婚約破棄
「エレノア・ホワイト! 貴様との婚約を破棄する!!」
そう告げたのはこのリジェル王国の第一王子、ジャック・アレイスト・リジェルだった。彼は輝かしいその金髪を後ろへとなでつけ、緑色の瞳で鋭くエレノアのことを睨む。その肩には白い鳩の守護精霊ゼーラが留まっていた。パーティ会場に到着してそうそうにたたきつけられた言葉に、エレノアはこてんと首をかしげる。
「そうかい?」
「言い訳を聞く気はない! おとなしく僕との婚約を破棄することに同意しろ!」
「うん、わかった」
「無駄な抵抗は……っ! ……ん? 今なんて言った?」
このパーティは学園の卒業記念パーティであり、成人祝いの意味もある集まりであった。つまりこの場には学園の卒業生である貴族の子息、子女、そしてそれを祝いに集った保護者が集まっていた。幸いなことに新成人達に祝いの祝福を授ける予定のこのリジェル王国の国王、皇后両陛下はまだ会場入りをしていないらしい。壇上にある玉座は空席だった。
「『うん、わかった』って言ったよ」
「は、はぁっ!?」
予想外だったのかその言葉に王子は目をむく。そして打ち合わせにない展開に困ったのか両隣の人物に目線を泳がせた。
彼の左隣には王子と同い年の16歳の少年がいた。黄緑色の髪に深い緑色の瞳、銀縁めがねをかけた彼はこの国の宰相の息子であり、王子の側近であるエリアスだ。その肩には青いイグアナが乗っている。そして王子の右隣でその腕に抱きつくようにしてしなだれかかっているのはアイリーン子爵令嬢。針金のように真っ直ぐなピンクブロンドの髪に紫色の瞳をした小柄で愛らしい少女だ。彼女の足下には寄り添うように白い猫の姿をした守護精霊が立っていた。
(なぜ子爵令嬢が私の婚約者の腕にからみついているのやら)
などは今更聞くまでもない些事である。彼女がジャックに言い寄り、そしてジャックもそれにまんざらでもないというのはもはや学園では有名な話であった。
聖女としての仕事で学園を休むことも多いエレノアに、わざわざ含み笑いをした同級生達が逐一その動向を教えに来てくれるくらいにはその『不貞』は知れ渡っていた。
(確か彼女もわたしと同じような治癒の力を持っていたな……)
貴重な治癒の力を持つ彼女のことを、てっきり寵妃か何かとして囲うつもりなのかと思っていたが、この様子を見るにそういうわけではないらしい。
ジャックの泳いだ視線に答えるように、エリアスは王子へと囁いた。
「王子、とりあえず罪状をつきつけましょう。相手の過失で婚約破棄するのだと伝える必要があります」
そのささやきはしんと静まり返った会場内では周囲に丸聞こえだった。エレノアは思わず周囲の様子を伺う。
「今のってさ……」
「しぃっ! 余計な口を挟むな! 巻き込まれるぞ!」
一部ひそひそと戸惑う声があがっていたが、それ以外はみな気まずげに聞こえなかったふりを貫いていた。
(賢明な判断だな)
とりあえずエレノアも聞こえなかったふりをして王子へと視線を戻した。そんなエレノアや周囲の様子には気づいていない王子はびしっと彼女に指をつきつけてくる。
「そ、そうだ! エレノア!! 貴様、いたいけなアイリーンのことをいじめたらしいな!!」
「いじめ?」
「とぼけるな!!」
側近のささやきになんとか持ち直したジャック王子はふふん、と胸を張った。
「アイリーンの教科書を破り、時には水をかけ、そしてついに先日! 階段から彼女のことを突き落としたな!!」
「いや、それはしていないね」
「証拠もあるんだぞ!」
エレノアの言葉を無視すると彼は手を上げた。それと同時に数人の少年が前へと進み出てくる。
(おやまぁ)
その顔ぶれを見てエレノアは思わず口元を扇で隠した。
どれも見覚えのある『アイリーンの親衛隊』達だったからだ。
彼女がジャック王子に言い寄る傍ら、他の学生達もたぶらかしていたのもこれまた有名な話だった。
知らぬはジャック王子だけだろう。
他の親衛隊達はそれでもいいと思っているのか内心不満があるのかは不明だが、それでもアイリーンに忠実に侍っている。
「彼らが証拠だ! 貴様の行為を目撃していたんだ!!」
「うーん……」
エレノアは首をひねる。
ここでこの証言を否定したところで水掛け論になるだけだろう。正確な日時を聞いてひとつひとつ否定することは可能だろうが、彼らがそれを許してくれるとは思えない。
そして監視カメラも何もないこの世界では、人の証言の価値は重い。
(とりあえず……)
「……それだけかい?」
「は?」
「根拠はそれだけ?」
エレノアは相手を泳がすことにした。
だって勝手に語るに落ちて自滅するかもしれないし。
事実、ここまでしてもエレノアの顔色が変わらないことにジャック王子は焦った表情を浮かべた。
「そ、それだけじゃない!」
そして叫ぶ。
「お、おまえは! おまえにはアイリーンをいじめる動機がある! アイリーンに僕を取られたと妬んで……っ!!」
「婚約破棄は別にいいと言っているじゃないか。妬む理由がないよ」
「あ、アイリーンの優秀さを妬んで……っ!」
「優秀? わたしのほうが学業の成績は良かったけれど」
うぐぐぐ、とうめきながら王子はわめく。
「アイリーンの美しさに嫉妬したんだろう!!」
その言葉にエレノアはきょとん、と瞬いた。
「え、いや? わたしのほうが美しいね」
それはごく普通に、当たり前の事実をただ述べているだけといった口調だった。
「う、い、いや……」
そしてそれに言葉を詰まらせたのは王子のほうだ。
なぜならばそれは事実だったからだ。
ゆるくウェーブのかかった淡い水色の髪は今は美しく結い上げられ、印象的に輝くサファイアの瞳には長いまつげが影を落としていた。透けるような白い肌につややかな桃色の唇。瞳の色に合わせた青いドレスは彼女の腰の細さを強調し、儚い美しさを際立たせていた。
「ちょっと、」
まごつくジャック王子にアイリーンは何を黙っているのかと責めるようにその脇腹をつつく。
「王子、心です。心が美しいとおっしゃってください」
そこへそそそ、と再びエリアスが静かに近づいて助言した。
「お、おお、そうだ! 心だ! 彼女は心が美しい! お前などよりもよっぽどな!」
王子の啖呵にはらはらと状況を見守っていた周囲の人々はほっと胸を撫で下ろした。
しかしその言葉にエレノアは首を傾げる。
「心の美しさなど一体どうやって測るんだい? 目に見えないものの美しさを測るすべがあるというのなら、ぜひ数値化して見せてもらいたいね」
その言葉に王子の顔はゆでだこのように真っ赤に染まった。そして口論では勝てないと悟ったのだろう。
「う、ううううるさい! おまえには可愛げがないんだ! 昔っから! ずっと!! 衛兵! あの罪人をとらえろ!!」
エレノアを指さし、自身の部下を使って実力行使へと出た。王子の命令に衛兵達がわらわらと進み出てきて彼女のことを取り囲むと、その腕を乱暴に掴み取り押さえにかかった。
「ちょっと、乱暴にしないでくれないか。髪が乱れる。ああ、ドレスも破けてしまう」
「ふん、この期に及んで身なりを気にするか、卑しい奴め」
その言葉にエレノアは呆れたように言葉を返した。
「そりゃあそうだろう。この美しさを維持するためにどれだけの金と労力がかかっていると思うんだい? もったいないだろう」
「エレノア」
その時、そのやりとりを遮るように男性の声がした。エレノアは羽交い締めにされたままそちらを振り返る。
「おや、お父様にお母様。お久しぶりです」
そこには険しい顔をした黒髪に青い瞳をした男性と、美しい水色の髪と金色の目を持つ女性が立っていた。何を隠そう、この世界でのエレノアの実父と実母である。
とはいえ、全寮制の学園に通っていたエレノアとは学校に入学して以来、十歳で学園に入学したため実に六年ぶりの再会だった。
ちなみに在学中、手紙でのやりとりなどもしていない。二人には気の毒なことだが、生まれた時から前世の記憶を持つエレノアは実にかわいくない娘だった。ゆえにその後に生まれた妹を両親がかわいがるのは自明の理である。エレノアが学園へ入学したのはかわいくないエレノアを家に置きたがらなかった両親たっての希望でもあった。
「失望したぞ」
エレノアの父、ダイラス・ホワイトが重々しくそう告げた。
「今日を限りにおまえのことを娘とは思わん。勘当だ! 二度と我が家の敷居をまたげるとは思うな!!」
その隣ではエレノアの母であるマリーがエレノアのことを軽蔑するような目で見ていた。
(もとより、娘だなどど思っていなかっただろうに……)
エレノアはつきそうになるため息を飲み込んだ。
両親が疎ましくてもエレノアを捨てなかった理由はエレノアが聖女だったからである。
聖女はこの国にとって女神からの祝福である。ゆえに聖女は生まれた瞬間から王族か有力貴族との婚姻を約束され、その上その教育のために潤沢な支援金が国から支払われた。
ちなみにその支援金のほとんどはエレノアの教育にではなく母マリーと妹エイミーのために使用されているということをエレノアは知っている。エレノアの学園費用は成績優秀者の特待制度を利用しているため通常の四分の一の金額で済んでおり、そしてエレノアの身につける物はこのようなパーティー以外では学園の制服か教会から支給される治癒術師のローブである。そしてパーティーで着るドレスや装飾品はエレノアが聖女として働いた対価としてもらった給金で用意しており、それも毎回作るほどの予算はないため昨年作ったドレスを売ったりリメイクしたりして捻出しているものだ。
エレノアは両親の影に隠れるようにして立つ自らの妹、エイミーを見た。彼女は美しい真っ直ぐな黒髪をアップに結い上げ、その髪にはルビーをふんだんにちりばめた髪飾りをつけていた。髪飾りだけでなくその真っ赤なドレスにも様々な宝石がこれでもかと縫い付けてあり、細かい刺繍がされた生地には非常に人の手がかかっていることがわかる。母親譲りの金色の瞳は猫のような綺麗なアーモンドアイで、その気の強さを伺わせた。その可愛らしい顔が浮かべる表情は、嘲笑だ。
彼女は取り押さえられる姉、エレノアを見て、嘲るような笑みを浮かべていた。
今度は漏れ出るため息をこらえきれず、エレノアは吐き出した。
(パーティーの主役である卒業生達よりも目立つ服を着て参加するなんて……)
妹も妹だが、それを注意しない親も親だ。
エレノアが呆れている間にダイラスの援護射撃を得たことで勢いづいたのか、ジャックは大きく胸を張って宣言した。
「エレノア! 今日から君はもはや聖女でもなんでもない! 国外追放だ!!」
そして自らの右腕にいるアイリーンへと向き直ると微笑みかけた。
「そして今日から新しい聖女はアイリーン、君だ!」
「まぁ、嬉しいです! 殿下!!」
その場はミュージカルのフィナーレのような盛大な拍手に包まれた。その舞台の敵役となってしまったエレノアは取り押さえられていた衛兵達に担がれるとえっほえっほ、と邪魔にならないように会場の外へと運び出される。
(舞台裏感がすごいな)
どうやらエレノアの登場シーンは終了したようだ。
(どうしてこうなったのだろう?)
エレノアは運ばれながら首をかしげる。
これでもエレノアはそれなりに聖女として、そして王太子の婚約者として努めてきたつもりだった。教会や王からの聖女としての要請を断ったことはないし、国の発展に寄与するために前世の知識を利用した提案も行い、それはある一定の効果をあげていたはずだ。
(その結果がこれか……)
エレノアは静かに口の端に笑みを浮かべた。




