魔女狩り②
それは間違いなくリジェル王国の第一王子、ジャック・アレイスト・リジェルの姿だった。
別室から衝立越しにその姿を覗き見て花子はケイトにサムズアップして合図を送る。
それにケイトも同意するようにうなずくと、サンドラに目配せを送った。
「お茶をお持ちしました」
サンドラはその視線を受けて何食わぬ顔をしてロランと王子ご一行が面会している客室へと入室するとお茶を配膳し始める。
そのついでにロランの顔をじっと見つめるとウインクして見せた。
それにロランも重々しくうなずく。
「どうやら王子が本物であることは伝わったようだ」
「そうですね」
その様子を衝立の影から見守りながら花子とケイトはうなずき合った。
「このエリスフィアの領主、ロラン・グラッドと申します。それでジャック殿下、本日は事前の約束もなく突然のご訪問、どのようなご用件で」
一応の礼儀を払いながらも、突然の訪問は大変不本意であるという雰囲気を醸しだしながらロランは応じた。その姿は国境を守る厳しい辺境伯そのもので普段花子とわちゃわちゃしているお人好しな姿が嘘のようだ。
そんなロランの姿にジャックはやや怯んだようだった。しかし側近のエリアスがその背中を促すように軽く叩くとすぐに気を取り直したようにひとつうなずいてみせた。
「突然の訪問、まことに申し訳ない。しかしきみの部下にも伝えたが、ことは緊急を要する要件なんだ」
「緊急とは?」
「我が国の大罪人が貴国に侵入した」
もっともらしく告げたジャックに、ロランは眉一つ動かさなかった。
「それで?」
静かに彼はそう促す。
「そ、それでとは……?」
予想外の反応だったのだろう。ジャックは戸惑いの声を上げた。それにロランは深々とため息をついてみせる。
「その人物はどういった罪を侵し、どのような経緯で我が国に入りこんだのか、それを説明してもらわねばなんともいえない」
「そ、そうだな。その通りだ」
焦ったようにジャックは慌ててうなずいた。
「ええと……、罪人の名前はエレノア。彼女の罪は聖女を詐称し、さらには我が国に呪いをかけたことだ」
「『呪い』……?」
ロランは首をかしげた。それに花子とケイトも顔を見合わせる。
(まったく心あたりがないなぁ)
というよりも花子に呪いをかけるなどという能力はない。
いわゆる魔法陣を使用して人を呪う、というものの存在も囁かれてはいるがあくまで噂レベルの話であり、そのような方法を少なくとも花子は知らない。
しいて心当たりを上げるなら女神アリアのたたりぐらいのものだが、それはきちんと出国時に止めているし、女神アリアは嘘はつかない。
そしてアリアに見捨てられた今となってはますます彼女がリジェル王国をたたる意味はないだろう。
「『呪い』というのは?」
「今我が国では流行病が蔓延していて治療院に勤める人間も倒れるような状態になっている」
(流行病?)
花子は眉をひそめる。
病が流行すること自体は不思議ではない。どんなに予防したところで新しい細菌やウイルスが侵入すれば容易に起こりえることだ。
しかしそれで治療院に勤めるスタッフ達も倒れ、そしてジャックがわざわざ花子を連れ戻しにくるほどの自体になっているなど……、
(どのくらい流行は続いているんだ?)
流行病の収束には時間がかかる。しかし時間はかかるが適切に対処すればいずれは収束していくものがほとんどだ。ただその期間を待ちきれずにジャックが慌てているだけならばいいが、もしそうでないのならば……。
「その『流行病』が呪いだという根拠は? 通常の流行病とはどのような違いがあるんだ?」
ロランのその冷静な声に花子ははっと顔をあげた。見ると彼はその静かな水色の瞳でジャックのことを見据えていた。
ジャックはそれに引き続き怯みながらも、
「我が国で病がここまではやったことなどいままでなかった!! 治療院も人手が足りず次々閉鎖することになって……っ!! これが呪いでなくてなんなんだっ!! あいつを国外追放してすぐにこうなったんだぞっ!?」
とわめくように叫んだ。
「…………」
(ジャック殿下……)
花子は首を横にふる。
ロランの顔は死んでいた。ロランだけでなくその側に控えるレスターの目も、ついでにレンの目も死んでいる。
「なに言ってんだ? こいつ?」
口には出さないもののその表情がその心情を雄弁に語っていた。
「……第一王子殿下」
痛む頭をおさえるように額に手を当てながらロランは口を開く。
「つまり根拠はないのですね」
「こ、こんきょは……っ!!」
「ないだろう。きみの国では建国以来一度も病が流行したことがないと? 俺の知る限りそれなりの数あったはずだ。当然のことだ。人手が足りず治療院が回らないのは同情するが、それはきみ達の施策次第だろう」
「そ、それは……っ!」
「それに国外追放と言ったな。つまりその罪人は逃亡したわけではなく、君達が意図的に外に放出したということか?」
「……っ!!」
ロランの詰問にジャックは何も言えずに口をぱくぱくと開いて閉じた。その姿をロランは冷たい瞳で見据える。
「自ら放り出した罪人に今更なんの用だ?」
「そっ、それは……っ!!」
そのまま言葉を続けられずジャックは黙りこんでしまった。それにロランは再び大きくため息をつく。これはこのまま追い返して話が終わるかと思われた時、
「真に申し訳ありませんでした」
そう静かな声が響いた。
エリアスだ。彼はその銀縁眼鏡を丁寧にかけ直すと静かに続けた。
「おっしゃる通り、罪人を国外に追放したのはこちらの落ち度です。実は追放当時はそこまでの罪ではなかったのですが、後から余罪が判明しよその国にご迷惑をおかけする前にと慌てて回収しにきた次第でございます」
「おっ、おおっ! そうだ!」
エリアスの加勢にジャックは何度も首を縦に振ってうなずいた。ロランはその言葉に顔をしかめる。
「『余罪』とは?」
「先ほど殿下が申しました通り、『呪い』の件です」
「その根拠を求めている」
「それが本当にエレノア・ホワイトの仕業かどうかを見極めるために身柄を確保したいのです」
「……」
「今はまだ疑惑の段階ではありますが、状況からその可能性を排除することは難しい。ですので一度追放したエレノア・ホワイトを追ってきました。貴国にご迷惑をおかけしたことは大変申し訳なく思っております。しかし、罪人を連れさったところでそちらに不利益はございませんでしょう」
銀縁越しに、その緑色の瞳が鋭く光る。
「それとも、罪人エレノアを連れて行かれると何か困ることがおありですか?」
「…………いいだろう」
ロランはしばし黙り込んだ後、静かに両手を広げてみせた。その口元にはわずかに皮肉げな笑みが浮かんでいる。
「罪人であるエレノア・ホワイトといったか。その人物を連れ戻しにきた理由は承知した」
「な、なら……っ」
「しかしそのような人物を俺は知らない」
顔を輝かせたジャックにそれをはねつけるようにぴしゃりとロランは言い放つ。
「このエリスフィアで、そのエレノア・ホワイトという人物を見かけたことはないし、我が領地でそのような『呪い』も発生してはいない。事情は承知したが残念ながらこちらに協力できることはなにもないようだ」
「そ、そんな……っ!」
「……そちらの領地に『エレノア』と名乗る人物が最近訪れたという話を耳にしております」
エリアスのその冷静な言葉に、ロランはぎろりと鋭い視線を向けた。
「それは我が婚約者のことを疑っているという意味か?」
「こ、婚約者……?」
ロランの言葉を呆けたようにジャックが繰り返す。それにロランは鼻を鳴らす。
「我が将来の妻は確かに『エレノア』という名前だ。しかし彼女は我が国の伯爵家の娘、身元はしっかりしている。名前が同じというだけでそのような大罪人の疑惑を我が将来の妻に着せるつもりか?」
その瞬間ずしり、と音がしそうな暗いに部屋の気温が下がった気がした。空気が一気に薄くなったかと錯覚しそうなくらいの息苦しさが部屋中をつつむ。
その冷気と重圧を発しているのは、ロランだ。
彼はただ腕を組んで座っているだけだったが、その身体と視線からは明確な敵意がにじみ出ていた。
これ以上の無礼を働くようならば殺す。
そう言葉にせずとも悟らせられる。
(さすがは『迅雷の聖騎士』……)
隣の部屋で衝立に隠れている花子ですら身体が冷えて息苦しくなる。
正面に座っている彼らは一体いかほどの圧を感じていることだろう。
(しかし……)
花子は知っている。
ちらりと見た先ではジャックは顔面蒼白でソファへとぐったりと体重を預け、腰が抜けたようになっている。しかしその側に控えているエリアスはーー、
(彼はこの程度で怯むような人間ではない)
彼は何も感じていないかのような無表情でゆっくりと瞬きをした。
正直、ジャックはポンコツ王子である。しかしそんな彼がいままでクーデターに遭うこともなく王位継承者であり続けられたのは側近のエリアスの存在が大きい。
花子が婚約破棄の時にあっさりと抵抗を諦めたのも、側にエリアスが控えているのが見えたからだ。
彼はその緑色の瞳をゆっくりとしばたくと、
「なるほど、それは失礼いたしました」
と淡々と告げた。
「それではぜひともその奥方様に直接謝罪をいたしたいので、お会いすることはできませんでしょうか?」
そうして続けられた言葉にロランはわずかに固まった。
(まずいな……)
それは一瞬のことでロランはすぐに「何を馬鹿なことを」と言葉を返したが、おそらくその動揺はエリアスに見透かされただろう。
「我が婚約者におまえ達のような無礼者を会わす必要性があるとでも?」
「大変無礼な勘ぐりをしたことを直接謝罪いたしたいのです。それとも……」
エリアスはその緑色の瞳で鋭くロランのことを見た。
「なにか会わせられない理由でも?」
「……っ」
(潮時だな……)
その様子を見て花子は立ち上がる。ロランは領主として決して無能ではない。しかしその誠実さがどうしても言動からにじみでてしまうのだ。
エリアス相手では分が悪い。
「お嬢様っ!!」
「ケイト、きみはおとなしくしていなさい」
花子のやることを予期してすがりついてくるケイトのことを花子は突き放す。そのまま衝立を手で除けてずかずかと来客室へと乱入した。
「……っ! おい……っ!!」
「どうもごきげんよう。おひさしぶりだね、エリアス、それとジャック殿下も」
花子に気づいて批難の声を上げるロランのことを遮る。そうしてエリアスとジャックの前へと花子は進み出た。
「え、エレノア……っ」
「どうもおひさしぶりです、エレノア様」
ジャックはたじろぐように、そしてエリアスは淡々とそれに応じる。
花子はそれににんまりと唇をつり上げてみせた。
「では行こうか」
「は? はぁ……っ!? ハナコ! きみは一体なにを……っ!!」
「ああ、そうそう、ロラン様」
くるりと花子はロランの方を振り向く。そして深々とお辞儀をしてみせた。
「は、ハナコ……?」
「あなたには大変お世話になりました」
そう告げて静かに頭を上げる。
「名前も名乗らないわたしのことを『ハナコ』と名付けてエレノア様の部下として仕事を任せてくださった。そのご恩を裏切るような形になってしまい大変申し訳なく思っています」
「な、なにを言って……」
戸惑うロランに花子は微笑む。
真っ白なとんがり帽子に真っ白なケープ、真っ白なワンピースドレスを身にまとったその姿は『白い魔女』だ。
ロランの婚約者、エレノアではない。少なくともエリスフィアの人々にはそう認識されている。
「殿下達は『エレノア様』を疑っていたようだが、それは濡れ衣だ。彼女は正真正銘このアゼリア王国の伯爵令嬢。たまたまわたしと同じ名前だっただけだよ」
花子はジャック達を振り返る。彼女は常と変わらぬ微笑みを浮かべ両手を差し出してみせた。
「責任はすべてわたしに。他の方々はみんなわたしに誑かされただけだ。彼らは何も知らないよ」
「そうですか」
エリアスは花子の言葉を信じたわけではないのだろうが、そううなずいた。
(これが落とし所だろう)
それに花子も満足そうにうなずく。
ジャック達の目的は花子を捕らえることでロランの名誉を汚すことではない。隣国の罪人を婚約者にしたというのならともかく、たまたま雇った人間に隣国の逃亡者がいたところでロランの名声に傷はつかないだろう。
「いやぁしかし残念無念! ロラン様のご婚約者が同じ名前でなければこのまま逃げ切れただろうに!」
花子は大げさに嘆いてみせる。
「ふ、ふん! どうやら貴様の悪運も尽きたようだな! おとなしくお縄につけ!」
それに良い感じにジャックが乗ってくれる。花子は「はい」と両手をそろえて差しだした。
「なるべく傷つかないように縛ってくれ」
「う、うるさい! おいおまえ達! ぼさっとしてないでこの女を捕らえろ!!」
その言葉におつきの兵士達が顔を見合わせるとぞろぞろと花子のことを取り囲んだ。
「では手を少し失礼して」
「えっと、もう少し一度両手を離していただけると……、すみませんねぇ、縄の結び方が決まってて。あ、今度は寄せてもらって」
「なかなか難しいものだなぁ」
その手の拘束の仕方に感心してうなずいていると、
「軽口をたたくなぁっ!!」
憤懣やるかたないといった様子でジャックが怒鳴った。それに慌てて兵士達は口を閉じる。
「そうカリカリするな、はげるぞ」
「うるさいっ! 誰のせいだと思ってる!!」
もちろん、花子のせいだろうとは思っている。
さすがに可哀想になって口を閉じるとジャックはふーふーと鼻息を荒くしながら「連れて行け!!」と怒鳴った。
「おい! ハナコ!!」
連行されるその後ろ姿にロランが叫ぶ。それに花子は少しだけ振り向いた。
「……あなたには本当に迷惑をかけた。あなたと過ごした時間はとても楽しかったよ。感謝している。感謝ついでにケイトのことを頼めると助かる。彼女は優秀な侍女だ」
「それでいいのか!?」
ロランの水色の瞳を見つめる。その瞳は最初に出会った頃と変わらずどこまでも澄んでいて真っ直ぐだ。
花子のよどんだ内情とは違う。
まぶしいものでも見つめるように花子は目を細めると優しく微笑んだ。
「それがいいんだ」
そう言うと視線を前へと向けて一歩踏み出す。その先は国境の森、リジェル王国へと続く道だ。
「ハナコっ!!」
手を伸ばすロランに、
「彼女は罪人エレノアに間違いありません」
エリアスが立ち塞がる。
「ロラン様、事実確認の上で引き渡しを拒むのであれば、こちらもそれ相応の対処をしなくてはなりませんがよろしいでしょうか?」
「……っ!!」
それは『同盟を破り戦争をしてもいいのか?』と聞いているのと同意だった。
たとえそのつもりがエリアスにこれっぽっちもないとしても、脅しには十分だ。
花子はそのまま真っ直ぐにエリスフィアを後にした。




