崖の上
(さて……)
花子は周囲を見渡した。
崖の上は鬱蒼とした森が広がっていた。その光景はまさしく山の奥深くといった風情だ。
背の高い木々にわずかにしめった足下の土、ところどころに茸も生えている。
ふと顔をあげると野良精霊とおぼしき小さな猿が木の上からこちらの様子を伺っていた。
(『迅雷の聖騎士』がこちらにはいるから問題はないと思うが……)
そうは思いつつ花子は警戒するように守護精霊のローズを呼び寄せるとステッキへと変えた。基本的に攻撃するような魔法の属性は持っていないものの、誰にでも使える衝撃波を放つことや防御技などは花子にも可能だ。
そして肝心のロランはといえば、
「見ろ! ハナコ!」
実にいきいきとしていた。
澄んだ水色の瞳をきらきらと輝かせ、彼は藪の中へとずかずかと踏み込んでいく。
そのズボンの裾と両手はもう泥だらけだ。
その手にはこぶし大くらいありそうな大きな魔導石が握られていた。
「ここには魔導石がほんとうにたくさんあるんだ! しかもあるのは魔導石だけじゃないぞ!」
また何かを見つけたのか彼はさらに奥深くへと足を踏み入れ、地面を素手で掘り始めた。
彼はさきほどからずっとこうだ。幼い虫取り少年のようにあっちこっちを駆けずり回り、そして何かを見つけるとそれを花子に見せにくる。
(三十二歳……)
まぁ、三十二歳などこんなものかもしれない。花子も肉体年齢に引きづられているとはいえ、生前もあまり大人ではなかった。
花子が眺めている間にも彼は何かを掘り出したらしい。それをずいっと花子の目の前へと突き出す。
「見ろ!」
そう言って差し出されたのは、
「石版?」
だった。
不思議な文様の描かれたそれは、ところどころ欠けてはいるものの、
「魔法陣だ!」
ロランは目を少年のようにきらきらと輝かせながらそう告げる。
「これは過去の魔法陣なんだ! このような遺跡もここからは発掘されている。これらを研究すればあらたな魔法陣や魔導具が作れるかもしれない!」
「それはすばらしいな」
花子は素直に賞賛した。
そしてロランからその魔法陣の石版を受け取る。
土にまみれたそれを指でなぞる。
「これは水……? 温度を現す記号に……」
「おそらく水を沸騰させるか氷を作るための魔法陣ではないかと思うんだ。これまでにも類似した石版が発見されていてね」
にこにこと彼はそう説明する。
(ロランは本当に優秀だな)
蒸留器の件もそうだが、魔法陣に関しての知識も優れている。花子とて魔法陣には興味があり、貴族である立場を利用していろいろと調べたり学んだりしてきた身だ。しかし彼の知識のほうが花子よりも上を行っている。
「俺の推測ではおそらくこのあたりは食料などの貯蔵庫として使われていた場所があるんじゃないかと思うんだ。ところどころ洞窟が空いているだろう。あの中は比較的夏でも涼しいからその中にさらに気温を下げる魔法陣を設置して食料の保存をしていたんじゃないかと思ってな」
そしてオタクだ。
彼は興味のある事柄になるとずいぶんと早口で饒舌になるようだ。先ほどから石版や魔導石を見つけるたびに繰り返されるマシンガントークを理解できる部分だけ拾いながら花子は周囲を興味深く観察する。
花子達のいる山、その中央には巨大な窪地ができていた。まるでドーナッツのように中央に穴が空いており、そしてその穴の中心には小さな古ぼけた塔が建っている。
(あれが……)
「しかしそれがどうして失われてしまったのかは謎なんだが……」
目を細めてその塔を見つめる花子に、ロランは引き続き解説を続けた。
「その謎はおそらく、あの塔と関係しているのではないかと思うんだ」
そしてくしくも花子の見つめる塔を指さしてみせた。
「『精霊の住み家』」
(『試練の塔』……)
乙女ゲームではそう呼ばれていた。そして塔の内部の試練を受けることにより『女神からの祝福』が得られる塔だったが、
(アゼリア王国は女神教じゃない)
そして信仰されているのは数多の精霊達、それをまとめる大精霊の存在だ。
(どこかで情報が食い違っているのか……)
それとも、これからあの塔は『試練の塔』へと変わるのだろうか?
「あの塔は一見ただの石造りの塔に見えると思うんだが材質が本当に謎でね。どんな魔法攻撃を放とうがびくともしない。それどころか傷ひとつつかない謎の素材でできている。あれが『突如出現』したことにより山の中央に穴が空いたのではないかと推測する研究者もいるくらいなんだよ」
首をひねる花子に、ロランはそう言葉を続けた。
「いつからあるかはわからないのか」
「わからないな」
質問に彼は首を横に振った。
「今のところこの魔法陣の用途からして魔法陣の石版が作られた時代より後に出現したのではとは言われているが、この石版の作られた時代の特定から容易ではない」
「そうなのか?」
「ああ」
彼は重々しくうなずいた。そしてその真っ直ぐな瞳で花子のことを見つめて言う。
「ざっと百年から三百年ほどの誤差がでる」
「……それは」
「それすらも推測に過ぎないから実質信憑性がない」
「……なるほど」
確かに現代日本のように発掘物の成分を分析するような機械があるわけではない。である以上時代の測定は遺物を年代順に文化の発展から推測して並べていくような形になるのかもしれない。
(まぁ、わかったところでなにがどうというものでもないが……)
確か洞窟を抜ける必要のある試練の塔は七つある塔のうち『第三の塔』だけのはずだ。そしてその塔の試練の内容と得られる祝福は……、
「いずれ、あの内部を調べに行かせてくれ」
そうロランに許可を得るために口にした言葉は、
「それはあまりおすすめしないよー?」
まったく想像していない女性の声に返された。
「ハナコっ!」
ロランが鋭く名前を呼んで花子のことをかばうように腕で後ろへと下がらせる。その手にはもうすでに守護精霊アーロを変身させた銀の槍が握られていた。
花子も慌てて黒いステッキを構える。
二人の目の前には、真っ白い女が立っていた。




