デート
「きみのほうがイケメンだったな」
「そ、そうか……」
劇場を出ての彼女の第一声である。彼女が果たして観劇を楽しめるのかはなはだ疑問だったロランはその横顔を時々伺っていたが、案の定彼女は顔色ひとつ変えずに劇を眺めていた。
あまり楽しんでいるようには見えなかったのだ。
「楽しかったか?」
おそるおそるそう尋ねるロランに、
「きみは?」
「え?」
「あまり関心がないように見えたが、楽しかったのかい?」
彼女はそう質問で返してきた。それにロランはうなる。
別に楽しくはない。
それなりにすごいなぁ、とは思うがそれだけだ。ロランはそこまで演劇に興味はない。
「あまり楽しくなかったようだな」
その素直な反応に察したのか、ハナコはにやりと笑った。
「あ、あー、いや、別につまらなかったわけでは……」
「きみが楽しめるところに行きたいな」
驚いて彼女の顔を見るロランに、そのサファイアの瞳は優しく微笑む。
「わたしはこの町をまだよく知らない。きみのおすすめの場所を教えてほしい」
柔らかな風が吹く。彼女の水色のおさげが風になびいた。
「きみの楽しそうな顔が見たいな」
彼女の手が帽子が飛ばないようにと押さえた。桃色の唇が笑みの形に柔らかくつり上がる。
「じゃ、じゃあ……」
ロランはそこから目を離せず、ほぼ無意識で口を開いていた。
「崖を見に行こう」
「……崖?」
彼女は首をかしげた。ロランは軽く死にたくなった。
エリスフィアには大きな山がある。フィーア山と呼ばれるその山はその側面はすべてなぜか切り立った崖になっておりその一部には大きな洞窟が空いている。そして山の中央には大きなクレーターのようなへこみがあり、そこに謎の建造物『精霊の住み家』があるという謎の山である。 いつからそのような構造なのか、そもそも山自体が果たして自然のものなのかすら不明だが、少なくともロランの曾祖父の代にはもうすでにそのような状態だったことが記録から確認が取れている。
そして地元住民の間ではそれは『大精霊様』が作ったものだと言われているが、特にその存在によって何か恩恵を受けたことはない。
強いて言うのならば、ここ最近の探索でその山には多数の魔導石が眠っていることが判明した。とはいえ下手に採掘を進めると崖崩れの危険性があるためまだ調査中の段階である。
そしてその調査のために崖にかけられた縄ばしごの前に二人は訪れていた。
「これを登るとだな、山の上に行けるんだ」
そう説明しながら振り返り、ロランははっと気づいた。
ハナコはワンピースを着ている。そして左手を負傷したばかりである。
簡易的に取り付けられただけのこの不安定な縄ばしごを登らせるのは酷だ。
「ハナコ」
「うん? なんだ……っ!」
彼女に手を伸ばすとそのまま抱き寄せる。
「よっと」
そのままロランはひょいと片手でハナコのことを抱き上げた。
これで万事解決である。
ロランは満足するとそのまま片手で縄ばしごを登り始めた。
「…………。怪力だな」
「うん? そうか? 普通だろう」
というよりもハナコが軽い。有事の際は部下を抱えて走ることもあったため、それと比較してはいけないと思いつつもあまりの軽さに不安になる。
(そして柔らかい)
ふだん筋肉隆々の部下達に囲まれているロランだ。筋肉などあまりないハナコの柔らかさにむずむずする。
(というかもしかして……)
女性を抱き上げたのは生まれて初めてだ。
(あ? これまずいか?)
セクハラだろうか、これは。
一気にロランの背筋が寒くなった。どっと脂汗が吹き出す。
ハナコを抱き上げている方の手に変に力が入らないように、しかし落とさないようにと慎重に力を入れる。
手の位置を確認する。
(大丈夫だ、尻には触れていない)
ぎりぎりセクハラにはならないかもしれない。いや、そうだろうか? 本当に?
(恐ろしくてハナコの顔が見られない)
ここ数ヶ月で彼女とはそれなりに仲良くなれたつもりだ。それが今更侮蔑の顔を向けられてしまったら。
(耐えられん……っ!)
ロランははしごをわっしと掴んだ。そしてそのままわっしわっしとものすごい速度で崖を登っていく。
「おおっ!」
ハナコがその勢いに歓声を上げたが、ロランの耳にはその声は入ってはいなかった。
彼はそのままものすごい勢いでロッククライミングを続けた。
(やっとついた……)
肉体的な疲労ではなく精神的な疲弊からぜいぜいと肩で息をしながらロランはなんとかハナコのことを地面へと下ろした。
がくり、と膝をつきたい衝動をなんとかこらえる。
(誰だ、崖に行こうなんて提案した奴は……っ!)
ロランである。
ロラン自身の提案だ。なのでどこにもこのやるせない衝動を押しつけられずにロランはぐったりとした。
(これだからいつも俺は……)
女性に振られてしまうのだ。
デート先に図書館を選んで不興をかったり、魔導石とそれを使用した道具について一方的に語ってしらけさせたり、プレゼントによかれと思って精霊除けを送って愛想を尽かされたりした過去が次々と脳内によみがえる。
「おっと!」
その時、うなだれるロランの思考を遮るように声があがった。
ハナコだ。
慌てて顔を上げるとそこには転んだのか地面に膝をつくハナコがいた。
(あ、ハイヒール)
おそらく木の根に足を取られたのだろう。華奢な靴のヒールが折れていた。
ずん、とロランの頭に重いものがのしかかる。
(何をやっているんだ、俺は……)
彼女がワンピースと華奢なハイヒールを身につけていたのは知っていたのに、こんな足場の悪い場所に連れてくるなど。
見ればワンピースのすそも泥で汚れてしまっている。
「だ、だいじょう……」
「よっと」
今にも卒倒しそうな青い顔で手を差し出そうとしたロランにはかまわず、彼女はひょいと立ち上がった。そして折れたヒールを見てちょっと顔をしかめると、
「えい」
ばきり、ともう一つの無事だったほうの靴のヒールも折ってしまった。
「え?」
「まったく、こんな愉快な場所にくるとわかっていたらこんな格好はしてこなかったんだがな」
そう言うと彼女は驚くロランの前でほつれてしまったらしいワンピースの裾を裂いて邪魔にならないようになのかたくし上げると腰の横あたりで結んでしまった。
足下まで覆い隠していたワンピースが膝ぐらいまでたくし上げられる。
「え? え?」
「なんだ? ロラン」
戸惑いの声を上げるロランに、彼女はそのサファイアの瞳を細めてにやりと笑う。
「わたしの生足に興味があるのか? ほら、好きなだけみるがいい」
「なっ、そ、そんなわけないだろっ!」
ほれほれと見せつけてくる彼女に顔を真っ赤にして怒鳴る。
それに彼女は明るく笑った。
「まぁ今回はわたしが急遽場所をリクエストしたから仕方がないな。次のデートは場所に合わせた服装を心がけるとしよう」
「い、いや……、俺の方こそすまなかった。考えなしで……」
予想外のハナコの言葉に慌ててロランも頭を下げる。しかしもう先ほどの頭にのしかかるような重さは消えていた。
彼女は優しい。
ロランの失敗を笑ったり責めたりしない。からかいはするが、それはロランにとって不快なものではなかった。
彼女はにこりと微笑む。
「まぁ今回はわたしの生足を拝めた幸運をかみしめるがいい」
「……なるべく見ないように心がけよう」
余計な一言さえなければ良いのにな、とは思いつつ、それがハナコという人間なのだから仕方ないのだろうとロランは苦笑した。




