花子の心
じゃらり、と音を立てて金貨のつまった袋は男の手のひらへと置かれた。
「……ありがとよ、旦那。じゃあこれが約束のもんだ」
そう言って看守だった男は鍵をロランへと渡す。
周囲の日はもうとっくにくれて、頭上には星が輝いていた。
あのあとロラン達はレンと合流し、レンが取っていてくれた宿屋へと一度身を潜めていた。
一応表向きの理由である国の調査もレンが簡単にだがこなしてくれていた。
「今回の病、症状だけをみれば風邪に近いもののようです」
「そうか」
その報告書を見ながらロランはうなずく。
亡くなっているのは老人や子どもがほとんどのようだが、中には治療が間に合わず若い人間も少しだが死亡者が出ているようだ。
そして治療院などはほぼ壊滅状態でほとんど機能していないようだとの噂もその資料には記載されていた。
「しかし妙なんです」
「妙とは?」
「ここ数日、急に治療院が稼働し始めたようで……。治療を受けた人間に話を聞いたのですが、一度廃止されたことを再び行いだしたと」
「どういうことだ?」
その人物が言うには以前は使用されていた手袋や口布などが復活し、治癒術師以外の医療スタッフも多数呼び戻されたようだったという。
「治療院の仕組みが変わったのは二ヶ月ほど前。そして数日前に再び以前の仕組みに戻されたとのことです」
「二ヶ月前か」
それはちょうど、ハナコが追放されてアゼリア王国へと来たタイミングと一致する。
そしてハナコが再びリジェル王国へと連れ去られたのが五日ほど前だ。
「お嬢様は……、国に戻ったのならばこの状態を見過ごさないでしょう。たとえご自分の身がどのような状況にあったとしても」
「……そうだな」
ロランの知るハナコという女も、ケイトがいうような人物だった。
「急ぐ必要がありそうだな」
しかしハナコが国を立て直す施策をぺらぺらしゃべっているとなれば、聞き終えた誘拐犯達がハナコを処分するまでの猶予がない可能性が高い。
(まったくもって……)
難儀な女である。
周囲がこれだけ焦っているにも関わらず、きっと彼女はいまごろ涼しい顔をしているのだろう。
「なんだか腹が立ってきたな……」
「それで、これからどういたしましょう?」
眉を寄せるロランのつぶやきは聞こえなかったのか、ケイトがそう心配そうに声をかけてきた。それに慌ててロランは眉間の皺をほぐすように指を額へと当てる。
「そうだな、ハナコの身柄を確保次第すぐに脱出しよう。レン、馬車の中身は?」
「もう売り払いました。空です。空の荷箱だけは一応積んであります」
「うん。ではその中にハナコを隠そう。留置所には三人で向かい、ハナコの顔を隠すためのローブと縄を持っていく」
「縄?」
そのロランの説明にケイトとレンは首をひねる。
「あのう、ロラン様。ローブはともかく、どうして縄が必要なのでしょう?」
そう尋ねるケイトに、
「うん、それはな」
ロランはもっともらしくうなずいて見せた。
「脱出を拒む可能性がゼロではないハナコのことを、ふんじばって連れて行く用だ」
ケイトとレンは顔を見合わせた。
それが数刻前のことである。
看守の男から受け取った鍵を手に、ロラン達三人はその細い扉をくぐり現れた階段に足を踏み出した。
※
石畳を踏む足音がする。
(またアイリーンか?)
その音に花子は身体を起こした。
独房の中には簡易的なトイレと布団代わりの薄い布が一枚のみだ。その布にくるまって花子はさきほどまで寝ていた。
寝る以外にすることがないからだ。
アイリーンが尋ねてきてから四日、看守以外の人物とは花子は会っていない。
(病が少しはましになっているといいんだが……)
大きなあくびをしながら起き上がると、花子はなんとなく髪を手ぐしで整えた。
髪は汗でべたついていて手にひっかかる。全然指が通らないことに諦めて、花子はそのまま格子の向こうを見つめた。
足音がばらばらに響く。来客は一人ではないらしい。
(さて、ジャックかエリアスか)
それともその三人全員だろうか。
のんびりと待ち構える花子の目の前にその人物は現れた。
黒く整えられた短髪に精悍な顔立ち、水色の澄んだ瞳は切れ長で、けれど見た目ほど冷たい人物ではないことを花子は知っている。
まるで商人のような服に身を包んだ背の高い男。
「……ロラン?」
「やぁ、五日ぶりだな」
目を見開く花子に彼はそう言って手を上げて見せた。
「まぁ、こんな時になんというか、不謹慎なのは重々承知だが。……きみを驚かすのはなかなか爽快だな」
そう困ったように微笑む彼の後ろから、「お嬢様!」と駆け寄るケイトと無言でこちらを睨むレンの姿が見えた。
「一体何しにきたんだ?」
花子はなるべく声に感情を込めないように気をつけてそう尋ねた。
「お嬢様! それはもちろんあなたを助けに……っ」
言いつのるに目線を向けると彼女は口を閉ざした。花子の視線の鋭さに耐えきれなかったのだろう。
そのサファイアの瞳は暗闇の中で暗く静かに、けれど確かに責めるように輝いていた。
「きみのことを連れ戻しに来たんだ」
その続きを引き取るように、ロランはケイトの肩を軽くたたき、後ろへと下がらせるとそう言った。そして牢屋の中で地べたに座っている花子に目線を会わせるように床へとあぐらをかく。
そしてまっすぐに目線を合わせてきた。
水のように透き通った瞳が花子の脳内を見透かすようにサファイアの瞳を射貫く。
「ハナコ、真剣な話をしようか」
その言葉に花子は悟る。
彼は何かに気づいている。
おそらく、花子の本心に。
「きみは一体、なぜそんなに死にたがるんだ?」
「なんのことかな?」
花子は口元に笑みを浮かべた。しかしその瞳は笑っていない。
その笑みを、彼は笑わずに見据えた。
「きみは初めて出会った時からそうだった。そうやって曖昧に笑って本心をはぐらかす」
花子は答えない。それに彼も諦めたようにため息をついた。
「そして出会った時から死にかけていた。いや、死に自ら飛び込んでいっていたというべきかな」
そのまま言葉を続ける。
「きみのそれは積極的なものではない。しかし自己犠牲が過ぎる行為が多いのが気がかりだった。盗賊の前に勝算がないのに立ち塞がり、詐欺師の事務所にも恐れず足を踏み入れる。そして紅蔦病の患者を自らの身を犠牲にしてでも助けた。それらは勇敢と呼ばれてもいいのかもしれない。しかし違う」
水色の瞳は静かに見つめる。
「きみが傷を恐れないのは、それを望んでいるからだ。婚約者や故郷に裏切られてもなにも痛痒に感じないのは自らをないがしろにしているから。そのことの俺は今回、きみが自ら故郷へと出頭していくのを見て気づいたよ」
あの時、ロランは「それでいいのか!?」と花子に尋ねた。それに花子は「それがいいんだ」と答えた。
それは文字通りの意味だ。
「俺の目には、君が自殺志願者にしか見えない」
花子は笑った。
最初は小さく、やがてそれは大きな哄笑に変わる。
「お、お嬢様……」
おびえるようにつぶやくケイトに目線を向けて、花子はようやく笑いを納めた。
「なんできみはそんないい人なんだろうね?」
そうしてうつむく。
「期待したのになぁ……」
「……一体何に期待したんだ?」
花子は顔を上げる。そこには疲れたような笑みが浮かんでいた。
「きみもわたしを傷つけてくれると思っていたのに、とんだ期待はずれだ」
「……聞かせてくれ。きみはなぜそんなにも死を望む」
水色の瞳だけではない。薄桃色の瞳に緑の瞳。六つの目に見つめられて花子は微笑んだ。




