リジェルの混乱
アイリーンは忙しく走り回っていた。
周囲の人々も皆ばたばたとせわしなく動き回っている。
不本意ながらエレノアの提案を受け入れたところ、徐々に流行病にかかる人間は減り、動ける人間が増えてきていた。
(さすが国王陛下、タイミングというものをわかっているわ)
そして昨日、国王はある声明を発表した。
本日の午後、魔女エレノアの処刑を行うと発表したのである。
現在、傷病者の数は減ってきているがそれはまだ目に見えるほどではない。しかし改善してきているのは確かである。
このタイミングでエレノアの処刑を実行すれば。その後徐々に病が落ち着いていくのを見て、国民達はエレノアの処刑により呪いがおさまったのだと納得してくれることだろう。
急すぎる宣言だが、タイミングを逃せばエレノアの処刑は関係なかったのではないかと疑われかねない。
それになによりできるだけ早く国民達の不満をぶつける先を用意するのは大事なことだ。
その準備に皆追われ、ばたばたと走り回っているのだ。
「アイリーン様、お召し物の準備ができました」
「まぁまぁね」
ふん、と鏡を見てアイリーンは鼻を鳴らす。
そこには質素な白いドレス姿の少女が写っていた。
飾り気がないのはこの緊急事態だから仕方がない。これ以上国民の感情を逆なでするわけにはいかない以上、倹約に励んでいる印象を与えなくてはならないのだ。
(この事態さえ収まれば、また新しいドレスを用意させればいいんだわ)
そう自分に言い聞かせるとアイリーンは一番の特等席へと出かけていった。
『偽聖女エレノア・ホワイトの処刑決定!!』
昨日ばらまかれた号外は地面に張り付いて踏み潰されている。
それをゆっくりと地面から剥がして老婆はため息をついた。
「お袋、なにやってんだ。まだ病み上がりなんだからおとなしくしてろよ」
「本当にエレノア様は処刑されちまうのかねぇ……」
息子がそう声をかけてくるのに振り返り、彼女は弱々しく話す。
「偽物だったんだからしょうがないだろ。それにこの『呪い』もそいつが死ねばおさまるんだ」
「あの人は『呪い』なんてかける人じゃないよ」
息子の言葉に彼女はふたたびため息をついた。
「あの人は戦の時も戦場におもむいて治療にあたってくれて……、それでどれだけの人間が助かったことか。それにあの人が聖女として勤めている間はこんなに街中が荒れることもなかった。……今の国のいうことは信用ならないね」
「何言ってんだよ!」
息子は周囲をはばかるように見渡した。幸いなことに皆処刑の知らせに浮き足立っており、老婆の発言に注意を払う人間はいない。
中央の広場ではちゃくちゃくと処刑台の建設が進んでいる。その背の高い柱は少し離れたこの場所からでも見ることができた。
「そんなこというなよ。だいたいその偽聖女のころは金の無駄遣いが激しかったって話だぜ。治療院で莫大な金を使って無駄な出費を増やしてたって! だからアイリーン様になってから見直しが行われて治療院の仕組みも変わったってよ!」
「それも昔のやり方に最近戻したじゃないか」
老婆は首を横に振る。
「あたしの友達が言ってたよ。それにあたしも治療院に行ってこの目で見た。無駄だと言って廃止した手袋も口布も酒での清掃も全部元通りになってたよ。戻したってことは必要だったってことだろ」
「いや、それは……」
「それにアイリーン様の服装は見たかい? ずいぶんと派手な装いをして。それ以外にも治療院から予算を削った途端にずいぶんとはぶりのいい貴族連中が増えたじゃないか。それこそよくわからん銅像なんぞあちこちに立てまくって。あたしゃあそんななんの足しにもならんもんに納めた税金を使われるよりも治療院に使ってほしいよ」
「……でも、みんなエレノアは偽物だって言ってるぜ」
「『みんな』ねぇ。どこのみんなだか知らないが、あたしは自分の目で見たもんを信じたいね」
一応処刑を取りやめて欲しいという嘆願書はまだ身体の動く友人に動いてもらい、有志を募って署名を集めたものを昨日のうちに出していた。しかしそんなものはおそらく歯牙にもかけられなかったことだろう。
そうして彼女は切なげな目で処刑台を見つめた。
「……あの処刑台に火でもつけたら中止にならないかねぇ」
「おふくろ!?」
ぎょっとして目を見張る息子に、彼女は「やらないよ」とため息をつく。
「あともう少し若くて走れればねぇ……。それとも見物人に紛れて火炎瓶でも投げればばれないかねぇ」
「……お袋、頼むから家でおとなしくしててくれよ」
そう言うと息子は自らの母の手を引いて家へと引っ込んだ。
彼女は名残惜しげに処刑台を見つめていたが、その扉はすぐに閉ざされた。




