蒸留器
「なんだこれは……っ!」
そうして上機嫌で入った治療院の一室で、花子に衝撃が走った。
部屋の中に『それ』はどどん、と置かれていた。
部屋の中にはそれを搬入したとおぼしきロランとレスター、そして元盗賊達の姿があった。しかしそれには脇目も振らず、花子はふらふらと『それ』に近づく。
「ああ、ハナコ。それはもう稼働していて熱いから触ると危ないぞ」
そのまま『それ』に取りすがるようにして触りそうな勢いの花子のことを、ロランがその首根っこをひっつかんで引き留めた。
確かにそれはぶくぶくと音を立てており、蒸気が発生しているのが人目でわかった。触ると火傷するくらい熱いことだろう。
しかし問題はそこではない。
銅でできたそれは間違いなく花子の求めていた蒸留器だった。中に酒を入れて煮詰めることで水よりも沸点の低いアルコールの成分を先に蒸発させ、その蒸気を集めることでアルコール濃度を高めると共に不純物を取り除くのだ。そしてそれは本来なら火にかけることで行われる。
(それなのに……)
ふるふると花子の手が震える。本来ならば火をくべなくてはならないところに火はなく、そこには謎の赤い石が輝いていた。
「なんだこれはっ! 焼け石でも貼り付けているのか!?」
「え? ああ、すまない。それは実は試作品なんだが……、魔導石を使っているんだ」
「『魔導石』っ!?」
驚き振り返る花子に、ロランはなぜか照れたように頬をかいた。
花子の知る『魔導石』といえば、精霊の核であり、亡くなった精霊の心臓部から取れる結晶であり、過去になくなった精霊の魔導石が地面から発掘されることもある過去の遺蹟のようなものだ。そして『精霊除け』に使われる道具である。
原理はよくわからないらしいが、決まった模様を刻んだものに魔導石を取り付けることにより『精霊除け』は作られている。それはいまでもよく解明されていないが過去の英知であると言われている。
(魔方陣の原理と同じだとの話だが……)
魔方陣もまた不明な部分が多いが、魔力により稼働する模様である。精霊除けは魔力を供給する人間がいなくても作動しつづけること、そしてある一定期間を得ると魔導石が黒くなり作用しなくなることから魔力の供給をしてくれるエネルギー源ではないかと学者達の中ではまことしやかに語られていた。
(そういえば……)
ふと思い出す。これから未来にあたる乙女ゲームの世界では確か『魔導具』とよばれる道具があった。そしてそれらは確か魔導石を原動力に動いていたはずだ。
その乙女ゲームの世界では、魔導石は電池のように機能し、電化製品のような魔導具を動かしていた。
(ということはこれは……)
「その『魔導具』ということか」
「『魔導具』?」
花子の独り言にロランが反応する。それにまずいと彼女は肩をすくめた。
おそらくこの時代にまだ『魔導具』は存在しないのだ。少なくとも花子はこの世界に生まれて初めて目にした。ロランが『試作品』と言っていたことからしても間違いないだろう。
「『魔道具』か、ふむ……」
ロランは考え込むようにすると、「その呼び方はいいな」とつぶやいた。
「え?」
「いや、実はこれら魔導石を使用した器具をいくつか作っているのだが、正式な呼び名はまだなかったんだ。便宜上『新式』と呼んでいたんだが」
「『しんしき?』」
「ああ、新しい形式の道具という意味で『新式』だ。しかし『魔導具』のほうがわかりやすくてしっくりくるな。……もしかして俺が知らないだけでリジェル王国にはこういったものがもうあったりするのか?」
それに花子は慌てて首をぶんぶんと振った。とんだ誤解である。
こんなハイテクなものはリジェル王国にはない。
「ええと、これは試作品とのことだったが、一体誰が……?」
だとしたらこれを試作した人物はこの世界のパイオニア的存在であると言える。
この世界に電化製品、もとい魔導具の先駆けを生み出したパイオニアだ。とんだ英雄である。
(そしてあわよくば便利な家電を作ってほしい!)
現代日本から転生してきた花子にとっては切実な願いであった。
「ああ、それか。それは俺と俺の友人とで作ったんだ」
「え」
「うん?」
花子は唖然とする。
今目の前の男は一体なんと言ったのか。
(『俺と俺の友人とで作ったんだ』……?)
ということは、
目の前に立つ短く整えられた黒髪に空色の瞳をした男の肩を花子はがしっと掴む。
「お?」
「きみが天才だったのか!!」
「……へ?」
きょとん、とする彼にはかまわず花子はそのサファイアの瞳をきらきらと輝かせた。
「素晴らしい! こんな文明の利器を生み出せるなんてっ!! 君は世紀の大天才だ! きみもきみの友人も等しく賞賛に値する……っ!!」
「お、おお……」
花子の賞賛の言葉に彼は少しだけ戸惑ったあと、ややしてその頬をわずかに紅潮させた。
「そ、そうか……?」
「そうだとも!」
恥じらうようなその言葉に花子は力強くうなずく。
「一体どうやってこのような素晴らしいものを作り上げたんだ? 精霊除けや魔方陣の原理を解明したのか? だとしたらそれも世紀の大発見だ!」
「い、いやぁ、すべてを解明したわけでは……。ただこの魔導石は魔力をため込んでいることが実験で判明したんだ。人々は魔力を使って炎を生み出したり雷撃を放つだろう。だからその魔力を魔導石から抽出してからくりを動かすことはできないかを探求していただけで……」
「天才の発想!!」
「う」
「才能の塊!!」
「お、おっふ……っ」
花子の手放しの賞賛に彼はよろよろと数歩よろけるように後ずさると、身体を支えるために机に手をつき、もう片方の手で口元を押さえた。
「ほ、褒め殺される……っ」
「これでも足りないくらいだ!」
本当はいますぐにでも蒸留器に頬ずりをしたいぐらいだが、ぐっとこらえた。熱を発している物にそんなことをしようものなら花子の頬の皮はでろでろに焼けただれてしまう。
天才! 鬼才! と褒め称える花子と照れて顔を隠してうめくロランの二人に、
「いや、もういいからそろそろ指示出してくれよ。俺たちはなんのために今日招集されたんだよ」
元盗賊のリーダー、そして今は花子の立ち上げた女神教の神官となった鷲鼻の男、バルドはそう呆れたように口をはさんだ。
二人はぴたり、と沈黙してバルドのほうを同時に見る。
「な、なんだよ……」
「いや、ごもっともだ。すまなかった」
ロランはごほんごほんと気まずそうに咳払いをし、
「きみも一緒に賞賛するべきだ。ほら、この世紀の大発明に拍手!」
花子は拍手を促した。
しかしそれに応じて拍手をしてくれる人は一人もいなかった。
花子の拍手とケイトのため息をつく音だけがその場に響いた。




