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タナカ・ハナコは聖女ですか?〜彼女の堕落的異世界生活〜  作者: 陸路りん


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紅蔦病の呪い②

「おい、どうした!」

 耳元で大声がする。

 気がつくと花子は病室の床に倒れ、その身体をレンに支えられていた。 ゆっくりと瞬き、花子はベッドを見上げる。

 そこからわずかに見える白い腕に紅の蔦はもうない。

 そのことにほっと胸をなで下ろす。そして手のひらをわきわきと動かした。

(うん、これは……)

「おい! 何があった!? 大丈夫なのか!?」

「大丈夫だ。すまなかった」

 とりあえず鼓膜が破れそうなのでそう答えてレンのことを静かにさせる。そのままゆっくりと身体を起こしてケイトが用意してくれていた椅子に腰を下ろす。

「大丈夫ならなんで倒れたんだ!!」

 まなじりをつり上げて問い詰めてくるレンに花子は目を向ける。

 そしてひとつうなずいてみせた。

「ただ治癒術が使えなくなっただけだ」

「は?」

「うん」

「は?」

「うん」

 目を見開いてそれしか言えない様子のレンに、花子は重々しくうなずいてみせた。

「なんか女神に取り上げられた」

「『なんか女神に取り上げられた』ーーっ!?」

 レンが絶叫する。花子は耳を塞いだ。

 そのまましばらく何事かを彼は騒いでいたようだが耳を塞いでいる花子にはくぐもった声にしか聞こえない。

 ひととおり彼が叫び終わり、落ち着いたのを見計らってから花子は耳から手を離した。

「まぁ、落ち着け」

「誰のせいでこうなってると思ってんだ……っ!!」

 花子はちらりとベッドに横になった患者を見る。幸いなことに彼女は疲労のためかこれだけ隣で騒いでもすやすやと眠っている。

「なくなったもんはなくなったんだからしょうがないだろう」

「そんな調味料が切れたみたいな言い方するなっ!!」

「だってほら使えないぞ」

 ほら、とステッキをかざしてみせる。そこからはなんの白い光も生まれなかった。

 その代わりにステッキの先端がぷすんぷすんと奇妙な音を立て始める。「お?」

「おい、やめろ! 今すぐやめろ!! 俺が死ぬ!!」

 ひとまず花子はステッキを引いてローズのことをカラスの姿へと戻した。

(今なにか出そうだったな……?)

 そういえば花子の治癒術や解呪術は女神アリアから与えられたものだ。では生まれつき持っている属性はなんなのだろう。

(治癒術そのものが自分の属性なんだと勝手に思っていたが……)

 しかしいくら女神とはいえ、生まれつき持っている属性を奪えるものだろうか?

 少なくとも守護精霊であるローズは取り上げられていない。そして属性は皆生まれつきひとつ持っているものである。

(まぁ、そのうち考えてみるか)

 それよりも今重要なのは、『女神の天罰』の範囲である。

 これまでの経験や帝国戦争に女神アリアが直接関与することがなかったことなどから考えて、おそらく彼女の影響できる範囲はリジェル王国内だけなのではないかと考えられる。

 今回隣国にいる花子の能力を奪えたのはそれが彼女が元々与えた『所有物』であったからだ。

(とすればすぐの報復はないと思えるが……)

 能力を奪うだけで満足してくれていればいいが、こればっかりはなんとも言えない。

(様子を見るしかないな……)

 その時ばんっ、と大きな音を立てて病室の扉が開いた。

「ハナコっ!!」

 そこに立っていたのはロランだ。

 いつもは整っている黒い髪はわずかに乱れどこかに出かけていたのか改まったスーツを着ているにもかかわらずその襟元などはよれてしまっている。

 彼は慌てた様子で花子へと駆け寄ると「大丈夫かっ!?」とすぐ側に膝をつきその手を握った。

 水色の瞳にはひたすらに心配する色だけがある。

「きみが倒れたと聞いて急いで戻ってきたんだが……、遅くなってすまなかった」

「……いや、早いくらいだ」

 一体花子はどのくらい倒れていたのだろう。わからないが花子にしてみれば倒れた直後に駆けつけてくれたような気分だ。

 彼女が知らせに走ってくれたのかサンドラが息を切らせてその背後から部屋に顔を覗かせていた。

「一体なにがあったんだ」

 心配げに尋ねてくるロランに、

「治癒術がなくなった」

 花子はやはり簡潔に伝える。

「え?」

「治癒術が……」

「ああ、うん」

 繰り返す花子にロランは拍子抜けしたように言う。

「それだけか?」

「うん?」

 目を見張って驚くのは今度は花子のほうだった。そんな花子に彼は安心したように息を吐く。

「ああ、その様子なら身体のほうは本当に大丈夫そうだな。よかった」

(……驚いた)

 花子の手を握ったまま胸をなで下ろす彼の様子を見下ろして、花子は丸くなった目を戻せないままだった。

 彼は本当に安心しているらしい。

(普通は身体の異常よりも『治癒術を使えない役立たずになった』ことにがっかりするべきだろう?)

 人間、とっさの時に本心は現れるものだ。そして今はまぎれもなく『とっさの時』だったことだろう。

 つまり彼の本心は『治癒術が使えない花子でも無事でいてくれればかまわない』というものだということだ。

「どうした? ハナコ。やはり身体のどこか調子が悪いのか?」

 ぼんやりとする花子にロランは心配げに話しかけてきた。それにはっと彼女の意識は戻る。

「いや、問題ない。そうだな、わたしは女神アリア様に嫌われてしまったようだ」

「うん? そうか」

「それで能力を取り上げられてしまったようでな」

 言うつもりじゃなかった言葉が動揺して口をついて出る。それにもロランは穏やかにうなずくだけだ。

「そうか。それは一途じゃないな」

「は?」

「女神アリアは一途じゃないと言ったんだ」

 それどころかずいぶんなことを言う。二の句の継げない花子に彼は微笑んで言った。

「何があったかは知らないが、どうせきみのほうから女神になにかつれないことでもしたんじゃないか? きみは誤解を招きやすい言動が多いからな。しかし自分が選んだ相手に振られたからって与えた祝福を取り上げるなど、随分と狭量なことだ」

 彼はにこりと笑いかける。

「きみもびっくりしただろう。災難だったな。そんな相手のことはもう放っておけ」

「……治癒術がつかえないといろいろと困るんじゃないか?」

「うん? 何か困ることがあったか? 治療院は新しいシステムで回ってるし、そもそも治癒術はあまり売りにしてないから影響もたいしてないだろう。紅蔦病の患者は困ってしまうが、元々あれは不治の病だ。これまで通りに戻るだけだよ。きみが気にすることじゃない」

「……紅蔦病はもう発生しないだろう」

 花子にはそう言葉を返すのがやっとだった。

 あれはずいぶんと大がかりな呪いだった。おそらくそれなりの儀式や魔力が必要な秘術のたぐいだ。そうでなければ今頃女神アリアは紅蔦病だけではなく様々な呪いを他国に向けて連発していることだろう。

 花子はうつむいた。その頬は赤く染まっている。

「そんなDV男に捕まっていた女を慰めるみたいなことを言わないでくれ」

「うん? よくわからないが気に障ったのならすまない」

 彼はきょとんとしながらそんな花子の背中をなだめるように撫でる。

 花子は赤くそまった頬を隠すのに必死だ。

 心臓がばくばくと音を立てている。頬と胸元がどうしようもなく熱い。

(かんべんしてくれ)

 こんな熱、花子は知らなかった。

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