戸惑う様子を見せていた。
(思うに、クレアがこれまで過ごしてきた環境下では、彼女の情緒面が育ちにくかったのではないだろうか。もし、そうなら……)
クレアの心はまだ、成長している途中だと言える。
一緒に暮らしていくうちにクレアが様々な感情を覚え、いつかはサイファスの言葉の意味を理解してくれる日も訪れるかもしれない。
(そう考えると、希望が持てるな)
どこかちぐはぐな育ち方をしているクレアにとって、新たな感情が芽生えたのは良いことのように思えた。
このまま辺境で、少しずつ様々なことを知っていって欲しい。
昨夜のサイファスは、今までどおりクレアと並んで眠る以上のことはできなかった。
あのような事件のあとなら、尚更である。
(もしかすると……成長が必要なのは、私の方なのかもしれない)
数ヶ月経っても、何の進歩もない残虐鬼であった。
※
アズム国との交渉は難航していた。
第二王子の部下たちは、ゴンザレスの身を案じているようだ。人望はあるらしい。
だが、彼の本国――アズム国の王は交渉に応じる気はないようだった。
役に立たなかったゴンザレスを切り捨てるつもりらしい。
交渉を通じてわかったことは、もともとアズム国はゴンザレスに期待をしていなかったということだ。
ゼシュテ国侵攻に関しても、厄介な残虐鬼を正面から相手取る気はなかったらしい。
たとえ、いつか攻めるとしても、ルナレイヴは避け、過去にあったように別の場所から軍勢で攻める手段をとるつもりだったのだろう。
(クレアもクレオとして、アズム国を迎え撃ったことがあったと言っていたっけ……確か前に、王都の寄せ集めの軍隊よりも、ルナレイヴの兵士の方が敵から見て厄介だと評価してくれたことがあったなあ)
……と言うわけで、現在ルナレイヴでは、問題児レダンドに引き続き、王子ゴンザレスの身柄も持て余してしまっている。
さらに、ゴンザレスに付き添いたいと、数日後に王子の部下のアスターという男までやって来た。
クレアが「こいつはゴンザレスの側近らしい」と教えてくれた。
どうしようもないため、とりあえず二人とも一緒の牢屋へ入れている。
(ルナレイヴの牢屋は、不要人材引き取り所じゃないんだけど……)
とりあえず、ルナレイヴの国境沿いの脅威は大きな戦いに発展することなく去った。
複雑な気持ちではあるが……王子を攫ってきたクレアの手柄だ。
愛する妻への心配が先立ち、本人へは礼よりも先に説教をする羽目になったが、サイファスはクレアに心から感謝していた。
クレアは様々な面でルナレイヴに幸福を運んでくれる、奇跡の花嫁だ。
戦が終わり、ルナレイヴはしばらく平穏な日々が続くだろう。
これでようやく、クレアと夫婦らしく楽しく過ごすことができる。
忙しさが去った今こそ、彼女と絆を深めるのにいい時期だ。
(クレアは私を嫌っていない。むしろ、好意を抱いてくれている)
だからきっと、彼女が自分の感情の意味に気づきさえすれば、相思相愛の夫婦になれる。
可愛い妻の葛藤を考えるだけで、自然と頬が緩んだ。
あともう少しの距離で、二人の心が繋がるような希望が持てる。
執務室で仕事をしていたサイファスが、窓から外を眺めると、クレアが一人で散歩しているのが目に入った。
サイファスの植えた薔薇の傍でウロウロしている。
しばらくして、クレアは手前に置いてあるベンチに横になった。
居眠りを始める気だ。
(あんな場所で、なんて無防備なんだ!)
辺境伯家の庭とはいえ、どこの誰が見ているかもわからない。
彼女の可憐な寝顔を他の男に見せたくなどなかった。
仕事もそこそこに、サイファスは急いで庭へ直行する。
(あわよくば膝枕……いや違う。私は彼女の身を心配しているんだ!)
自分に意味不明の言い訳をしつつ、サイファスはクレアの元へ向かう。
しばらく進み、無事彼女の姿が目に入って一安心した。
「クレア……」
声を掛けて彼女の傍へ寄ろうとしたサイファス。
しかし、歩み寄るサイファスと眠るクレアの間に、突然ピンクの塊が飛び込んできた。
思わず体を反らして足を止めてしまう。
「……!?」
その塊は甲高い声を発し、ベンチに横になっていたクレアに飛びついた。
「クレオ様ぁ~っ! ああっ、こんなところにいらっしゃったのね!」
殺気のない不意打ちに、クレアは「うがっ」と、うめき声を上げている。
サイファスは慌ててピンクの塊をクレアから引き剥がした。
「クレア、大丈夫かい?」
「うう、サイファス? 大丈夫だが……」
ベンチから起き上がるクレアが、ピンクの塊に目をとめる。
彼女の珊瑚色の瞳が大きく見開かれた。
「エイミーナ……? どうしてお前がここにいるんだ?」
クレアが呟いた名は、以前聞いた、彼女の元婚約者である令嬢のものだった。




