衛生兵レン
ひとまず力のありそうな者には引き続き蒸留器の搬入と稼働を行ってもらい、残った者には実際に得られた高濃度の高濃度のアルコールを使用して院内の拭き掃除を指示した。それと同時に手の洗い方や洗うタイミング、アルコールでの除菌の仕方なども改めて指導を行う。
さて、患者の様子でも見に行こうかとしたところで、
「そうだ、レンの奴が訓練から戻ってきたから今日からここに勤めさせることになった。兵士が本業だから常に常駐できるわけじゃないが、あいつは傷の手当てには長けている。治療院で使ってやってくれ」
ロランからそう声をかけられた。それに花子も「ああ」とうなずく。
『レン』とは花子の手当をしてくれたロランの部下だ。花子の傷の具合が落ち着いてからはしばらく訓練に出るとのことでここ数日不在だったが、可能であれば治療院に欲しいという話をしていたのだ。
彼は治癒術師ではないものの、その技術は確かなものだった。
「おい、レン」
ロランがそう呼びかけると、奥のほうからしぶしぶといったように一人の少年が姿を現した。
灰色の癖のある髪を一つにくくり、濃い緑色の瞳をした少年だ。年齢は今の花子と同い年で16歳だと聞いた。
彼はぎろり、と花子のことを強くにらみつける。
「なんでこんな奴の下で治癒術師のまね事なんて……っ!」
「レン!」
瞬間、鋭い声とともにその頭に拳が振り落とされる。拳を落としたのは、レスターだ。
「いってぇ……っ!」
「ロラン様の婚約者様になんてことを言う!」
柔和で穏やかな執事長は珍しく眉をつり上げてそう叱咤した。そうしてすぐに花子のほうに向き直るとレンの頭を押さえながら頭を下げる。
「申し訳ございません、ハナコ様。レンはまだ幼いものでして……」
「誰が『幼い』だ! 俺はもう立派な大人だ!」
「ならもう少し自らの振る舞いを正しなさい!」
「……二人は家族なのかい?」
その親しげな様子を見て花子は首をかしげる。それにレスターは恐縮したように、
「お恥ずかしながら、この子は私の妹の子、つまり甥なのです」
と告げた。
「しつけが行き届いておらず、申し訳ございません」
「いや、かまわないよ」
にこりと花子は笑いかける。なにせ彼が花子にかみついてくるのは今に始まったことではない。
花子を治療している最中も終始ぶっきらぼうで花子に対して悪態をついていた。
(しかしそれも無理もない)
なにせ花子は『どこの馬の骨ともわからん奴』である。そんなのが主人の婚約者の座になどおさまったら疑うほうが普通だろう。
(むしろロランとレスターのほうが不安になるが……)
おそらく二人には花子が『ロランの治療を行った』ということで多少フィルターがかかっているのだろう。紅蔦病は不治の病と呼ばれることもある病気だからまぁ、命の恩人相手と思えば多少の恩人フィルターはしかたがないとはいえ、普通に考えてこのレンの反応のほうが一般的なはずだ。
実際にこの治療院で花子のことを手伝ってくれているスタッフは元盗賊団の女性陣達やエリスフィアの領民達だが、それなりに疑いの目を向けてくる人物も多い。
今のところ花子に不審な行動がなく、ロランが背後にいるため様子を見てくれているのだろう。
花子はレンへと微笑みかけると手を差し出した。
「よろしく頼むよ」
「だれがおまえとよろしくなんか……っ!」
「レン!」
再びレスターのげんこつが落ちる。
さてどうしたものかと考えていると、「おまえなぁ、納得したんじゃなかったのか」とロランが呆れたようにレンに声をかけた。
「ろ、ロラン様っ!」
「おまえが怪しい怪しいと騒ぐから事実確認にも同行させただろう。なにか不審な点や偽りが見つかったのか?」
「そ、それは……」
レンがうつむく。それに再びロランはため息をついた。
「見つからなかったと俺は報告を受けている。リジェル王国が何を考えているかは知らないが、少なくとも彼女は人に恥じるような行動はしていない」
「『事実確認』?」
二人の会話におや、と花子は眉を上げる。それに彼は気まずげに首をかいた。
「いやすまない。きみを疑ったわけではないのだが、念のため隣国に数人を派遣してきみの素性や追い出された経緯の確認をしたんだ。その結果、きみの言っていることが間違いなかったという確認が取れた」
「ああ、なるほど」
(さすがにそこまで楽観的ではないか)
花子はうなずく。確かに花子の話の裏付けを取るのは当たり前のことだ。
(しかし……)
ロランがリジェル王国に迷い込んだ時もそうだったが、ずいぶんと国境の行き来がたやすい印象を受ける。
二国の間に存在する森は凶暴な野良精霊が生息しており危険極まりないものでそれが国境として機能しているが、その程度の野良精霊をあしらえる人間や精霊除けを活用すれば少人数の流入は可能ということなのだろう。
アゼリア王国側は対策としてロランの部下の兵士達が巡回を行い目を光らせているようで、事実花子が到着した際にロラン達が駆けつけたのは侵入者の知らせが見張り台からあったためらしい。花子達がたどりついたのはエリスフィアに張り巡らせられている城壁の外側だ。エリスフィア、引いてはアゼリア王国に入るためには当然だが城門での審査が必要になる。つまりあの時ロランに拾ってもらえなければ明らかに怪しい家出令嬢状態の花子達は入国自体困難であった可能性もあったのだ。
リジェル王国側にも当然だが城壁が存在するため、商人など身分を偽ってスパイを送ったのだろうが、そのようなことがあると話では聞いたことがあっても実際にスパイを送られている内情を知るとそら恐ろしいものがある。
(おそらくロランは本当に優秀な領主で将軍なんだろう)
国境際の領地を任されていることはもちろん、お人好しそうに見えてやることはきちんとやっている。
ロランとレスター、二人からの花子に対する信頼はそれなりに裏付けがあり、その上で花子とケイト二人程度ならいつでも処分できるという確信があるゆえの行為に他ならない。
(大型犬は穏やかだもんなぁ)
臆病な犬こそよく吠える、というやつだ。ロランのそばに控えていた犬の姿をした守護精霊は、その鋭い牙の生えた大きな口を開けてのんびりとあくびをしてみせる。
そしていまだこちらをにらみつけるレンの足下にはそれよりもひとまわり小さな白い犬型の守護精霊が主人と同じ顔をして威嚇のうなり声をあげていた。
「その、気を悪くしただろうか?」
「いや? 調べるのは当然のことだ」
気まずげに問いかけてくるロランに花子は笑って応じた。
「疑いが晴れたならなによりだ。これからも仲良くしてくれると嬉しいよ」
「ああ、よろしく頼むよ」
本来ならレンに差しだした手だったが、彼なりの気遣いなのだろう、ロランが代わりにその手を掴んで握手をしてくれた。
その手は無骨で剣だこがいくつもできた武人の手をしていた。




