投獄
こつんこつんと高いハイヒールが石造りの床を叩く音が響く。
周囲は薄暗かった。それもそのはずだ。
囚人を幽閉するための建物の窓は逃亡防止のために小さく、そして手が届かないほど高い位置につけられている。
蝋燭の明かりなど経費削減のために限られた数しかなく、ろくに清掃もしていない廊下や階段はカビやサビのすえた匂いがした。
そんな中、勝ち気な紫色の瞳を光らせてアイリーンは一人歩いていた。
場所にそぐわない豪華な真っ赤なドレスに美しいリボン、その首元にも手にもいくつもの宝石が飾られている。
あれからアイリーンは国王にすぐさま声明を出させた。
いわく、『今回の流行病は偽聖女エレノアの呪いである』と。
それを信じない者もいたが、信じる者も多くいた。最初は疑っていた人間も何度も同じ内容を新聞記事や広告でばらまくと次第に本当にエレノアのせいなのではないかと疑いだした。
簡単なものだ。
だってこの国の人間には全員心当たりがあったのだから。
エレノアに呪われる心当たりが。
あれだけ国に尽くしてきた聖女を捨て、そして新しい聖女の存在に安心して追いかけるどころか案ずることすらしなかった。
エレノアが呪っているのだ、と彼女を悪者にしたほうがそりゃあ都合がいいだろう。良心が痛まなくて済むのだから。
アイリーンはふいに頬にさわった。殴られた傷跡はもうないものの、その傷が少し痛んだ気がしたのだ。
(あんな無様な真似はもうあれっきりよ!)
彼女の赤い口紅を塗った唇が笑みの形につり上がる。
なにせこの事態を解決できるであろう女が戻ってきたのだ。
アイリーンの足がある牢屋の前で止まる。
そこには一人の女が座っていた。
その姿はまるで水辺に咲く花のようだった。
頭上の手の届かないほど高い小窓からは月明かりが差し込みその女のことを照らしている。
清らかな水のように豊かに波打つ水色の髪は今はほどかれてその肩を流れ、その隙間からサファイアのように輝く瞳が覗いていた。真っ白なワンピースドレスはわずかにほこりをかぶっているがそれも気にならないほどに月の光をまといあわく輝いている。
河原の石と石の間に、流れる水の強さにも負けず素知らぬ顔をして風に揺れている。
ともすればすぐに折れてしまいそうな華奢な姿をしているくせに決して折れることのない花のような、そんな優雅な姿だ。
牢屋に閉じ込められてなお変わらぬその美しさに、アイリーンはその女を強く睨んだ。
「お久しぶりね、エレノア」
「やぁアイリーン嬢、久しぶり。元気そうでなによりだね」
そのいかにものほほんとした声音と挨拶にアイリーンの笑みはぴきりと引きつる。
「……あなた、ご自分の状況をわかっていて?」
「わかっているとも、これから処刑されるらしい」
その返答にますますアイリーンの頬は引きつる。
「あんたっ! わかってるならもうちょっと焦りなさいよ!!」
「焦ったら助けてくれるのかな?」
「助けないけど!」
「なら焦っても意味がないな」
のんびりとまるでくつろぐように冷たい石畳にエレノアはねそべった。 そして問う。
「それで? 一体この国では今何が起きているのかな?」
「…………」
アイリーンは扇を取り出すとそれで口元を隠した。
(相変わらずふざけた女だわ)
エレノアのその目。その目がアイリーンは嫌いだ。何かを見透かすようなそのくせなにも見ていないかのような、けれど印象に残る目だ。
はじめて会った時、エレノアは聖女で伯爵令嬢で王子の婚約者、アイリーンは取るに足らない田舎者の子爵令嬢だった。
だからその態度や視線にも腹は立ったが納得できた。いつか見返してやると闘志を燃やすだけだった。
しかしどうだろう。今はもはや二人の立場は逆転している。アイリーンは聖女で王子の婚約者でエレノアはただの罪人だ。
それなのになぜ彼女の態度は変わらないのか。
それともこれが生まれ持った『貴族としての出自の差』だとでもいうのか。
(馬鹿馬鹿しい……)
どんなに強がったところでこの女は死ぬのだ。今は虚勢を張っていても処刑台に上れば泣いて命乞いをすることだろう。
その姿を想像することでアイリーンはなんとか平静を取り戻す。
「病が流行しているのよ」
「聞いている。どのような?」
「熱と咳と鼻水が主症状。悪化すると肺炎を起こし呼吸困難に陥って最悪亡くなるわ。治療院のスタッフも次々と倒れていて人手も足りない。そのせいでどんどん感染は広がっているわ」
「……感染力が強いな」
エレノアは眉をひそめて考え込む。その瞳が何かを思い出すように斜め上を見つめた。
「……なにが感染経路かはわかるか?」
「『カンセンケイロ』?」
「飛沫……、唾液などの体液から感染したのか、それとも体液が飛散した後の乾いた空気を吸っただけで感染してしまうのか、それとも直接素手で触れる……、ことは手袋をつけているからないと思うが、そのどの経路から感染している可能性が高い?」
その質問にアイリーンは戸惑った。そんなこと考えたこともなかったからだ。
「わ、わかんないわよ。うつる原因なんて。手袋なんてつけたりつけてなかったりするし、空気中なんてよけいにわかんないわ!」
「『手袋をつけたりつけてなかったり』……?」
エレノアはその言葉に身体を起こした。そして怪訝そうにする。
「治療院では感染対策を可能な限り行っているはずだ。感染症の患者への手袋は必須だし、口布もあてるよう指導していたはずだ」
「……っ!」
その言葉にアイリーンは顔をしかめた。確かにいたのだ。治療院のスタッフの中に口うるさく手袋だの口布だのを使えと言ってくる奴が。しかしそのスタッフは、
「経費削減でそんなのなくなったわよ!」
治癒術師ではなかった。だからクビにした。
そしてアイリーンが廃止を伝えると残っていたスタッフ達はみんな特に反論することもなく使うのをやめた。
「……なっ!!」
「な、なによ……っ!!」
目を見開くエレノアにアイリーンは声を荒げる。エレノアはしばしその青い瞳をさまよわせた後、静かに言った。
「他に廃止したものは?」
「は?」
「他に廃止したものはあるのか? それから今回の病に対してどのような治療を行ったのかを詳しく教えてほしい」
サファイアの瞳が真っ直ぐにアイリーンのことを見つめる。
その瞳にアイリーンの頭に血が登る。
「なっ! なによっ! あたしが悪いっていうのっ!?」
「さぁ、それは知らないね」
彼女はその瞳になんの感情ものせず、ただ淡々とそう言った。
「それよりも対応方法を考えなくてはならない。そのためには情報が必要だ」
サファイアの瞳は暗闇の中で静かに光る。
「きみは一体なにをして、一体なにをしなかったんだ?」
「…………っ!!」
アイリーンの唇は震えた。




