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タナカ・ハナコは聖女ですか?〜彼女の堕落的異世界生活〜  作者: 陸路りん


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白い魔女

 柔らかい色合いのタイルを低いヒールが音を立てて踏みしめる。

 暖かな風が白いケープを翻らせ、とんがり帽子が風に飛ばされないようにと彼女は手で押さえた。

「あ、『白い魔女さま』だー!」

 店の準備を手伝っていたと思われる子どもがその姿に指をさしてうろちょろと周りを駆け回った。

 その声に他の子どももどこに隠れていたのかちょろちょろと姿を現す。

 そんな彼らに『白い魔女』と呼ばれた彼女はふふん、と得意そうに胸を張ると手に持っていたものを地面へとどん、とついた。

 ほうきである。

 木と細い草でできたほうきで彼女は街道をさっさか掃きながら歩き始めた。それによって巻き起こる砂埃に子ども達は楽しそうに歓声を上げる。

「白い魔女さま。今日はどこいくのー?」

「今日は悪いやつに『タンカ』切らないのー?」

「あのねぇ、白い魔女さまの輪っかを飾ったら怖い奴来なくなったんだよー」

「わたしも掃除手伝うーっ」

「ねぇ! そこをどいて……っ!!」

 その時、のどかな空間を引き裂くように悲痛な声が響いた。そのまだ年若い女性はその真っ白い魔女の姿に気づくと慌てて駆け寄り、その前に跪いて両手を合わせた。

「ま、魔女様……っ! お願いします! どうか! どうか……っ!」

 そんな彼女に魔女は手を差しだした。ひときわ強い風が吹きヴェールが翻る。

 そのサファイアの瞳は優しげに微笑んだ。

「大丈夫。落ち着いて。どうしたんだい?」

「むっ、息子が……っ、やけどを負ってしまって……っ!」

 その言葉を聞いたとたんに魔女はすばやく彼女のことを立ち上がらせるとそのまま手を引く。

「いますぐ行こう。場所は?」

「こっ、こっちです!」

 そしてそのまま二人は駆けだした。


 暖かなな光が部屋に広がる。その光がおさまった時にはそこには穏やかな顔をして眠る男の子の姿があった。

 そこにはもう、やけどを負っていた痕跡など欠片もない。

「あっ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

「大丈夫だろうとは思うが、念のため時々治療院に様子を見せに来てくれ。なにか後遺症があるといけないからね」

「は、はい……っ!」

 勢いよくうなずいた後、彼女は顔を陰らせた。そして恐る恐る、「あの、お代のほうなのですが……」と切り出す。

「ああ、ではこの中から買えるものをひとつ選んでくれ」

 そして取り出したものは三つ。

 ひとつはローリエの葉でできたリース。これが一番安価で千コロネ、と値札がつけられている。そして次がローリエの葉でできた冠の模様の描かれた壺。これは一万コロネ。そして最後が美しい女神の絵が描かれた絵皿。これは一番高く三万コロネだった。

 ちなみにコロネはこの国の通貨である。ほぼ1円=1コロネと同じくらいの価値だ。

「……では、これを」

 そう言って彼女は申し訳がなさそうにリースを手にとり、千コロネを支払った。それに魔女はにこりと微笑む。

「お買い上げありがとう! きみが払ってくれたこのお金のおかげで治療院の設備をさらに充実できる。そのおかげで助かる人が増えるだろう。大変素晴らしい。本当に感謝している」

「まぁ……」

 そのあけすけな物言いに彼女はわずかに口元に笑みを浮かべた。

「ではこれで失礼するよ」

「あっ、待ってください!」

 白いワンピースドレスを翻して立ち去ろうとする魔女に彼女は声をかける。

「あのっ、もっとお金が貯まったら! もっと買えるように頑張りますねっ!」

 その言葉に魔女はにんまりと笑った。

「まいどどうもありがとう!」

 そう言って手を振ると魔女は立ち去って行った。


(いやぁ、順調、順調!)

 花子はふんふんと鼻歌を歌いながら街道を歩く。

 その手はさきほど同様ほうきをさっさか掃いていた。

 花子の立ち上げた女神教は、順調にその信者の数を増やしていた。今や町中にローリエのリースが飾られ、それに伴い悪徳高利貸しや強盗などの姿は減っている。

『ローリエのリースを飾っている家に手を出すと酷い報復にあう』。 

 そのような噂が一部では出回り始めているらしい。

 商品の購入という名の寄付もそれなりに好評で金持ちは一番高い商品を、お金のない人は一番安い商品を買ってもらっている。

 別に払った金額により待遇の差はないが、自然と高い商品を持っている人間はそれだけ寄付を行っており、皆の生活を良くするために貢献しているという印象を周囲に与えることに成功していた。

 そうでなくても感謝の気持ちから商品を買ってくれる人は多い。

 女神教の布教が進んだことによる弊害など、強面の白装束の人間がぞろぞろと町中を練り歩いているという程度のものだ。いまのところ順調に女神教の運営と治安の向上は進んでいた。

(その上……)

 上機嫌で花子は石畳をほうきで掃く。

 そのなんと清潔なことか。

 どこにも汚物どころかゴミもあまり落ちていない。汚水の処理に関してはまだ課題があるものの、元々そういった物は畑の肥料として扱われていた経緯もあり、少なくとも街道にはまかれていない。

 最初は花子が一人で箒とぞうきんを片手に街道の掃除を行っていたのだが、それに周囲が徐々に協力を示してくれるようになり今のこの清潔さまでたどり着いた。そして見た目だけではなく細かいところの衛生面はやはりなによりもロランが花子の説明を信用してくれたおかげというのが大きい。

 やはり慕われている領主の鶴の一声は大きいのである。

「前世の世界では細菌というものの存在が信じられていた」

 花子はあの時ロランにそう説明した。

「それらは生物にとって大切な存在であると同時に害をもたらす物も含まれていて、感染症や傷の悪化などの悪さをすることがある。そして目には見えないほど小さいそれは多くの場合、不潔なものに多く潜んでいた」

「不潔なものとは?」

 ロランの問いかけに花子は答える。

「まぁ、排泄物とか、泥とかカビとかほこりとかだな。そしてそれらは掃除しただけでは菌がその場に残ってしまうことが多かった。そのため『除菌』と言って、菌を排除する工夫が必要だったんだ」

「『除菌』するためにはどうしたら良いんだ」

「アルコールだ。高濃度のアルコールで周囲を拭き取る。あるいは傷口にそれをかけることで除菌する」

 その言葉に彼は息を呑んだ。花子は微笑む。

 そう、その方法の効果を彼は知っているはずだ。なにせ花子の怪我の治療に『レン』という部下を寄こさせたのだから。

 そしてその『レン』という男は原理は知らずともその経験則から花子の傷口にワインを吹きかけて治療を行ったのだから。

「きみ達がいままでやってきた治療法の延長した先の手法だよ。できれば傷口だけではなく、机や椅子などもアルコールで拭いて清潔にした方が死亡率や感染症のリスクが減るんだ。さらには治療者の手も清潔なほうがいい」

「なるほど……」

 ロランは何かを考えるようにしばらく黙り込んだ。しかしややして顔を上げるとひとつうなずいて見せる。

 その顔はもう何かを決断している表情だった。

「わかった。では取り急ぎその方法を採用しよう。治療院も元々そういった施設が必要なのはわかっていたのだが、なにせそれを担える治癒術師や医者がいなくてな。しかしきみがいるのならば開設できるだろう」

「いや、早いな。提案しておいてなんだがいいのか?」

「ああ、かまわない。ただそうだな、効果は検証しなくてはならないから。レスター、過去の感染症による死亡者の数のデータなどはそろえられるか」

「要因別は難しいかもしれませんが、単純なこのエリスフィアにおける死亡数ならばわかるでしょう。それと感染症の種類にもよりますが一定期間の感染症の罹患数などは調査すればわかるかもしれません」

「ではすぐにそれを開始してくれ。ああ、あと治療院については他の領地の情報でかまわないから治療院内での感染症の罹患数や死亡率を調べられそうなら調べて欲しい。そうだな、隣の領地に俺のほうから依頼してみるから許可を得しだい動いてほしい。それとこれから開設する治療院でも感染症の罹患数と死亡者数を出して比較しよう」

 きょとん、と花子は目をまたたく。それは先ほど花子が「自分にはできない」と投げ捨てた統計データの収集そのものだった。

 ぼんやりと見つめる花子に、ロランが気づいて振り返る。そして微笑みかけた。

「いやすまない。きみを疑っているわけではないんだ。しかし明確な数値があったほうが効果の説明がしやすいからな。申し訳ないが協力をお願いできないか」

「あ、いや、願ってもないことだ。ぜひやってくれ」

「そうか、助かるよ」

 透き通った水色の瞳が花子に微笑みかける。

 花子のことを信じてくれただけではなく、彼はこちらが提案しなくてもその裏付けを取ってくれるようだ。

(いや、しかしそうか)

 頼めばよかったのか。統計をとってくれと。

(いや、頼んだところでやってくれたとは思えないが……)

 父も母もジャックも。そんなことには興味などなかっただろう。花子の妄言に対しても。

「わたしは狭い世界で生きてきたんだな……」

「ん? 何の話だ?」

「こっちの話だよ」

 きょとんとこちらを振り返る水色の瞳に花子は微笑む。

 こちらの世界の常識に合わせつついろいろと理屈を練って説明しても聞いてくれなかったリジェル王国の大臣達を思い出す。

(あっちの反応のほうが普通なんだろうな)

 この環境は得がたいもののようだ、と花子は目を細めた。

 そして現在、ロランは約束通り治療院を開設し、花子はそこに勤めている。

 アルコールによる消毒も現在はワインなどで代用してはいるものの、アルコール濃度を高めて不純物を取り除くための蒸留器をロランが手配してくれている。

 それが今日、治療院に設置予定と聞いてるんるんで花子は急いでいるのだ。

 ちなみにエリスフィアに来て数ヶ月。花子はその服装から『白い魔女様』と呼ばれている。

 そして領地に住むほとんどの人間に花子は『領主の婚約者であるエレノア』とは別人だと認識されている。

 これは花子が自らを『花子』と自称し、さらにはロランも『ハナコ』と呼ぶためなのだが、まぁ『町の衛生環境を整える事業の推進と治療院の設立を提案したのはエレノア』ということになっており、『女神教の布教と治療院の舵取りはそのエレノアの連れてきた部下であるハナコ』に任されているという認識のようなので今のところエレノアの評判も花子の評判も上々である。

 花子はふっ、とニヒルに微笑んで自らの額を押さえて見せた。

「我ながら、詐欺師としての己の才能が怖いほどだ」

「詐欺師ではなく、『商才』とおっしゃってください。あるいは『人徳』です。お嬢様」

 実はずっとそばに付き従っていたケイトが呆れたようにそう告げる。そんな彼女も今は『白い魔女』の部下としていつものメイド服ではなく真っ白いエプロンドレスを着ていた。

 治療院を設立するにあたり、手伝ってくれる女性陣からの要望で作成されたおニューの制服である。

 最初は治癒術師のローブを勧めたのだが、若い女性から意見が出たのだ。

 いわく、『ダサい』。

 そうして急遽作られたのが真っ白いエプロンドレスである。

 ちなみに男性側にもアンケートを取ったのだが、男性側からは特に何も要望はでなかったためそちらは白いローブのままである。

 また、女性側もローブとエプロンドレスどちらを着るかは希望制で決められるようになっている。

 なので今のところ若い女性はエプロンドレス、それ以外はローブを着ることが多いようだ。

(そのうちケーシーっぽいのも作ろう)

 よく看護師の着るアレである。アレならばズボンで男女関係がないため汎用性が高いだろう。難点はデザインをそれなりに考えないと現在の縫製技術ではダサくなってしまう可能性があることだろうか。

(ズボンとかシルエットが綺麗に見えるやつにできるかなー)

 今のところ制服の作成は雇った元盗賊団一家の女性陣に依頼している。思いのほか良い感じのデザインで作ってくれているのでケーシーも依頼したら良い感じにしてもらえそうな気もする。

 今度聞いてみるか、と思いながら花子はスキップで治療院までの道を急いだ。

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よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
「ケーシー」 確か昔のアメリカの医療ドラマで、主役が着ていたのがそのタイプの白衣で、そこから名前がついたそうですね。 そういえば昔は床屋は歯医者を兼ねていて、床屋の前の回るポールは、動脈血と静脈血の色…
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